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豪華商船サービニア、暁光を望んだ落魄者編
34.貴方は私をみとめてくれた
しおりを挟む目の前に、青く煌めく地面が広がっている。
その地面に今にも吸い込まれそうな、鉄杭を突き刺されたリメインの姿がある。
手を伸ばそうとしたが、相手は先に海に飲み込まれてしまった。
「――――ッ!!」
こうなったら、俺も入るしかない。
覚悟を決めるまでも無く、俺は躊躇わずにリメインの後を追った。
――――どぼん、と、俺の耳に音が響いて体が水の中に飲み込まれる。
特有の浮遊感と、言い知れぬ体を押し付けるような重み。水の中は、いつも俺の体を自由に動けなくしてしまう。だから俺は泳ぐのが苦手で、ヘタクソな背泳ぎくらいしか出来なかった。だけど今は、そんなことを言っている場合じゃない。
リメインの体が、深く、深くに沈んで行こうとしている。
鉄杭のせいで体が浮き上がらないんだ。このままでは、本当に死んでしまう。
そんなこと、させてたまるか……!!
「――――……、……!」
リメイン。頼む、リメイン、死なないでくれ。
そう思いながら、必死に海を背後へ掻いて送り自分も潜ろうとする。だが、足りない。
潜水の技術が無い俺にはこれが精いっぱいで、リメインに追いつけそうになかった。
だめだ。こんなんじゃ、だめだ。
早くしないと死んじゃう。また、人の命が消えてしまう。
いやだ。そんなのはもう嫌だ。
もう、知り合った人を、自分に優しくしてくれた人を、自分と仲良くしようとしてくれた人を失いたくない。優しい心を持った人が死んでしまうのは、もうたくさんだ。
たとえそれが悪人でも、悪い事をした人でも、こんな。
こんな終わり方だけは、絶対に嫌だ……――――!!
「リメイン、死ぬなあぁああああ!!」
……っ……!?
がぼっ、と空気らしきものが自分の口から盛大に溢れる。だが、それは確かに声になっていて、自分の耳にすら届いていた。
海中で、声が出たとでもいうのだろうか。そんなバカな。
……いや、違う。ありえる。
この世界は「剣と魔法の世界」なんだ。俺の世界とは理が違う。
だったら、何らかの原因で俺の声も海中で聞こえるようになったんだ。でも、なにがどうなっているんだ。そう思って、ふと自分の体を見ると。
「……っえ……!?」
やっぱり、声が出る。
いや、それだけじゃない。今の俺の体は、金色の光の粒子に包まれていた。
まるで炭酸の泡のように俺を包んで次々に上へと上がって行く小さな光は、俺から放出されているようにも見える。これはもしかして……大地の気か?
さっきの良く分からない現象の名残なのだろうか。
「もうなんでもいい! 頼む、俺をリメインの所まで連れて行ってくれ……!」
大地の気は、付加術の源。
だったら今の俺には、あれが使える。
【ウィンド】で空中に浮く事も出来ない修行中の身だけど、たった一つ。
今回この世界に来た時のように、自分を風で包み込んで移動させられる術。
「暴風よ、この手の先にある人影へ我を送れ――――【ゲイル】……!!」
本来声が出せない海中で、己を包み込む金色の光に必死で願う。
すると俺から立ち上っていた光の粒子が渦を巻き始め、あの時のように俺をぐるりと取り囲んだ。まるで、海流が渦を起こすように。
「ぁ……うわっ……!」
光の泡が立ち昇る渦が、俺を深い海の底へ運んでいく。
徐々に海の色が深くなって、目の前の陰から立ち昇る泡が消えた。
「リメイン……!!」
焦る俺に応えるように、渦が勢いを増して俺を下へと運んでいく。
もう少し。あと少しで、手が届く。
渦巻く水の中で必死に手を伸ばすと、すぐそこまで相手が迫っている。
力なくゆらゆらと揺れている腕が、もう目の前だ。
手を伸ばせば届く。絶対に、掴んでみせる……!
