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交易都市ラクシズ、綺麗な花には棘がある編
31.悪魔の手
しおりを挟む――――ある小さな田舎の村。そこには、たった二人の姉妹がいました。
小さな村の小さな家に住むのは両親と、その長女である姉、そして四歳下の妹。
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当然、許される事ではありません。村一番美しい妹は、村人全てから愛されていなければならないのです。妹は、その高貴な自尊心が深く傷つき、村人の愛を奪う己の姉に初めて不満を持ちました。
だから、彼女が家を出るのだと知った時、素直に喜び祝福したのです。
こうして、妹は再び「村一番の美少女」という称号に誇りを持ちました。
しかしその数年後、彼女の自尊心は徐々に蝕まれていくことになります。原因は、やはり彼女の「劣る姉」でした。
姉は、華やかな街に出て、なんと一握りの女しか選ばれる事のない「高級娼姫」と言う名誉職に就いていました。決して妹のように美しいとは言えず、体も何もかもが妹に劣っていたあの姉が。そんな姉が、村に支援をしだしたのです。
もちろん、村人達は喜びました。そして、姉の事を「村一番の出世頭、素晴らしい娼姫」と褒め称えるようになったのです。
しかし妹は、彼女から送られてくる品物がまるで姉から「下賜された」かのように思えて、己を侮られたようで堪りませんでした。
あの「自分よりも美しくない姉」に負けているのだと思うと、殺意にも似た感情が湧き起こって来たのです。
そうして、村での評判が次第に姉に傾き始め、全盛期の「愛されていた自分」を上に見るような生活が何年も続き、下賜される「姉が使っていたもの」が増える度に、彼女の中の哀れな感情は積もり続け――――ついに、彼女の中のタガが外れてしまいました。
姉さえいなければ、自分が一番だったのに。
姉さえいなければ、自分が一番愛されていたのに。
あの姉さえ。あの女さえ、あの不細工な女さえいなければ……――――。
「こうして美しい乙女は邪気に満ちた悪魔となり、助け人の手を借りて悪辣な姉への復讐を行い……こうして立派な淑女として貴方がたの前に立つ事になったのです」
言いながら、黒いローブの男は軽くお辞儀をする。
だが、今他人事のように語られたおとぎ話のような過去の事を、フェリシアさんは無表情でぴくりとも動かず聞き流すだけで。
その異様な光景に眉根を寄せたが、ブラックは別の意味で顔を歪めていた。
「回りくどい話をしやがって……。幼い頃からチヤホヤされて増長した馬鹿な女が、姉の出世で逆恨みしたってだけの話だろうが。何が言いたいんだ」
おとぎ話のようなものだったはずの話が、要点を抑えられて生々しい話になる。
ブラックが吐き捨てたくなるのも分かるような事実だが、しかしそう言われると、俺は何という感情でフェリシアさんに接したらいいのか解らなくなってしまった。
「あの女さえいなければ」と言ったが、その後……どうしたのだろうか。
姉であるジュリアさんの事を恨んでしまったフェリシアさんが、あの黒いローブの男の力を借りて、ジュリアさんに何をしたのか。
考えたくなくて冷や汗が出てくる。けれど、そんな事で話は終わらなかった。
「ふふ……まあ言ってしまえばそういう事ですが、最高じゃあないですか。これほど美しい乙女が、自分より劣っているはずの存在に嫉妬し殺意を抱くなんて。……何もかもが幸福であるような存在が闇を持っている……その闇が、途轍もなく美しい」
「だから唆して自分の術の実験台にした、と?」
「ええ。私は美しい物が好きでしてね……特に、捻じれた美しい物が素晴らしい! まったくの幸せな乙女が実際は闇を抱え、殺意を抱くほど他人を憎んでいる……! 完璧なはずの存在の闇……あぁ……これほどの愛らしい存在もない! だから私は、その美しい物をもっと美しくして差し上げたのです……この乙女は、私の予想以上に哀れで素晴らしい芸術品になってくれましたよ……」
うっとりした口調で言いながら、男はやけにすらりとした白い手でフェリシアさんの顔を顎から頬までゆっくりと撫で上げる。
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明らかに嫌悪している声音のブラックだが、黒いローブの男はニタリと笑い、何を思ったのかクスクスと笑い出す。
「おやおや? 誰にでもある感情だと思いますがねぇ。特に【紫月】の貴方には……私の気持ちを分かって貰えるはず……」
「なにを……」
と、ブラックが反論しようとしたと同時。
黒いローブの男は、訳知り顔をしたような笑みを口に浮かべて、強く呟いた。
「綺麗な物などこの世には無い」
「っ……」
ブラックの動きが止まる。
まるで魔法の呪文で射竦められたように固まったブラックに、俺は目を見張った。
どうしたんだ。なんだかブラックの様子がおかしい。目を丸くして、震えてる気がする。まるで、何か恐ろしい物でも見て硬直した時みたいに……。
どうすればいいのかと無意識にブラックに手を伸ばすが、しかし俺の動きよりも先に相手が言葉を畳みかける。まるで、攻撃でもするかのように。
「貴方も解るでしょう? 醜い物の当たり前な憎悪よりも、美しい物の内側に流れる"醜悪極まった欲望や感情”の方が如何に衝撃的で素晴らしいか……。そしてそれは挫折や服従を知らぬものほど深く、甘美で愛らしい……。それが私の空虚な心を満たし、この世には綺麗な物など何もないことを、この子達は愛しさをもって教えてくれるのですよ。その美しい姿で……ね」
「……バカなことを……」
