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豪華商船サービニア、暁光を望んだ落魄者編
35.許されるのなら、どうか1(※二話連続更新
しおりを挟む夢を、見ていた。
自分ではない、誰かの視点の夢。
少し細めの大人の広い手と高い視点、動く足は何だか膝下の部分が高いみたいで違和感があって、自分が自分じゃないみたいだった。
そんな違和感の中で目覚めた俺は、自分が何一つ身に着けていない事と、そこが森の中である事を知った。不思議な感覚で、自分が何物かも分からなかった。
どうして自分はここに居るんだろう。
何故こんな風に服も着ず、ただ地面に倒れていたのだろう。
不思議に思っていた俺に、黒い影が近付いてきた。
すぐ傍にいたその影は、黒いフードを被っていて顔を隠していた。だけど、鼻から下だけはフードの陰から外れていて、細いながらもしっかりした顎をしている相手は、男であるのだろうとぼんやり察する事が出来た。
そんな黒衣の男は、俺を見て満足げな笑みを浮かべて口を動かす。
『やあ、お目覚めですかモルドール男爵。永い永い眠りでしたね』
相手の声は、聞こえない。だが何故か言葉がハッキリと思い浮かぶ。
夢の中だからなのか判らないが、相手は声を発していて、自分もそれを確かに聞き取っているにも関わらず、どうしても相手の顔や声は判別できなかった。
しかし、夢の中の俺……いや、モルドールという金髪碧眼の男は気にせず、周囲を軽く見まわした後長く伸びすぎた髪を掻いた。
――――ここは、どこだ。私は一体……。
頭の中で、声がする。
喋っているはずなのに、布団の中で会話をした時のように声がくぐもっていて、口が動いているのに喋っていないようなおかしな感じだった。
確かにこれは、リメイン……いや、モルドールの声なのに。
『ああ、まだ完全に目覚めてはおられないのですね。お労しい……。では、貴方様の記憶を私が取り戻して差し上げましょう』
そう言って、黒衣の男はすらりとした綺麗な手を俺の方へ伸ばし、額に手を当てると――――何事かを呟いた。
――あ、あぁあ……っ。
紫色の光が、目の前を包む。
何が起こったかも分からないままにビクビクと体が震え、そうして。
俺の脳裏に、様々な記憶が蘇ってきた。
……次々に、自分が歩んできた「人生」が鮮明に浮かび上がってくる。
貧しい村に生まれ、鉱山の仕事で重い病に掛かった両親のために手が擦り切れるまで一生懸命働いた子供時代の自分。やがて両親が死に、このままではいけない、村の人々を救わねばならないと思った少年の頃の自分。
鍛錬を積みモンスターを退ける力と自信を手に入れ、村を守るために狩りを行っていた時に発見した新たな鉱脈を王族に献上し、爵位を賜った青年の自分。
……大変だったけれど、両親の事以外は何も後悔などしなかった。
村に貢献できずに寝たきりになった両親を村人に疎まれ、その子供である自分は「病気持ち」だと言われ、時折酷い罵りや暴行を受けた。
だが、それは一時の事だと信じて疑わなかったのだ。
自分が子供だった時、両親がまだ元気で暮らしていた時、村の人達は自分達にも優しかった。優しさを持つ者は、その心を取り戻せる。
今は病を恐れて「更に自分が貧しくならないか」と心が荒んでいるのだ。そう自分に言い聞かせ、今まで泣き言を言わずに努力し力を付けて来た。
……全ては良心が愛した村のため、自分が生まれた村のため。
自分が生まれた故郷を親と思い、自分を認めてくれた王に報いるために。
そして、その思いは実った。
爵位を授けられた自分は、身分ではなく功績で評価してくれる良い貴族から良き妻を娶り、その愛おしい彼女との間に一人の子供をもうける幸運を授かった。
優秀な息子。鉱石のおかげで栄え始めた領地。
上に立つと言うのに奢ることも無く、平民出の自分を快く受け入れて、何かと力になってくれたアコール卿国の国王陛下と素晴らしい貴族達。
彼らと国を治める事が出来るのが、国の事をまことに考える人々と故郷を良き国にしていけることに、自分はただただ誇らしさと嬉しさしかなかった。
自分の住む地は、なんと素晴らしい人ばかりなのだろう。
良き妻は奢らず自分を愛し立ててくれて、使用人達も平民である自分のことを全く蔑まずに心から尊敬してくれている。彼らと故郷の村を発展させる日々は、今までの人生の中で、一番幸せな時期だった。
……だが、幸せとは長くは続かないものだ。
気が付いた時には、もう遅かった。
自分は。
いや、私は……――――肝心な「村人」に、背を向けられていたのだ。
…………今なら解かるが、あの時おかしいと思うべきだった。
街へと発展した「村」の村長の一族は、必ず私に向ける言葉に棘を含ませていた。行動は粗雑で、貴族達の洗練された礼儀とは違う、粗野なふるまいを強調したように動き、時には屋敷のものを“持っていった”り“拝借した”りということに、なんらかの意図があるのだと、私はあの時気が付くべきだったのだ。
よく、解っていた。そのはずではないか。
人は、人を憎む。人を羨み妬む。
それが互いの本意でなかったとしても、人と言う種族は感情を抑えられない。
元からその感情を抑えられなかった者は……――――
蔑み続けた対象が自分よりも上の地位にのし上がれば、気が狂う。
最初から分かっていたはずだった。
村人達に蔑まれつつも力を付けて行った自分に向けられた視線は、羨望でも尊敬でもなく、ただただ憎らしさと疎ましさが混ざった視線だったではないか。
