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大叫釜ギオンバッハ、遥か奈落の烈水編
3.思い出す時、君がそばにいてくれれば
しおりを挟む薄暗いおかげなのか、それとも男同士が手を繋ぐなんて珍しくも無い異世界だからなのか、行き交う人は俺達に目もくれない。
それはそれでありがたいけど、でもやっぱり、人前で手を繋ぐのは恥ずかしい。
大体、ブラックとこうなる前の俺だって、女の子とのデートの時に手を繋ぐか否かで散々無駄に悩んでたってのに、その相手がオッサンにすり替わったってそりゃ恥ずかしくないワケがないだろう。
大体、人前でイチャイチャしてんのを見せるとか、恥ずかしいに決まってる。
今はそういう時代じゃないと言われようが、俺は古風なんだ。日本男児なんだ。
女の子には優しくしたいしイチャイチャしたいけど、だからって公衆の面前で堂々とイチャつけるほど俺は肝っ玉がデカい男ではないのだ。
だからその、ブラックが嫌なんじゃなくて、こういうのは困るって言うか……。
とにかく俺にとっては大それたことだってのに、なんでこのオッサンは臆面も無く手を握る事が出来るんだろう。何度やっても俺の方が気おくれしてしまう。
こういうのって経験値の差とかなのか。いやでも父さんと母さんも別に外でこんな風にイチャついたりしたことなかったしな……ああやだ、家で親がイチャついてる姿なんて思い出したくない。勘弁してくれ。
「んもーツカサ君、せっかくのデートなのにまた別のこと考えてるでしょ」
「わっ、うわっ」
手を引かれて、自分がブラックの歩幅から少し遅れていた事に気付く。
強制的に早足で歩かされて隣に戻ってきた俺に、ブラックは浮かれたニヤけ顔で、嫌味ったらしく眉をくいくいと上げて見せた。
「ツカサ君はちっちゃくて歩幅が狭いんだから、意識して歩いてくれないと」
「違うっ、お前がデカすぎんだよ!」
「あはは、そうだっけ」
お互い罵倒してるような事を言っているのに、そもそもブラックは俺の抗議なんぞスズメの囀り程度とでも思っているのか、アハアハ笑って流してしまう。
そういう余裕ありげな態度がイラッとくるってのに、なんだってコイツは毎度毎度余計なひと言を言って来るんだろうか。俺だって怒るでしかし。
……とはいえ、まあ別に本気で蔑んでるワケじゃなくて、ブラック的には嘘偽りない感想らしいので俺もそこは理解してるんだけど。
しかしデートって、デートするようなヤツがこんなボロクソに言うか普通。
初めの頃、ブラックとこうやって夜の道を手を繋いで歩いた時は、こんな風に軽口を叩いたりしてなかったような気がするんだけどな。
「こっから第二層に登るんだよ」
そう言われてハッと気付くと、もう目の前には別の風景が広がっていた。
色々考えている間にギルドからかなり離れてしまったのか。周囲の様相も何か少し落ち着いた感じだけど、ここはどこだろう。
ふと正面を見ると――――そこから、緩やかな坂道が上へ向かって伸びていた。
街の中心部にデカい柱のごとく鎮座している第二層の高い壁の隙間に、仄明かりを鈍く映す坂道がある姿は、なんだかちょっと不思議な感じがする。
第二層に登るための門も、左右に門番が居てなんだかアトラクションの受付みたいに現実感がなかった。まあ、普通に考えて通行規制のためなんだろうけども。
……ともかく、俺はブラックに連れられてゲートを抜け、坂道を登って行く。
門を抜けて少し歩くと、石壁に挟まれていた坂道は急に開放的になり、左右に民家やお店が見え始めた。こちらのお店は夜まで開いているらしい。
ブラックが言うには、第二層は民家や観光客などの「危なくない人」の娯楽の場が多いのだそうだ。だから、夜まで開いている店が多いんだって。
確かに、左右を見回すと酒場どころか雑貨屋みたいな店まで煌々と明かりを灯している。普通の店まで明るいってのはちょっと驚きかも。
だけど、別に夜ずっと酒場以外の店を開ける必要も無いよな……何故そうまでして店を開けているんだろう。
物珍しくてキョロキョロ見ていると、ブラックが「何故こうも明るいのか」という理由を教えてくれた。
