異世界日帰り漫遊記!

御結頂戴

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大叫釜ギオンバッハ、遥か奈落の烈水編

  願望

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 ――――結局、なぐさめて貰いたかっただけなのかも知れない。

 決してのがさぬよう強く掻き抱いた体をふところおさめながら、その落ち着きのない短い黒髪に顔をうずめる。
 おのれの体を曲げる体勢がつらかろうが、腕の中に彼のぬくもりが有って、その小さな手が自分の服をにぎめてくれる感触が有れば、自分の格好など関係ない。

 ただ、嬉しい。
 自分を求めて、受け入れてくれる存在がいるのが嬉しい。
 悲しさを求めるはずの場所ではないここであわれんで貰おうとした自分を、それでもなぐさめようとしてくれたツカサが……ただ、愛おしくてたまらなかった。

 ……しかし、自分の滑稽こっけいさを思えば、自嘲じちょうせずにはいられなくなる。
 全ては自分が仕組んだ事だというのに、なんとも馬鹿らしかった。

(ああ、そうだな。バカだ、僕は……。何を考えているんだろう。こんな風に思うんなら、ツカサ君をここに連れて来なければ良かったじゃないか。自分の恥部を見せて無様ぶざまあわれんで貰おうなんてせず、いつもみたいに甘えていればよかったのに)

 そう、最初からそうすれば良かったのだ。
 いつものようにツカサを連れ出して、店を回って、デートだけをすれば良かった。
 憐れんで貰おうなんて、年甲斐としがいも無い。年端としはもいかぬ子供に同情されたいだなんて普通に考えればどうかしている。本心を閉じ込め消し去ることなんて、意識せずともおこなえる体に染みついた業だったはずだ。

 “大人”として考える自分なら、それが出来た。

 新たな街に辿たどき目をかがかせるツカサに対して、こんな気落ちするような言葉をわざわざかける必要も、心の余裕よゆうの無さを見せつける必要もなかったはずだろう。
 けれど、自分はこの場所に連れて来てしまった。

 それは何故なのかと言えば――――やはり、自分の心の弱さのせいだった。

(……いやだな。今になって思い出すなんて……)

 内心つぶやくが、口の中に苦い味が広がるようで顔まで歪めてしまう。
 青い光が視界を焼くことすらもわずらわしくてツカサの闇色の髪に顔をうずめたが、暗い場所に目が向かうと、やはりあの光景が思い浮かび呼吸が苦しくなった。
 自分は今、こんなに幸せなのに。それでも。

(…………ああ、いやだ。……いやだなぁ……いやだ……)

 ――――……まだ、好きという感情の名前すら知らなかった頃。
 想像もしなかった外の世界に連れ出され、やっとせまくて苦しいだけではない世界を見聞きして、おのれの立ち位置を自覚し始めていた青い時期の記憶。

 同じ使命を帯びた同行者達と旅を続けていたブラックは、せまる決着の時を前にこの眠らぬ街を訪れていた。

(あの時も……すっごくまぶしくて、鬱陶うっとうしかった……)

 数十年前の【ギオンバッハ】は今以上に夜も輝き、ただただ豊かさといかがわしさを振りまいて旅人達を夜の夢に誘おうと躍起になっていた。
 そんな街に来て、休息するためにそれぞれ分かれ、思い思いに残された平穏な時を過ごす事になって。そのころ人付き合いという物がようやく理解出来始めたブラックも、いつものように一人で好きに過ごしていた。そのつもりだった。

 だが、この街は存外ぞんがいせまい。円形の層の中で全てが完結している。
 女を抱き、男にわれ、節操も無く付き合って歩かされている内に――――ふと、仲間達の姿が目に付くようになったのだ。

「…………」
「ぅぐっ……。ぶ、ブラック……?」

 無意識にちからめて、またツカサを苦しめてしまった。
 わかっているのに、今更いまさら「何の感情も湧かなかった」はずの記憶を思い出すと、心が苦しくなってくる。恥も外聞も無く、腕の中の小さな存在に全てをぶつけたくなる。
 そんな事は八つ当たりだと解っていても、どうしても腕をゆるめられなかった。

「ツカサ君…………」

 …………みんな、誰かと一緒にいた。自分以外の、誰かと。

 旅をする間にけた相手と話していた。
 理解し合う相手と楽しそうに話していた。
 シアンですら――――そうであれば良いと、ブラック自身そう思っていたのに……それでも、あの仲間アナンと一緒にいて楽しそうにしている後ろ姿を見て、ブラックは声を掛ける事すら出来なかった。

 だが、それで良かったと思う。その時の自分は納得していた。
 こそがだと思っていたから、気にもしていなかった。
 幼稚な感情しか芽生えていなかった自分には、それで良いと思えていたのだ。
 ……けれど。

 けれど……この場所に来て、そうして。

 その通りだと、そうであるはずだと、認めていたはずの二人が
 この場所で――――口付くちづけをわしていたのをはっきりと見てしまった時。

 ブラックは幼稚な感情しかない状態であるのに、隠れざるを得なかった。
 自分の仲間である、彼と彼女。
 二人に対して……なんの負の感情も無かったはずなのに。

(…………別に、彼らがどういう関係になろうがどうでも良かった。今になって思うけど、僕は本当に“それで良い”と考えていたんだ。今だって、それは変わらない。僕を連れ出してくれた彼らが幸せになるのに、なんの不満も無かったんだ)

 仲間達は「良い人」だった。シアンが幸せだというのなら、それで良かった。
 自分が何も手にしていなくても、彼らが幸せになることを不快に思わなかった。

 誰にも興味が無かったはずなのに、彼らにだけはそう思えたのだ。
 ……あの頃の自分は、そんな自分の気持ちにすら気付いていなかったけれど。

 なのに、その時ブラックは隠れてしまったのだ。
 いや……隠れるしか、なかった。

 幸せそうに口付けを交わす二人を、楽しそうな仲間達を見て。
 何も、気の利いた事すらも、言えなかったから。

(今にして思えば…………さびしかったのかもしれないな……)

 この手の中に掛け替えのない愛しい存在が出来た今なら、理解出来る。
 自分はあの時、自分一人が孤独なような気がした。疎外感を覚えていたのだ。

 仲間達全員、自分に優しくしてくれた。感情を持つきっかけを与えてくれた。
 だが、それは「愛」ではない。優しさだった。
 こんな風に自分を愛して受け入れてくれるような感情では無かったのだ。

 さもありなん。
 自分が連れ出されるよりも前から、彼らは共に旅をしている。そのきずなの中に、最後にまぎれた自分が入れるわけも無かったのだ。

 けれど、当時のブラックはそう考える事が出来なかった。
 ただただ、感情ばかりが幼かったのである。

 彼らにはそれぞれ愛する人が別にいて、自分は彼らの「唯一の人」には成れない。みんな自分よりも優先すべき愛する存在が有って、その愛情は自分に向けられてはいなかった。仲間であっても、彼らは「一番大事なもの」をそれぞれ持っていたのだ。

 ……それは、決してブラックの事ではない。

 結局、自分は誰の「いちばん」にもなれなかった。
 彼らが持つきらめいた感情の中に、自分は入り込む事すら出来なかった。

 どれほど仲間としての絆が有っても、それは愛とは程遠ほどとおい。
 優しくされるだけの、引っ張られ良い方へ救済されるだけの存在。
 シアンも、自分を身内のようだと言ってくれたあの二人も……ブラックをその胸の中に招き入れてはくれなかった。

 彼らにはそれぞれ大事なものがあると理解していたはずなのに、その時のブラックには、本当の意味ではその事を理解出来ていなかったのだ。

 友愛と親愛と愛は違う。
 最も深い感情は、体を焼き尽くされても構わないと思う感情は、全ての存在に平等に向けられる物ではない。だからこそ尊いのだと、人が死に物狂いで求めるのだと、そんな簡単な事すら……幼稚な感情しかない昔の自分には、解らなかった。

 ……いや、理解したくなかったのだろう。
 その「違い」を知ってしまえば、自分が「誰かのいちばん」ではないのだと認めてしまう事になってしまうから。
 理解しなければ、ただ拒絶されただけだと思い込めるから。
 無意識に、自分を守る理性がそう判断して。

 だから、愛の種類も解らないまま――――あの頃のブラックは、ただ自分が孤独であると思い込みすくんでいたのだ。

(ふふっ、バカだよねぇ……。そんなのは当たり前のことだし、そもそも僕自身が、今みたいに誰かに愛して貰おうなんてしてなかったのにさ。それなのに、自分勝手な衝撃を受けて……そのせいで…………)

