異世界日帰り漫遊記!

御結頂戴

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竜呑郷バルサス、煌めく勇者の願いごと編

32.言い知れぬものの兆し

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 何故か、空を飛んでいる。

 でもその事に俺は全く違和感を感じない。それどころか、眼下にとても綺麗な風景が広がっていて、いつもの俺なら思わず見渡してしまうぐらいの大自然なのに、俺は何故だかその風景に微塵みじんも興味を持たず、ただ飛んでいるだけだった。

 それが自分でも「変だな」と思うのに、その「変だな」は今の俺には小さい疑念になってしまっていて、深く考える事が出来ない。
 体の自由も効かなくて、俺はただただ空を飛ぶ事ぐらいしか出来なかった。

 だけど、それでも何も感じない。
 ……いや、風が吹いて自分のかみをバサバサと揺らしている事も、不思議な浮遊感も、進む体に受ける空気の抵抗すらも俺は実感しているのに、それがまるで現実的じゃなくて、俺には全然「自分が感じていること」に思えないんだ。

 これはおかしい。そうは思うけど、それを頭の中で飲み込めない。
 変な感じだと思うけど、それ以上に何も思えなくて、俺はただ鳥のように高く高く空を飛んでいるしかなかった。

『――――やっと、面白くなってきた』

 頭の中で声がする。自分の声かな。
 だけど俺、こんな芝居しばいがかったような口調だっただろうか。

『ははは、やっとここまで……』

 ああ、声が頭の中に響くのに、なんだかひどく聞き取りづらい。
 まるでちょっとチューニングがズレたラジオみたいだ。それか、電波が悪くてザーザーとノイズが走っている電話か。とにかく、途中途中で途切れてしまう。

 だけど、俺の頭の中にはお構いなしに声が聞こえてきて。

『楽しいなぁ。ずっとつまらなかったんだ。はははっ、楽しい。これからもっと―――しくなるぞ。はは、はははっ、あはははは』

 まるで、無機質なロボットが無理矢理ひねり出したかのような笑い声。
 だけど俺の頭の中の形容しがたい声は、その作り物みたいな声音で笑う。みょうに怖くなってくるのに、それでも俺の体は震え一つなく笑い続けた。

 ……なんでだろう。心と体が別々になっちまったみたいだ。
 段々と怖くなってくるのに、やっぱり眉一つ動かせない。
 そんな俺にかまわず、またもや口が動いた。

『さあ…………どうやって、遊ぼうか』

 低く吐き捨てられるかのような、声。
 世界が真っ白になって、息が出来なくなった。







   ◆



「――――は……」

 自分の息の音で、目が開く。

 一瞬どこにいるのか解らなかったけど、視線の先に木製の古びた天井のような物が見えて、俺は大きく息を吸い空気を取り込んだ。
 変だな。なんか、今やっと呼吸が出来たみたいだ。

「う……」

 しかし何だ、なんか体が重いぞ。それに熱っぽい……。
 ていうか、俺ってば今どこに居るんだ。ここって……遺跡の中じゃないよな。宿か何か、とにかくどっかの部屋だよな。遺跡から脱出できたんだろうか。
 この寝転がってる所も、どうやらベッドみたいだし……でも、どうして。

 そこまで考えて――――俺は、今までの事を思い出し一気に体がカッとなった。

「……!!」

 うわっ、そ、そうだ。俺ラスターに襲われかけて、そしたら急に体がいつもと違う感じに熱くなってブチッと意識が途切れちゃって……。
 ………………あれ……俺、その後どうしたんだ?

 まさか、変な風になってラスターとヤッちゃったんじゃ。でも尻に違和感はない。
 というか、ラスターがそんな風に俺をムリヤリ犯すもんだろうか。いくら堪忍かんにんぶくろが切れたからと言って、失神した俺を犯すほどラスターは悪人じゃ無かろう。
 そんなことを出来るなら、とっととヤッてただろうし。

 だから犯してない……はず。いや、でも、どうだろうなぁ…………。

 少なくとも、あの時のラスターは完全に俺を犯すつもりだった。
 そりゃ俺だって怖かったけど、でも、その……ラスターの言葉を真面目に受け取らなかったこっちにもは有るんだし、自分がそんな事されたらショックだし……それに、誰にだってヤケになる事は有る。俺だってそうだ。

 それでも、俺みたいな普通の人間なら踏み止まれるけど、ラスターは曜術師だからなぁ……。凄い術を使える代わりに、感情の沸点が異様に低いんだ。この点を考えると、無暗に怒れなくなる。

