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豊穣都市ゾリオンヘリア、手を伸ばす闇に金の声編
32.開演
しおりを挟む舞台の幕が上がる。
観客など誰も居ない、俺にとっては最後の演劇になる舞台の幕が。
「……ズーゼン、愛しい人。私はいつまでも貴方の事を愛しています」
――物語の始まりは、二人が月の下で手を取り合って愛を誓う所から始まる。
よくあるプロローグだが、二人のセリフはどことなく今後の悲恋を感じさせるものだ。月の光が差し込む美しいバルコニーだというのに、その数々の互いを思っての曖昧な「好き」を表す言葉は、どことなく別れを感じさせた。
そうして、暗転する舞台の中で、王子と乙女二人だけの声が響く。
一般的な「建国神話」を聞いたうえで練習してきた今なら分かる事だが、この劇は他の劇で行われるような台本とは少し違った物語だ。
異邦人である黒髪の乙女と賢く美しい国父ズーゼンの愛が、悪魔と呼ばれた令嬢であるアマイアに引き裂かれる悲恋の物語。それが、普通の話だ。
けれど、アドニスが脚色を加えたこの劇は、表面上はその「いつも通り」をなぞっていても中身は少し違った。
アドニスが言うには「貴族に配慮したため」らしいけど……でも、黒髪の乙女の一行と出会う前のズーゼンが悩むのは、アマイアとの腐理不尽な婚約ではなく“親同士の強引な契約”によって互いが互いを愛し切れず苦んでいることだ。
普通の劇なら、王子ズーゼンはアマイアが生来持つ傍若無人さに悩み、宴で黒髪の乙女の一行と出会って救いを得る……という展開なのだが、アドニスの脚本ではアマイアに対して一方的な嫌悪を示す事は無く、貴族として抗えないしきたりのような物に対して思い悩み、アマイアも独立志向が高かったため徐々に狂って行く……という、同情を誘うような関係に大きく変更されていた。
――――舞台から掃けて、袖からブラックが演じるアマイアの苦悩を見ていると、練習ではあまり思う所は無かった彼女の言動が哀れにも思えてくる。
貴族って、基本的に親が決めた結婚をしなきゃいけないんだよな。
中には、お互いを好きになれるように時間を掛けて交流させる親もいるだろうけど、どこの世界でも領地を治めるに値する権威を保つのが貴族の務めだろうから、恋愛結婚なんてそれこそ特別な事だっただろう。
だからこそ、ローレンスさんもこの改変を認めたに違いない。
……大きく「お芝居のお約束」から外す事は出来なかったけど、それでも貴族達が見て同情を誘えるような話にしたのは……彼が、本物のアマイアさんを知っていたからなのかも知れない。
黒髪の乙女と仲良くなり、彼女と共にズーゼン王を支えようと誓い合った……猛々しいけど人を愛する事が出来た令嬢・アマイア。
…………あの手記に描かれていたことが本当かどうかは、俺には解らない。
だけど、ローレンスさんは彼女の立場に思う所が在ったんだろう。
舞台の袖からホールを見やると、満足そうで……少し悲しそうな微笑みを浮かべたローレンスさんが見えて、俺は何だか目の奥が熱くなった。
だけど、感傷に浸っている暇はない。
アマイアの激昂を受け止める為に、俺は舞台に戻る。
重圧と苦悩の果てに眼を剥き出しにして激昂するアマイア。その悲しい姿を演じるブラックは、綺麗な赤い髪を振り乱し対面する俺に苦しみを訴えて来る。
けれど、ズーゼンの俺はそこで慰めの言葉卯を言う事も出来ない。
…………演じていて、自分を卑怯だなと思う。それと同時に、涙し発狂する彼女へ何も言ってやれない自分への憤りで息が詰まりそうになる。
練習している時は、あまりこんな事は思わなかった。
――――今思うのもなんだけど、なんだか不思議な気分だ。
舞台の上に立って、綺麗な光の下で綺麗な偽物の装飾に囲まれて、誰かに見られながら相手だけを見つめて物語を演じる。
言葉にすればたったそれだけで、面白くもなんともないのに。
なのに、どうしてこんなに胸に来るものがあるんだろう。目の前の、必死の形相を“装っている”相手に対して、本物みたいな苦しさを覚えるんだろうか。
俺には演技の事は分からない。だけど、なんだか……他人のような気がしなくて。
煌びやかなアマイアの格好をして、俺に訴えかけてくるブラックを見ていると――――まるで、相手が隠している苦しさを吐露されているようで、切なくなってくる。