 ――――考えて、胸が痛くなる。
 ただの独りよがりな悲しみだと自分でも分かっている。我ながら愚かだった。
 幼稚な感情のままで旅をしていたせいで、多大な迷惑を掛けてしまった記憶だ。今思い出さなくても良かった事なのに、何故か思い出してしまった。

 思い出さなければ、こんな風にツカサに格好悪い姿を見せずにいられた。
 いつもみたいに、ツカサの目を輝かせる事ばかりを見せてやれたのに。

 今はただ、弱い自分が情けなかった。

「…………ブラック……」
「……ん……?」

 ゆっくりと、ツカサの顔が動く。
 胸元を見やると、青い光の中でも解るほどに顔を赤くしたツカサがおずおずと手を伸ばしていた。……ブラックの、ほおへと。

「……冷えちゃったな」

 そう言って、はにかむように微笑んでくれる。
 ブラックの事を心配していたと言わんばかりの素直な表情で。

(あぁ……ツカサ君……)

 泣きたくなる。
 この顔は自分だけに向けられる、恋人としての甘い微笑みだ。
 誰でも無い、ブラックだけに向けられた特別な表情。他の誰も見る事が出来ない、自分だけに見せてくれる……受け入れてくれる、大好きな微笑みだった。

「あ……あったかいか?」
「うん……あったかい……あったかいよ、ツカサ君……」

 本当に、自分がいやになる。
 全て自分が仕組んだ事なのに、それでもこんなに情けない声が出るなんて。
 そうしたかったくせに、同情を買うように顔を歪めてしまうなんて。

 ……けれど、ツカサはそんなブラックに何も言わなかった。

 ただ、ブラックの事を心配して一生懸命に触れてくれる。
 抱き締められて恥ずかしいだろう。いつもなら暴れ出しているだろうに、それでもブラックの事を思って我慢してくれている。

 自分がそばにいると言わんばかりに、ブラックが望む事をしようとしてくれていた。

(好き……ツカサ君、好き……好きだよ……その困ったような笑顔も、このすべすべしてる手も、小さな体もぜんぶ……全部好き……全部……僕のものなんだ……)

 独りよがりな感情ではない。
 無理矢理に手に入れたが、ツカサはその頑張がんばりを受け入れ愛してくれた。
 普通に愛せない自分をいとわず抱き締め、普通に愛してくれた。
 こんな風に弱さを見せても、何も言わずにただなぐさめてくれる。抱き締めてくれる。欲しいと思った言葉を、行動をくれる。そこには、献身以外の意図など何もない。

 そう。特別な献身。恋人であるブラックだけに向けてくれる、愛情。
 たった一人の恋人だと、婚約者なのだと、ずっと訴えかけてくれているのだ。

 そのツカサの想いを感じるたび、涙が出るくらい嬉しかった。

「ツカサ君……ごめんね……」

 せっかくの楽しいデートのはずなのに。
 謝っても、ツカサは嫌な顔一つせず微笑んでブラックのほおでてくれた。

「いーよ。……たまには、そういう事もあるだろ。アンタだって頑張ってんだから」

 ああ、ほら。
 ブラックが何を思っているかも知らないくせに、そうやって欲しい言葉をくれる。
 優しく包んで、自分だけを許してくれる。欲しかったぬくもりをくれる。

 そのぬくもりを、かつての幼い自分がどれほど望んだのかも知らずに。

「僕、ツカサ君のこと好き……好きだよ……誰よりも好き……」
「んっ……ば、ばか、そういう事を人前でいうなってば……」

 不機嫌そうに顔を歪めるその顔が、さっきより赤面する。
 「好き」なんて何回も伝えた言葉のはずなのに、それでもツカサはブラックの言葉をいつも意識して恥ずかしがってくれる。それほど好きなのだと、伝えてくれる。

 その無言の好意が、隠しきれない素直な感情が、口の中の苦さを消してくれる。
 いつのまにか胸の苦しさも溶かしてくれていた。

「ツカサ君……ツカサくんん……」
「も、もう良いだろ……なんか人の視線が気になるし……」
「えぇ~!? やだやだやだぁっ、もっとツカサ君とぎゅっとするうっ」
「口調がガキすぎるんだけど!? お、お前なあ、いい大人がそんな口調……っ」
「いつもの事じゃないか~。ツカサ君のけちんぼっ」

