異世界日帰り漫遊記!

御結頂戴

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交易都市ラクシズ、綺麗な花には棘がある編

7.忍び寄る黒い影

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   ◆


「それで……一体どうしたんです? 女将おかみさんがこんなに取り乱すなんて……」

 まだ営業時間内で奥に引っ込む事も出来ず、応接室で俺は問いかける。
 だけど、女将さんはソファに座り、顔を両手でおおったままで、喋ってもくれない。たぶん、外に出たままの娼姫のお姉さんの事が心配でたまらないんだと思う。

 こんなに憔悴しょうすいし切った様子の女将さんなんて、初めて見た。
 行方不明事件の事も有るし、本当に心配なんだろうな……。
 誰かを呼びに行った方が良いだろうか。いや、水の一杯でも差し出して、とにかく今は落ち着いて貰う方が良いかも知れない。

 そう思い、俺は女将さんに背を向けてコッソリと【リオート・リング】から冷やしていた麦茶を取り出そうとした。と、背後で布ずれの音がする。

「はぁ……。みっともないところを見せちまったね……ごめんよ」
「あっ、いえ……でも、大丈夫ですか」

 振り返って女将さんに近付くと、やっぱり青い顔のままで女将さんはうなづく。
 全然大丈夫じゃないのに、それでも気丈で居ようとするのは女将さんらしいけど……でも、こういう時ぐらい弱音をいて欲しいもんだ。

 なんにしろこのままだと気が動転していて話も聞けないだろうと思い、俺は暖炉だんろに火をつけて、その場で麦茶を温め女将さんに渡した。
 女将さんは俺の手際てぎわに……というか、どっから麦茶とカップを出したんだとまばたきしていたが、暖かいお茶を飲んでようやく人心地着いたようだ。青い顔も、お茶の蒸気に火照ほてらされたのか、今は元通りになっている。

 ひとまず安心かな、と息を吐くと、女将さんは申し訳なさそうに俺を見た。

「すまないね……おかげで少し冷静になれたよ」
「いえ……。それで……その、娼姫のお姉さんは、どうして外に?」

 再び問いかけると、女将さんは話しだした。

「……一般街にね、なじみの娼姫の見舞いに行ったのさ。ウチの子はどこに出しても恥ずかしくない子ばっかりだからね。たまに出張させて一般街のイロツキ……ああ、アンタ、イロツキが何を指すか知ってたんだったかね」
「いえ……」
「いわゆる国公認の娼館の事さ。イロ……つまり、色の名前を付けてるのは国公認、そうでなければイロナシ……ウチみたいなモグリの娼館ってことさね。男どもはアリだのナシだの隠語のように使うわね」

 なるほど、そう言う事か。ブラックの口から聞いた時は隠語かなあとは思っていたんだけど、ハッキリしてちょっとスッキリだな。
 ……いや、そんな場合では無く。話の腰折ってすみません女将さん。

「イロツキって一般街の娼館もなんですね」
「曜術師と同じで等級があるのさ。高等区のは一級。一般街のはそれなりに軽いね。だがまあ、公認の看板背負ってるから当たり前に気位は高いさね。だけど、ウチの子と変わらない良い子達だよ。だから、ウチとも仲がいい娼館はあるのさ。……今日はウチの子と仲良くしてくれてる娘が寝込んだってんでね、その娘と特に懇意にしてたヘレナって子が見舞いに行ったんだ」
「だけど……いつまで経っても戻って来ない、と……」

 そう言うと、女将さんは片手でひたいを押さえて息をいた。
 沈痛そうな面持ちに心が痛んだが、俺には女将さんの傍にいる事ぐらいしか出来ない。男らしく「探しに行って来てやる!」なんて言えれば女将さんを安心させる事が出来るのかも知れないけど……俺じゃあ心配させるだけだもんな、トホホ…。

「……せっかく里帰りしに来てくれたってのに、妙な事に巻き込んじまってアンタにゃ合わす顔が無いよ。こんなにバタバタしてなきゃ、前みたいに宴会を開くつもりだったんだけどね」
「そんな、女将さんがそう言ってくれるだけで充分っすよ。それに……あ、そうだ、ゲイ……いやベイリーは? あいつもさがしてるんですか?」
「ああ、ベイリーはウチの子と結婚したから追い出したんだよ」
「えっ」

 ベイリーと言うのは、俺が初めて客を取る事になった時に、慣らすためだとケツに指を突っ込みやがったスキンヘッドの筋骨隆々な大男だ。
 いやまあ、アレは仕事だったしベイリー自体も悪い奴じゃ無かったからそれはもう良いんだが、しかし追い出したなんて女将さんらしくない。
 どうしたんだろうと目を丸くすると、女将さんはちょっとぶっきらぼうな感じで、ぷいっと俺から顔をらした。

