異世界日帰り漫遊記!

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慈雨泉山アーグネス、雨音に啼く石の唄編

18.はるか昔の今の貴方へ

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 昔……――――この慈雨街道に人がやってくるよりもずっと前。

 木々の移り変わりが何度目かも分からなくなったほどの昔に、小さな泉の底で妖精が一人だけ生まれた。
 何故そこで生まれたのか、どうやって生まれたのかは本人も分からない。

 ただ、満ち足りた気と生命の奇跡によって、泉の妖精は姿を成したのだ。

 そんな彼女は、自分以外の“動く生命”が少ない場所に戸惑いを覚えることも無く、ただ太陽と月が数えきれないほど昇り照らす森をただ見つめていた。
 ――――妖精とは言うが、なにかの模倣も出来ない場所に存在するのであれば、その命の感情は育つことも無い。だが、彼女はそのことによって救われていた。

 語り合う仲間もおらず、動く生命はまばらで森林だけが泉を囲む。
 目を上にした「手が届かない場所」にある、形の違う眩しい何かが「何であるか」も「何故昇るのか」も理解することはない。ただただ、見つめる日々だ。

 だが、彼女はそれに対する苦痛も悲しみも持ち合わせてはいなかったのである。
 それゆえに、彼女は小さな泉に留まっていることができた。
 例え泉が枯れてしまえば尽きる命であっても、その事を知らずにいられたのだ。

 けれど、その静かでいつ終わるともしれない日々は、唐突に終わりを告げた。

 ――――その日は、眩しい頭の上が眩しくなくなり、水が降り注ぐ日だった。
 珍しい……というより、元から水などは降らず、周囲の色を全て同じに変えてしまう“よくわからない重くてすぐなくなるもの”――つまりは雪に覆われる事ばかりで、彼女は泉から出る事も出来なかったのだが……その日だけは、違った。

 水が、呼んでいる。
 今まで触れる事も出来なかった遠くのものに手を伸ばす事が出来る。
 「自分とは違うもの」がゆえに、足を踏み出そうとしても動かなかった体が、水……雨が降る事で、容易く柔らかな草の上に立つ事が出来たのだ。

 彼女にとって、それは例えようも無い驚きと、体を打ち震わせる衝撃だった。
 感情と言う名もまだおぼろげなその時の彼女にとって、その記憶だけは今も消える事のない鮮やかな過去だったのだ。

 だからこそ、彼女は木々の中を歩いた。
 歩き、様々な物に触れ、せわしなく目を動かし全ての物を見ようとした。

 胸の辺りがせわしなく動いて、自分でもわけがわからないくらい体が沸き立つ。
 このまま、水が道を作る限りどこまでも行けそうだ。そう思い、本当にそうして進み続けてしまおうかと思っていた矢先――――彼女は、自分とよく似た形をしている「違うなにか」を見つけた。

 今の語彙で言えば「自分よりも小さな黒髪の少女が倒れていた」と言えるのだが、当時の何も知らない彼女からすれば、水鏡に映った自分ではない明確な「他人」の姿を初めて見たのだから無理もない表現だった。
 だが、そうであっても……彼女は不思議と「この子はこの場所で眠らせたままではいけない」と感じたと言う。それは、最も人を理解するという水属性の妖精ならではの本能だったのかも知れない。

 今となっては真実は分からないが、彼女は自分の泉のほとりにその子を連れ帰り何とか水を操って覆いを作り濡らさないようにすると、あとはただじっと、泉に潜んで相手が目を覚ますのを待ち続けた。
 ……普通、そのように人族を放置すれば、体温が無くなりやがては「動かなくなる」のだが、その少女は不思議とそうはならなかった。体内に持つ曜気の量が、尋常では無かったのが幸いしたのかも知れない。

 …………そう、目が覚めた「その子」は、確かに桁違いの力を持っていた。

 落ち葉のような深く鮮やかな色をした瞳を持つ少女は、目覚めると同時に周囲の雨を消し、これは自分の仕業だと謝って来たのだ。
 その時は疑う気持ちもなかったので飲み込んだが、にわかには信じられない話である。なにせ、長い時間生まれたばかりの姿であった泉の妖精にすら、このような力の使い方は出来なかったのだから。