 いつものように子供を真似てむうっと頬をふくらませて見せると、ツカサは顔をしかめながらブラックの頬を軽くつまんで引っ張って来る。
 痛みは無いが「イテテ」と言ってみると、相手は不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。

「だーれがけちんぼじゃ誰が! ったく、元気になった途端とたん調子こきやがって」
「え? コく? コくって何を?」
「へんなとこ切り取るな!」

 顔を真っ赤にして怒るが、それでも腕の中から逃げようとはしない。
 ただ、躍起やっきになってブラックの頬をぐいぐい引っ張るだけだ。

 その無意識の許容が嬉しくて、抱き締めたいぐらい愛しくなってたまらない。ツカサが騒ぐから周囲が視線を向けるというのに、彼はそれすらも気付かないのだ。
 恋人の言動に顔を真っ赤にしながら大げさに反応しているから、周囲の有象無象が「可愛い」と笑うのに。

 だが、彼は自分の事には気付かない。
 そのくらい、彼はブラックの事しか見えていないのだ。

 ツカサが思っている以上に、ツカサはブラックの事を愛しているから。

(あは……う、嬉しい……嬉しいよツカサ君……ああぁ……つ、ツカサ君……っ)

 喜びを言語化出来なくなる。
 そのせいか体に熱が溜まって行くようで、ブラックはごくりとのどを鳴らした。

「も、もうっ、離せって……!」

 いつまで経っても本気で抵抗しようとしない、優しいツカサ。
 柔らかくて、抱き締めているだけで安心して……どうしようもなく、興奮する。

(……あ……駄目だこれ……)

 ああ、自分の体がうらめしい。
 だけども、ブラックのツカサへ向ける感情は、もう止めようも無かった。

「ツカサ君、ね、恥ずかしいならこっち来て……」
「えっ、えぇ!?」

 藁束わらたばよりも軽い体を抱き締めたまま抱え上げて、ブラックはこの回廊の中でも光の届かない方へと歩く。回廊の四隅には柱が在り、その後ろには下へ降りる細い通路が隠れていて、人が気付くにはのぞきこむしかない。

 かつての自分も、ここで隠れて“二人”を見守った。
 ……ここならば、誰も自分の事を見つけられないと思ったから。

(あは……こ、ここ、ここでか……)

 くらい喜びに心が湧きたつのを抑えつつ、ブラックは階段手前の狭い踏面ふみづらにツカサを降ろし、再びぎゅっと抱きしめた。

「あ……ぶ、ブラック……ここ危ない……っ」
「そだね、二人で一緒に転げたら最下層までまっさかさまだ」
「わあっ!! なんて所に連れ込んでんだよ!」
「シーッ、ツカサ君しーっ」
「しーじゃねえっ」

 どういうつもりだ、とブラックを見上げるツカサは、本当に愛らしい。
 今すぐその顔にキスをしたくなって反射的に口付けてしまうと、顔を離した時にはもう、相手の顔はがったように真っ赤になってしまっていた。

 そうして、口をぱくぱくさせている。
 ツカサは動揺しているだけのように振る舞っているが……おそらくは、ブラックが何を望んでいるかうっすら勘付いているはずだ。

 その期待に股間がじわじわと熱を持つのを感じながら、ブラックはツカサの首筋に顔をうずめて唇をわざとらしく動かしてやった。

「ツカサ君……ね……僕、我慢出来なくなっちゃった……」
「がっ……」
「おねがい……今度は、口でなぐさめて…………」

 その言葉に、ツカサののどが動き口から「ひゅっ」と息を吸うような音が漏れる。
 体を緊張させてはいるが、背中に回した背筋はぞくぞくと動いていて……これから起こる事を予想しているのか、わずかにひくついていた。

(本当に、ツカサ君は可愛いなぁ……)

 ブラックの一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくに、いつも良い反応をしてくれる。
 そんな存在が今この手の中に囚われているなんて、今でも少し信じられない。

 だけど、ツカサがいてくれれば。ツカサが自分のそばにずっと居てくれれば……この場所の苦しい記憶すら、嬉しさで凌駕出来るような気がする。
 自分のこの、どうしようもなくあわれで恥ずかしい記憶すらも。

「ね……ツカサ君……僕の嫌な記憶……塗り替えて…………」

 自分でも思っても見なかったほど、情けない声。
 だけど、その声を聞けばツカサがうなづかない事なんて無い。

 ――――知っているからこそ、やはり自分の弱さが情けなかった。











 
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