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交易都市ラクシズ、綺麗な花には棘がある編
18.貴方がそれを望むのならば
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※最後別視点
もう何度目かの振り返りだが、ウィリットの屋敷に働きに出て三日経った。
――まだたったの三日か、と言われそうだが、二日目にもなれば別荘の主人たるウィリットに対する心構えも違ってくるもので、三日目経てば不思議と距離も近くなっていくモンで。俺はと言うと、すっかり馴染んでしまっていた。
まあ特別な事は無いんだけど、なんというかこう、気安くなったと言うか。
あの人無口だけど毎回完食してくれるから作り甲斐があるというか……。
ともかく、三日目を終えた今日の俺は途轍もない充実感に浸っていた。
「ふ、ふふふ……銀貨が一枚……銀貨が二枚……おおっと、こんな所に娼館のお客様に頂いたありがた~い金貨が一枚あーるじゃありませんか~っ! わはっ、わはっ、わはははは」
「ふええ……ツカサ君が気持ち悪いよぉ……萎えちゃうよぉ……」
「百年の恋が冷めるぞツカサ」
だあっ、じゃかしいっ。俺の夜の金勘定を邪魔するんじゃありません!!
つーかお前らにソレ言われたくないんですけど!
まったくもう、ホント毎回毎回人の神経を逆撫でするおっさんどもだ。
しかし今の俺はここ数日で目に見える充実感を得てしまっているので、いくら二人に気持ち悪がられようが少しも堪えないのだフハハハハ。
見よ、この小袋一杯の銀貨を。高級娼館の優しい金持ちのおじちゃん達に加えて、案外金払いの良いウィリットの日雇い賃金でもうパンパンなのだ。おちんぎんで袋がパンパン。良い言葉だ。
事件が起きているとはいえ、思わぬ収入で今後の路銀の心配が無くなったのは素直に嬉しい。これも俺の日頃の心がけが良いからだな!
違うかもだけど笑いが止まらんわ、ふふふ……。
……とは言え、そう笑っても居られないか。
急に素に戻ってしまったが、いつまでもお金を出しているのは行儀が悪い。
ササッと元に戻しつつ、俺は日課になっている報告会の口火を切った。
「んで、今日はお前らの方はどうだったんだ?」
問いかける俺に、嫌そうな顔をしていたブラックとクロウは少し表情を戻す。
「んー……ラクシズで行方不明になったって言う娼姫達の名前を、女将が書き出して一覧にしてくれたから、それぞれの娼館に確かめに行ったんだけど」
「八割方、あの下水道の部屋に放置されていた女達と一致した」
「え……じゃあ、結局行方不明事件は連続殺人事件だったってこと……?」
なんか嫌な方向に舵が向いて来たなと銀貨を戻す手を止めると、少し離れた場所に居たブラックが椅子をゴトゴトと動かして俺のすぐ横に近付いてきた。
「少なくとも警備隊はそう思ってるみたいだねえ。この館にも事情聴取に来たし」
「ヘレナさんの……?」
「そうそう。どうやら黒いローブの男に目星を付けてるみたい。まあ、それだけじゃ犯人なんて分かりっこないだろうけど」
確かに……ヘレナさんの証言だけじゃ、誘拐未遂犯が「男」である事が判っても「ドコの誰か」ってまでは辿れないだろうしな……。
でも「娼姫連続殺人事件」になった行方不明事件のことを思うと、ヘレナさんを襲った黒いローブの男も関係が無いとは思えなくなってくる。
だってその男、妙な事を言ってたんだから。
しかし……。
「やっぱり、ツカサ君も犯人かどうかは怪しいって思う?」
俺の考えを読んだのように言うブラックに、素直に頷く。