 正直勘弁かんべんしてくれよ状態だったが、でもラスターの言葉を少しも本気にせず思わせぶりな行動をしてなかったかと問われると、分からない。前に心配のあまり抱き締められた時だって、俺はそんなに深く考えてなかったし……。そんな感じで振り返る内に、なんだか俺の中の怒りはしおしおとしぼんでしまっていた。

 だって、ホントに俺がうっかり……って所もあるんだもんな……。
 この世界での俺は、いわゆる「メス」という認識だ。なので、男女問わず「オス」からは性的対象として見られるし、子供を生まされる危険性だってある。この異世界では男も妊娠可能らしい。うつだ。なので、俺が普通にやっていたことでもブラックは「襲われるよ!」と怒ったりするし、同性に襲われもするのだ。

 女の子だとそう言うのに気が付いて身をつつしむのかも知れないけど、男の俺にはいまだに「相手をあおる行動」とか「思わせぶりな行為」が理解出来ない。
 だから、そこを突かれると俺が全面的に被害者だとは言い難かった。
 …………俺、前にもブラックに注意されたのに、またやっちゃったっぽいし……。

 男の俺がそんなミスをしたって、女の子のように擁護ようごされるはずもない。俺は女子なら問答無用でドキドキしちゃうけど、俺はそうじゃないじゃん。どう考えても自立した立派な男じゃん。もう十七なんだから俺は大人だ。
 大人の男は自分の行動に責任を持つもんだって婆ちゃんが言ってたんだ。
 なら、尚更なおさら誰かのせいばっかりにしてはいられないだろう。
 だから注意をおこたってラスターを傷付けていた俺も悪いわけで……ううむ……。

 とは言え、強姦未遂みすいをされたんだから、俺だって本当はラスターの事を考えるのもいやなはずなんだが……不思議な事に、少しも嫌悪感が湧いてこなかった。

 ……まあそりゃ、ちょっと近寄りがたくなったとは思うけど。
 イヤなのはイヤなんだけど。
 でも、なんかこう……憎み切れないんだよなぁ。

 だって、ラスターが良い奴なのは俺が一番よく知っている。それに、弱っている俺につけこんで色々やろうと思えば、とっくの昔にヤれてたんだ。
 なのに、ラスターは今まで我慢していた。今回だって、未遂みすいで終わった……みたいだし…………未遂だよな。未遂で合ってるよな?

 何だか不安になっていると、ガチャッとドアが開く音が聞こえた。
 誰だろうと思っていると床が二三歩ギシギシ鳴った所で、急にデカい声が俺の方へぶつかって来る。

「ああっ、ツカサ君んんん!! 起きたんだね大丈夫っ!? どこも痛くない!? お尻とかズキズキしたり精液残ってる感じしない!?」
「うぎゃっ、ぅ、ばっ、ばかっ」

 まだ俺は完全に目が覚めてないってのに、抱き着いてくる奴があるか!
 やめんかっ、離れろヒゲが痛いっ。

「ツカサくぅうんっ、あぁあツカサ君っ、ツカサ君のにおいっツカサ君のむにむにほっぺがやっと存分に吸えるぅう」
「ぎゃーっ!! や、やめっ、ばか! ばかあほブラックっ!!」

 俺のほおに吸い付いて来るオッサンの顔を引き剥がそうとするが、その度にブラックはチクチクする無精髭ぶしょうひげだらけの顔で頬擦ほおずりして来て、痛痒いたがゆくてたまらない。
 腫れたらどうすんだと頭を軽く叩くが、そうすると「じゃあ僕のやわらか~い唇で痛みをやわらげたげる」とかうすら寒い事を言って、またもやキスをして来た。

 お前の口のどこが柔らかなんだっ。カサついて分厚いだろうが!
 「やわらか~い」は女の子の唇だけに使っていい言葉なんだっつの、女の子のキスが俺にとっての最上級回復魔法なんだっつーんだよぉおお!

 なのに何故オッサンに吸い付かれにゃならんのだとさめざめ泣いていると、不意に顔が離れて、真正面から俺をじっと見つめて来た。
 ……う……な、なんだよ。急に真面目な顔するのやめろよ。
 アンタの顔心臓に悪いんだってば。そう見つめられると困るんだってば!

