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魔境山脈ネイリ、忘却の都と呪いの子編
25.霧に煙る
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荒い吐息が口から洩れる。
それなりに授業で運動していたつもりだったけど、全然体がおっつかない。だけど、これは俺が運動音痴だからじゃないはずだ。そこまで鍛えられてないから、俺の体がついていけてないだけなのだ。
先生だって、小石がゴロついた坂道を半日も歩く事は想定してなかっただろう。
そんな荒行を行う機会なんてそう無いだろうに、今その時が来ているなんて運命は残酷だ。どうせなら俺がもうちょっと鍛わってから訪れて欲しかった。
しかし、今は弱音など吐いてはいられない。
ピロピロちゃんの車は、中腹の監視小屋までしか行けない。何故なら、それ以上の場所には兵士達でも対処できないモンスターが犇めいていて、でっかいカピバラ的な可愛いピロピロちゃんは、間違いなく襲われてしまうからだ。
それはいけない。絶対にそれはダメだ。
……ってなワケで、俺達はあと半分の道程を自力で登っているのである。
――――そう。
ここは、ナイリ山脈の高層地帯。
薄らかかる霧の向こうは岩ばかりが見える、下界よりも厳しい不毛の地。
凶暴なモンスターとヤバい人達が潜むという、岩だらけの山の八合目なのだ。
「ああ……こ、こんなんで……た、戦えるかな……俺……」
今のところ、情報通り何故かまったくモンスターが出てこないが、こんな状態で何かに出くわしたら俺は絶対に足を引っ張ってしまう。
そんな事をここで考えても遅いのだが、内心頭を抱えずにはいられなかった。
……これは最初から決まってた登山だから、俺も覚悟はしていたけど。
とはいえ……やっぱり、登るとキツいと言わざるを得ないわけで。肺が息を吸うことすら辛くなって、ぜひゅぜひゅと変な音が喉から出るワケで。
「ツカサ、やっぱりオレが獣になって乗せて行こうか」
「キュゥ~!! キュッ、キュキュー!」
うう、クロウとロクが俺を心配してくれている。
だけどここで人の力を借りたんじゃ恥ずかしいじゃないか。いや、もう今現在進行形で恥ずかしい醜態を曝してるけども。
「ねえツカサ君、僕もおぶってっていいんだよ? 正直凄く時間食ってるし……」
「うぐ……」
「あと歩きながらツカサ君の尻を揉める絶好の機会だし……」
「お前ホントいい加減にしろよ今大声でツッコミ入れたら死ぬぞ俺は」
なんでお前はイヤミとスケベを交互に出して来るんだ。ボケなのか。やめろ。
高度があがるにつれて空気が薄くなってんだよ。
いや、この異世界で空気がどういう存在になってるかは知らないけど、しかし存在するということは、薄くなったりもするはず。ていうか濃かったら俺がこんなにゼーハー言ってないはずだ。絶対薄い。ともかく俺の肺がヤバいんだよ!
そんな所で騒げるか、と、オッサン達と三等分にしてもまだ思い荷物をしょっていると――――前方で一際大きい荷を背負っているオッサンが振り返った。
「何をしているグズども、さっさと来い。特にツカサ、お前が遅れると朝食が食えなくなるだろうが早く来んか馬鹿か貴様は」
…………あの人、なんで俺達の二倍荷物を背負ってるのに、あんな平気な顔して急な山道を登れるんだろう……。
怒りんぼ殿下とは言え、やっぱり王としての実力は本物なんだろうな。
そう思いながら、俺は今まで来た遥かな下り坂をちらりと見やった。
「…………」
改めて見ると、転がり落ちたが最後といった感じの坂道だ。
ここから転げ落ちたら小石に削られ岩にぶつかりで、たぶんとんでもない死にざまになってしまう。それだけは絶対に避けたい。
しかし、その惨事を思い浮かべても俺の体はもう一ミリも奮起しなかった。
半日の行程で、もう体が限界に片足を突っ込んでいたのである。
な、何故俺が一番最初にヘバるんだ……こういう時へばるのはオッサンキャラだと相場は決まっているのに……っ。自分の平凡なスタミナが憎らしい。
はあ、どうしてこう俺ってヤツは……――――
「…………おい」
「えっ?」
あれ、今、すぐ近くで怒りんぼ殿下の声が聞こえたような。
そう思い目の前を見ようとすると、急に世界がぐるりと動いた。突然の事に思わず硬直してしまうが、体が勝手に動いて足が浮いてしまう。天地がひっくり返ったのかと思わず青ざめたが……自分の体が下から何かに支えられているのに気付いた。
……あれ。これって、もしかしてお姫様だっこ?
