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竜呑郷バルサス、煌めく勇者の願いごと編
26.糸の切れた会話
しおりを挟む「――――なるほど……。つまり、お前の世界では女だけが母体で、男は孕むことも出来ず……それと……その……うぷ……」
そう言いながら、ラスターは思わず口を押えて青ざめる。
……やっぱり俺の世界での「妊娠」のメカニズムについては話さない方が良かっただろうか。そう思って心配になるが、ラスターは「すまない」と謝り、俺に大丈夫だと手で示してきた。だけど、グロッキーになっているのは明白だ。
うーん、詳しく教えない方が良かった気がして来た。
でも、俺の世界との違いを説明する時に、ラスターがソコを気にしちゃったから、説明しなきゃいけなかったし……結局こうなる運命だったのだろうか。
せめて落ち着くようにと裸の背中をさすってやると、ラスターは背を丸めたままで俺に弱弱しく礼を言った。やっぱり相当ショックだったんだなぁ。
まあ、こんなの初めて聞いたら誰だって「マジで?」とは思うもんな……。それをこちらの世界の人間が聞いたら、そりゃあラスターのようにもなるだろう。
なんせ、この世界での妊娠は腹に種を植えて、その種が疑似的な胎内を作りその中で子供を育てるって方法なんだ。それが、俺の世界は直接腹の中だもんなぁ。
子供の命が常時体内にあって、最終的に妊婦さんのお腹が直接膨れ上がる程に子供が成長すると聞けば、異常な死が常に隣合わせなこの世界の住人が「恐ろしい想像」で青ざめてしまうのも無理はない。
腹が膨張するなんてこと、こっちではモンスターに内臓をアレコレされた時ぐらいしか起こり得ない状態だしなぁ……。俺の世界の男性と同じく、それ以外に腹がパンパンになる可能性など無いラスター的には、かなりエグい想像だったのだろう。
俺だって、授業で聞いた時は「えぇ……」ってなったんだからそれは仕方ない。
でも、まさかラスターが妊娠の下りでこんなに打ちのめされるとは思わなかった。
やっぱ体の仕組みについては受け入れがたい事も有るんだな……まあ、俺としては、腹に種を植える世界なのに、女性に普通にもう一個穴が開いてると言う事実の方が不可解なんですけども。いやありがたいけどね、俺だって挿れたいからね!
……それにしても……俺と同じ世界の人間が代々この世界を管理してきたってのに、キュウマよりも前の神様たちは一体何を考えてたんだろうか。
まさか自然発生でこうなったとは言わないよな……なんか俺も考えすぎてちょっと気持ち悪くなってきた。これが思考酔いという奴か。
ラスターも今こんな状態なんだなと思うと申し訳なくなってしまい、俺はラスターの背中をさすりつつ、再度謝った。
「なんかごめん……」
そう言うと、ラスターは頭に響かない程度に小さくゆっくりと首を振る。
「いや、教えてくれと言ったのは俺だ。……俺の方こそ、お前の世界の常識にこんな反応をしてしまってすまない……。お前は、こちらの常識を受け入れているのにな」
「いやいや、俺だって全然受け入れてないってば。だから俺、アンタの言葉を冗談だと思っちゃったんだし……」
「……それもそうだな……人と言う物は、やはり己の生きて来た世界の常識をすぐに変える事は難しいと言うことか……」
ラスターのその低い呟きに、改めて俺はこちらの世界と俺の世界の違いを実感し、確かにと頷いた。そうだよな……俺だって、ラスターが本気で俺との事を考えていたのに、それを今まで深く考えもせずにハイハイっていなしてたんだし……。
ラスターの気持ちに応える事が出来ないってのは今も変わらないけど、でも、その真剣さに唾を吐いたような事になってしまっていたのは申し訳ない。
もし俺がそうやって大人のお姉さんにあしらわれ続けて、本気の告白すらも「え? 冗談でしょ? 今までのも、楽しくじゃれてただけだものね?」なんて言われて、無かった事にされたら……しばらく立ち直れそうにない。
それをブラックにされたらと思うと…………。
……うわ……そう考えたら俺、今まで凄く失礼な奴だったよな……。
ラスターにとっては全部本当の事で、ちゃんと最初から「お前をこうしたい」って言い続けてくれていたのに。
なのに俺、今までずっと……。
「……なんか、本当にごめん……ラスター……。俺、お前が真剣に……その……妻だとか、い、色々言ってたのに……ただ受け流してばっかで……」
マジで俺、そういう配慮出来なさすぎだ。
自分を人の心が無いとまでは言いたくないが、でも、経験値なんかは明らかに足りないよな? 本当に気配りが出来ている人間だったら、きっとラスターの言葉だって真剣に受け止めてたかもしれないし……。
でも……本当に、本気の言葉だと思わなかったんだよ、俺。
だって、俺と恋人になりたい、付き合いたいなんて言ってくれたの……ブラックが初めてだったし……それに「好き」ってそういう、えっちしたいとかそんな感情だけじゃないじゃん。親愛とか友情とかあるじゃんか。
「好き」とは言えど、軽い冗談でからかうくらい心を許してるってだけだったり、ただ単にボディタッチが激しいだけでノーマルだったりって人もいるしさ。
だから、俺は「好きでいてくれる」というのも、ブラックとクロウ以外はそう言う健全な感情なんだろうなって思ってたんだ。
……悲しいが、俺は自分の世界ではそういう風に思われていたと感じる記憶もないし、言ってみれば初めてブラックに「えっちな事をしたい」と宣言されたようなモンだった。なので、ブラックやクロウが特別変態なだけで、俺自身はモテる魅力のない男なんだと考えていたけど……でも、そう言えばブラックに前こういう勘違いで死ぬほど恥ずかしい思いをさせられたんだっけか……。
俺はこっちの世界じゃ「メス」だから、オスの視線に敏感になれとか怒られたな。
いや、でも、そりゃ他人の話じゃないか。
ラスターは良い奴だし、騎士団長で地位も名誉も有る。なにより、悔しいことに俺の何百倍もイケメンなんだぞ。そんな奴を「襲われるかも……!」なんて勝手な思い込みで警戒するなんて、どう考えても俺の方が失礼だし自意識過剰だろう。
仲間をそんな事で疑うなんて、俺はやりたくなかったんだ。
だって、そんな風にあからさまに警戒したら、相手の名誉だって傷付いちまうし……何より、間違いだったとしても相手が受けた傷は一生残ってしまうんだ。
俺の勝手な思い込みで相手を警戒して悲しませるなんて、それこそ害悪だ。だからこそ、俺は…………無意識に、ラスターの言葉を嘘だと思っていたのかも知れない。
……でも、そんな俺の臆病な考えも、ラスターには疑われるのと同じくらい悲しい事だったんだよな。コイツは、俺にいつだって正直だったのに。
「…………ごめん……」
ラスターの返答を聞く前にもう一度謝ると、相手は緩く首を振った。
「いや……俺の方こそ、ちと急ぎ過ぎたな。……だが、俺の気持ちは本当だ。お前を俺の正妻としてオレオール家に迎えたいと思っている。俺は……お前が欲しいんだ。あの温泉郷で俺を救ってくれた時からずっと、そう思っていた」
「……だけど俺、もうブラックが居るし……それに、今のラスターなら、俺だけじゃなく沢山の人が慕ってくれてるじゃないか。俺以外にも、救ってくれた人は大勢いるはずだろ? アレは特別な事じゃなくて、当たり前の事なんだよ。だってアンタは、まあ……凄く傲慢だけど、良い奴だし……みんなに好かれてるんだしさ」
普通、ナルシスト野郎ってのは周囲の事を考えず「自分が一番だ」と思って1ミリも疑わないので、当然のように総スカンを食らうもんだけど、今のラスターは違う。
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なにより、町の人達はアンタが出て来たらすぐに駆け寄って来るじゃないか。
昔のラスターなら知らないけど、今のアンタなら絶対にみんなから好かれてるよ。
だから、俺が特別じゃないんだ。
そうやって初めて助けてくれた相手を神聖視するのは、ラスターにも良くない。
俺以上に、ラスターの事を考えて心配してくれるような人がきっといる。だから、その人達のことを考えて欲しい。
そう思っての言葉だったのだが、ラスターは髪をふわりと靡かせながら俺を見て、必死に「そうじゃない、違う」と首を振る。
「お前じゃないと駄目なんだ……っ! 他の奴では、駄目だ……どうしても……どうしても……お前でなければ……」
段々と語気が弱くなる。
本当にいつものラスターらしくなくて、俺は心配になった。
「ラスター……」
名を呼ぶと、相手はゆらりと俺の方を向いて目を細めた。
いつもの自信満々な顔じゃない、どこか陰のある――――まるで、普通の大人の男みたいな、真剣な表情。
思わず息を呑んだ俺に、ラスターは体を寄せて来た。
「……どうしたら、お前は俺を一人の男として見てくれる。どうやったら……俺は……あの男のように……お前に意識されるような存在に成れるんだ……」
手が伸びて来て、俺の頬を触る。
少しドキリとしたけど……でも、何とも思わない。いや、思えないのだろうか。
ラスターは俺の仲間であり、大事な奴だ。信頼している相手から触れられる事に、嫌悪や恐れを抱くはずもない。俺にとって、ラスターはそれほど大事なんだ。
けれど、それはラスターが望んでいる反応じゃない。
ラスターは、俺がブラックに抱くような焦りやドキドキする気持ちを望んでいる。
でも、そんなのどうすりゃいいんだよ。
俺にとってラスターは「大事な友人」であり、そこから動かす事は出来ない。
恋人と言う地位には既にかけがえのない相手がいて、離れがたい存在の位置には、約束など無くてもずっと一緒に居ると決めた奴がいるんだ。
だけどそれは、生半可な決意で決めた事じゃない。
俺が、命がけで願った事なんだ。
それを今更動かす事は、どうしても出来なかった。
だって、そう言う意味で、ラスターを意識してしまったら……ブラックとクロウに対して、俺は不実を働いた事になるかもしれない。
それだけは、嫌だ。
例えラスターを「オス」として見る事が出来たとしても、ラスターの思いに応える事は出来ない。俺が自分の意志を曲げて我慢出来る相手は、あの二人しかいない。
あの二人が許さないのなら、俺だって許してはいけない。
例えラスターを悲しませる事になるのだとしても、その真剣な願いを叶える事だけは出来なかった。
「ツカサ……答えてくれ……」
泣きそうなラスターの顔。
また胸が痛くなって、出来る事なら逃げ出したかった。
だけど、それはラスターを更に傷付ける事になる。また答えを煙に巻いてラスターを苦しませるなんて出来ない。仲間としても、不実な態度を取り続けるのは嫌だ。
だから、言わなきゃいけない。
例えラスターにどう思われても、ラスターの思いを変えなきゃいけない。
このままじゃ、お互い苦しいままだ。はぐらかしたらもっとラスターを苦しめる。ラスターに嫌われたくないからって、もう逃げてはいけないんだ。……ラスターの、これからのためにも。
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そう考えて、俺は内心「何を言ってるんだ」と自嘲した。こんな俺が、ラスターの……綺麗な人の思いを断るなんて、ありえないことだと。
……本当なら、逆の立場だろうに。
そんなことを心の中で吐き捨てて、俺は息を吸うと――――こちらをただ見つめる相手に、真剣に答えた。
「……ごめん。どうしても、俺は……アンタをオスとして意識することは出来ない。ブラックに、この指輪を貰った時から……もう、決めちまったんだ。どんなにこっちの世界のオスメスのことが理解出来なくても、アイツだけは受け入れる。……恋人に……婚約者に、なるって」
「…………!」
