367 / 917
豊穣都市ゾリオンヘリア、手を伸ばす闇に金の声編
誰も知らない
しおりを挟む闇の棲家に、ぽつりと声が落ちる。
だがそれは穏やかな声ではなく、ただただ怨嗟に塗れた声だった。
「おのれ……おのれぇえ……あいつらさえいなければ……あいつらさえ……っ」
元々は凛々しく麗しい声だっただろう男の声。
だが、今は何かを憎みむあまり歪み切って、汚らしく濁ってしまっている。
そんな声に続くように、暗い中でコツコツと不規則な音が聞こえた。
――――靴音だ。二つ分の靴音は、下へ向かってゆっくり動いていた。
「口惜しい……憎い……もう少しで……もう少しで取り戻せたのに……!!」
悔しさの中に混じる、悲壮な感情。得られたはずのものを再び失った行き場のない激情が、その声の主の中で渦巻いている。
叫ぶ事すら出来ずに怨嗟を吐き出す男の声は、それでも下へ向かい消えていく。
そうして、どれほど恨み言を言っても動き続ける男の声に――――ふと、静かで、どこか優雅さを感じさせる男の声が重なった。
「ええ、貴方はよくやりました。貴方の努力も、能力も……驚嘆に値すべきものです。何物も、それを覆す事は出来ない。埋もれさせることは出来ないのです」
どこか愉しげな音を含んだような、穏やかな声。
その声に宥められるように、激情を含んだ濁る男の声は震えて泣き出しそうに息を吐いた。……いや、本当に泣いているのだ。その声に見合う体格をしていれば、誰かの前で泣くなど恥と思われる年齢だろう。それなのに、男は子供のように啜り泣く。
穏やかな声の男はその情けない様を抱擁するかのように、ただ穏やかに返した。
「貴方の努力は誰もが認める物だった……貴方は素晴らしい存在だった……なのに貴方の栄光も成功も、いつも誰かが奪って行く……そうですよね?」
靴音が止まり、頷くような気配が暗闇の中で感じられる。
おそらくは、穏やかな声の男もしっかりとその動きを感じ取っているのだろう。
男泣きをする相手に息だけで笑って、寄り添うような言葉を掛けた。
「ああ、お労しい……。貴方は貴族の地位を持つべき存在であるのに、こうも人々は貴方を忘れ迫害する……何故なのでしょう……」
かつん、かつん、と、また靴音が響く。
同時に、下方からゆっくりと光が差し始めた。
「何故だと、思いますか?」
優しい、穏やかな声。
だがその声は――――暗い、毒を含んでいる。
そのことを知らぬ激情に駆られた男の声は、苦しそうに零した。
「邪魔を……される……」
小さなその言葉に、穏やかな声の主は――――嗤った。
「ええ。ええそうです。邪魔をされているのです。彼らは貴方の才覚に嫉妬している。だから方々で、貴方の邪魔をするのです」
「そう、だ……邪魔……邪魔をするから……邪魔をされたから私は……!!」
男の声が再び激情を孕む。
憎しみに満ちた苦しげな声が靴音を早めて行くのに、もう一人の声の主は静かに笑いながら追随した。
「貴方が貴族に返り咲く事を邪魔したのは、貴方の名声を高める仕事を邪魔したのは、誰でしたっけねえ。はて……。手下に任せると言う小狡い手を使い、あの舞台で退けたのは……誰でしたっけ、ねえ」
薄緑色の美しい光が闇を染めて行く。
石造りの古い階段が、その階段を覆う緑樹の浸食が目に見えて、一歩踏み出る男の――――黒衣の外套で姿を隠した男の顔を、光が淡く照らしだした。
「あれは…………黒曜の、使者……ッ!!」
異形の存在のように顔を醜く歪め、狂気に満ちた光を金の瞳に宿す。
その顔には、最早――――
デジレ・モルドールとして“この地”に降り立った時の美貌など、微塵も無かった。
「……ふふっ……そうですねえ。そうですよねえ。だから……同じ苦しみを持つ彼女達を、私達の手で救ってあげましょう。ねえ、モルドール様」
もう一人の黒衣の男は、くすくすと笑いながら目深に被った覆いの中で口を楽しげに歪める。だがそれを咎めるものなど今はどこにもいない。
見事な装飾がほどこされた円形の部屋には――――封印されたものが持つ力の片鱗によって溢れだした植物と、その力を封じる緑の宝玉しかなかった。
「早く……早くしろ、私は敵を討たねばならない。あいつらがこの世に存在するだけで私は邪魔をされる、成功しなくなる、あと少し、あと少しで元に戻れたのに、あいつらのせいで……あいつらのせいでぇええええ」
「まあまあ、お待ちくださいモルドール様。……さあ、一緒に行きましょうねえ」
憎しみに拳を握り血をしたたらせるモルドールを置いて、もう一人の男はゆっくりと緑の光を放つ光球に近付き、両手でそれをそっと包み込む。
すると、光球から薄汚れたような色の光が分離して――――小さな球となり、男の手の中に吸い込まれていった。
「ふふっ……ふふふ……あははっ、あはははは! また騙されて下さいね? 可愛い炎の悪魔さんに……哀れな哀れな、同胞のお嬢さん」
緑の光を讃える光球は、そこから揺らぎも落ちもしない。
ただ、そこに在って、最後まで守ろうとした国土の安寧と豊穣を願うだけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
「さあ行きましょう、モルドール様……いや、素晴らしき【アルスノートリア】の一人、金の属性をつかさどる【皓珠】の支配者様……!」
踊るように手を広げて振り返った黒衣の男に、モルドールは頷く。
だが、その瞳を染め上げる憎しみと狂気の光は消えない。
ただ一心に、たった一人に全ての憎悪を向けるように爛々と光っている。
「…………ふふっ。次が楽しみですねえ」
黒衣の男はそう言って、劇の緞帳を引くように腕を動かす。
刹那、空間は歪み撓んで二人を包み込み――――全てを覆い隠した。
モルドールと言う男の真の憎しみも、己自身の正体さえも。
→
1
お気に入りに追加
1,003
あなたにおすすめの小説
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
婚約者の側室に嫌がらせされたので逃げてみました。
アトラス
恋愛
公爵令嬢のリリア・カーテノイドは婚約者である王太子殿下が側室を持ったことを知らされる。側室となったガーネット子爵令嬢は殿下の寵愛を盾にリリアに度重なる嫌がらせをしていた。
いやになったリリアは王城からの逃亡を決意する。
だがその途端に、王太子殿下の態度が豹変して・・・
「いつわたしが婚約破棄すると言った?」
私に飽きたんじゃなかったんですか!?
……………………………
6月8日、HOTランキング1位にランクインしました。たくさんの方々に読んで頂き、大変嬉しく思っています。お気に入り、しおりありがとうございます。とても励みになっています。今後ともどうぞよろしくお願いします!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる