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竜呑郷バルサス、煌めく勇者の願いごと編
23.懸念
しおりを挟む「……今なんか、物凄くイラッとするような事が起きた気がする」
例えば、あのクソ貴族がツカサと急に接近したような。
ふとそんな気がして、ブラックは石壁に触れる手を休めた。
だが、そんな風に自分のカンを確かめたい時に限って、横からやいのやいのと煩い声が耳にぶつかって来る。
「お前がイラッとしてない時があるのか」
「うるさいなクソ熊、それはお前が僕の目の前にいるからだろ殺すぞ」
ツカサと二人きりの時だったらイライラなどしないし、むしろ存分に甘えまくる事が出来て日々の鬱々とした気持ちも速攻で吹き飛ぶのだ。
その至福の時間と比べるから余計にイライラするのだろうかと考えて、ブラックは目を細めつつ「今のは違うな」と心の中で思った。
(考えたくないけど……あのクソ貴族、ツカサ君に何かしたんじゃなかろうな)
充分に考えられる。
最初にツカサに接触した時から思っていたが、あの男は少々異常だ。
いや、一般的には、多少おかしいが真っ当な倫理観を持った青年に見えるだろう。だが、それは曜術師としては異常であり、今のあの男の行動はどう見ても妙だった。
――――通常、曜術師と言う存在は、どんな傑物であれど一般人とは大きく異なる性格をしている。
例えば虚栄心が強かったり、己が興味を持つ事柄にしか執着しなかったり、そこらの盗賊など目ではないほど金に執着していたり……とにかく、欲望や野望が突出し、それゆえに一般人からは遠巻きに見られる事も多々あるくらい「難儀な性格」をしているのだ。もちろん、本人達はそれについて憂う事など一度も無い。
一般人が自分の性格を普通だと思うように、曜術師達も自分の性格がごく自然で真っ当な物だと思っているのである。
曜術師は、そういう少々変わった存在なのだ。
まあ、その強い精神力と欲を持つからこそ、曜術を使いこなし強力な術すらも行使できるのだが……しかし、それゆえに弊害も当然生まれる。
先程言った「本性を出せば一般人に避けられがち」と言うのもそうだが、最も自分達に不利益な事と言えば、他の曜術師と組んで調査が出来ないと言う事だった。
曜術師は属性ごとに重んじる流儀も違えば、最悪な性格も種類がある。
そのせいで、パーティーを組めば衝突し内部分裂をしてしまうのだ。
冒険者の間では「曜術師はパーティーに一人しか入れられない」と決められているくらい、曜術師は自分と同じ職業の相手と相性が悪いのである。
ブラックやクロウだって、ツカサが居るから今仲良くして居られるだけで、初対面の相手なら蹴落とそうが踏み台にしようがお構いなしだ。
シアンとだって、昔から親交があるからこそ付き合っていられるだけで、今の関係は曜術師の中では完全に「特例」だった。
(ツカサ君が曜術師らしからぬ普通の性格してるからなぁ……。だから、僕も多少は抑えているだけだし。ツカサ君が居なかったら、とっくに堪忍袋の緒どころか袋の底から破けきってるだろう)
曜術師という人種は、そういう自分勝手で激しい性格をしている存在なのだ。
…………だが、あの自信満々で傲慢な貴族は、少々違う。
あれだけ大っぴらに己を賛美していながらも、実際の行動は強引とは程遠くなっている。最初はその傲慢さに恥じぬ傍若無人っぷりだったのに、今は妙にしおらしく――――まるで、力を持たぬ普通の男のように、毒気を抜かれてしまっていた。
(それが、なんだか引っかかるんだよな。……まあそもそも、騎士団や軍隊なんかに所属している奴らは、無理矢理自分を抑え込む術を覚えているモンだけど、それでも欲望の対象には素直なはずだ。普段は硬い職業の奴だからこそ、公の職務以外では前みたいにギャーギャー騒いで、ツカサ君に迷惑をかけていたはず……)
なのに、あの「清廉潔白で誰にでも好かれる王国騎士団の団長です」とでも言わんばかりの、大人ぶった態度はなんだろうか。
ツカサに対してのあの紳士のように振る舞おうとする行動はなんなのか。
……まったくもって曜術師らしくない。
その妙な行動を、ブラックが見逃すはずなど無かった。
