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大叫釜ギオンバッハ、遥か奈落の烈水編
25.いつだって力になるから
しおりを挟む翌日。
なんとか何事も無く夜を過ごした俺は、一晩明けたらシアンさんも落ち着いているかも知れないと淡い期待を抱き、エネさんが門番を務めるシアンさんの部屋を訪問した。エネさんは夜通しドアの前に立ってたそうだが、それはともかく。
シアンさんは、俺達の心配した姿よりも少しだけ元気そうに顔を出してくれたが、しかし無理をしているのか目の下にうっすらと浮いた隈は隠しきれてなかった。
やっぱり、セレストって人の事でかなり憔悴しているみたいだ。
けれど、相手はいつも通りの優しい微笑みを心がけようと思っているのか、笑顔で俺達を迎え入れて今後の事を簡単に教えてくれた。
「……色々と気になる事はあるでしょうけど……今は、残りの魔導書を確実にこちらの手に置いておくことが重要よ。だから、貴方達には、このままアコール卿国の首都【ゾリオンヘリア】に向かって欲しいの」
「贋金の事はいいのか?」
広く落ち着いた品の良い部屋。その部屋の中央に鎮座する向かい合ったソファに、遠慮も無くブラックが安閑と座っている。
パッと見ではタチの悪いヒモみたいに見えるが、しかし向かいの席に座ったシアンさんは嫌な顔一つせず、こっくりと頷いた。
「改めて言うけれど、金を採掘していたデジレ・モルドールと言う男の組織が、今回の贋金事件に絡んでいる可能性が非常に高いの。……だから、一から情報を洗い直さなければならない。貴方達が調査してくれたベランデルン側の国境沿いの情報を読む限りは、やはり贋金の工場はアコール卿国の内部に存在するでしょうし、こうなった以上は私の部下たちに慎重に調査をさせます」
シアンさんのその言葉で、ようやく俺は今回の監獄の件がニセガネ騒動に関係――するかもしれない事件だったのかと納得が行った。
そうか、アイツらが人目を避けて採掘場に引き籠っていたのも、回りくどい方法で囚人や冤罪の人などを強引に連れて来ていたのも、全部ニセガネを作る為の「金」を採掘しようとしていたからだったのか。
そりゃ誰も逃げられないように【隷属の首輪】もつけますわ。
…………うん、あれ、いつのまに外れたのか謎だけど、それはともかく。
でも、仮にそうだとしても……実際にがっぽがっぽの収益は得られていただろうに、どうしてニセガネ造りだなんて面倒な事をやったんだろう?
あの規模の採掘場を運営できるんなら、少なくともそれなりにお金はあったはずだよな……。ニセガネってお金持ちになりたいから作るもんじゃないのか?
国を混乱に陥れるためのものだとしても、その基本からはブレないのでは……。
いや、何か別に理由があるのかな。
大人の世界の事はよくわからん。もう訊いてみるしかないか。
そう思い、俺は恥を忍んで挙手した。
「……あのー……仮に可能性があるとしても、普通に金を使う理由って……? 金を採掘出来るなら、こんな事しなくても大金持ちなハズですよね。しかも、ブラックの話によると、国境の山で見つけたモンはどの国も口を出せないっていいますし」
それなのに、ニセガネをずーっと作ったり金を採掘していた理由は何だろう。
あの採掘場が本当にそういう目的のために造られた場所なのだろうか?
俺が考える以外の理由があるとしても、俺にはイマイチよくわからない。
我ながらアホな事を言っているなと思うが、しかしシアンさんは俺に侮蔑の眼など一ミリも見せる事なく優しく答えてくれた。ううっ、なんという女神。
「ツカサ君の言う通り、金や他の鉱石を採掘しているのなら、贋金をばらまくなんて面倒で危ない事をしなくてもお金は入ってくるでしょうね。だけど……儲ける目的で、大陸共通の通貨を偽造しているのではないのだとすれば……と考えてみて」
「もうけるため……じゃない目的……?」
そういえば、エネさんにニセガネを作っているかも知れない【なんらかの工場】を探して欲しいって言われた時に、こんな感じの事を言われたっけ。
――――もし贋金騒動が公になれば、大陸全土が混乱し、アコール卿国も造幣権を剥奪される危険性がある。
――――しかも、この人族の大陸は現在非常に不安定で、プレイン共和国の崩壊やオーデル皇国における皇帝の病による動揺、大陸外の多数の島国での戦……とまあ色々と火種が転がっているのです。
……大体こんな感じの話だったが、思い出してみると結構なヤバさだ。
その「不安定な大陸」に、金を度外視してニセガネを流す目的があるとすれば……
「…………国家転覆……とか……」
説明された事ほぼまんま話してしまったが、俺の浅知恵ではこれ以上の頭の良い事は考えられない。そもそも俺普通の高校生ですよ。なんやねんニセガネ騒動て。
思わずエセ方言を出してしまうが、もうそれくらいいっぱいいっぱいなのだ。
これ以上の理由があるなら教えてください、と半ば助けを求めるようなうるうるの目でシアンさんを見やると、相手はやっといつもの笑顔でクスッと笑ってくれた。
「いい答えよ、ツカサ君。そう、金銭欲から来る犯行でないのなら、贋金を作る理由は『それを支配する存在』を脅かすために他ならない。ただ、その理由が国家転覆か、それとも造幣権に関する物なのか……そこがまだ判らないのだけどね」
よ、良かった。だいたい正解だった。