「馬鹿なこと、ですかねえ。【執着】の悪徳を有する【紫月のグリモア】にとって、人の心の闇は充分すぎるほどに納得のいく事実だと思うのですが。貴方は未だ、その素晴らしい悟りに辿り着けていないのですか? ああ、それとも……」
そう言いながら、黒いローブの男は歩み出る。
なんだか、ブラックの様子が変だ。おかしい。
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いや……クロウすら、ブラックがおかしいと感じているんだ。
…………ヤバい。
このまま、あの黒いローブの男の話を聞かせてはいけない気がする。
だけど、そう思って再びブラックを見上げた俺を留めるように、男は――呟いた。
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刹那――――俺のすぐ横で、炎そのもののような赤い光が噴きあがった。
「黙れ……ッ、もうそれ以上喋るなァア!!」
轟音が耳を劈く。
息を呑んだ瞬間、ブラックの目の前に炎の線が走り、形容しがたい魔法陣のような紋様が浮かんで放射状の炎が弾丸のように飛び出した。
「――――ッ!!」
強い風圧を感じるほどに大気を歪めた炎の群れが、地下水路の全てを照らす。
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「おっと」
だが、それらはまるで踊るように水の上を移動する相手に全て回避され、水の中へ全てが叩きこまれる。凄まじい熱と蒸発した水の霧で全てが見えなくなるが、相手の姿は揺らぎもせずに薄らと向こう側に浮かんでいた。
「あの数を……全て避けただと……」
クロウの驚く声に、俺は拳を握る。
どう考えてもこの状況はおかしい。ブラックが激昂したのもそうだけど、さっきの恐れすら覚える凄まじい攻撃を軽く避けるだなんて、ただの術者とは到底思えない。
ブラックは限定解除級、言ってみれば最上位の技術を有する術者だ。いくら怒っていたとしても、こうも狙いを外す事はありえないことなのだ。
だとすれば、これが【菫望】の力の一端だとでも言うのか。
それとも、あの男自身が……それほどまでに強いとでも言うのか。
「クソッ……!」
声を吐き捨てるブラックに、霧の向こうの相手はクスクスと笑う。
攻撃されたと言うのに、逃げようとする素振りなど微塵もなかった。
「ははは、素晴らしい! 月の曜術師は、元来他人を攻撃する術の威力が弱いが……貴方ほどの存在ともなれば、無詠唱でこれほどまでの力が出せるのですねえ!」
「う、るさい……煩い、もう喋るな、喋るな……ッ!!」
あの男の言葉に、再びブラックの周囲に何かが渦巻き始める。
だが、その光は色を持つものではなく……闇すらも浸食する、光を喰らう暗闇そのもののような「なにか」だった。
「――――ッ!!」
これは、違う。
術じゃない、見た事があるもののような気がする。見た事があって、とても「よくないもの」だったような気がする。
そう感じて、俺はゾワリと嫌な予感に総毛だった。
――――とにかく、ヤバい。これを、ブラックに纏わせてはいけない。
この光ではない何かを見たと同時に強くそう思い、俺は記憶の中から正体を探る暇もなく、隣で硬直しているブラックに叫んだ。
「ブラック!!」
駄目だ。これ以上ブラックにアイツと会話させてはいけない。
理由も無くそう思って、俺はなりふり構わずブラックの体に抱き着いた。
「あ……ぁっ…………つ……ツカサ、くん……」
力任せにブラックの体を抱き締めたお蔭か、ブラックが呆けた顔をして俺を見る。
その目は、さっきまでの言い知れぬ怖さを秘めた目ではない。良かった、なんとか冷静さを取り戻してくれたみたいだ。ほ、ホントに良かった……。
「ブラック……」
手を握り、強く示す。
……なにがなんだか分からないけど、アンタが気に病む事なんてなにもない。
アンタは、あの男が言うような奴じゃないじゃないか――――と。
だから、怯えないでほしい。怒らないでほしい。
そう思いながら見上げると、ブラックは一瞬泣きそうに顔を歪めたが……俺を見て嬉しそうに笑い、手を握り返してくれた。
「ツカサ君……」
「俺達がすべきことは、違うだろ。……な?」
「……うん」
ブラックの周囲に渦巻いていた黒いなにかが、重苦しい音を立てて治まって行く。
一体何だったのかは俺には分からないけど……でも、ブラックが無事で良かった。ともかく今は、なんとかしてウィリット達を助けないと。
「おやつまらない。……やっぱり、その生贄は邪魔ですねえ」
やっとブラックが落ち着いたところで、また嫌な声がする。
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「私は何もしていませんがねえ」
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「え……」
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「まあ、いいでしょう。……変貌もまだ完全なものでないことが分かったし、貴方達に関わっている時間も惜しい。後始末は……本人にお願いしましょうかね」
そう男が呟いたと、同時。
霧の壁が不意に裂け、鮮やかな色の何かが凄い速さで近付いて来て――――
「――――ッ!?」
「ツカサ君!」
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刃物を持ったフェリシアさんが、すぐそこまで迫っていた。
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