善意を信じ、過去の彼らの優しさを信じ続けた自分は、目が曇っていた。
妻が「昔に捕らわれる事がないように」と忠告をしてくれていたのに、なのに私は、独善的に「いずれ全ての人に理解して貰える。分かり合える」と暢気な夢を見たままで、その願望以外何も見えなくなってしまっていたのだ。
だから私は、間違ってしまった。
……いや、慢心が有ったのだ。
いつしか私も、一人の「故郷を愛する者」ではなく……彼らの……
自分を見下した人々を屈服させ頂点に立った「高貴な者」だと、思い込んでしまっていたのだ。その思いを、村人達は敏感に察していたのかも知れない。
今となってはもう分からないが……最早、運命からは逃れられなかった。
――――ああ、私は……私は……あの、時……。
あの時……領地に凶悪なモンスターが出たと聞いた時。
私は「彼らが自分に泣き付いて来た。領主である自分に助けを求めたのだな」と、思って疑わなかった。そして同時に、領主である自分は彼らを守る義務が有るのだと驕り高ぶった心で馬を出してしまったのだ。
それが、村長一族の虚偽報告であることなどまったく気付きもせず。
『思い出してきましたか。ああ……貴方様は、本当に悲しい過去が……』
――――そうだ。私は、悲しかった。
同時に激しい怒りに駆られ、その時は犯人に殺意ばかりが湧いていた。
村長の息子達に森の中まで案内され、馬を降りたところ。そこで……重い鎧を着た体を複数人掛かりで後ろから押さえつけられ――――
鎧の隙間から滅多刺しにされた。
鎧や装飾品や服は売れるからと肌着以外全てを剥ぎ取られ、今まで散々偉ぶってこきつかいやがってと散々蹴り回された後に、飽きたからなと自分が持っていた剣で突き殺された。
……いや、正確に言うと……殺され、かけたのだ。
私は、幸いな事に少しばかり曜術の素養があった。……とは言え、術師にもなれぬ弱々しい力だったが、それでも鉄くずのように見える石を薄く伸ばし体に張り付け、剣を深く押し込まれないようになんとか抗ったのだ。
だが、最早私はボロボロになっていた。
恐らくもう私は子供にも負ける力しか持っていない。
しかし、それでもその場で死ぬわけにはいかなかった。
どうしても、このような恥の極みのような姿になっても、私は館へ帰らなければならなかったのだ。
二人目を宿した身重の妻と、愛しい息子。
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『ああ……なんという……貴方は民と国の為に尽くしてきたというのに……』
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思い出した記憶に、黒衣の男は同情した。
そうして、私の領地が消え去った事や、私と妻に起こった悲劇は隠蔽されてしまい、領地だった場所には村長一族の子孫が営む街があると丁寧に教えてくれた。
私達の全ては、努力は、誠意は……全て、無かったことにされたのだ、と。
――――信じられなかった。
数百年続けばいいなんて考えた事は無い。民の平穏な暮らしが末永く続くことなら何度も祈ったが、自分の領地のことなどせいぜい息子への引き継ぎくらいだった。
けれど、そうまで忘れ去られているのだと知れば、虚無感に苛まれる。
私は、何もかもを失くした。
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『いけませんモルドール様。貴方は未練を残して逝去された。その思いが、貴方の魂を再び現世に呼びもどしたのです。それを否定してはいけません』
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『ごらんなさい、あの街を。罪に問われずのうのうと生き延びた村長達が、貴方達の資産を我が物にして発展した街を。そして……貴方の両親が眠っていた美しい庭や貴方の家族が愛した館を潰して建てた……あの家畜小屋を』
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黒衣の男の手が、淡い紫の光に揺れる。
不可解な光に包まれた手に額を掴まれ、そうして。
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――――その後は、もう、自分の目を通して他人の人生を見ているようだった。
私は、復讐のために「彼らを犯罪に巻き込み破滅させ、自分の名誉を回復する」という計画を立てた。自分の名誉を守らなかったアコール卿国や貴族に対しても恨みを募らせ、その結果「贋金を作り国を破滅させる」という目標を立てた。
おかしい。
私は、今でも国王を敬愛している。貴族達の清廉潔白な心を尊敬している。
なのになぜ、外へ向かう私は私の思いを口にしないのだろう。どうして私は、自分の体を自由に動かせないのだろう。
解らない。どうにもならない。
我が故郷である国を混乱させてはいけない。私を育ててくれた土地を破滅させては駄目だ。そう思うのに、外へ向かう私は事を進めて行く。
まるで私の欲望だけが噴出して体を支配しているかのように、黒衣の男と「外の私」は組織を作り上げて、悍ましい行為を繰り返して行った。
金を作り、力を蓄え、その力を黒衣の男に託して地位を築くため地盤を固める。
そのために他人が死ぬことなどどうでもいい。