「実は、ここからもアコール卿国に抜けられるんだ。見た目には分からない方法でね。だから、その抜け道を狙って密入国しようとする奴を見つけるために、ギオンバッハは夜もこうして明かりを灯し続けているんだ。そんな状態だから、店も開いているんだろうね。実際、夜中まで店が開いてる街はそうそう無いし……客も珍しくて入っちゃうみたい」
「なるほどそういう理由が……って密入国? マジ?!」
考えても見なかった回答に見上げると、相手は素直に頷いて続ける。
「こっちからアコールに抜けるんなら、簡単に行けるよ。でも、この明るさがあれば犯罪者も簡単に見つけられる。だから、朝日が出るまでこの街は眠らないのさ。そのせいで、ここは別名【燭台都市】とも言われているんだよ。貴族達がいる第三層には目立った壁が無いから、外から見れば蝋燭のアタマのように見えるってワケ」
「へぇ~……」
こっちからだとアコールには簡単に行けるのか……あっそうか、だからエネさんは、俺達にベランデルンの調査も頼んだんだな。
それに、俺達は「国境の砦とは別の場所からもう一度アコール卿国に入る」ことになってたよな。地図上だとどっから入るのかよく解らなかったけど……もしかして、俺達もここから再びアコール卿国に入る事になるんだろうか?
だからブラックは俺に色々見せてくれようとしてるのかな。
そういえば、最近は旅ぶっ続けで観光っぽい事もしてなかったもんな。
……実は、ちょっと気遣ってくれてるんだろうか。
でも、そんなのブラックだってクロウだって同じだよな。俺達は三人と一頭で村や街を回って調査していたんだし、そもそも能力から言えば、ブラック達の方が疲労の度合いは大きいのでは。俺実質記録してただけだし……ぐ、ぐぬぬ……そう考えると、なんだか凄く申し訳ない。
しかし、ブラックがそう思ってるなら、俺だってもう少し……その……。
「ツカサ君こっちこっち」
「え、あ……」
坂道を登り切り、一直線に第二層の中央に向かう大通りが見える。
相変わらず繁華街のように店の明かりが眩いが、通りの丁度中央あたりに造られた広場には、店の明かりとは違うぼんやりとした幻想的な青い光が浮かんでいた。
そこには、なにやら杖を持っている女の人っぽい像があるみたいだ。
公園か待ち合わせの広場なのかな。
不思議に思いつつブラックに手を引かれて近付いて行くと。
「わっ……なんだこれ……この青い光、地面から出てるのか……?」
遠景に石を敷き詰められた広場のその地面の僅かな隙間から、ゆっくりと青い色の綺麗な光の粒が浮かび上がって空に飛んで行っている。
光の粒と言ったら“大地の気”の金色の光が普通で、現に周囲にはチラホラと少ない量ながら大地の気が舞っているのだが、どうしてこの場の光は青いんだろう。
触れても冷たさや熱は感じないが、この世界では曜術などを発動しなければ滅多に見ない光の色なので、ついつい嬉しくなってしまう。
思わず像の前まで駆け寄って手で光を掴んだりして見るが、青い綺麗な光の粒子は俺の体を照らしながらふよふよとすり抜け、空へ上がって行ってしまった。
なんかよくわかんないけど、やっぱこれも魔法的な力の産物なのかな。
そう思ってやたらにデカい像を見上げると、そこには服の皺すら芸術的な、魔法の杖を持つ女の人が横顔で空を見上げている姿があった。
「……この像って……?」
「それは、この【ギオンバッハ】に関係する聖女の像だよ」
駆け出した俺にようやく追いついたブラックが、聖女像の事を説明してくれた。
――――遠い遠い昔、このベランデルンには【炎帝】という不可解な存在が棲んでいた。その【炎帝】は存在するだけで草木を燃やしてしまうので、この国境の山周辺に籠って、ひっそりと一人で暮らしていたらしい。
昔のこの地域は人が住んでなくて、未開の地だったそうだ。
だから、ただ棲むだけなら何も問題は無かったのだけど……事はそう穏便にはいかなかった。ある時、モンスターの大群による戦乱が世界中で巻き起こり、ついにその災いがこの土地にもやって来たのだ。
