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豪華商船サービニア、暁光を望んだ落魄者編
沈まぬものなどこの世には無い2
しおりを挟む「なんだっ、何がどうなってるんだ!?」
船長さんの声と、おやっさん達の声がする。
唐突に視界が真っ白になったことに驚いているのだろう、混乱したような叫び声が反響して、色んな場所から同じ声が耳に飛び込んできた。
「っ……!」
これは一体どういうことだ。どうして、同じ声が何度も聞こえてくるんだ?
耳を澄まそうにも周囲がうるさすぎて、どれが本物なのか判らなくなってくる。
そもそも、これは本当に壁から跳ね返って来た反響なのだろうか。
もしかして自分の幻聴じゃないのか。自分の耳がおかしくなっているんじゃないか。何故だか頭がガンガン痛くなって、俺は思わず地面に膝をついてしまった。
「ぅ……っ、く……」
頭を抑えるが、痛みが引かない。
何が起こっているのか解らなくて薄らと目を開けると、白い光の中で生まれた自分の影の中に、金属の網で作られた地面が見えた。
ここは間違いなく機関部。俺は一歩も動いていない。
だけど、視界が揺れて自分の居る場所が本当に地面の上なのか判らなくなる。
どうしたんだろう。なんだか、船酔いみたいだ。こんな変な症状知らない。気持ちが悪くなって頭が痛いなんて、病気の時ならともかく今の状況では絶対に普通じゃないだろう。駄目だ。このままじゃいけない。早く、早く目を光に慣らさなければ。
「……っ、う゛、うぅ……っ」
声が耳に入ってくる。喧騒のように何重にも重なって、いつしかそれが巨大な獣の唸り声のように思えて来て。
どういうことだと目を見張ると――――自分の影に、別の影が重なって来た。
やっと目が慣れて来た白い空間でゆっくりと顔を上げると。
「ツカサ、お前なら分かってくれるだろう?」
「…………リメイン……」
見上げると、今さっきまで俺の隣にいた相手が微笑んでいる。
だがその瞳は深い青ではない。金色の瞳を閃かせて、俺を見つめていた。
「私は悪しき者達によって全てを奪われた。だから、地位も名誉も全て取り戻すんだ。邪魔するものは全て叩き潰す。私にはその力がある。だから今こそ行動せねばならんのだ。それも、ツカサは分かってくれるだろう?」
「……リメイン……嘘だよな……あ、あんた……リメインだよな……?」
問いかけるが、リメインは白い空間で微笑んだままだ。
俺の必死な声も、相手には届いていない。必死に答えを求めているのに、リメインは何を返答する事も無く俺の手を取って優しく立たせた。
……優しい、リメイン。俺を叱ってくれたリメイン。
いつも怒っていて、いつも目に隈を作って疲れていて、だけど俺の気遣いに感謝をしてくれるような優しい奴。優しい……正しさを持った、はずの……男……。
「ツカサ、お前は私と同じだ。私の心を分かってくれる。私のことを……私怨からお前に酷いことをした私を、知らぬこととはいえ見放さずにずっとついていてくれた」
「私怨……」
いやだ、聞きたくない。
アンタの口から答え合わせなんてして欲しくない。
無意識に首を振るが、リメインは俺の手を取ったまま喋り続けた。
「そう。お前は何も知らなかった……。だから、私の邪魔をするしかなかったのだ。私も、一時は邪魔をされたことに激怒したが……私達と同じ苦しみを持つのならお前は仲間だ。他人から理不尽に虐げられたお前は、私と同じ者だったのだ。だったらもう、恨む理由も無い。私は優しいお前を心から歓迎する事が出来る」
「り……リメイ……」
「ツカサ。私と共に、失われた島に行こう。この【術式機械】を手土産に、城主様の許へと参じよう。そうすればお前も認められる。悪しきものの眷属ではないと理解して貰える。城主様はそこいらの者とは違う。きっと、ツカサが良き者だと理解して下さるはずだ。なにせ――――
我々“アルスノートリア”を束ねる、尊きお方だからな」
――――――その言葉を、聞きたくなかった。
「キュゥウウ!!」
「ッ!!」
急に体が後ろへ傾ぐ。
何が起こったのかも分からずそのまま倒れそうになると、目の前に黒く細長い影が飛び掛かって来て、すぐさま俺の服を掴み空中で耐えた。
これは、ロクショウだ。
ああ、そうだ。リメインが受け入れがたい言葉を発した瞬間、俺のエプロンの中からロクが飛び出して俺とリメインを強引に引き剥がしてくれたのだ。
「キュウッ! キューッキュキューッ!!」
早く逃げよう、とロクが体を空中でのたうたせて訴える。
そうだ、逃げなくちゃいけない。相手は俺の味方ではない。俺の敵なのだ。
優しいリメインは、もういない。彼は出会ってはいけない相手だ。俺一人じゃどうにも出来ない相手なんだ。だから、早く逃げてブラック達と合流しなければいけない。
だけど、体が動かない。
がくがく足が震えて、全身に何か圧し掛かっているかのように重くて動けない。
何故自分はそんなにショックを受けているんだと思ったが、だけど何故か……俺は、例えようも無い胸の苦しさに苛まれて、息をするのもつらくなっていた。
「ツカサ……」
「キューッ!」
リメインが、呼びかけて来る。
その声を遮って、ロクが俺の服を引っ張る。
喉の奥が痛い。早く動かなければならない。早く逃げなければ。
だけど俺が最初に動かしたのは……役にも立たない口だった。
「リメイン、あ……あんた……アンタ、そうなのか……っ」
「ああ、そうだよ」