「…………ッ!」
水の重りが掛かる中、手がようやく相手に触れる。
その瞬間、何故か鉄の杭が一気に溶けた。
金色の光が細かい泡のように噴き上がる中で、薄らと紫の靄を散らしながら、砂のように跡形もなく消えてしまったのだ。
だが、そんな事に構っている暇はない。
俺はギシギシ痛む腕に満身の力を籠めて、リメインを一気に渦の中に引きこんだ。
「――――ッ、ぅ゛う゛……!!」
自ら動く事のない人の体は、異様に重い。
両手で引き上げたが、腕の筋が千切れるような感覚が頭の中で響いた刹那、俺達を囲っていた渦が消えた。
「っぐ……り……リメイン……っ」
痛みで集中力が途切れた。もう、腕に力が入らない。
このままだと、リメインが死んでしまう。杭で穴ぼこだらけになった体が、ふわふわと青暗い水の中で浮かんで…………
……あなぼこ、だらけ……?
「ぇ…………な……なんで、血が……血が出て、ないんだ……」
海の揺らぎに揺れているリメインの体は、向こう側を見せつけている。
だけど、これだけボロボロになっているのに、血が出ていない。しっかりと握った手は、そう言えば……とても、冷たかった。
「あ……ああ…………まさ、か……」
もう、彼は。
そう思って、水の中で息を呑んだ俺に――――深く青い瞳が、焦点を合わせた。
「…………あぁ……そうか……。私は、やっと解放されたのか……」
……声が、聞こえる。
手を握って繋ぎとめている相手が、ゆっくりと体を起こして俺を見ている。ゆらゆらと海流に金色の髪が靡いていて、目は、金色ではなく……あの、深い青色で。
体を何本もの鉄杭に打ち抜かれて穴が開いるのに、大地の気を纏っても居ないと言うのに……リメインは…………水の中で、俺を見て微笑んでいた。
「リメイン……っ、あっ、あぁあっ、ま、待ってっ、今大地の気を……!!」
咄嗟に体が動いて、握った手から大地の気を贈る。
すると相手も細かい金の泡に包み込まれ、その青白い肌が光に浮かび上がった。
「……もう、いい。良いんだツカサ。……私はもう、死んでいる」
「あ…………ぇ……?」
何を、言っているんだ。
リメインは生きているじゃないか。目の前で、笑ってくれてるじゃないか。
なのにどうしてそんな事を言うんだと顔を歪めた俺に、リメインは少し寂しそうに目を細めて口角を上げた。
「…………見ただろう。私には、血がない。……野ざらしになっていた体を“あの男”に蘇生させられ、偽りの体を手に入れたんだ。……血の通わない、人でもモンスターでもない……人形の体を」
「…………デジレ、モルドール……として……?」
呟くように言うと、リメインは首を振った。
ただ、穏やかな表情で。
「いいや。私は……本物の、デジレ・モルドールだ。……領地を脅かすモンスターを討伐する際に命を失い、息子も、妻も、領地も全てを失った愚か者……。もう誰も、私が生きていた証を知らない。そんな時代に復活した、哀れな男だ」
何故か、俺は必死に首を横に振っていた。
どうしてそんな事をしているのか、自分でも分からない。だけど、リメイン……いや、この人に、そんな事を言って欲しくなかったんだ。
そんな俺の手を、微笑んだままのリメインはもう片方の手で包み込む。
海の水よりも冷たくて、硬い手。どうしても解かってしまう。理解してしまう。
その手が、死人だとしか思えない、命が感じられない手だと。
「どうして……どうして、こんなこと……っ。アンタ、あんたは……っ」
「ああ……すまない……お前を泣かせてしまって、すまない……だが、今更もう、何を言おうが……私は数えきれないほどの罪を犯してしまった。だから、私は……お前のような子に、泣いて貰える存在では……ないんだ……」
だから、泣きやんでくれ。
そう言って優しく俺の手をさする大人の手は、もうぎこちなくしか動けない。
ああ、もう、だめなんだ。
本当にもう……だめなんだ……。
そう思うと涙が溢れて来て、俺は堪え切れない自分の不甲斐なさに歯噛みをした。
だけど、リメインは……デジレは、笑って、硬い手で俺の目元をぬぐう。
「で……じれ……」
「……ツカサ……お前には、リメインと呼んでほしい。……私が敵だと解っても、それでも私の身を案じてくれたお前に……ここまで来てくれた、お前には……」
勝手な願いだと解っている。リメインの表情は、そう言っているようだった。
