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飽食王宮ペリディェーザ、愚かな獣と王の試練編
暗闇の徒
しおりを挟む海は魔境、故郷は厳地、一つ間違えば死に捕らわれる武力の大地。
無限とも思えた広い地は、海の向こう側に広がる世界から見れば無数に在る陸地の一つでしかない。例え尊い存在が創り出した誇りある大地であっても、その大きさは広がる世界からすれば「数多あるうちの一つ」でしかなかった。
……そう。
無限と思い込んでいた頃は、この大地で生きるしかないと思っていたのだ。
――――かつての自分は、そんな考えに捕らわれた愚かな獣だった。
記憶を振り返れば振り返るほど、過去の自分に嫌気がさす。
……兄を仰いで、ずっともがいていた。
運命を呪った。
一人また一人消える度に、この大陸の厳しさに慟哭した。
そんなことをしても、何も変わらないのに。
(…………まったく、忌々しい)
一族の宿命を呪い、兄を追いかけ飛び出した自分を嫌悪し、その繰り返しで自分自身を殺したいほど憎んだ。
夢を見ても過去が追いかけてくる。未来の陰惨な想像が待ち構えている。
目が覚めても血塗れの手はそのままで、ただ、ただずっと、心が冷えて行く。
“あの人”に拾われなければ、きっと今も……心は、死んだままだっただろう。
考えて、黒衣に身を包んだ自分の姿に苦笑した。
(こんなもの、何の意味も無い。……こっちではこんなことなんて久しぶりだから、ついローブを着てしまった)
うっかりだ、と思う。
だが今はその行動も命とりではない。“彼”のように、笑っていられた。
この月夜が照らす土気色の都市の中で今眠っているだろう“彼”のように。
そう思えば、冷えた空気に逆らい胸の辺りが少し暖かくなるような気がした。
(……思い出すな……あいつのことを……)
一時も忘れた事のない大事な存在に、彼はよく似ている。
だからだろうか。この冷え切った岩地の荒野に居ても、彼の事を思えば少しだけ体が心地良くなるような感覚になるのだ。
誰も訪れない夜の荒野に、ひとりぼっちで立ち尽くしていても。
「――――……!」
そんな事を考えていると、音が遠くから聞こえた。
音の方へ振り返ると、ごく小さな着地音を小刻みに響かせる独特な音がこちらへと駆け寄ってくる。これは、獣特有の歩き方だ。
だが敵ではない。その場にとどまったこちらに向かって、別の黒い影が途轍もない速度で接近してくるが、驚く事ではないのだ。
静かに待っていると、ほどなくして黒衣の相手が到着した。
「……すまない、少し遅れてしまった」
どことなく強張った口調で言う相手に、首を振る。
「かまわん。……ご苦労様はお互い様だ。大方、長狼に引き留められたんだろう」
「今は“三王の試練”の再準備で忙しいから動くな、と言われた。だが……ア……私は、陛下と殿下に仇なす気配を見過ごす事は出来ない」
「ふっ……」
無理をするな、と言ってやりたいが、それもまたお互い様だろう。
こちらもそちらも、立場上今は「自分」を優先させるわけにはいかない。
笑いを噛み殺して息を噴いただけのこちらに気付かず、相手は続けた。
「……私は、ずっと……クロウクルワッハ殿下が“あれしきのこと”で追放されるのは、おかしいと考えていた。何より、あの時は小康状態とは言え、未だに戦の最中だったんだ。護国武令軍を一つ潰すなど、ありえない選択肢だったはず。賢竜殿下も戦竜殿下もそのことは承知していたはずだ」
悔しげに言う、相手。
黒衣の中で悔しさに肩が震えているが、過去の屈辱はこの男にとって今でも納得がいかない事だったのだろう。
けれど、それは主観でしかないのではなかろうか。そう言葉を返した。
「居ない方が都合が良かったんだろう。クロウクルワッハ殿下は、軍を統率していた大将の一人とはいえ、御二方と比べると明らかに劣っていた。“太陽”と“月”よりも“夕日”が勝る……なんて事などあるまい」
「……」
「それに、戦竜殿下の武力なら、クロウクルワッハ殿下だけでなく、お前達を軽く凌駕出来るだろう。小康状態だからこそ、と思ったのでは?」
外様の者から見れば、そういうことにもなる。
それは相手も理解しているようで、激しい憤りに震えながらも、反論出来る材料が無いゆえに言い返してはこなかった。
「だが……っ、今は、違う……っ。今……今こそ……今こそ、私達の故郷を、はぐれ者の私達に“群れ”をくれたクロウクルワッハ殿下に報いる時だ……! 今の殿下には、殿下を支えて下さる番がおられる……!」
「…………」
それが誰の事かは――――すぐに理解した。
だが、耳に心地よい話ではない。
今まで思い浮かべていた“穏やかな彼”……純粋で優しい記憶の中のツカサの姿を、今の発現で歪められたように思えてしまって、眉間に皺が寄った。
けれども、相手は興奮した様子で続ける。
「私は知っている! あの方が、ツカサさんが殿下の傍にいれば、殿下は眠っていた本来のお力を発揮する事が出来る! だからっ、だから私は……っ」
「…………理想論を語るのは良いが、時間は有限ぞ」
言葉が、語尾で感情を堪え切れなくなって乱れる。
そんなこちらのことを察したのか、相手はグッと言葉を詰まらせると拳を握った。
――――暫し、沈黙する。
そうして、ようやく頭が冷えたのか、もう一人の黒衣の男は再び口を開いた。
「……すまなかった。本題を話そう。……それで、お前の方はどうだったんだ」
「結論から言うと、相手の位置は特定できなかった。厄介な能力で追跡を阻害されたうえに、途中から痕跡が掻き消えたんだ。……どうも、前の時とは違う」
その言葉に、相手は驚いたように顔を上げた。
目深に被った黒衣から、驚いたように牙を見せる口が見える。
「なにっ……お前の追跡を躱しただと!? そんな……」
「……どうやら、相手は前回とは少し違うらしい。……なんだか妙な感じがする。船に大量に乗り込んでいた人族の冒険者や傭兵と言い、何かがおかしい……」
「…………」
言葉を失くした相手に、もう一度――――以前の問いを、問いかけた。
「なあ。相手は本当に……この前、戦を挑んできた相手なのか?」
静かな問い。
だが、返答はない。相手も答えあぐねているようだった。
けれどそれでも構わないのだ。他人に答えを貰ってどうにかなるような話ではない。それは、追跡していた自分が一番理解していたのだから。
「まあ良い。……標的が消えた周辺を、俺は探ってみる。大規模な“群れ”を作るのであれば、相手も補給が必要はなずだ。……何か有れば、また連絡を寄越す」
それだけ言い、踵を返した。
これ以上の話はお互い無駄だろう。
今は一刻も早く、事の真相を突き止めることが必要なのだから。
「…………お前にも、無理をさせる。すまない、ナルラト」
相手の声を背中で聞いて、黒衣の男――――ナルラトは、肩で軽く笑った。
「汚れ仕事より随分マシだ。気にするな」
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