すると俺が拒否する前に脇を掬われてオッサンの膝の上に乗せられてしまったが、最近仕事ばっかりで朝か夜ぐらいしか構ってやれていなかったので、仕方なく不問にするとして……俺は言葉を続けた。
「ヘレナさんの話だと、その男は『返せ』としきりに言ってたみたいだし……それに『正体を現せ』とか『埒が明かない』とかいって誘拐しようとしてたから、頭が変になった男が殺してるんじゃないかって気持ちになるのも無理はないと思うんだけど……それも人違いして激昂してただけって可能性がないってワケじゃないし……」
「そうだね、それに何より……」
「蛮人街の男どもが躍起になって犯人を探しているのに、未だに見つけられないのだから…………相手は普通の人族ではないだろうしな」
クロウの冷静な言葉に振り向くと、相手はもふっといてて可愛い熊耳を、片方だけぴるっと動かし不満げに唇を歪めた。
蛮人街の人達が躍起になって犯人探しをしているって……どういうこと。
女将さんが号令を掛けた、とかなのかな。
「その人達も雇われてるのか?」
「いや、情報交換はしてるみたいだけど、どうやら独自に動いてるようだね。各々に贔屓だった娼姫がいて、そいつらの行方が判明したから怒り狂ってるんだろう。それに……どうやら、僕達が関わってる二人の娼姫にも【厄介な】お得意様が居たみたいだし……」
そっか、蛮人街は気安い娼姫が居るだけじゃなくて、後ろ暗い人や犯罪者の巣窟でもあるんだっけ。そんな場所なら癒しを求めに荒くれ者が来たっておかしくない。
彼らだって、憂さを晴らしに館に来てるんだ。
その事を考えたら、馴染のお姉さんが酷い事をされて黙っているはずがない。
俺でも絶対に犯人を捜し出してやるって思うもの。荒んだこの街の住人なら、尚更憎しみと怒りで滾っているに違いない。……って、本当に凄いな娼姫って……。
最初女将さんに「イヤな客なら拒んで良い」と言われて「娼姫はそれなりに人権が認められている職業なんだな」と思ったけど、それは娼姫の人達が男を慰め癒す力を持っている「格のある存在」だからこそ適応される事だったんだな。
男の俺が娼姫って……と思っていたけど、今考えるとラッキーだったんだろうか。
まあ……俺が当初想像していた「鉱山送りの肉体労働奴隷」だったら、まず間違いなく三日で体が壊れて死んでいただろうしな……俺……。
女将さんに娼姫になれると見出して貰えて良かったと思っておこう。うん。
しかし労働奴隷ってのはつくづく虐げられる存在なんだな……なんて、関係のない所まで思考が飛んで行ってしまったが、慌てて戻して俺はブラックに振り返った。
「ともかく……みんな娼姫のお姉さま達のために動いてくれてるんだな」
「だけど、それでも犯人の素顔は分からない」
ブラックが静かにそう言うのに、俺は思わず息を呑む。
どこか鋭さのある真剣な菫色の瞳が光に閃いていて、いつもとは違う表情の相手に体が緊張した。だけど、ブラックは俺を固い膝の上から降ろさず深く抱き込む。
「どうもきな臭くなってきたね。……普通、これだけの人数が動いているなら、少しくらいは怪しい情報が出てくるモンなんだ。それが今回は一個も見当たらない。それどころか、件のウィリットという貴族なんてウの字も出てこないんだ」
そのブラックの低い声に、クロウが続く。
クロウも、先程の緩んだ雰囲気を散らし橙色の瞳で空を睨んでいた。
「警備兵と蛮人街の奴らが動いた時点で、真偽問わず情報は溢れている。だが、その中に事件が繋がりそうな情報も、オレ達が調べている三つの事件に関わっているものも無かった」
「ジュリアさんの情報も……?」
問いかけるが、クロウの首は縦にしか動かなかった。
と言う事は……ジュリアさんの事件は、連続殺人事件と関係ないってことなのか?
そして、ヘレナさんの事件は連続殺人事件に関係するかもしれない……と。
でも、その二つの事件が関係するにしないにしろ、やっぱり証拠はないワケで。
「ハァ……今回ばかりは、どこをどう探したらいいのかお手上げだよ。僕達が知っている事と言ったら、この熊公が嗅いだ香のニオイだけだしね……」
「ムゥ、面目ない」
そういってショボンと熊耳を伏せるクロウに、俺は「そんな事は無い」と身を乗り出――そうとして無理だったので、手を伸ばして否定の形で振った。
「いやいや、クロウがニオイを嗅いでも男臭さも汗の臭いもしなかったってことは、それだけ相手が慎重で痕跡を残さない奴だったって事だろ? だったら仕方ないよ。あ、もしかしたら、男だけど娼姫のお香を使ってる奴だったのかも知れないし」
昔の時代が舞台になってる推理物のドラマなら、結構そう言う展開があるよな。
俺は香水の事はよく分からないけど、男物の香水をわざと使って偽装したり、反対に女性が持っている道具をわざと落としたりして、探偵を攪乱するんだ。
まあ結局看破されちまうワケだけど、でも一時の目眩ましにはなる。
男物の靴やハイヒールで靴跡を誤魔化すのだってトリックの定番中の定番だ。
……となると、今回の件だって相当几帳面な相手がそうやってる事も有るワケで。
などと思っての俺の言葉だったのだが……何故か、ブラックとクロウは目を丸くして驚愕したように俺を凝視していた。
「そ……そうか……それだ!」
「え?」
「娼姫の香なんてめったやたらに男が買うもんじゃない、そこまで香りを纏っているのなら、ただの客なんて身分でもないはずだ!」
「下水道でも同じようなニオイがしていたぞ! そうか……ニオイのニセモノは盲点だった……!」
なんか悔しそうだけど、あの、なんか俺が思った事と別の事言ってません?
俺この世界に疎いから分からないんだけど、説明してくれませんか。
くいくいとブラックのシャツの袖をひっぱると、相手は嬉しそうに口元を緩めて、俺に「んん~っ、ツカサく~ん」と甘えた声を出し擦り寄って来た。
わあっ、ばかっ夜のお前のヒゲ二倍痛いんだよやめろっ! ぎゃああああ!
「えへへぇ……つまりね、人としての臭いを隠すほどに香の匂いを纏ってるんなら、娼館に出入りしてるだけの客じゃないって事さ。となれば、少なくともこの娼館の女を拐かそうとした相手は、娼館に関係する者か『男なのに女物の香水を買う珍しい客』と言う事になる」
「えーと……ってことは……クロウに娼館を調べれて貰えば、少なくともヘレナさんを襲った犯人は分かるってこと?」
「まあそうなるな。だが、もう一つ確実な手があるぞ」
クロウが指を立てるのに釣られて見やると、相手は珍しくニヤリと笑った。
「ツカサ、ウィリットの館から何か相手の私物を借りて来い」
「えっ……あ、でもそうか……常に身に着けている物が一つでもあれば、クロウならその残り香だけで『あの時の匂い』と同じ物かどうか分かるのか」
もしウィリットが何かの事件に関わっているんだとすれば、同じ匂いがするはず。
そうなったら、彼が無関係ではないと言う事だ。
逆に言えばコレでウィリットの無実が証明される。
「……ツカサ君、大丈夫……? 僕が隠れて付いて行こうか……?」
どうやってついて来るんだろうと一瞬考えてしまったが、そう言えばブラックは【月の曜術師】だから、姿を隠す術が使えるんだっけ。
あ、いや……でも俺、あのメイド姿をブラックに見せるのはちょっと……しかし、万が一の時に俺だけだとサクッと殺されちゃうかもしれないし……。
うーん……うぅーん゛……う゛ぅ゛う゛う゛……。
「ツカサ君?」
いやでも、心配させるのが一番ダメだよな。
ブラックもクロウも現状俺に凄く気を使ってくれてるってのに、これで俺がポカをして二人に罪悪感を与えるような事なんて絶対にしたくない。
仮に俺が失敗したのが悪かったとしても、ブラックもクロウも俺以上に強くて自分のその強さに自信を持っているから、二人は「あの時自分が付いていれば」って気に病んじまうんだ。表面上はそんなの見せないだろうけど、俺は良く知ってる。
弱い俺より、強い大人の二人の方がもっとずっと責任を感じてしまうんだ。