 だが、少女はそれを決してひけらかしたりはしなかった。
 それどころかこちらの事情を理解すると、まるで助けてくれたお礼だとでも言うように、赤子同然の存在にゆっくりと優しく様々な事を教えて行ったのだ。

 周囲に存在するものの名、自分の存在、感情や表情、水の妖精としての力の使い方に、人族の【曜術】と呼ばれる力や技術の話。時にはおとぎ話や遠い世界の事を寝物語に聞かせてくれて、分からない所も丁寧に説明してくれた。
 なにより、彼女が――泉の妖精が一番に喜んだのは、名だ。

 ――アグネス。
 遠い遠い国にいるという、美しく優しい水の妖精の名前。困窮する人々に手を差し伸べ救いを齎し、時には幸運を授けたと言う泉の妖精と同じ名前だ。

 今まで「誰かに呼ばれるための名前」を持っていなかった彼女は、初めて森の中を歩いた時と同じくらいに喜び涙した。
 誰かと会話し、知恵を得て世界の全てを理解する。それがどれほど頭の中を爽快にさせてくれるものかを知って、泉の妖精――――アグネスは、獲得した感情と心で大いに歓喜を表したのである。

 そして、アグネスは少女に尽きる事のない感謝を贈った。
 どこぞから現れた黒髪の少女とアグネスは、いつの間にか同族のように深い絆を結んでいたのである。

 けれど、少女との生活は長くは続かなかった。
 最初に話してくれたように、少女は悪意のある人間に追われていた。
 どんな話だったかは最早おぼろげで詳細は分からないのだが、少女の状態は確かに弱っているようで――――体内の気が、見知らぬ誰かの気に、侵食されていた。


 ――――私ね、逃げて来たの。他のみんなと一緒に……。支配されそうになって、それで……犯してはいけない罪を犯して、ここまで逃げて来てしまった。


 アグネスは、体内に他人の気が入り相手を操る事で「支配」と言うものが成されるのだと理解した。何故なら、少女の力はその「何者かの異質な気」によって大部分が抑えられており、徐々に薄くなってはいるものの……少女は、その“何物かの曜気”に苦しめられているだろう事がハッキリと分かったからだ。

 だが、水を操る妖精と言えど、他人の色が混ざる気には干渉する事が難しい。
 やっと己の力を使う術を身につけたアグネスには、どうにも出来なかった。
 彼女が何かに怯えていることも、酷く悲しんでいることも、なにもかも。

 けれども、それでも、少女はアグネスと友人で居てくれた。
 唐突な別れが来るまでは。

 ……ある日、少女はアグネスにこう言った。

 ――――ごめんね、アグネス。もう行かなくちゃ。ここに居たら、貴方にまで迷惑がかかってしまう。だから……私、この山を下りる。本当は貴方を自由にしてから下山をしたかったけど……今の私にはアグネスを自由にしてあげられる力もないし、貴方を自由にする方法も、調べられない。
 ――――本当に……本当にごめんね……こんなことしか出来ない私を許して……。でも、またきっとこの場所に来るから。その時は絶対に、貴方を自由にするから。

 泣きながら、少女はアグネスにそう言っていた。
 そうして――――せめてもの慰めにと、止むことのない清らかな慈雨を、この山の限られた一帯に降らせてこの地を去って行ったのである。







「…………それから……その女の子は、帰って来る事が出来たんですか?」

 静かな雨音が、沈黙を許さぬように振り続けている。
 だけど、夜闇に紛れてその姿は見る事が出来ない。ただ、薄く発光した美しい妖精の周囲にしか姿が見えなくて、その静かで穏やかな雨がまるでアグネスさんに心を寄せ散るようにも見えた。

 けれど、今はその雨を生んだ存在もいない。
 約束だけを残して、ずいぶんと前の過去の人になっていた。

 それでも、今もこうして人を恋しく思い続けている彼女の元に、どうにかして会いに来てくれていたのかも知れない。そんな思いで問いかけたが、アグネスさんは頭をゆっくりと横に振った。