今の俺にとって、目の前にいるのがガタイの良い男の恋人なのか、それとも悲劇の令嬢アマイアなのかわからない。
だけど……何故か、今の俺にとって目の前の相手は素直に「綺麗だ」と思えて。
どんなにデカかろうが、近くで見ると男にしか見えなかろうが、今の俺にとって赤い髪を靡かせたドレスの令嬢は、美しいお姫様にしか思えなかった。
そんな相手に対して、俺は……ズーゼンは、思い悩み苦しんでいく。
否応なしに婚姻を結ばされることで疲弊した彼を演じながら、それでも“彼の次の嫁”を決めるための宴に足を踏み入れ……俺は、いや、彼は出会ってしまう。
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――――――その後は、お決まりの展開だ。
ズーゼンは彼女の純粋で優しい心に惹かれ、苛烈な性格であるアマイアとの距離を徐々に離していく。それは仕方のない事だろうけど、アマイア役であるブラックに対してそっけない態度を取る自分が別の存在のように思えてつらい。
演技だと解っているのに、やはり仲間外れをしているみたいで苦しかった。
だけど、劇は続いて行く。その間にもどんどんズーゼンは黒髪の乙女との絆を強く結んでいき……アマイアが嫉妬に狂って彼女に決定的な危害を加えるまで、二人の女性の攻防と、王子と異邦人の少女のひそやかな逢瀬が繰り返された。
俺は、それを淡々と続ける。
相手役である楚々とした雰囲気を装ったアドニスを見つめながら、歯の浮くような台詞をズーゼンになり切って何度も何度も相手に伝えた。
自分でも「よくやれるな」なんて思うけど、これが舞台の魔力なんだろうか。
決定的な場面が訪れるまで、俺は妙に穏やかな心地だった。
だが、劇は決して途中で終わる事など無い。
遂に、冒頭と同じ場面――――月の下のバルコニーで、黒髪の乙女だけを愛するという無慈悲な甘い場面がやってきた。
「…………ハァ……は……」
その前の、わずかな「王子がいないシーン」に差し掛かり、俺は舞台から出る。
これまで何度も舞台袖に入っては出てを繰り返して来たが、その度に「自分」と「ズーゼン」が切り替わっているような気がして、どっと溜息が出てきた。
なんというか……本当に、演劇と言うのは大変だ。
長丁場なのもそうだけど、こんなに意識が持って行かれるんだから、役者をやる人ってのは本当に色々と凄いんだなぁ。
「ズーゼンさん、化粧大丈夫です。……あと少し、頑張ってくださいね」
「は、はい」
化粧を直してくれる役割のお姉さんが、ニッコリと笑って励ましてくれる。
俺の化粧なんて微々たるもので正直代わり映えがあんまりない……いや、頬の所とか目元とかなんか色がついて恥ずかしいんだが、まあ今更な話だ。
舞台袖に居ると、魔法が解けたみたいになって自分の気持ち尾が戻ってくるので、ついお姉さんに目が行ってしまうのだが……次の場面……自分達を物陰からじっと見ているアマイアに気付かずに愛を誓ってしまう二人の場面のために、気合を入れ直さないとな。ここが正念場……っていうか、恋愛シーンとして最高潮なんだから。
……この後は、アマイアが悪魔に変化しちゃって、ズーゼンの領土もアマイア自身が育った領土も炎の海になって、とんでもない事になっちゃうんだもんな。
その後の恋愛シーンと言えば……もう、黒髪の乙女が死ぬところしかない。
ぶっちゃけ、もう悲しいシーンしかないから精一杯演じないとな。
っていうかここから俺も出ずっぱりなので、気合を入れないと……。
そう思って舞台の方を見やると、アドニスが占い師のお姉さん役のクロウや仲間の役である侍従さん達と、なにやら悲劇のヒロインを演じていた。
いや、まあ、その通りなんだけど、こういうと何か語弊がある感じがするな。
でも黒髪の乙女は本当に悲劇のヒロインなんだから仕方が無い。
彼女もアマイアの執拗な攻撃に心が疲れてしまって、ズーゼンを愛し抜いていいのだろうかと悩み苦しむのだ。……彼女が俺と同じ世界の人だったのなら、多分、この時代の一夫多妻制にも戸惑っただろうし、他人から愛する人を奪うって事に対してもかなり抵抗感が在った事だろう。
こっちの世界の人は性欲も愛情もガンガンやっちゃうタイプだから、そういう気持ちは「奥ゆかしい」になるみたいなんだけど……横取りするような物だと考えたら、そら俺達現代人としては気分が悪かろう。
いくら相手が悪い子だからって、その子の愛する人を直接対決もしないで奪う行為は見ていて気持ちのいいモンでもないわけだしなあ。