……だったら……俺がこう言う事で失敗するのは絶対に避けなきゃだよな。
俺が潜入捜査してるのだって、二人が信頼して許してくれてるお蔭なんだし。
少しでも不安があるんなら頼る方が良い。
それだって、立派な男として必要な事だろうしな。
「……わかった。ブラック、明日一緒に来て。俺がヘマしないようにフォロー……」
「それツカサ君の世界の言葉?」
「う、うん。えっと……手助けってか、その、ヨロシク」
そう言うと、ブラックは嬉しそうに笑って俺の額にキスをしてきた。
「へへ、僕がしっかり“ふぉろー”してあげるからね。ツカサ君っ!」
大人のくせに、子供みたいに人懐っこく笑う無精髭だらけの顔。
そんな気の抜けた表情をされると、不安も馬鹿らしくなって霧散してしまう。
だけど……ブラックが嬉しいんなら良いかと言う気恥ずかしい思いも湧いて来て。
「…………仕事中に絡んで来るのは勘弁してくれよ」
自分の考えている事のせいでブラックの顔を直視できなくなってしまい、俺は顔を背けながら可愛げも無くそう言ってしまった。
一つの燭台に灯る、頼りない蝋燭の明かりだけが照らす部屋。
まるで生き物のように揺れる光に影がつられ、棚や床に蠢く。だが、そんな些細な動きなど部屋の中の「存在」には全く関係が無かった。
「…………醜い。醜いな」
たった一言吐き出される言葉は、若々しくも刺々しい。
軽蔑したような冷静で低い声だったが、それは別の音に掻き消された。
――――かろうじて言葉と判る、濁声と絶叫が混じった呪いの言葉。
最早筆舌に尽くしがたいほどのけたたましい叫び声を上げる存在は、暗がりの中でありとあらゆるものにぶつかり、壊し、それでも止まらず声を上げ続けていた。
とても聞くに堪えない、汚く悍ましい声で。
「それほど憎いのか? その顔が。……お前は“それ”を望んだくせに、もう飽きたとでも言うのか? お前は本当に醜く卑しいな」
煩い、と、怨霊のような声が若々しい声に向かって浴びせかけられる。
だが冷静で若々しい声は一度も乱れること無く言葉を続けた。
「まだ望むか。望もうと言うのか。……ふふ、ふふふ……良いぞ……」
若々しい声は、ぼやけた光の元へ歩み出る。
黒いローブをまとった「若々しい声」は、そうやって暗がりの存在に声を放った。
「僕に“退屈”はさせないでくれよ……? ジュリア……――――」
怒声の混じる恐ろしい叫び声と、静かに部屋に消え入る声。
果たしてそのどちらが恐ろしい“もの”なのだろうか。
……その問いには、誰も答えようが無かった。
→
もう何度目かの振り返りだが、ウィリットの屋敷に働きに出て三日経った。
――まだたったの三日か、と言われそうだが、二日目にもなれば別荘の主人たるウィリットに対する心構えも違ってくるもので、三日目経てば不思議と距離も近くなっていくモンで。俺はと言うと、すっかり馴染んでしまっていた。
まあ特別な事は無いんだけど、なんというかこう、気安くなったと言うか。
あの人無口だけど毎回完食してくれるから作り甲斐があるというか……。
ともかく、三日目を終えた今日の俺は途轍もない充実感に浸っていた。
「ふ、ふふふ……銀貨が一枚……銀貨が二枚……おおっと、こんな所に娼館のお客様に頂いたありがた~い金貨が一枚あーるじゃありませんか~っ! わはっ、わはっ、わはははは」
「ふええ……ツカサ君が気持ち悪いよぉ……萎えちゃうよぉ……」
「百年の恋が冷めるぞツカサ」
だあっ、じゃかしいっ。俺の夜の金勘定を邪魔するんじゃありません!!
つーかお前らにソレ言われたくないんですけど!
まったくもう、ホント毎回毎回人の神経を逆撫でするおっさんどもだ。
しかし今の俺はここ数日で目に見える充実感を得てしまっているので、いくら二人に気持ち悪がられようが少しも堪えないのだフハハハハ。
見よ、この小袋一杯の銀貨を。高級娼館の優しい金持ちのおじちゃん達に加えて、案外金払いの良いウィリットの日雇い賃金でもうパンパンなのだ。おちんぎんで袋がパンパン。良い言葉だ。
事件が起きているとはいえ、思わぬ収入で今後の路銀の心配が無くなったのは素直に嬉しい。これも俺の日頃の心がけが良いからだな!