でも、俺にはその願いを突っぱねる事なんて出来ない。ただ手を握り続けて、大地の気を相手に送り続けながら、嗚咽を堪えるように呼吸をして喉に力を籠めた。
「……っ……リメイン……っ」
うまく言葉が出てこない声で、必死に相手の名前を呼ぶ。
そんな俺情けないに、リメインは……――あの時のような笑顔で、笑ってくれた。
「ツカサ……お前に出会えて、良かった。お前達に止めて貰えて、本当に良かった。二度目の、最期は…………私を、私、自身を……思ってくれる、人の、前で……」
リメインの表情が、笑んだまま固くなっていく。
人としての「柔らかさ」が消えて行くその様に思わず息を呑んだが、リメインは俺を最後まで気遣うように微笑んだまま、俺の顔に当てていた手を宙に投げ出した。
「あ、ぁああ……あぁあああ……!!」
「……お前、た、ち……には……わるい、ことを……」
「も、もういい、もういいよ! リメインもう良いから!!」
「せめ、て…………罪、ほろぼ……し…………に…………」
そう、ぎこちない声で告げ、最期まで笑って。
リメインは――――目を閉じ、全てを海の流れに委ねた。
「あ……あぁ……あ……」
もう、手を握り返してくれない。
微笑みかけることもない。
リメインは。もう……――――そう、思ったと、同時。
「っあ……!?」
唐突にリメインの体が、白く光り始めた。
何が起こっているのか解らなくて戸惑うが、そうしている間にもリメインの体は白い光に包まれ、何故か小さくなり始めて。握っていたはずの手も、その形が無くなっていって――――気が付けば、俺の手には、一冊の古びた本が握られていた。
「え…………これ、って……」
金の箔押しをされた、古めかしい革表紙の本。
こんな水の中ではふやけてしまうはずなのに、そんな気配などどこにもない。
なにより、本は薄らと白い光を放っていて……。
「これ、もしかして……リメインの……」
そう、呟いた俺の目の前で、本の中心からふわりと丸い光が浮かび上がる。
何が起こったのかと目を見開いたが、その形容しがたい色の光を放つ丸い光は、まるで俺に懐くように何度か周りを回って……それから、額に触れた。
「……リメイン……?」
丸い光は、俺の言葉に肯定する事も否定する事も無く、上へと昇って行く。
見上げると、青く綺麗な水面からは……天国への階段のような光が、海の中へと差し込んでいた。まるで、光を迎えに来たかのように。
丸い光は、その太陽の光に融合するように触れ――――そして、消えた。
「…………」
その光が、どこへ消えたのか分からない。
だけど、俺は……その光が、罪を償う以上の責め苦を背負わされないようにと願いながら、リメインが残した本……いや【アルスノートリア】を抱え込んだ。
すると。
「ッ……!?」
本が強く光を放ち、俺を包み込む。
何が起こったのかと思ったら――――その本は、跡形もなく消えていた。
まるで、俺の腕の中で溶けてしまったかのように。
「えっ……え……!?」
確かに抱え込んでいたのに、どこに行ったのだろうか。
慌てて首を動かそうとする。だが、急に体から力が抜けて、動かなくなってきて。
眠気のような強烈な怠さに、首が上を向く。もう、今にも意識が途切れそうだ。
だけど、このまま気絶してしまったら、水上に戻れるかどうかも分からない。どうにかして、戻らないと。ブラック達に余計な心配を掛けてしまう。
また、しなくてもいい心配を。そう思ったと、同時。
「っ……」
急に、体が引き上げられる感覚が有った。
水の中で力を失くして浮いていた体が、何かに当たっている。暖かくて、大きくて、俺の体全部をすっぽり覆ってくれる……間違えようも無い、体。
「ブラッ、ク……」
目を閉じたくて仕方がない重い感覚に今にも気が抜けてしまいそうになりながら、なんとか自分を抱えてくれている相手を見上げる。
凄まじい速さで近付いて来る水面。
きらきらと光る日の光が差し込む青い世界。金色の光と透明な色の泡が上空へと舞い昇って行くその最中に、何物にも侵されない綺麗な赤い髪と……俺を見つめる菫色の瞳が、見えて。
――――ああ、もう……大丈夫だ。
そう思い、腕の中で安堵した途端、俺の意識は暗闇に沈んでいった。
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