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豊穣都市ゾリオンヘリア、手を伸ばす闇に金の声編
疑念
しおりを挟む長く豪勢な廊下を、ただ黙って歩いている。
しかし、ただ歩いているわけではない。ブラックの目の前には、黒に近い暗緑色の長い髪を背中に流している優男がいる。
そして少し後ろにも、厄介な熊男が追従していた。
…………華もないオス三人でむさ苦しいことこの上ないが、これは“とある場所”に三人で移動する途中なので仕方が無い。
前には嫌味でいけ好かないクソ眼鏡、後ろには駄熊という最悪の配置で、許されるならツカサを抱き締めながら進みたい気持ちでいっぱいだったが、今回ばかりは彼を同行させるワケにはいかなかった。
というのも。
「……おい、本当に“さっきの話”は本当なんだろうな」
疑いを露わにした低い声で前方の背中に問うと、相手はいったん止まって少しだけ振り返った。こちらが敵意を剥き出しにしているからか、それとも元からああいう顔で生きているのか、相手も非常に機嫌が悪そうだ。
しかしそれはブラックのせいではない。
拒否感を覚えているのに、ブラックに話を持ちかけて来る相手が悪いのだ。
自分一人で出来ない事を頼みに来ているというのに、その“頼み”を受けてやった側のブラックに不機嫌な態度を取るクソ眼鏡の方が失礼な態度なのだ。
普段丁寧で礼儀正しい風に振る舞っていても、やはり所詮は意地の悪い男だ。
(……まあ、そんな相手に協力したり、ツカサ君の事を頼む僕らも僕らだけど)
元々は敵同士とも言える立場だったのに、どうしてこんなことになったのだろう。
ツカサが互いの間に入っていただけで、本来ならこんな事にはならない。そもそも【オーデル皇国】という戦乱の火種を抱えている国の高官ともなれば、シアンにしてみれば「貴方があまり近寄るべきではない相手」だろうに。
…………だというのに、自分はこの男の言う事に渋々承諾してやったのだ。
それを言えばシアンに呆れられるだろうが、こうなっては仕方が無い。
なにせ――――この件には、ツカサの安全も絡んでいるのだから。
そんな事を考えつつ、相手と同じように不機嫌に目を細めて見せると、前方の立ち止まっている男は眼鏡を指で直してハァと溜息を吐いた。
「ハァ……。本当でなければ、ツカサ君を置いてきたりはしませんよ。大体、話をした時に『ツカサ君は置いて行こう』と言ったのは貴方達ではないですか」
「当たり前だろ、あんな危険そうな部屋にまたツカサ君を連れて行けるか!」
つい怒鳴るように言葉を吐き出してしまったが、この男が以前――――あの庭で、ツカサが走っている最中――――に持ちかけて来た話は、とてもじゃないがツカサを連れて行こうと思えるようなものではなかった。
それを考えれば、こうやってツカサに知らせずに行動せざるをえない。
過保護と言われるかもしれないが、今回ばかりは様々な懸念があってそうするしかなかったのだ。それは、そちらも考えていた事だろう。
自分ばかり冷静な第三者と思うなよと睨むと、相手は「それもそうですね」と眼鏡を再度直して軽く頷いた。
そんなブラックと嫌味眼鏡の会話がひと段落ついたと思ったのか、駄熊が後方から冷静ぶった無表情な言葉を割り入れて来る。
「しかし……あの大蛇の移動するような音が、本当にあの光球の主が発している音だと言うのか。耳で聞いた限りでは、光球からだとは判別がつかなかったのだが」
その熊公の言葉に、相手は再び体勢を戻して歩き出しながら答えた。
「あの音は、実質的には空気を振動させている音ですからね。光球から発生している音ではありますが、動いているのは【封魔の間】全体の空気です。だから、獣人の耳で遠くから知覚できても、近付けば正体が解らなくなるんですよ」
「ムゥ……封印されてもなお空気を振動させるほどの力となると……これは確かに、ツカサを連れて行くのは難しいな。封印されたものの事も考えると、なおさら」
長い廊下を歩き階段を上へ下へと移動し、一軒宛てもなく散歩しているように歩く。だがこれは嫌味眼鏡曰く『あの【封魔の間】への廊下を開くための暗号のようなもの』らしく、こうして導かれるままに歩いているのだ。
確かに、この方法ならばどんな有能な金の曜術師でも開錠は出来まい。
ここまで大仰な方法は見た事が無いが、特定の動作で鍵をかけるという「からくり式」と呼ばれる錠前の話はブラックも聞いた事が在った。
おそらく、このゾリオン城に住まう代々の国主卿は、その「魔」を徹底的に封印するべく、こうして何重にも面倒臭い程に鍵をかけようとしたのだろう。
そのカギが、裏口からではあるが、ツカサのような少年一人の手ですんなりと開錠されてしまったのは皮肉だが、まあこれは仕方が無いだろう。