ラスターの綺麗な翠色の目が、見開かれる。
その瞳に、俺の胸元で光っている菫色の宝石の指輪が見えたような気がした。
俺が自分の意志で受け取った、もう二度と失えない大事な指輪が。
……その光景を見ると、不思議と言葉に迷いがなくなってしまっていた。
「だから、アンタにブラックと同じ気持ちを向けたり、意識するようになったら……俺は、きっと自分を浮気者だと思っちまう。なにより、大事な仲間のアンタにそんな警戒心を向けたくない。俺は……ラスターを、そういう意味で意識して、遠ざけたくないんだ。ムシが良い話だってのは……わかってるけど……」
仲間として大事にしたい。それは、俺のワガママかも知れない。
でも、やっぱり意識なんて出来ないよ。
人を好きになる事を止められないのと一緒で、相手を無理矢理好きになろうとする事なんて普通の人間には出来るはずもない。
大事に思っていればいるほど、感情を動かす事が難しくなる。
もう俺の中では、ラスターは「大事な仲間」なんだ。意識したって、お前の気持ちに答えられるはずもない。結局待っているのは苦痛だけだ。
そんなの、嫌だ。
誰かを好きになったせいで誰かが傷付くのなんて、見たくない。
ラスターを意識しても受け入れる事が出来ないのに、どうして意識できる。
仲間じゃ駄目なのか。気安く肩を組み合う関係じゃだめなのかよ。
「俺を意識するのは……あの男への裏切りに思える……? そんなにお前はあの男に操立てしているのか」
「…………言い方がちょっとイヤだけど……でも、そうなる……のかな……。だって俺、本当に男に興味ないんだよ。ブラックだから……アイツだから、なんか、変な事になってるだけで……本当に、普段はそう言うんじゃないんだ。ブラックとクロウが、特別なんだよ。だから、他のヤツを意識するのは……裏切りなのかなって……」
そう言うと、ラスターはどこぞの外国の俳優のように険しく睨み付けるような顔で俺を――――いや、俺を通して何かをじっと見つめていたようだったが、深い溜息を吐いて、前髪を掻き上げた。
「そうか……。お前にとって、男と言う存在は……本当に、同性と同意義なんだな」
「ん……」
ラスターは姿勢を戻し、横顔を俺に見せながら肩から力を抜いた。
納得してくれたのかな。でも、避けられたらどうしよう。
そんな不安を抱きながら見つめていると、ラスターは流し目でこちらを見た。
「俺の全大陸一である美貌すらも、お前にとっては無価値ということか」
「む、無価値とは言わないけど……」
「…………なるほどな。そうか。そうだな、お前は最初からそうだった……」
俺のモゴモゴした返しも無視をして、ラスターは一人でブツブツ呟く。
どうしよう、怒ったのかな。不愉快に思うのは当然だとは思うけど、でもやっぱりそう思われるのは悲しい。しかし俺だって譲れない物はあるし……。
そもそも、ラスターにとって、何が一番いいんだろう。
謝る行為を許してくれるのなら謝りたいけど、ラスターが望む事だとは思えない。でも、相手の望みを聞く事は出来ないし……。
どうしたものかと真剣に考えていると、相手は不意にこちらを振り向いた。
そうして。
「なら、あの男のように下卑た方法を使って意識させればいい、と」
「…………え?」
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あ……ロクの声が聞こえる。乾燥が終わったんだ。
そう思ったと同時、ラスターがベンチから立ち上がってロクの方へと歩いて行く。
俺に何も言わず、その背中は遠ざかって行った。
「…………ラスター……?」
呟くように小声を漏らすが、相手に聞こえているはずがない。
だけど、そんな声しか出なかった。
何故だか、名前を呼んで今のラスターの顔を見たいと思えなかったから。
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