違うかもだけど笑いが止まらんわ、ふふふ……。
……とは言え、そう笑っても居られないか。
急に素に戻ってしまったが、いつまでもお金を出しているのは行儀が悪い。
ササッと元に戻しつつ、俺は日課になっている報告会の口火を切った。
「んで、今日はお前らの方はどうだったんだ?」
問いかける俺に、嫌そうな顔をしていたブラックとクロウは少し表情を戻す。
「んー……ラクシズで行方不明になったって言う娼姫達の名前を、女将が書き出して一覧にしてくれたから、それぞれの娼館に確かめに行ったんだけど」
「八割方、あの下水道の部屋に放置されていた女達と一致した」
「え……じゃあ、結局行方不明事件は連続殺人事件だったってこと……?」
なんか嫌な方向に舵が向いて来たなと銀貨を戻す手を止めると、少し離れた場所に居たブラックが椅子をゴトゴトと動かして俺のすぐ横に近付いてきた。
「少なくとも警備隊はそう思ってるみたいだねえ。この館にも事情聴取に来たし」
「ヘレナさんの……?」
「そうそう。どうやら黒いローブの男に目星を付けてるみたい。まあ、それだけじゃ犯人なんて分かりっこないだろうけど」
確かに……ヘレナさんの証言だけじゃ、誘拐未遂犯が「男」である事が判っても「ドコの誰か」ってまでは辿れないだろうしな……。
でも「娼姫連続殺人事件」になった行方不明事件のことを思うと、ヘレナさんを襲った黒いローブの男も関係が無いとは思えなくなってくる。
だってその男、妙な事を言ってたんだから。
しかし……。
「やっぱり、ツカサ君も犯人かどうかは怪しいって思う?」
俺の考えを読んだのように言うブラックに、素直に頷く。
すると俺が拒否する前に脇を掬われてオッサンの膝の上に乗せられてしまったが、最近仕事ばっかりで朝か夜ぐらいしか構ってやれていなかったので、仕方なく不問にするとして……俺は言葉を続けた。
「ヘレナさんの話だと、その男は『返せ』としきりに言ってたみたいだし……それに『正体を現せ』とか『埒が明かない』とかいって誘拐しようとしてたから、頭が変になった男が殺してるんじゃないかって気持ちになるのも無理はないと思うんだけど……それも人違いして激昂してただけって可能性がないってワケじゃないし……」
「そうだね、それに何より……」
「蛮人街の男どもが躍起になって犯人を探しているのに、未だに見つけられないのだから…………相手は普通の人族ではないだろうしな」
クロウの冷静な言葉に振り向くと、相手はもふっといてて可愛い熊耳を、片方だけぴるっと動かし不満げに唇を歪めた。
蛮人街の人達が躍起になって犯人探しをしているって……どういうこと。
女将さんが号令を掛けた、とかなのかな。
「その人達も雇われてるのか?」
「いや、情報交換はしてるみたいだけど、どうやら独自に動いてるようだね。各々に贔屓だった娼姫がいて、そいつらの行方が判明したから怒り狂ってるんだろう。それに……どうやら、僕達が関わってる二人の娼姫にも【厄介な】お得意様が居たみたいだし……」
そっか、蛮人街は気安い娼姫が居るだけじゃなくて、後ろ暗い人や犯罪者の巣窟でもあるんだっけ。そんな場所なら癒しを求めに荒くれ者が来たっておかしくない。
彼らだって、憂さを晴らしに館に来てるんだ。
その事を考えたら、馴染のお姉さんが酷い事をされて黙っているはずがない。
俺でも絶対に犯人を捜し出してやるって思うもの。荒んだこの街の住人なら、尚更憎しみと怒りで滾っているに違いない。……って、本当に凄いな娼姫って……。
最初女将さんに「イヤな客なら拒んで良い」と言われて「娼姫はそれなりに人権が認められている職業なんだな」と思ったけど、それは娼姫の人達が男を慰め癒す力を持っている「格のある存在」だからこそ適応される事だったんだな。