さてはブラックかクロウの野郎が俺の足が遅いからと強引に担いだな。
正直ちょっと助かるけど、突然の抱っこはやめてくれよ、と思いつつ俺を支えている奴の顔を見上げると。
「お、おい! テメェなにやって……!」
「……!」
「これでは夕暮れに間に合わん。ついて来い」
えっ。えっ、ちょっ。
ま、待って。背後からブラックの怒鳴り声が聞こえて……って、うわああ!
おっおっ俺を抱えてるの、怒りんぼ殿下じゃねーか!?
「でででで殿下でで殿下あの」
「太鼓みたいに連呼するな愚か者。グズに付き合っておれんだけだ。そもそも、お前が付かれたら料理に影響が出るだろうが、俺を治すための料理人として連れて来ているのに、失態を犯すな。殺すぞ」
「ぅ、ういい……」
フランス風の受け答えになってしまったが、人を平気で殺しちゃう不機嫌顔の獣人に「殺すぞ」と言われたのだから許して欲しい。
あと正直、ブラックとクロウ以外のヤツにこうされるのはちょっとサブイボが……。
「テメーゴルァア!!」
「ぶ、ブラックさすがに口を慎めっ」
「うるせーお前も殺すぞ駄熊め!」
あああ、背後から地獄の怒声が聞こえる……ていうかみんなどうしてこんな高所の山道を走って息切れ一つしてないの。
怒りんぼ殿下も眉間のシワ一つ崩さず、平然と走ってるし。これたぶん絶対自動車くらいのスピード出てるしぃいい。
「で、殿下、あの殿下、ありがとうございます、でも俺自分で」
「一番足手まといが何か意見出来るとでも?」
「…………」
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仕方ない、別の切り口から責めるか……あんまり考えたくなかったけども。
「…………あの、殿下……」
「なんだ」
「獣人って、メスにはこういうことするものなんです? 人族のメスでも……?」
暗に自分の事をメスと言うのは気が重かったが、こう言う風に言えば怒りんぼ殿下だって「お前なんぞ誰がメス扱いするか」と思って降ろしてくれるかもしれん。
まあそれはそれで、俺とは相容れない思想をしてんなと思うけど。
自分で考えておいてちょっと不機嫌になってしまうが、何故か殿下も不機嫌な顔をする。そのくせ俺の方は見ず、正面を向いたまま答えた。
「オスより力の劣るメスを守る事など、どの生物でも当然の事だろう。お前達の仕事は子を産むことで、戦場にしゃしゃり出ることではない」
「マハさんは出てるじゃないっすか」
「ッ……! 母上の話はするな!」
やっとこっちを向いた殿下は、俺を睨む。
だが、その自分の怒りを追及されるのはまずいと思ったのか、すぐにイラついた顔を真正面に戻して歯噛みをした。
「…………母上は、我ら“二角神熊族”の中に時折生まれる特別なメスだ。元々メスが完全に主導権を握る種族なら別だが、神獣である俺達には傑物のメスが生まれることがある。時に王権を握るほどの女帝になるほどのメスがな。でなければ傑物とは呼ばれん。お前達とは違うのだ」
なるほど、アマゾネス的な種族だったら普通に強い女性ばっかりだけど、他の獣人の種族はそうでない所が多いんだな。クロウ達“二角神熊族”もそうなのか。
だから、マハさんみたいな女傑が生まれること自体珍しい……と。
反芻する俺に構わず、怒りんぼ殿下は続けた。
「だがお前を抱えた事は別にメスへの当然の行動からではない。単にお前が遅くて足手まといだからやっているだけだ。自分が価値あるメスだと思い上がるなよ」
「誰も頼んでないわいっ!! 嫌なら降ろせっ!」
そんな風に言われるなら、ブラックかクロウに頭下げて小脇に抱えて貰った方が百万倍ましだ。俺だってメス扱いされたいなんて思ってねーよ、降ろしてって言ってるのに、降ろしてくれないアンタが悪いんだろ。イヤなら降ろせっての!