「あの若ハゲ、もう子供が出来てるって言うもんだから『もっと真っ当で稼げる仕事に就いてこい』と追い出したんだよ。ウチの子を飢えさせるようなマネをしたらタダじゃおかないからね」
「女将さん……」
「な、なんだい。変な声だしてヤな子だね」

 ちょっと照れてるのが分かるのが、なんか可愛い。
 って言うか、それって追い出したとかじゃなくて「真っ当な職を紹介してやった」と言うべきなんじゃないのかな。だって、ベイリーには何一つ悪い事が無いんだし。
 ふふ……。ほんと、出会った頃から女将さんは変わらないなあ。
 意地悪そうな顔をしてるけど、本当は誰にでもすっごく優しいんだよね。

 だけど良い事をやると照れてしまう女将さんに、何だか笑みがおさえきれなくて、くすくすと笑ってしまう。そんな俺に少しだけ緊張がほぐれたのか、やっと女将さんも照れ臭そうな顔でゆるく笑ってくれた。

「まったく……本当にアンタって子は変わらないねえ」
「へへ……。まあ、とにかく……ブラックとクロウなら、きっとそのヘレナさんって人を見つけ出してくれますよ。だから、俺達は待ちましょう」

 そう言うと、女将さんはうなづいてくれた。
 ……どうやらもう取り乱したりはしてないらしいな。良かった。

 にしても……ヘレナさんは大丈夫かな。
 行方不明になんてならずに帰って来てくれますように……。






   ◆
 
 
 
 常春とこはるの国は夜になると少し肌寒い。

 例え蛮人街が夜をいとう事無く明かりをともし続けようとも、暗闇はそこかしこにり姿を隠す場所には事足ことたりる。一般街や高等区などは、国教の教えにしたが夜更よふかしなどあまり行わないため、皮肉にも「まともなもの」ほど危険に近かった。

(……まあ、警備兵が夜警をしているだろうから、そうそう事件に巻き込まれる事は無いのかも知れないけど……)

 そう思いながら、蛮人街と一般街を隔てる高い壁を見上げる。
 先程さきほどから【索敵さくてき】の術を発動させ続けているが、これといった妙な気配など無く、そぞろ歩く人々や兵士ぐらいしか察知できなかった。

 もう少し対象をしぼっても良いが、それでは範囲がせばまり広範囲を探れない。
 どうした物かと思いつつ隣のむさ苦しい褐色熊を見やると、相手はフンフンと鼻を動かしニオイを探っているようだった。

「…………引っかかるか?」

 問いかけると、熊公は首を動かしてありとあらゆる場所から臭気を嗅ぐ。

「うむ……かすかに【湖の馬亭】の家の香りが残っているから、ここから一般街へと門を通ったのは間違いないだろう。だが、折り返した形跡がない」
「と言う事は、まだ向こう側か」
「……もう門は閉まっているようだが」

 そう。確かに、目の前の巨大な鉄扉はぴったりと閉じている。
 だが、その事を気にせずブラックは「ついて来い」と熊公を引き連れて大通りからわきの道へと入り、さらせまく薄暗い路地ろじを進んだ。

「ムゥ、どんどん門から遠のいて行くぞ」
「黙ってついて来い」

 家々の隙間を通り、成人した男の体では通りづらいほどに細い路地に入り――――どこかの家のものであろうレンガの壁の一部分に、かがんで進める程度ていどの小さな入口を見つけて、そこに腰を低くしながら入り込む。

 中は一方通行で、後退こうたいするにもそのままの体勢たいせいで動かなければならないほどの狭い通路だったが、ブラックはかまわず通路を進んだ。
 と、薄暗かった道の先が強い光に包まれているのを見て、足早に通路を抜ける。

「ム……」

 背後で、熊公が少し驚いたような声を出した。
 さもありなん。通路の先には、なんと……窓のない地下室のような部屋が在り……そこには、古びた木製のテーブルに一人でひじをつく壮年そうねんの男が居たのだから。

「いらっしゃい」

 酒に焼けたかすれ声で言う壮年の男は、白髭しろひげたくわえ顔にいくつもの傷を付けている。
 だが、老いた風貌ふうぼうであるにもかかわらず、男の体は筋骨隆々でシャツのしわも伸びてしまうほどで、まったく老いを感じさせない。
 明らかに一般人ではないのが分かるのか、熊公は少し警戒しているようだった。
 しかし説明するのも面倒くさいので、ブラックはふところから銀貨二枚を渡した。

「とびっきりの葡萄酒ぶどうしゅをくれ」

 静かにそう言うと、壮年の男はニヤリと笑って席を立つ。
 そうして、床にあった収納庫の扉を開いた。

「持って帰るのかい。それならもう一枚だ」
「いや、自力で何とかする」
「そうかい。まあ、楽しい夜を」

 挨拶あいさつのようにそう言って、壮年の男は「どうぞこちらへ」と言わんばかりの仕草しぐさで手を優雅に泳がせ収納庫へと目をやる。
 その意味が熊公にも解ったのか、背後から鼻息をく音が聞こえた。