男の俺が娼姫って……と思っていたけど、今考えるとラッキーだったんだろうか。
まあ……俺が当初想像していた「鉱山送りの肉体労働奴隷」だったら、まず間違いなく三日で体が壊れて死んでいただろうしな……俺……。
女将さんに娼姫になれると見出して貰えて良かったと思っておこう。うん。
しかし労働奴隷ってのはつくづく虐げられる存在なんだな……なんて、関係のない所まで思考が飛んで行ってしまったが、慌てて戻して俺はブラックに振り返った。
「ともかく……みんな娼姫のお姉さま達のために動いてくれてるんだな」
「だけど、それでも犯人の素顔は分からない」
ブラックが静かにそう言うのに、俺は思わず息を呑む。
どこか鋭さのある真剣な菫色の瞳が光に閃いていて、いつもとは違う表情の相手に体が緊張した。だけど、ブラックは俺を固い膝の上から降ろさず深く抱き込む。
「どうもきな臭くなってきたね。……普通、これだけの人数が動いているなら、少しくらいは怪しい情報が出てくるモンなんだ。それが今回は一個も見当たらない。それどころか、件のウィリットという貴族なんてウの字も出てこないんだ」
そのブラックの低い声に、クロウが続く。
クロウも、先程の緩んだ雰囲気を散らし橙色の瞳で空を睨んでいた。
「警備兵と蛮人街の奴らが動いた時点で、真偽問わず情報は溢れている。だが、その中に事件が繋がりそうな情報も、オレ達が調べている三つの事件に関わっているものも無かった」
「ジュリアさんの情報も……?」
問いかけるが、クロウの首は縦にしか動かなかった。
と言う事は……ジュリアさんの事件は、連続殺人事件と関係ないってことなのか?
そして、ヘレナさんの事件は連続殺人事件に関係するかもしれない……と。
でも、その二つの事件が関係するにしないにしろ、やっぱり証拠はないワケで。
「ハァ……今回ばかりは、どこをどう探したらいいのかお手上げだよ。僕達が知っている事と言ったら、この熊公が嗅いだ香のニオイだけだしね……」
「ムゥ、面目ない」
そういってショボンと熊耳を伏せるクロウに、俺は「そんな事は無い」と身を乗り出――そうとして無理だったので、手を伸ばして否定の形で振った。
「いやいや、クロウがニオイを嗅いでも男臭さも汗の臭いもしなかったってことは、それだけ相手が慎重で痕跡を残さない奴だったって事だろ? だったら仕方ないよ。あ、もしかしたら、男だけど娼姫のお香を使ってる奴だったのかも知れないし」
昔の時代が舞台になってる推理物のドラマなら、結構そう言う展開があるよな。
俺は香水の事はよく分からないけど、男物の香水をわざと使って偽装したり、反対に女性が持っている道具をわざと落としたりして、探偵を攪乱するんだ。
まあ結局看破されちまうワケだけど、でも一時の目眩ましにはなる。
男物の靴やハイヒールで靴跡を誤魔化すのだってトリックの定番中の定番だ。
……となると、今回の件だって相当几帳面な相手がそうやってる事も有るワケで。
などと思っての俺の言葉だったのだが……何故か、ブラックとクロウは目を丸くして驚愕したように俺を凝視していた。
「そ……そうか……それだ!」
「え?」
「娼姫の香なんてめったやたらに男が買うもんじゃない、そこまで香りを纏っているのなら、ただの客なんて身分でもないはずだ!」
「下水道でも同じようなニオイがしていたぞ! そうか……ニオイのニセモノは盲点だった……!」
なんか悔しそうだけど、あの、なんか俺が思った事と別の事言ってません?
俺この世界に疎いから分からないんだけど、説明してくれませんか。
くいくいとブラックのシャツの袖をひっぱると、相手は嬉しそうに口元を緩めて、俺に「んん~っ、ツカサく~ん」と甘えた声を出し擦り寄って来た。
わあっ、ばかっ夜のお前のヒゲ二倍痛いんだよやめろっ! ぎゃああああ!