でも造幣権って……たしか、お金を刷って良いよっていう権利だよな。それをどうこうするって、どういうことなんだろう。うーむ……よくわからん。
「どっかの手癖が悪い天上人が、情勢不安にかこつけて掠め取りたいってのか?」
あんまり言っている意味がよく解らないが、どこか不機嫌そうな顔で真面目そうな事を呟くブラックに、シアンさんも不安げな顔をして頬に手を添える。
「どうかしらね……そんな事をする方々だとは思いたくないけれど、野心と言うものが存在するからこそ、人族はここまで繁栄したのだし……」
「だが、この状況で造幣権を移行するのは、今の混乱を更に長引かせるだけなのではないか。少なくとも、新通貨の発行には数年かかるだろう」
クロウもこの手の話には聡いのか、なんか真面目に言葉を付け加える。
えーと……とりあえず、ニセガネで余計に大陸を混乱させても、誰にとっても良い事は無いって感じなのかな。まあそうだよな……。
そんな風にぼんやり考えている俺を余所に、シアンさんがクロウの言葉に返す。
「しでかす以上、アテがない事もないとは思いますが……私個人の考えとしては、今そのような事をして利益がある人はいないのではないかと。ですが、目に見える事や調べた事だけが真実と言うこともありませんので、断定は出来ませんが」
「……裏で色々調べてるクセにそうとしか言えないんなら、改めて調べるとしか言いようも無いな」
「あら、そんなに私の事を買い被ってくれていたの? 嬉しいわね」
ブラックの言葉にニコニコと微笑むシアンさん。
だがそう言われて、ブラックは「ケッ」と言って顔を逸らした。
ふふーん、これは照れてるな? んもう、ブラックったら何だかんだ言ってシアンさんの事をちゃんと考えてるんだからツンデレだよなあ。
ハタからみたら微笑ましいが、まあ事情を知らない人からすると、ただの凄く失礼なオッサンだな。ツンデレも行き過ぎるとただの非常識人である。
……ゴホン。いや、いまはそうではなく。
「ともかく……ニセガネの工場かも知れない場所を探すってのは、シアンさんの方で調査を続けるんですね?」
「ええ。デジレ・モルドールの組織や贋金の調査は、こちらが全部引き継ぐわ。とはいえ、元々は私達【世界協定】の案件なのだから、貴方達を巻き込んでしまって申し訳ないというべきなのだけども……」
「いえそんな……あんまり役に立てなくてすみません」
そう言うと、シアンさんはすぐに「そんなことないわ」と首を横に振った。
うう、本当に優しいおばあちゃんだ……。でも、俺達を気にかけてくれていると分かるたびに、目の下の薄らとした隈を見てしまって心配になる。
ニセガネの件だけじゃなく、謎の組織の事も抱え込んで、そのうえ息子さんの件も加わるだなんて……本当に大丈夫だろうか。
そんな事を考えていたら、シアンさんが心を読んだかのように切り出してきた。
「……それと、セレスト…………私の息子のことなのだけど……」
「どうするんだ」
ブラックの短い言葉に、シアンさんは沈痛な面持ちで眉間に皺を寄せる。
「今は、何も言わずに忘れて欲しい。……私自身、あの子の事をどう話して良いかの決心がつかないの。……いずれ話す事になるかも知れないけれど、今は少しだけ落ち着く時間をちょうだい」
「…………僕は別にいいけど。そんなに興味ないし」
「水麗候、色々とやらねばならぬことがあるのは分かるが、まず休むのが得策だぞ。束ねる役目の者が疲労を部下に見せるのは、あまり良い姿とは言えない」
無表情な声で言いながら、クロウが自分の眼の下を指で撫でる。
シアンさんはその仕草にハッとして、同じように指で己の眼の周辺を触ると、すぐに申し訳なさそうな顔をしてこくりと頷いていた。
「シアンさん……」
ホントに、今の今まで自分がどんな顔をしているかも気付いてなかったんだ。
……いや、自分の事になんて構っていられないぐらい、事件の処理で忙しかったり、息子さんの事でショックを受けてたりしたんだよな……。
シアンさんは真面目で優しいから、自分より他人のことを優先してしまうんだ。
でも、それじゃあ……シアンさんのことを一番に労わってくれる存在がいないって事じゃないか。自分を一番労われるのは、自分だけなのに。
そう思うと、何だかもう居ても立ってもいられなくて。
つい俺はシアンさんに駆け寄って――――ぎゅっと、抱き締めていた。
「ツカサ君……」
俺の行動の意味を理解してくれているのか、ブラックもクロウも静かだ。
そうだよ。二人だって、シアンさんの事を心配してるんだ。でも、俺みたいにぎゅっと抱きしめる事も出来ないから、俺に託してるんだ。
シアンさんが苦しんでいる姿を見るのは、俺達にとってはつらいことだ。
だから、少しでも「心配している」という人間がいる事を理解して居て欲しい。
今は何も話せなくても、もし頼りたいと思うのであればすぐに手を差し伸べる用意があるヤツが三人もいるって事を、覚えていてほしい。
それだけでもきっと、心にかかる負担は減るはずだ。
――――ちょっと自惚れている考えかもしれないけど、でもシアンさんは俺をぎゅっと抱き返してくれた。
「ありがとう……ありがとうツカサ君……ブラックもクロウクルワッハさんも……」
シアンさんの声は、少し泣いているみたいで。
そんな声を聞いたことがなかった俺達は、ただ黙っているしかなかった。
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