奴隷なのだから、虐げられる者なのだから、人の役に立って死ねて本望だろう。
そんな欲望ばかりが自分の意識を狭めるように頭に入って来て、必死に抵抗しても波にのまれ私は私を制御出来なくなってしまっていた。
……人が、死ぬ。
私の欲望のせいで、人が死んでいく。
街は完全に掌握され、私の顔も名前も知らない村長の子孫たちは、私を寂れた街の救世主だと言って悪事にも喜んで加担していた。
学術院での研究を「試した」時も、金になるのだと言えば喜んで材料を用意して、昔の村長達のように、他人のことなど見下す存在にしか見ていなかったのだ。
なんという、血の呪いだろうか。……いや、これがあいつらの本性だったのだろう。
ああ、この一族はどこまでも邪悪だ。私と同じ、邪悪なのだ。
だからもう、何も憂う事は無い。全ての者は愚かなのだ。私は、それに今やっと思い至り、賢く利用している。罪悪感など抱く必要など無かった。
私は、正しい。正しいのだ。
そう思い、自分を悪だと思う事で心を保って……私は、いつしか「外の私」がやっている事に、何も思わなくなってしまっていた。
……だから、私の前にあの子が現れた時。
私は、あの子を排除しようとして、狂った心のままに殺そうとした。
黒衣の男がくれた【皓珠のアルスノートリア】の力を使って、私のたった一つの願いを邪魔したあの子達を、ただ言われるがまま、煽られるがまま敵視したのだ。
それが正しいのだと、何もかもを「外の私」に飲み込まれていた私も、信じて疑っていなかった。あの子と一対一で相対すまで、何も疑問に思っていなかったのだ。
なんと、愚かだったのだろう。
成人しているとは言うが、少年にしか見えない幼い体つき。私よりも低い背丈。
私を邪魔する彼は、敵である彼は、本当にただの少年だった。
こちらの計画を邪魔しに来たのだろう相手を心底嫌悪し、ヘタなことなど出来ないからと腹立ちまぎれにワインをぶちまけたのに、何も言わなかった。
ただ、私の事を心配し、何度も部屋に食事を届けに来て。
嫌われていると解っているのに、私に歩み寄ろうとしていた。
………………誰かに、似ていると、思った。
ああ、そうだ。
この子は……私だ。
何もかもを純粋に信じていた、あの頃の……私なのだ。
――――気付けば、もう怒りなど湧かなかった。
ただ、彼と話したかった。
敵であり、計画を潰した憎むべき相手。「外の私」が何度もその言葉を繰り返して私を抑えつけようとするが、不思議と私は負けなかった。
あの子と話したいと言う一心で、金の曜気に雁字搦めになった体を引き摺った。
そんな私を、彼は何も知らずに気遣ってくれた。
……彼の優しさは、給仕係として客を大事にしているからだ。そうは思っていても、私はその見返りを求めない優しさが嬉しかった。
私が少し気分を良くするだけで嬉しそうに微笑んでくれる彼が、愛おしかった。
まるで私が失ったものを取り戻してくれているようで、離れがたくて。
私のために、特別に料理を持って来たり気を使ってくれることが嬉しくて。
ただそこに起きて座る事を、私が健康でいる事だけを、素直に喜んでくれる。
私が彼に昔の私を見て怒った事を、嬉しかったと思ってくれている。
それが、態度に透けている。彼が黙っていても、理解出来てしまう。
家族以外、誰も与えてくれなかった感情。
やっと手に入れたのに失ってしまった、暖かい思い出。
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やっと……思い出す事が出来た……。
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私を……本当の私を……救ってくれた……。
…………動けるようになったのは、奇跡だと思う。
「外の私」は、ツカサと居る時は不思議と顔を出さない。彼が「本当の私」の心を外へと連れ出してくれる間は、私は自由に動く事が出来た。
けれど、黒衣の男に私が命じられた事は、どうしても覆せない。
サービニア号を支配し、その曜気で船を掌握した後【術式機械】を持ち去る。その命令だけは、私にもどうする事も出来なかった。
……ツカサが居ないと、私は「私」でいられなくなる。
彼のおかげでせっかく心が穏やかになれたのに、私が元気を取り戻そうとする度に、あの「外の私」も蘇って来て体の制御が効かなくなる。
だけど、もう少し。もう少しだけ、彼と一緒に居させてくれ。
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私は元気になった。だけど、それはツカサのおかげだ。
ツカサと仲良くなった事を知られ、黒衣の男がやって来た時に私は懇願した。
もう少しだけ、私を「私」のままでいさせてくれ。「外の私」に支配させないでくれと。
だが、その願いは聞き届けられなかった。
今度完全に元気になった時、私はもう「私」ではいられないだろう。
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ああ。だけど。
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もう少しだけ、私を「私」のままで、いさせてくれ。
あの子を、本当の私のままで
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