当然【炎帝】はモンスター達の暴れように激怒し、そのせいで一帯を焦土に変えてしまった。それが原因で人々から恐れられるようになり、その【炎帝】自身も、いつしかモンスターのごとく暴れるようになっていったのだという。
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その偉業をたたえて、この【ギオンバッハ】には聖女の像が飾られる事になったという話なんだが……。
「聖女かぁ……うーん、そう言われてみると凄く神々しい気がして来た」
見上げる彼女は長い髪が似合う普通の可愛い女の子みたいだけど、そんな女の子が恐ろしいモノと戦ったと言われると、妙に霊験あらたかな感じがして来る。
宝玉の付いた杖ってのは、この世界の曜術師も使っている一般的な武具なのだが、聖女様が見つめる方向へ伸ばした杖は、そういう杖とは少し違う凝ったもののようだった。なんか伝説のアレ的なヤツなのかなぁ。
「一説には、この青い光は聖女の力の残滓によって“水の曜気”が具現化した物体だと言われているね。まあ、そういう特別な力を持つ奴がいたのは確かだろう」
「確かだろうって……ブラックは伝説を信じてないのか?」
この世界なら、そういう事が起こったって全然おかしくないだろうに。
顔を見上げて問いかけると、ブラックは肩を竦めてみせた。
「だって、聖女が実在してたとしても、伝説が本物かどうかって事とは別でしょ? この聖女は【ナトラ教】のナトラと同一視される事もあるけど、繋がりは怪しいモンだし。僕にはイマイチ納得いかないけどねえ」
こういうのもリアリストって言うのかなぁ。
とは言え、伝説が実際の話とはちょっと違う、なんてことはザラにあるだろうし、現代でだって、伝聞されるうちに話が変わっちゃうことも有るんだから、ブラックが伝説の事を疑うのも仕方がないのかも知れない。
しかしホントこういう話題には冷めてるなあこのオッサン……。
ロマンがないぞロマンが。
「もーちょっとロマンチックなこと言っても良いんじゃないのかねえ」
「ろまんちっくってなーに?」
「え? えーっと……なんかこう、夢とか憧れとか格好良さを感じるものというか、なんかこう……感動を覚えるような光景というか……」
だあっ、普段使ってるカタカナ語だけどうまく説明出来ないっ。
迂闊な事を言うんじゃなかったと汗をだらだら垂らしていると、ブラックはそんな俺がおかしかったのか、クスクスと笑ってまた手を取った。
「夢なら、もうちょっと先だね。ほら、こっちおいで」
「ん?」
またもや手を引かれて、今度は広場の橋の方へ連れて行かれる。
夢と言う単語と何か関係がある場所に行くんだろうか。不思議に思いつつもついて行くと、そこには地下鉄に降りるような雨除けつきの豪華な階段が有った。
どうやら広場の両端には、それぞれ下へ降りる階段が存在しているようだ。これも地下鉄の上り口と降り口かな。なんか俺の世界を思いだすなと思いつつ、ブラックに手を引かれて登って来る人を避けながら長い階段を下りて行くと――――なんだか、外よりも涼しくなってきた。
そういえば、青い光も増しているような気がする。
この階段の終わりがもう見えているが、どうやらどこかのフロアに降りるらしい。
すすけた茶色の通路が見えるが、その通路を照らすように、左側から凄まじい量の青い光が降り注いでいるのが見えた。片方は壁じゃなくて吹き抜けにでもなっているんだろうか。
そう思いながら、階段を下りて左側の方を見て――――俺は目を見開いた。
「へへ……凄いでしょ」
「あ、ああ……なんだこれ……!」
小さな欠片を詰めて作り上げたかのような石壁に、ずれもなく通路に等間隔に並ぶ柱。落ち着いた色で染まる通路の片方は吹き抜けになっていて、青い光に照らされた美しい装飾が透ける石の柵が見える。向こう側にも、こちらと同じような柵に凭れて吹き抜けを覗いている観光客らしき人達がちらほら見えた。
だけど、俺はそれに驚いたんじゃない。
ブラックと手を繋いだまま駆け寄って、柵の向こう側にある四角い吹き抜けの場所を見下ろし……その膨大な青の光の流れに、また息を飲んでしまった。
そう、この吹き抜けはただの吹き抜けじゃない。