(ツカサ君が特異な曜術師なせいか、ツカサ君に寄ってくる奴らは態度を軟化させる事が多いけど……でも、アイツの態度はそういう話じゃない)
あの姿は、嫌と言うほど既知感がった。
己の中に生まれた理解しがたい衝動。今までの己の常識が通じずに戸惑い、子供のように戸惑って相手を意識し一歩退いてしまう無意識の行動。それらを自覚して尚、その解決法が見つからずに悶々として懊悩する、はたから見たら笑える姿。
心当たりがある。ありすぎた。
(…………あの野郎、まさかツカサ君に本気で……)
考えて、ブラックは片眉を歪める。
もし考えている事が当たっているとすれば、非常に厄介な事になる。
イラッとした理由も、もしかしたら――――そう考えて、ブラックは首を振った。
(いや、ツカサ君があんなクソ貴族になびくワケなんてないけど……でも……)
万が一、ということもある。
そう思い、ブラックは俯いて己の体を改めて見ながら軽く息を吐いた。
(これが僻みってヤツなんだろうか)
自分が劣っていると思うつもりはないし、ツカサが自分から離れて行くなんて事は未来永劫有り得ないと自負している。
だが、それと不安は別だ。
人と言う存在は、未来の己を守るために、必ず未来を憂う予想を思い浮かべて策を練る。そもそも、己を完璧だ常に順風満帆だと信じて疑わない傲慢な存在こそが、人と言う種として欠陥が有るのだと言わざるを得ない。
警戒を怠るものなど、獣としても下の下であると言えた。
だからこそ、ブラックは今まであの貴族を侮っていたのだ。
実力は有っても、己と相克を成すグリモアを手に入れていたとしても、所詮は鼻の青いガキでありこちらが有利であると思っていた。
結局、あの男は自分が唯一手に入れたかったものを奪う事も出来ないのだと。
(だけど……)
もしあの男が、自分が手に入れられない地位を手に入れたらどうなるのか。
ツカサの心に万が一にでも深く入り込んで、一時でも彼の心を支配するような事が起こってしまうのだとしたら……――――
(………………)
思考が、止まる。
それ以上考えるんじゃないと頭が訴えているようで、今までに感じた事の無かった感覚に、ブラックはただ戸惑うように視線を彷徨わせていた。
「……っ、く…………ブラック。手が止まってるわよ。どうしたの?」
「っ……! あ、ああ、なんでもない……」
シアンに呼びかけられて、一気に口が息を吸いこむ。
呼吸すら忘れて考える事を抑制していたらしい。自分でも少し驚きながら応えると、相手は不思議そうに吐息を漏らしたようだったが、背後から話しかけて来た。
「気分が悪いなら無理をしてはダメよ?」
「いや、大丈夫。……探すよ」
「早くしないとツカサが待ちかねているかも知れんぞ」
「ああうるさい分かってるって!」
駄熊にだけはせっつかれたくないと意気を取り戻し、ブラックは深く呼吸しながらも今自分達が居る場所をぐるりと見やった。
(……塔のように高い天井と、青鼠色の暗い岩の壁……。何も無い真四角の部屋に扉は無い。入って来た入り口は有るけど、またもや行き止まりだ。恐らく何か仕掛けが存在するんだろうけど……今回はなかなか見つからないな)
おおよそ安い宿屋の一室ほどの狭い空間だが、先程から壁や床を触って見ても“伝令穴”が見つからない。触れる壁はただひんやりとしているだけで、装飾のように紋様が刻まれている以外は何の変哲も無かった。
……かれこれ半刻、この部屋に詰めて、大人三人が仕掛けを探っている。
この異常さを思えば、ブラックが別の事を考え始めるのも無理はなかった。
だが、さすがに半刻は時間を割き過ぎだ。そろそろ答えを探さなければならない。
とは言え……未だに切欠は掴めないままだった。
この遺跡に入ってから逐一【索敵】で周囲を探っているが、今のところ自分が反応するような違和感は感知していない。怪しい金属の動きも炎の気配も無い。
生物らしきものが引っかからないのも、何度も確認していた。
(こう言う場合は、むしろ罠が有った方が分かりやすかったかも知れないなぁ……。あの書物には、順路に関する詳しい事が記載されていなかったし……ったく、本当に使えない資料だった。そもそも罠の種類も書いてなかったしな)