「アンタ……ッ……なんで……っ! なんで、デジレ・モルドールなんて名前を使ってあんなことしてたんだよ!! 罪のない人をいっぱい死なせて、色んな人を不幸にして、なのにっ……なのに、なんで……っ!」
なんでアンタが……そんな、酷い人間になっちまったんだ。
嘘だと言ってくれ。リメインの姿が本当だと、あれは自分ではないと言ってくれ。
アルスノートリアなんて知らないって、言って。
頼むから、そう言ってくれよ……っ。
「違うって……言ってよ……頼むから……っ」
情けない泣き声しか出せない。
何が悲しいんだと冷静な自分が言う。だけど、どうしても涙が止まらない。
自分でも何故こんなに悲しいんだと思うのに、涙が溢れて止まらなかった。
「……何故泣いているんだ? 何が悲しい。私は確かにモルドールの領主。かつては我が愛しき故郷を治め栄えさせようとした領主だ。不正をした事も無い、不実を口に出したこともない。ただ民の為に命を賭し人々の模範となるよう心がけた男だ。……それの、なにが悲しいんだ?」
「――――ッ……!!」
目を見開いた俺に、リメインは不思議そうに首を傾げる。
だが、何か思いついたように軽く目を開くと、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、そうか。名を偽っていたのが気に食わないんだな。それは詫びよう。だが、私が船に乗っていたのを知らぬお前が悪い。……とは言え、お前が私に気が付かず、献身的に世話をしてくれたからこそ私はお前への誤解を解く事が出来たのだがな」
「…………」
「お前は、私の邪魔をしていると思っていた。だが、そうではなかった。思えば、その【黒曜の使者】という称号も酷い名前ではないか。……私が先に気が付くべきだったのだな。お前自身は、まったくの純粋だ。やはり“悪しき七星”たる【グリモア】こそが、諸悪の根源であるのだと。最初にお前に出会った時に……気付くべきだった」
そうしたら、こんな風に長い間お前を恨む事も無かったのに。
リメインに平然とそう言われて、心臓が痛くなる。
俺は、何に対してこれほど動揺しているのだろうか。
リメインがデジレ・モルドールだったことに対して?
それとも、相手が【アルスノートリア】だったことに対して?
恨まれていたと言われたのがショックだったのか。
相手にずっと騙されていたのがショックだったのか。
わからない。
頭の中も心もぐちゃぐちゃで、俺自身何がしたいのか分からなかった。
なのに、話は進んでいく。
俺が情けない顔で立ち竦んでいる間にも、リメインは俺に一歩、また一歩と近付き距離を詰めて来ていた。
「ツカサ、共に失われた島に行こう。城主様はお優しい方だ。きっと、お前のことも私のことのように受け入れて下さる」
「っ……う……うぅ……っ」
首を振る。
もう、何を言えば良いのか分からなくてただ首を振り、ロクの助けを借りてなんとか一歩後退る事しか出来ない。そんな自分が憎らしい。どこまで俺は情けないんだ。
自分があまりに弱すぎて、涙が止まらなかった。
……だけど、抵抗だけは決してやめてはいけない。
そう思い、なんとかまた距離を置いた俺に――――リメインが、立ち止まった。
「どうして逃げるんだ。なにか怖いのか? 私が名前を偽ったから怒っているのか? それとも…………まさか……私を、拒んでいる、のか」
最後に吐き出した声が、ぎこちなく途切れる。
その微かな異変に顔を歪めた俺に、リメインは急に表情を失くした。
「拒む……拒む? ああ、そうだ、拒む。私は、こ、拒む、拒まなければいけない。こ、拒む、拒むのかツカサ、ああ、あああ、拒むなら、こ、こ、こば、ぁ、ああ。あああ」
「り、リメイン……!?」
まるで壊れた人形のような、おおよそ人間が出す声とは思えないぎこちない音。
急に様子が変わったリメインが心配になり、思わず呼びかける。
だが相手は無表情のまま俺を見つめて、すっと手を差し出してきた。
「そうだ。拒む。拒むなら、拒むなら、もう」
白い空間が、急に天井から色を取り戻し始める。
何が起こったのかと周囲を見渡すと、空間は光の粒子となって、ある一か所に集中し始めた。そうして、その「一か所」に集まり淡く光り出す。
あの【術式機械】を、リメインが放出した膨大な金の曜気が包み込んでいた。
「拒むなら。邪魔、するのなら――――――
お前を、殺すしかない」
今まで聞いた事の無かった、声。
酷く冷たく無機質なその声音に瞠目した刹那。
リメインの背後に聳えていた【術式機械】の球体が、ぐにゃりと歪んだ。
「ツカサ君、ロクショウ君、こっち!!」
「二人とも早く来い!」
背後から、声が聞こえる。
その馴染んだ音が急に俺の体を動かして、さきほどまでの硬直が嘘のように俺はロクショウを抱えてその場から走り出した。
左右に様々な機械が並ぶ狭い通路へ入り、その向こう側から走って来る見知った姿を見つけて俺は駆ける速度を上げた。
体が動く。逃げ出したいのか辿り着きたいのかすら分からないまま、俺はブラック達の所へ行こうと涙を散らして急いだ。
「我が願いに応えよ【皓珠】――――今こそ、眠れる星の欠片を解き放て」
背後から、リメインの感情のない言葉が聞こえる。
まるで詠唱のような言葉。まさか、何か発動させたのか。
そう思って振り返った俺が見た光景は、想像だにしないものだった。
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