 不覚にもドキドキしていると、ブラックは心底心配そうに問いかけて来た。

「ツカサ君……ホントに気分悪い所ない……? 大丈夫……?」
「……ブラック……」

 綺麗な菫色すみれいろの瞳が、なんだか不安そうに揺らいでいる。
 真面目な顔は、いつの間にか泣きだし前の子供のように歪んでいた。

「ツカサ君…………」

 その不安げな顔で何を言いたいのか解って、俺は思わず苦笑してしまう。
 でも少しも嫌じゃなくて、俺はそのまま重たい腕を上げると、情けないオッサンの無精髭だらけなほおを軽く撫でてやった。

「なんもない。平気だから」
「でも、あのクソ貴族に襲われたんでしょ?」
「最後までは行ってない……と思うし……ケツも痛くないから」
「ほんと……?」

 俺より不安に駆られているブラックを見ると、不思議と冷静になって来る。
 気絶した後どうなったか分からないから、そこが怖いなという気持ちは有るけど、それよりもブラックを安心させてやりたい気持ちの方が強まっているみたいだ。

 少し恥ずかしいけど、でも、まあ……お、俺達、恋人同士……だしな……。不安になるのも解るから、その、お、俺がちゃんと言ってやらないとな! ブラックだって心配してくれたんだしな!

 ともかく、不安げなオッサンのおかげか俺は幾分いくぶんか冷静に自分の体調を確認する事が出来て、なんとか「無事だ」という事に確信が持てた。
 何だかんだブラックとえっちなことしてるけど、それでも別の奴に触れられたら、体の違和感とかちゃんと分かるもんな。やっぱラスターは俺を犯さなかったんだよ。アイツは、やっぱり真面目な団長さまだったんだ。

 そう確信すると気が楽になって、俺はブラックの頭を撫でてやった。

「心配かけてごめん」
「はぅう……つかしゃくぅんん……」

 三十もなかばを過ぎたオッサンが甘えた声を出して、寝たままの俺に抱き着く。
 なんともがたい光景だ。
 だけど俺は、ブラックの大きな体や体温に包まれる事にホッとしてしまって。独特な――ブラックだけのにおいがする胸に頭をぎゅっと押し付けられると、安堵感と共に胸が少しドキドキしてしまっていた。

 ……変だな。一日程度離れてただけなのに……なんだか、胸が苦しい。
 息を吸うと、においのせいで体の中にまで「ブラックに抱き締められている」事実が染み込むみたいで、そんな事を考える自分が恥ずかしくなってしまった。
 ど、どうかしてる。バカじゃないのか俺は。
 でも……温かくて、安心して……すごく……熱が、上がる。

「ツカサ君、好き……僕だけのツカサ君……」
「んん……ば、ばか……変なコト言ってんなよ……」
「だってホントの事だもん……」
「そ……それよりっ、あの、あれからどうなったんだよ!」

 倒れた後、合流したんだよな?
 俺は失神してて全然分かんないけど、ブラック達は目的地に行ったんだろう?
 そうでなければ、今こうやって宿みたいな所に俺を置いているはずがない。だから調査した結果を話してくれよ。つーか俺の体調を聞いて来たって事は、ラスターから色々聞いてるんだよな。そのあたりも教えて欲しいんだが。

 段々と目が覚めて来てブラックを見上げる俺に、ブラックは口をとがらせねたような顔をしながら「いちゃいちゃ終わりなの……?」と訴えて来たが、今のこの状況がお望みの「イチャイチャ」じゃなくて何だと言うのだろうか。

 ええ加減にせえよと目を細めると、やっとブラックは今までの事を語りだした。

 ――――俺が寝てる間の顛末てんまつ。それは、にわかに信じがたい事だった。

 いや、ラスターとの事は予想が付いたというか、やっぱりラスターは真面目な大人だなあと思うくらいで、申し訳ないやら改めてありがたいやらだったんだが、そんな情報に驚いたのではなく。

 俺が驚いたのは、ブラック達が遭遇したと言う「なにか」の言葉だった。

「アルス……ノートリア……って……。そんな奴がいるのか……?!」
「まだわからない。でも……あの時の黒衣の何者かが【菫望キンモウ】ってヤツなら……もしかすると、すでにもう何冊か誰かの手に渡ってるかも知れない」
「そんな……」

 確かに、俺達はアーゲイアで宙に浮いた変なヤツに遭遇したし、アレが何かの術だったと言われると納得出来る所もあるけど……。
 でも、本当にアイツが【アルスノートリア】なんだろうか。
 それに……その神殿の「なにか」が言っている事を鵜呑みにしていいのかな。

 「なにか」が言う事は、要するに「グリモアは世界を破滅させる悪いちからだから、虹の女神イスゼルが対抗して善なる力【アルスノートリア】を作りました! 今までの試練を乗り越えた君達に、この力でグリモアをやっつけて貰いま~す!」ってコトで、もしブラックの言うようにマジでその本を読んだ奴が現れたとなると……。