本来の遺跡調査なら記されている「生物の有無」だって、一言も言及は無かった。
普通の曜術師が入った時は、目立った生物は居なかったと言う事なのだろうか。
考えて、ブラックは難しげに顔を顰めた。
(まあ……それを言うなら、今だって同じか……生物の気配は僕達以外無いもんな。入ってからずっと……あの庭園の間でも……)
そう、反応が無かった。この遺跡に「生物」は存在しないのだ。
……ツカサ達が、モンスターのような存在に遭遇したにもかかわらず。
だからこそ、ブラックは今自分が潜入している遺跡を厄介だなと感じていた。
(ツカサ君が庭園の間で遭遇したモンスター……らしきもの。……僕も一応は探ってみたけど、まったく気配が感じられなかった。遭遇するまで、ソイツがどこにいるかすら判らなかったんだ。……つまり、新たに出現した『ワナ』は、生き物でもないし感知も出来ない……これが厄介じゃなくて何だと言う)
恐らくこの遺跡は、曜気を満たして本来の機能に近い能力を獲得しているはずだ。だからこそ、庭園の間に緑が生まれ水が流れていたのだろう。
とすれば、この場所にも解除できた罠以外の仕掛けが復活しているはずだ。
それが「どういう物」なのか。分からないのが、一番厄介だった。
(僕らは何とかなるから良いけど……ツカサ君は本当に大丈夫かな……)
いくら準飛竜の相棒がいるとはいえ、あっちは人間が二人だけだ。
ツカサが【黒曜の使者】の能力を持っていても、ただそれだけではお世辞にも「物事を一人で任せられる立派な冒険者」とは言えない。雑魚中の雑魚とも言う方が適当だろう。こればっかりはどうにもならない。
特殊能力を度外視し、贔屓の無い目で見れば、ツカサの曜術以外の技能は「前よりちょっとマシだけど一般人に毛の生えた程度」という評価以外の何物でも無かった。
だからこそ、迂闊に罠に嵌っていないか心配でたまらないのだ。
それに、今パーティーを組んでいる相手もある意味では危険人物でもあるし。
……そこまで考えて、ブラックは強く首を振った。
(い、いかんいかん。今は考えるな。ともかく……早くツカサ君達に答えを送るために、何か仕掛けを見つけないと……)
そう思いながら壁に触れ、刻まれた紋様を指で辿っていると――――――
背後で、カチリと変な音がした。
「…………」
恐る恐る、背後を振り返る。
すると、そこには。
「ムゥ、すまん。何かスイッチのような物を踏んだ」
……そこには、部屋の中央の石畳を踏んで、思いきり体重をかけている駄熊が。
「お、お前…………」
「すまん」
そう言いながら足を浮かせた駄熊の下で、沈み込んでいた地面が元に戻る。
すると――――部屋の上の方から、何かドドドドドと音がし始めた。
「…………これは……」
「あらあら、なんだか水の曜気の気配がするわねえ」
「なるほど、水責めか」
諸悪の根源がそう言った瞬間、自分達が入って来た入り口がふさがれる。
どうやら閉じる仕掛けが稼働したらしい。やっぱり気配は無かった。
だが今はそんな事などどうでも良い。
「この仕掛け、正解なのか? おい、正解で良いのか?」
シアンに問いかけるブラックに、相手は頬に手を当てつつ「あらあら」と朗らかに笑いながら、これみよがしに小首を傾げて見せた。
「まあ、なるようになるでしょうね。うふふ」
「うふふっ、じゃねええええ!!」
緑の洪水の次は本物の洪水とは。
徐々に量を増してくる上から降り注ぐ水飛沫にゲンナリしながらも、ブラックは「この事をどうやってツカサ君に教えよう……」と考えて溜息を吐いた。
(ツカサ君、コレちゃんと乗り切れるかなぁ……心配だ…………)
自分達は、まあシアンの言う通りどうにかなる。
だが、ツカサはそうもいかないだろう。
そんな罠初心者のツカサをあのいけすかない貴族が誘導するのかと思うと、それもそれで腹が立つ思いだが――――今はただ、早く合流する事しか出来ない。
こんな事になるのなら、意地でも手を離さなければ良かった。
そう痛感しながら、ブラックは高く暗い天井を見上げたのだった。
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