「えへへぇ……つまりね、人としての臭いを隠すほどに香の匂いを纏ってるんなら、娼館に出入りしてるだけの客じゃないって事さ。となれば、少なくともこの娼館の女を拐かそうとした相手は、娼館に関係する者か『男なのに女物の香水を買う珍しい客』と言う事になる」
「えーと……ってことは……クロウに娼館を調べれて貰えば、少なくともヘレナさんを襲った犯人は分かるってこと?」
「まあそうなるな。だが、もう一つ確実な手があるぞ」
クロウが指を立てるのに釣られて見やると、相手は珍しくニヤリと笑った。
「ツカサ、ウィリットの館から何か相手の私物を借りて来い」
「えっ……あ、でもそうか……常に身に着けている物が一つでもあれば、クロウならその残り香だけで『あの時の匂い』と同じ物かどうか分かるのか」
もしウィリットが何かの事件に関わっているんだとすれば、同じ匂いがするはず。
そうなったら、彼が無関係ではないと言う事だ。
逆に言えばコレでウィリットの無実が証明される。
「……ツカサ君、大丈夫……? 僕が隠れて付いて行こうか……?」
どうやってついて来るんだろうと一瞬考えてしまったが、そう言えばブラックは【月の曜術師】だから、姿を隠す術が使えるんだっけ。
あ、いや……でも俺、あのメイド姿をブラックに見せるのはちょっと……しかし、万が一の時に俺だけだとサクッと殺されちゃうかもしれないし……。
うーん……うぅーん゛……う゛ぅ゛う゛う゛……。
「ツカサ君?」
いやでも、心配させるのが一番ダメだよな。
ブラックもクロウも現状俺に凄く気を使ってくれてるってのに、これで俺がポカをして二人に罪悪感を与えるような事なんて絶対にしたくない。
仮に俺が失敗したのが悪かったとしても、ブラックもクロウも俺以上に強くて自分のその強さに自信を持っているから、二人は「あの時自分が付いていれば」って気に病んじまうんだ。表面上はそんなの見せないだろうけど、俺は良く知ってる。
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……だったら……俺がこう言う事で失敗するのは絶対に避けなきゃだよな。
俺が潜入捜査してるのだって、二人が信頼して許してくれてるお蔭なんだし。
少しでも不安があるんなら頼る方が良い。
それだって、立派な男として必要な事だろうしな。
「……わかった。ブラック、明日一緒に来て。俺がヘマしないようにフォロー……」
「それツカサ君の世界の言葉?」
「う、うん。えっと……手助けってか、その、ヨロシク」
そう言うと、ブラックは嬉しそうに笑って俺の額にキスをしてきた。
「へへ、僕がしっかり“ふぉろー”してあげるからね。ツカサ君っ!」
大人のくせに、子供みたいに人懐っこく笑う無精髭だらけの顔。
そんな気の抜けた表情をされると、不安も馬鹿らしくなって霧散してしまう。
だけど……ブラックが嬉しいんなら良いかと言う気恥ずかしい思いも湧いて来て。
「…………仕事中に絡んで来るのは勘弁してくれよ」
自分の考えている事のせいでブラックの顔を直視できなくなってしまい、俺は顔を背けながら可愛げも無くそう言ってしまった。
一つの燭台に灯る、頼りない蝋燭の明かりだけが照らす部屋。
まるで生き物のように揺れる光に影がつられ、棚や床に蠢く。だが、そんな些細な動きなど部屋の中の「存在」には全く関係が無かった。
「…………醜い。醜いな」
たった一言吐き出される言葉は、若々しくも刺々しい。
軽蔑したような冷静で低い声だったが、それは別の音に掻き消された。
――――かろうじて言葉と判る、濁声と絶叫が混じった呪いの言葉。
最早筆舌に尽くしがたいほどのけたたましい叫び声を上げる存在は、暗がりの中でありとあらゆるものにぶつかり、壊し、それでも止まらず声を上げ続けていた。
とても聞くに堪えない、汚く悍ましい声で。
「それほど憎いのか? その顔が。……お前は“それ”を望んだくせに、もう飽きたとでも言うのか? お前は本当に醜く卑しいな」
煩い、と、怨霊のような声が若々しい声に向かって浴びせかけられる。
だが冷静で若々しい声は一度も乱れること無く言葉を続けた。
「まだ望むか。望もうと言うのか。……ふふ、ふふふ……良いぞ……」
若々しい声は、ぼやけた光の元へ歩み出る。
黒いローブをまとった「若々しい声」は、そうやって暗がりの存在に声を放った。
「僕に“退屈”はさせないでくれよ……? ジュリア……――――」
怒声の混じる恐ろしい叫び声と、静かに部屋に消え入る声。
果たしてそのどちらが恐ろしい“もの”なのだろうか。
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