「…………あれって、偶然なのかな……」
「さてね……。まあ、何にせよこれで一連の事件は繋がったってワケだ。死者復活もいにしえの血の暴走も、その【菫望キンモウの書】が持つ力なら可能らしいからね」
「断定していいのか?」

 問いかけると、ブラックは大仰に眉を上げた。

「……まあ、五分五分って所かな。でも、ポートスの民と繋がっているのは確かだし、鵜呑みにするって段階じゃないけど……調べてみる価値はあると思うよ」
「うん……」

 ブラックがそう言うのなら、可能性が高い事なのかも知れない。
 でも……そうなると、一気に不安になるな。
 相手が本当に、【七つのグリモア】を討伐するための存在……女神の使徒【アルスノートリア】であるのなら、間違いなくいずれはブラック達と敵対するはずだ。

 そうなってしまったら、またブラックの身に危険がおよぶ。シアンさんやラスター、他のグリモアにだってそいつらが強襲を仕掛けて来るかも知れない。
 考えるだけで不安になって来て眉根を寄せると、ブラックは不意に微笑んで、俺のひたいに軽く口付けを落とした。ぐ、お、お前なにそれ急に……。

「心配しないで。僕がそんなに弱いワケないでしょ」
「ん……ん゛ん゛……」

 解ってるけど、でも「万が一」って事はあるじゃないか。
 それが心配でたまらないんだ。
 
 しかしブラックは微笑んで俺の頭を撫でると、雰囲気を変えようと声を上げた。

「……ともかく、今は謎だらけだし……何事も断定はできない!」
「うん……」
「あと、これは僕の予想でしかないけど……もし本当にあの二つの事件が【菫望キンモウ】の仕業なら……いま【アルスノートリア】を所有している奴は、正当な手順で本を手に入れた奴では無いってことになる」
「それが……?」

 急に話が変わったような気がしてブラックを見る俺に、相手は指を立ててみせる。

「つまりね、本来であれば、曜術師としては特異な『他人を気遣きづかえる奴』が【アルスノートリア】を手に入れるはずで、もしそれが成就していたら、そいつらはきよい心根で僕達と対立していたのかも知れないけど……今の【菫望キンモウ】は、そうじゃない可能性もあるでしょ? なら、僕らにも付け入る隙は有るはずだよ。それに大体さ、そんなどこの馬の骨とも分からん奴に倒されるなんてありえないでしょ。だから平気だよ」

 なんて言いながら、ふんすと鼻息を大きく吐くブラック。
 確かに……ブラックは凄く強いし、その実力で【グリモア】の称号を手に入れたんだから、ちっとやそっとの相手じゃビクともしないのは俺だって知ってるけど。
 でも……俺が足手纏あしでまといになったりしたら、分からないじゃないか。いや、ならないように俺だって頑張るけど、万が一って事も有るし……。

 ああもう、なんでこう次から次に心配な事ばっかり起こるんだよ!
 つーか七つの書って、どう考えてもコレで終わりじゃないじゃん。アイツが本当にキンモーとか言う【アルスノートリア】だったら、どう考えても次々出てくるじゃん。いずれ戦ったりしなきゃいけないじゃんかー!!

 もう耐え切れずに自分の頭をガシガシと掻き回してしまったが、すぐにやめると俺はブラックに聞いておかなければいけない事を問いかけた。
 不安は色々あるけど、今は少しでも情報を知っておかなければ。
 この部屋から出たらすぐにブスリ……なんて事も無くは無いんだから。

「それで……他の奴は、まだ居ないんだよな……?」
「……どうかな。遭遇してない事は確かだけどね。でもあと六人も居るから、もし他の【アルスノートリア】が既に何者かの手に渡っているとすれば、遭う事もあるかも知れないけど」
「…………その……残り六つの【アルスノートリア】って……?」

 恐る恐る問いかけた俺に、ブラックは笑うように目を細め子守唄のように呟いた。

「神殿の装置が教えてくれたのは、随分と豪勢な名前さ。

 炎の【朱焔シュエン】、水の【藍瑞ランズイ】、緑の【翠華スイカ】、金の【皓珠コウジュ】、土の【礪國レイコク】。
 そして――――日の【琥旭コキョク】と……月の【菫望キンモウ】……。

 …………ははっ、何もかも僕らより華美で笑っちゃうよね」

 ――――名の意味は分からない。俺には理解も出来ない。
 だけどその【名前】は何故か……俺の背筋を、恐ろしさに震えさせた。












 
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