最下層にはギオンバッハが跨ぐ大河の流れが在る。その存外速い流れから、飛沫が上がるように飛ぶ大量の不思議な青い光を、この吹き抜けが全て集めているのだ。
どういう理屈なのかも解らないが、ともかく川から浮き上がって来た膨大な青い光は、集められた事で強く発光する青い光の柱となって吹き抜けを貫いている。
その中から神様が現れたっておかしくない。それくらいの、圧倒的な光景だった。
……こんな光景、現実で見た事なんてない。
「光の柱……で、でも、眩しいのに透けてて向こう側が見えて……」
「一つ一つが発光してはいるけど、細かい粒には変わりないからね。薄い霧みたいになって向こう側もぼんやり見えるんだと思うよ」
「はわ……」
なるほど、シャワーカーテン的なものなのか。
青い光の動き自体はそれほど激しくないから、向こうが見えるんだな。
ブラックの言葉を理解はしたが、光の柱から目が離せない。上を見上げると天井があって、そこで光は噴水のように放射状に分かれてぶつかっていた。
もしかして、アレが広場から漏れて来てるのかな。
こんだけ青い光が湧いていれば、そりゃ漏れもするか。きっとここは広場の真下で、だから他の場所から青い光が漏れて来なかったんだな。
いやあしかし……なんか……ここまで来ると圧巻だ……。
ぽかんと口を開けてしばらく吹き抜けを眺めていたが、そんな俺の横で、クスクスと笑う音が聞こえた。
我に返って振り返ると、そこには青い光に照らされたブラックが居て。
「ホント、ツカサ君って期待を裏切らないよね」
そう言って、嬉しそうに笑っていた。
「う……」
俺の反応はとっくに見透かされていたって事か。
いやでも仕方ないだろ、こんな凄いモン見せられて驚かない奴がいるのか。
それに、ブラックがいいとこに案内してくれるって言うから、内心ちょっとだけ、本当にちょっとだけだが、ワクワクしてたりもしたし……仕方ないに決まってる。
でも予想通りって感じで微笑まれているのが悔しくて、ブラックに文句の一つでも言ってやろうかと思ったんだけど。
「…………」
その嬉しそうな顔と、青い光に照らされる姿を見ていると……なんだか、急に胸がドキドキしてきて、思うように怒ったような声が出なかった。
「ツカサ君が喜んでくれて、僕嬉しい……」
「あっ、ぅ……」
そんな、笑われたら。
本気で嬉しそうにされたら、何も言えなくなる。
青い光に照らされていても決して混ざり合いはしない、きらきらした赤くて捻くれている長い髪。菫色の綺麗な瞳は、青い光に照らされて不思議な色に揺れている。
ずっと見ていると、居た堪れなくて目を逸らしたくなる。そのくらいズルい顔なのに、そんな……そんなもっとズルくなるなんて、ムカつく。
だって、無精髭を生やしてて、だらしなく緩んだ顔で笑ってるのに、不覚にも格好良く見えて胸が苦しくなるんだ。そんなの、顔が良いからってだけなのに。
でも、そんな風にやっかんだような事を思おうと頑張っても……結局、ブラックに肩をくっつけられると、何も言えなくなってしまって。
そんな相手に「ズルい」なんて思う自分が、余計に恥ずかしかった。
だけど、ブラックはそんな俺の肩を抱いて更に引っ付いて来て。何故か振り払う事も出来なくて顔が熱くなる俺に、ブラックは自分の頭を寄せて来た。
そうして、俺の頭に自分の頭を軽く乗せる。
どういうつもりだと口を開こうとした俺より先に、ブラックがぽつりと呟いた。
「……僕ねえ、昔ここに来た事があるんだ」
そう言う声は、嬉しそうなのに……なんだか、沈んでいる。
視線だけでブラックの方を見たけど、俺の狭い視界では赤い髪とそこから少し出た高い鼻しか見えなかった。
「その時は、ひとりだったんだ。……仲間と一緒にここに来たんだけどね。でも……ずっと、一人で見てる事しか出来なかった。こんな風に誰かと肩を寄せるなんて、夢にも見なかったなぁ」
「ブラック…………」
どんな顔をしてるんだろう。
そう考えてしまうくらいの、低くて静かな声。
悲しい、なんて感情も感じられない穏やかな声だったけど、何故か俺はその声音が酷く嘆く感情を含んでいるような気がして。そう感じると心配になり、無精髭のちくちくした痛みも気にせず頭に乗っているブラックの顔を見ようと首をひねった。