 だが気にせず、ブラックはヤケに大きな収納庫の入口に飛び込む。
 そこからすぐに地面へと降り、そのまま収納庫――――いや、レンガで綺麗に舗装ほそうされた隠し通路を早足で進んでいく。

「なるほど、こんな抜け道がったのか」

 背後の呟きに振り返りもせず、ブラックは先を急いだ。
 ――――そう。
 ここは、蛮人街から一般街へと抜けるための「秘密の地下通路」なのだ。

 蛮人街の闇商人は、ココを通って夜中に一般街へと抜けている。
 だが、この通路を誰でも通れると言う事は無い。
 ここを通れる者は、それなりに「まっとうなもの」だけだ。それゆえに、この通路の番人は、あのようなむくつけき大男が務めているのである。
 「迷惑な客」が来た時に、のがさず「お帰りいただく」ために。

(……あの巨漢がどうやって部屋に入ってるのかは、僕にもちょっとわかんないけど)

 そう思いつつも通路を駆け抜けていると、前方に梯子はしごが見えた。
 すぐに登り収納庫のふたが開いた場所から出ると、今度は給仕服を着た細めの女性がこっくりと頭を下げる。しかし、彼女もまた手練てだれなのだろう。
 ブラックは彼女にも通行料の銀貨を渡すと、そのまま部屋を出た。

「ム? 今度は宿屋の廊下か?」
「おい、ニオイをちゃんと探しとけよ駄熊」

 そう言いながら、宿に併設へいせつされている酒場に辿たどくとそのまま外に出る。
 すると、そこはもう一般街だ。こちらは夜のとばりが降り、明かりもとっくに少なくなっている。街を歩いている者も滅多めったにいない有様ありさまだった。

(これじゃ、誰かが襲われても分からんよなぁ)

 さすがは良き民。あきれるほどの寝つきの良さだ、などと思っていると、急に熊公が前に飛び出した。

「ムッ、ニオイがするぞブラック! あっちだ!」
「なにっ?!」

 走り出す熊公の少し後に続いて、ブラックも夜の街を駆ける。
 寝静まってほんの少しの街灯と月明かりだけが照らす街は、昼間の喧騒けんそううそのように何の音もしない。そんな中を、右へ左へとみちびかれるように走る。

(かなりの距離を走ってるが……本当にいるんだろうな……)

 獣人の鼻が尋常じんじょうでないほど利くのは知っているが、距離があまりにもあり過ぎて、ついうたがってしまう。だが、そんなうたぐぶかいブラックが、また一つ角を曲がったと、同時。

「あ……っ、あ、ああっ……!」

 どこかホッとしたような、怖い物を見て絶句したような声が、聞こえる。
 大通りから少し外れた路地ろじ。その家々の隙間から聞こえた声に振り返ると――――そこには、涙をボロボロと流しながら震えて座り込んでいる女性がいた。

「大丈夫か」

 駆け寄る熊公に、ふわりとした稲穂色の巻き毛でそばかすが目立つ細めの女性は、その地味な顔を大きく歪めてわんわんと泣き出す。
 どうやら、ブラックと熊公の事を知っていたらしい。

「お前がヘレナだな? 女将さんが心配してたぞ」

 問いかけると、相手は必死に何度も頷く。
 鼻の頭まで真っ赤にして泣きじゃくる彼女は、誰かにドレスを切り刻まれたかひどやぶかれたらしく、みすぼらしい格好になっている。よく見れば服も顔も汚れていた。
 外傷は見当たらないが……外見だけでは、まだわからない。

「誰かに襲われたのか」

 熊公が背中をさすってなぐさめているのでようやく落ち着いたのか、ヘレナという女性は少ししゃくりあげながらも、ブラックの二度目の問いに答えた。

「は、はい……。く、くろい……ろーぶの、男……に……っ」

 そう言うと、よほど怖かったのか再び涙を流し始める。
 だが、ブラックはそれに何かを思う事も無く、あごに手を当てつつ眉根を寄せた。

(……黒いローブの男……?)

 いかにも怪しいが、もしかしてそれが「娼姫行方不明事件」の犯人なのだろうか。だが、彼女は娼姫なのだから、それとは別件の「不届きなやからに襲われかけただけ」という可能性もあり得る。
 すぐにちまたうわさと結びつけるのは早計かもしれない。

「とにかく、早く【湖の馬亭】に戻ろう。ここに居ては危険かもしれない」

 獣人族と言う乱暴な種族の割に女の扱いを心得ている駄熊は、どうやってヘレナを懐柔かいじゅうしたのか、もう立たせるのに成功している。
 その手腕はどこで学んだのかと聞きたくなったが、そんな事を聞いてもどうしようもないと思い直し、ブラックは仕方なく相手の言葉にうなづいたのだった。











 
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