何せ、ツカサのような存在は本来なら世界にほぼ存在していない。
それこそ……この国の伝説にある【聖女】でもなければ、開けなかっただろう。
だからこそ、裏口はあんなにもすんなりと見つかる鍵になっていたのだ。
絶対に開錠できない錠前だという自信があれば、鍵穴を曝しても問題ない。
他人にはたかが紋章としか映らないし、本来ならば絶対に開かないのだ。
あのような時告げの塔に置くのも、王族ではない何者かが来訪した時に、こっそりと案内出来るようにする為だったのかも知れない。
(まあ、今となってはどんな意図だったのかは推測する事しか出来ないけど……何にせよ、あんな場所に裏口を作らないで欲しかったよ。おかげでツカサ君が危うい目に遭う所だったじゃないか)
初めて見る、薄暗い廊下に導かれて進むと、左右の壁に掛かっている燭台のようなランタンに明かりが灯る。その灯りに案内されるように真っ直ぐ歩きながら、ブラックは目の前の嫌味眼鏡に言われた事を反芻した。
(にしても……倒れたツカサ君を連れて行った時に話した『塔の中にあった謎の部屋は、一体なんだったんだ』って疑問の回答が、まさか国主卿直々に来るとはね)
ツカサが長距離走を繰り広げている間に話した事。
それは、詳しい事を国主卿から説明して貰うので、自分がツカサと薬に関する調合を行っている間に話して欲しいというものだった。
そうして、あの男がツカサを自室へ連れて行ったあの日――――その言葉どおり、自分と熊公の前に国主卿が現れた。まるで、どこぞの一般人のように、ふらりと。
……まあ、それはともかく。
何を話すのかと身構えたブラック達だったが、彼の話を聞いて、ブラック達は驚かずにはいられなかった。何せ……あの植物だらけの【封魔の間】に安置されていた、緑の光球は――――かつてこの地を支配し破滅させようとした“悪女”が封じられた球だったのだから。
(魔族やモンスターなら分かるけど、人族の魂を封印なんて聞いた事が無い。いくら伝承で『魔の物と化した』となったとしても、人族がモンスターになるなんて通常では考えられないことのはず……少なくとも、人の魂を封じる術や道具なんて、伝承でも出て来た事が無い……なのに……)
この国には、実際に存在した。
存在していたのに、その「物」は無き物として全てから抹消されたのだ。
再び国に脅威を齎すかもしれない敵を、未来永劫封じるために。
(……本当に、人の作る伝承ってヤツだな。……まあ、それはいい)
問題は、その【封魔の間】に侵入してしまった自分達の処遇だ。
知らなかった事だとしても、そのような重大な場所に侵入してしまっては、まず命は助からない。多くの国では許可を得ぬ中枢への不許可侵入は極刑である。
そうとなれば、さすがにシアンでも助けられないだろう。
ブラックは死ぬつもりなどないし逃げ切る自信も有るが、そうなった場合、逃亡犯となってしまうとツカサの顔が曇りかねない。案外そう言う事は気にする子なのだ。
悪い事をしてしまったと気に病み、常に鬱々とする可能性も捨てきれない。
だからこそ、その重要性を説明された時、ブラックはどうすべきかと思っていた。
ツカサの顔が曇らず、いつものように自分だけを見てくれるにはどうすべきかと。
……だが、次に国主卿のローレンスが伝えてきたのは、意外な言葉だった。
『正直、ツカサ君のような特殊な子を招き入れた時から、遅かれ早かれあの部屋が君達に見つかることは覚悟していたよ。なにせ、君達は特殊な存在だからね。……だけど、そうなれば良い機会かも知れないとも思ったんだ』
何が言いたい、とその時顔を顰めたブラックに、国主卿は笑った。
深刻な話のはずなのに、まったく深刻そうに見えないへらへらした顔で。
だが、その口から発される言葉は……酷く、冷静だった。
『…………私はね、ある疑いを持っているんだ。だけど、その疑いはこの国の者には恐らく看破出来ない。私自身も、疑いを持っているのに“そうではない”と強引に真実を解釈して片付けてしまうかも知れない。そんな真実がどこかに有るのではないかと言う、苦々しい疑いをね……』
何が言いたいんだ、と問うたブラックに、国主卿は笑みの見えない目を細めた。
『君は恐らく私と同類だろう。人を疑い嫌うが、その反面偽りのない純粋な物を求め続ける性質でもある。だからこそ、醜く尊大な疑う心を持っているんだ。……そんな君に、お願いを聞いて欲しい。目で見た物だけを信じない、その雄々しくも醜い歪んだ心で……あの【封魔の間】の光球の封印の意味を、彼と一緒に解いて欲しいんだ』
彼、とは、間違いなくあの嫌味眼鏡の薬師のことだろう。
散々な事を言ってくれたが、しかし相手の眼は真剣だった。真剣に、自分とブラックを同類だと見込んで、王族らしい面倒臭い自尊心を振りかざして「おねがい」しているのだ。ツカサのように可愛げも愛らしさもない、鬱陶しい言い方で。