……しかし、殿下はそんな事を言うくせに俺を降ろそうとはしない。
そうこうしている内に、快速で坂道を駆け上っていた殿下の周囲に白い靄が徐々に濃く流れはじめた。これは……頂上に近付くにつれて霧が掛かって来てる?
いや、もしかしたらこれは雲なのかも知れない。そういえばかなり肌寒くなってきたし、かなり高い所まで登って来たのか。っていうか、ブラック達はどこ。
まさかはぐれたりしてないよな?
「ブラック、クロウ、ロク……っ」
心配になって、殿下の体から身を乗り出し背後を見ようとする。と――――
殿下が、急に足を止めた。
「うわぁっ!?」
「煩い」
ウルサイじゃないよっ、停まるならちゃんとそう言ってくれ。
危うく飛び出して坂道を転がって死ぬところだったじゃないかと固まっていると、俺の抗議を聞いていない感じの殿下は前方を見てまた眉間の皺を増やした。
「…………迎えか」
「え?」
霧の向こうへ静かに問いかける殿下。
迎え、って……一体なにが。
慌てて前方を向くと、そこにはいつの間にか黒い人影が立っていた。
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徐々に姿が明確になり――――獣人の姿が、はっきり見えてくる。
「カウルノス・カンバカラン殿下、ならびにお付きの皆様……お待ちしておりました。私は、道先案内を仰せつかった“天眼魔狼王”の使いの者でございます」
静かな、しかし凛と通る声で己の正体を語った相手は、銀の耳と尾を持つ狼の男。
彼が、話に聞いていた“天眼魔狼族”の里に住む狼族の一人なのだろうか。瞼近くまでバンダナで額を覆っているけど、アレが里の人のしるしなのかな。
「うむ。出迎えご苦労。……暴れるなよ。濃霧の中ではぐれればお前は死ぬぞ」
「だ、大丈夫ですって……」
ああ、背後から二人分の吐息とパタパタと可愛い羽音が聞こえる。ブラック達も、ちゃんとついて来てくれてたんだ。でもそれなら尚更早く降ろして欲しい。
なのに、殿下は俺を降ろそうともせず、案内人のお兄さんに従い歩いて行く。
う、ううう……背後からの恐ろしいオーラが怖い……。
「我らが偉大な長も、首を長くしてお待ち申しておりました。試練という大事の前に、是非ともヴァーディフヴァ様の宴においでください」
「心遣い痛み入る。……時に、長殿は息災か」
霧に浮き上がる案内人の背中に、怒りんぼ殿下は殿下らしい言葉を放る。
その言葉に逐一振り返りつつ、案内人は「はい」と答えた。
「いつでも、何者でも、長は見通しておられます。我らの力が必要な時は、遠慮なぞせず、お使いください」
「うむ……」
「…………?」
力って……やっぱ呪術とかのことなのかな。
彼らの長は、この大陸は珍しい呪術師だ。病を治したりまじないをしたりするから、獣人の間では胡散臭いと思われたりもするらしいけど……神獣の一人でもあるし、実力は本物なんだから、たぶんその力を使ってくれと言ってるのだろう。
けど、今それを改めて言うのはどういう意味があるのか。
気になって殿下の顔を見上げてみたが、相手は相変わらず不機嫌顔のままだ。
どういうことだろう、と首を捻って前をみやった。と、同時。
「我らの里へ、ようこそおいでくださいました。……どうか今宵は、ゆっくり足を休めて下さい。来るべき試練に、万全の力で立ち向かえますように」
お兄さんが立ち止まりこちらを振り向く。
その動きに連動するかのように、深く濃くなっていた霧が一斉に左右に散って――
目の前に、いきなり別の風景が広がった。
「こ、ここが……天眼魔狼族の里……」
冷たい空気を吸い込んだ俺は、寒さとも感動ともつかない衝動に体を震わせる。
まさか、山の上にこんな集落があったなんて思ってもみなかった。
→
※次、ついに新章です
やっと動き出すぞ(`・ω・´)
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