……この世界の人は、情熱的だからウオーッてなるらしいが……。
「……なんか悲しいなぁ……」
アドニスのシナリオでも、ここばかりは変えられない。
結局黒髪の乙女は決心してアマイアと対決する姿勢を取り、事態は泥沼になっていくのだ。あの手記では、二人とも真っ向から対決して友情が芽生えたのに。
……まあ、間違った歴史だとしても、すぐ訂正できるもんじゃないんだもんな。
伝統的とも言える悲劇の大筋を異邦人のアドニスが捻じ曲げるのは、やっぱり他の貴族には良く思われないだろうし……本当、あいつなりによくやったと思う。
俺としては、アマイアさんの事が必要以上に悪く描かれなくて良かったよ。
あんな話を聞いた後じゃ、主役の三人全員を嫌えなくなっちゃったしなぁ。
それにしても、アドニスったらいつも以上に演技に熱が入っているな。占い師の女役のクロウも、あの無表情っぽい喋りがクールな感じでイケている。
ブラックの時もそうだったけど、ホントあいつらサマになってるよな……。
……だが今更めげている場合ではない。俺も最後まで全力でやってやるんだ。
きっと、今のところはローレンスさんも満足してくれている……はず。
そう思い、俺は舞台袖から顔が出ないようにしつつ、ローレンスさんの様子を見ようと纏まった緞帳の隙間から薄暗いホールを見やる。と。
「…………あ……まーたアイツら来てるな……」
なんか……名前は忘れちゃったけど、変な貴族の兄ちゃんと、その兄ちゃんの執事のメレンデスさんの影が見えるぞ。もう何回も見に来てるから、あの二人の立ち姿も大体覚えちゃったよ。でもまあ、緊張するほどの事でも無い。
なんだかんだあの人達も練習を見に来るたびに褒めてくれたし、気になった部分は俺達がカチンと来ないように貴族っぽいキザな言い回しで指摘もしてくれたし。
…………なんだかんだ良い奴だなあの変な貴族の人。
あとでお礼を言った方がいいような気がして来た。名前くらいは覚えておいた方が良いかも知れない。そんな事を思いつつ、視線を外そうと顔を動かす。……と。
「…………あれ?」
舞台上からは見えなかった……というか、たぶん俺が居る時にはいなかったのだと思うが……メレンデスさん達とは別に、知らない影が二つ、少し離れた場所にいるのが見えた。途中から見に来たのかな。
昨日一昨日と貴族同士で懇談する時間は有っただろうし、その時に貴族の誰かがあの貴族の兄ちゃんの話を聞いて見学しに来たいと思ったのかも知れない。
まあ、誰でも良いけど……うう、ちょっと緊張して来た。
「ズーゼンさん、もうすぐ出番です」
裏方で舞台の演出を見てくれている人が、そっと俺に教えてくれる。
その相手の言葉に頷いて、俺は姿勢を正すと出番を待った。
――――舞台が暗転して、カキワリの背景が大きく動く。
その動きに合わせて舞台の上の照明も変化し、部屋の中を照らす明るい光から、青く寒々しい月の光がぼんやりと浮かび上がる。
その中に俺は踏み出して、台本通りに周囲を見回し、ふと正面を見た。
「…………」
誰かを待ちぼうけしているような表情を強く浮かべ、手持無沙汰と言った様子で足を小さく動かしながら観客の方を剥いて遠くを見やる。
まるで、向こう側から来るであろう愛しい人を探すように。
だが、俺の目の前には薄暗いホールと、見知った人しかいない。
舞台のすぐ下で劇を見ているローレンスさんと、目を輝かせているあの変な貴族の兄ちゃんたち。そして、その少し奥で、真正面から俺を見ている誰か。
あれは、誰だろう。
アドニスが出て来るまでの短い間で、彼の顔を見ようと目を凝らした。
すると、柔らかい青の明かりも手伝って、薄暗い場所に居る相手の輪郭が薄らと俺の眼に見えてきた。片方は……昨日やってきた、祝宴の主役の助手を務めている人――――えっと……ジョアン・シルヴァという人、かな。
だとしたら、首を前のめりにして俺の方を観察している人は……今回の主役であるマリオ・ロッシという人かな。どんな人だろう。
そう思い、彼の顔をじっと見て――――――
「…………え?」
思わず、声が漏れた。
刹那。
「――――――ッ」
「ツカサ君!!」
どこかから声が聞こえる。
誰の声だろう、と、思った瞬間
俺の足が、唐突に崩れた。
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