しかし、そう言われると――――ブラックも、気にならないでも無かった。
(あの緑の光球……なにか、イヤな感じがした。高ランクのモンスターと似た気配とも思えたけど……それよりもっと、悍ましい感じだ。アレは……
――――ツカサ君を“あっちの世界”に連れ戻したキカイと、同じ感じがする)
そう。
かつて、この世界を破壊しつくそうと画策した男が辿り着いた遺跡。
その遺跡の中に残されていた……悪しき文明の神が残した、世界と世界を繋ぐ、悪意に満ちたあの装置に。
だから、ブラックはあの場からツカサをさっさと連れ出したのだ。
不穏な気配がする得体のしれない物に、ツカサを触れさせたくない。万が一あの球が作動したら、また……離れ離れになる可能性もあるのだ。
そんな部屋に、ツカサを二度も連れて行きたくない。
例えそれが自分の取り越し苦労だったとしても、もう二度と彼を失う恐怖を味わいたくは無かった。……ただでさえ、ツカサが“あっちの世界”に帰っている時間は不安だと言うのに。それ以上のものなどもうごめんだ。
(あの『お願い』に関しては、オネガイとか言ってるけど強制的なモンだろうし、それで僕達の罪がチャラになるならって受けたけどさ……。でもやっぱり、ツカサ君をそんな危険な物の場所に連れて行けないよ。あの髭面王のオネガイで、余計に疑念が湧く存在になっちゃったワケだし……)
ともかく、この話には絶対にツカサを関わらせてはいけない。
緑の光球による不安もそうだが、そもそもツカサは劇で準主役を務めると言う重大な役割が有るのだ。そして、劇の中で観客を見て【デジレ・モルドール】なる人物か、もしくはそれに関連する人物を見つけ出さなければならない。
現在、亀の歩み程度でしか進歩していないツカサに、これ以上頭が沸騰するような難しい話を持ち込んではいけないのである。
なので、今日は初めて劇場で演技をするというのを良い事に、色々と打ち合わせがあるからと彼を残してきたが……今頃ツカサは何をしているだろうか。
(今日は失敗ばっかりしてたから、すっごく落ち込んでるだろうなぁ……。うーん、僕が励ましてあげたかったけど、そんなコトするとツカサ君は意地を張っちゃうし……ああでも帰ったら思いきり抱き締めてあげたいっ。そうして出来ればちゅっちゅちゅっちゅとキスしてあわよくばお触り……)
――と、楽しい妄想をしている途中で、目の前の背中が止まった。
あと少し浸っていたかったと不満に思いつつも、正面を見る。そこには。
「…………本当の入口は、ずいぶんと豪華だな」
熊公の声に、嫌味眼鏡は自重するかのような笑いを漏らす。
まあ確かにこの巨人でも招き入れようとするかのような大仰な門は、あれだけ「鍵」に拘った様子からすると無駄としか言いようのない物だった。
美しい彫刻の紋様や、天界の花畑を思わせたかったのだろう壁の絵画は、一級品と判を押す者もいるであろう美しさだったが、周囲に「魔」とすら呼ばれた存在を封印する場所としては「無駄遣い」と言えなくもない。
そもそも、誰の眼にも触れさせたくないのなら、まさしく無駄な装飾だろう。
どういう意図なんだと白けたブラックだったが、その場の全員が無駄だと思っていたようで、この装飾についてほめそやす者は誰も居なかった。
ただ一人、ブラックの脳内のツカサは目を丸くして輝かせていただろうが、素直な彼が少々可哀想でもある。まあそこが可愛くて興奮するのだが。
「ともかく……入りましょう。……あの【封印球】に関しては、私も過去に一度国主卿の頼みで見せて貰いましたが……正直、用意不足で解析できなかったのです。けれど今回は、少しでも“中身”の情報を掴めるかもしれません」
自分達より一回り細い腕だが、その頼りなさを感じさせず相手は扉を開く。
すると隙間から眩い緑色の光が差し込んで来て、ブラックは眉根を寄せる。
「貴方達は、万が一の時に備えて……警戒していて下さい」
「……ああ。しっかりやるよ」
万が一、の事態が起こればツカサも危険だ。
未だに真相も内部の様子もよく解らない【絶望の水底】の事だって、ここで何かが起こってしまえば永遠に分からなくなってしまうかも知れない。
ツカサの為にも、それだけは阻止しなければ。
そう考えていると、いつの間にか隣に踏み込んで来ていた熊公が、こちらをジッと見て「心得ている」とばかりに頷いた。
(僕が何を考えているか解ってんのかね、このクソ熊は……)
何を心得ているのだろうかと呆れる思いだったが、そんな事を考えている場合ではないと気持ちを切り替えて、ブラックも【封魔の間】へと足を踏み入れたのだった。
→
※鋭意修整中です…!
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