けれど、相手の顔は見えない。
そんな俺にブラックは小さく息だけで笑って、頭を擦りつけるように動かした。
「……今はね、すっごく幸せ。ツカサ君と来られて、本当に良かった」
そう言って、顔を見せたブラック。
穏やかな声をしたその表情は――やっぱり、穏やかな笑みを浮かべていた。
でも、俺にはどうしてもその顔がブラックらしいとは思えなくて。
「……今、くっついてる、けど…………」
「うん。ツカサ君とくっついてるんだよね……ああ、こんなのも“ろまんちっく”って言うのかな? だって、夢みたいだもん」
おどけてすぐに明るい表情に変わるけど、俺は反対に胸が苦しくなってくる。
だって、なんか変な気がするんだ。いつものブラックじゃない感じがして。
その……うまく言えないけど、なんか違うんだよ。
確かにブラックは嬉しそうだし、幸せだと言ったけど……でも、きっと心のどこかでは、違う事を思っているんだと思う。
ブラックが言う「幸せ」を否定する気はないけど、でも何か違う気がするんだ。
こんな静かなブラックなんて、やっぱりいつものブラックじゃないよ。
うぬぼれてるわけじゃないけど、ずっと一緒にいる俺には判る。
こう言う風に大人しくなるブラックは、大抵が本心を押し隠している。そうやって俺に気を使い、ネガティブな事を言わないようにしているんだ。
いつもはバカスカ酷い事を言うくせに、自分の過去を話す段になると、ブラックは今までの自信満々さがウソみたいに気弱になるもんな。
……きっと、ここで何か悲しくなるような事が起こったんだろう。
幸せと思う事が本当でも、だからと言って悲しみが消えるわけじゃない。
今が幸せだろうが、結局悲しい記憶は消せないんだ。ただ「慣れる」だけで、その時の感情を思い出せば悲しくなるに決まっている。
つらい記憶ってのは、そういう物なんだ。
だからブラックは……きっと、必要以上に俺に引っ付いて来てるんだろう。
…………でも、そんなのいやだ。
夢だというのなら、夢じゃないと言ってやりたかった。
悲しい事を思い出して、つらくなって欲しくない。いつも幸せでいて欲しい。
俺が言えた義理じゃないかも知れないけど、でも、俺はブラックから大事な指輪を貰ったから。世界でたった一つの、宝物を貰えたから。
だから、アンタが悲しくて俺に何かを求めているなら、俺は……――――
「…………違う」
「え?」
「ロマンチックっていうのは……こういう綺麗な所で……」
――――向き合ったブラックの顔を見て、体が緊張に固まる。
自分がする事を考えると「似合わない」と恥ずかしくなったけど、それでもさっきの声を思うと胸の苦しさが募って、俺は大きく息を吸い込み一歩近づいた。
そうして、ブラックのマントを強く引っ張り体を曲げさせて。
「こ……こう、すんだよ」
ほんの一瞬。
己の恥ずかしさを押さえつけ、俺はブラックのちくちくした頬にキスをした。
「――――――っ……」
すぐに離れてブラックの顔を見ると、驚いたような表情が見える。
その思っても見ない顔に思わず息を飲んで身を縮めると、急に背後から強い力が襲ってきて、俺はブラックの胸にぶつかるように押し付けられてしまった。
――――ぶ、ブラックの手が、俺の背中を押したのか。
そう気付いたが、もう俺はブラックの腕の中に閉じ込められていて。
「あぁ…………ツカサ君……好き……好きだよ、ツカサ君……」
背骨が軋むくらいに抱き締められて、ベストとシャツ越しだというのに、熱い手にしっかりと縋りつく金属の感触が背中に届いた。
その痛いくらいの感触は、俺の胸で痕が付きそうなくらい二つの体に挟まれている熱くなった“片割れ”にまで伝わりそうで。
「…………お……俺が……いっしょに居るから……」
声が小さすぎて、自分でもイヤになる。
さっきはあんだけ声を張れてたのに、なんでこんな大事な時に限って声が出ないんだろう。そのうえ掠れちまってるし、本当に情けない。
でも、それでもブラックは……ずっと、俺を抱き締めてくれていた。
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