『もう随分と前のことだから……。でもね、キミが来てくれて……あの子と同じ色の髪や瞳を持っていて、その優しい気の色をもっているキミが来てくれて……なんだか、約束がやっと果たされたような気がしたの。……別に色が同じだけで、ツカサくんは赤の他人なのに……変だよね』
「いいえ……何か繋がるような特徴があったら、無理も無いと思います」

 俺だって、アグネスさんの立場であれば同じようになったかもしれない。
 もう相手が生きてはいないと確信している野であれば、なおさら。

 その決して消せない寂しさを思って切なくなりながら、俺は視線を落とした。

「……それにしても……その少女も、俺と同じような状態になっていたなんて……。何が有ったんでしょうね……」

 白々しい問いだ。
 自分の中では最早しっかりと固まった仮説が有るのに、それを言い出せない。
 それどころか、別物の話ではないかと考えてしまう自分がいる。だが、そんな俺の姑息な考えはすぐに打ち砕かれてしまった。

『あの子は、自分の状態を【支配されかけている】と言ってたの。……確かにあの子の体は別の存在の気に呑まれそうになっていて、最初は凄く弱ってた。だからね、私もツカサくんがあの二人に支配されてるんだって思ったの』

 人を好きに操るなんて、まともな行為ではない。
 ぼんやりとそう感じていたことが、慈雨街道で様々な人と出逢い続ける内に、明確に「ならぬこと」だと理解した。だからこそ、アグネスさんは早急に俺をブラック達から引き離さなければと思い焦ってしまったのだろう。

 妖精という人族とは違う存在である前に、彼女は人を守ろうとする心が有る。
 だから、方法は間違ってしまったがこうして助けようとしてくれたのだろう。

 ……ありがたいけど、他人を心配させていたんだと思うと申し訳ないな……。
 でも、自分でも気づかない事を今回ハッキリと言われて、良かったかもしれない。

「アグネスさん、ありがとう。……でも、俺達のコレは不慮の事故と言うか……その、ブラック達も俺を支配しようと思ってやった事じゃないんだよ。……だから、二人をどうか解放してやってくれないかな……」

 俺も、あの二人も、こうなってたなんて知らなかったんだよ。
 だからどうか無事に返して欲しい。
 再度そうお願いすると、彼女は深刻そうに少しばかり悩んだように目を伏せたが、俺の話を全面的に信用してくれたようで小さく頷いた。

『…………そうね、ツカサくんの様子からすると、無理矢理にってワケでもないみたいだし……解放するわね。でも、これだけは覚えておいて。その状態は、貴方にとって良くない状態よ。自覚が無くてもいつか大変な事になる。どうか、気を付けて』
「うん……薬を貰ってるから、それでどうにか体の事をどうにかしてみるよ」

 アグネスさんに心配をかけるのも申し訳ないので、大丈夫だと頷く。
 だけど、アグネスさんは少し考えて、俺の胸を指さした。

『本当は……水を操る術を身に着けるのが一番良いんだろうけど……。今の私じゃぁ妖精のクセが強すぎて、ツカサくんに教えてあげられないのよね。でも、よーく覚えておいて。薬も良いけど……本当に必要なのは、ツカサくんがこの雨を自分の手のように操れるほどの力を身に着ける練習よ。支配を受けるのは、他人の気の方がとても強いから。だから……自分を鍛えれば、自ずと支配を打ち破れるかもしれない』

 確証はないけど、それでも今よりは自分を守れるはずだ。
 そう言われて、俺は今の自分の修行不足を突きつけられたようで、なんだか恥ずかしくなってしまった。でも事実だから仕方ないよな……。

 薬で抑えて貰うのも良いけど、やっぱり必要なのは修行か……。
 まあ、どこの世界でも一緒だよな。自分を弱いと思うのなら、それを打破する方法を自分で見出さなければならないんだ。

 結局、どうするかを決めるのは俺自身なんだから。

『…………本当にあなた、あの子に似てるわね』
「え? ……あ、あはは、そうっすかね」

 不意にまたそう言われて頭を掻くと、アグネスさんは少しさびしそうな、懐かしそうな顔をして薄く微笑んだ。
 まるで、俺を通して誰かを見ているかのように。












※(;´Д`)またもや遅れて申し訳ない…!
 修正以前として滞ってますが、まとめて行うので許してくだせ…!

 
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