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海洞ダンジョン、真砂に揺らぐは沙羅の夢編
19.疑惑
しおりを挟む目の前の敵を斬り伏せて、青紫色の腐った体液を刃から振り落とす。
五十体目を相手にして以降、もう数える気も起きなかったので正確な数は分らないが、ぬめる感触をイヤと言うほど刀身から感じて来た。
(これがまだ続くのかなぁ……はぁ……)
一刻(一時間)ほど経過したが、ブラック達は既に第七層にまで到達している。だが、第五層からも風景はさして変わらず、上層階とまったく同じの廃虚になった集落を歩き続けていた。……もちろん、モンスターの大群が出てくるオマケつきで。
「はぁっ、は……はぁ……っ、す、すみませんっ……す、少し、休憩を……っ」
治まらない荒い息を吐きながら、必死に唾を呑み込んで話すのは、はた迷惑な病に掛かっていた冒険者のツレだ。
あの白髭オヤジが連れて来たのだから多少は使える奴らなのだろうと思っていたが、その予想は残念ながら外れだったようだ。
(この程度で息が上がる? 本当にコイツら冒険者なのか)
ブラックどころかあの駄熊ですら早く進めなくてイライラしている有様だというのに、何故こんなにも弱いモンスターの群れくらいで休憩を求めるのだろう。
ツカサでさえ、こんな風に休憩しろだのなんだのワガママは言わなかった。
雑魚の体力しか持たない自分の可愛い恋人以上に体力が無いなんて、雑魚以下の何と呼べばいいのだろうか。
ほとほと呆れ果ててしまって、ブラックは深い溜息を吐いた。
(いや……ツカサ君は【黒曜の使者】だし、元々後衛だからこういうのは関係ないのか……。にしたって、弱すぎじゃないのかコイツら)
策士も居ない状態のモンスターなど、何匹束ねても雑魚でしかない。そんな相手の行動なんてたかが知れている。もとより、知能もないモンスターなのだ。
力で切り伏せるだけで済む相手に対して、何故ここまで疲れる事が出来るのか。
(わっかんないなぁ……。ま、そんなコトはどうでも良いけど……息を整えるなら、早くしてくんないかなぁ。僕はさっさと大元を始末して、ツカサ君の所に帰ってドロドロな恋人セックスがしたいんだけど)
周囲にコープスがいないのを確認し、剣を鞘に戻しながらブラックは密かに笑う。
そう、帰ったらツカサとたっぷり愛し合えるのだ。それを思えばこそ、ブラックは一刻も早くダンジョンを攻略してツカサのところへ帰りたかったのである。
なんたって、今回は囁いた時からツカサがまんざらでもなかったのだ。
きっと、ブラックが大変だから気を使おうと思ったのだろうが、そういう労わりの気持ちでセックスに対する警戒心が緩くなるなんて、そうそう無い事だ。
だからこそ、今日はとても早く帰りたかった。
(はぁあ~、ツカサ君たらもうっ、僕が囁いただけであん~な可愛い顔して、ほっぺまで真っ赤にしちゃってぇ! 僕に首ったけなの丸わかりでもうっ、あっ、考えたらちょっとヤバくなってきた)
ツカサがベッドの上で一生懸命誘って来る想像をしただけで、股間がグンと滾ってしまう。だが、それも愛する恋人、いや婚約者を思えば仕方のない事だろう。
きっと今夜のツカサは、いつも以上にブラックに甘えてくれるに違いない。なんだったら、自分から股を開いて誘ってくれたりもしかねない。
なにせブラックの体をいたわってくれるつもりなのだ。目の前の御馳走を頂かないほど、こちらは耄碌していない。全力で誘ってくれるのなら、こちらも乗らねばそれこそ無作法と言うものだろう。
恥ずかしそうに身を縮めつつも、ブラックの為に足をゆっくりと開いて受け入れる姿勢になるツカサを想像して、そろそろペニスの滾りが抑えきれなくなりつつあったが、それを必死の思いで制し、ブラックは索敵しているフリをして首を動かした。
「ふー……にしても、一体なんなんだろうなあ、このダンジョン」
第四層から全く風景が変わらないのも妙だが、第七層まで頑なに同じ廃虚の集落だなんて、なんだか意味があるような気がして来るのも不思議だ。
(どうせヒマだし、探ってみるかな)
ダンジョンの核であろう「麗しの君」とやらを探す手がかりがあるかも知れない。
そう思い、ブラックは近場に在った吹きさらしの家屋の中を覗き見た。
「うわー、本当に廃虚だなあ」
コープスにかかりきりで今まで確認して居なかったが、上部が丸ごと崩れ去り最早四角い囲いでしかない家の廃虚は、ずいぶんと酷い状態になっている。かなりの年月が経過しているのか、砂がたっぷり入り込んでいて、もう家とは呼べない有様だ。
とはいえ、ここに人など住んだ事は無いのだろうなとブラックは思った。
ダンジョン内部に都市を造った……という話はいくつか聞いた事が有るが、しかしそれはあくまでも大迷宮に限る話だし、たかだか十層からなる簡単なダンジョン……しかも腐臭漂うモンスターだらけの場所になど、集落は出来ないだろう。
上層階と全く同じ風景や建物が配置されている所からして、この風景はダンジョン自身が作り出した幻影のような存在に違いない。
その証拠に、家の内部には人族が生活していた痕跡が見られない。
かまどに灰も無く、床板らしき木片は有るものの、誰かが踏みしめたような色など無く新品がそのまま劣化したかのような感じだ。
(なーんか作りが甘いんだよなあ。そのくせ、執拗にこの風景を持ち出してくるのは、何か思い入れがあるってことなのかねえ)
――このダンジョンは、恋に狂ってモンスターに変化した、哀れな男の腹の中だと言う。だとしたら、その男の記憶に残る風景が具現化したとしてもおかしくは無い。
とはいえ、そこまで執着するような風景だろうか。
それとも、深い部分にまで突き刺さった傷が、このような風景を生むのか。
ダンジョンの主の事など考えた事など無かったが、意志が存在するダンジョンではこのようなことも起こるのかも知れない。
(廃虚が何層も続くような荒れた気持ちがあったってことか? まあそりゃ、好きな奴に相手にされなくて呪いをかけるような男だもんなあ……)
ブラックだって、ツカサに愛されていなかったら恐ろしい事をしでかしたかも知れないが、しかしだからと言って心象風景がこれというのは失笑を禁じ得ない。
まるで、振られたと言ってメソメソしている女々しい気持ちのようではないか。
(僕だって最初はツカサ君に嫌われてたけど、だからって諦められるような存在じゃ無かった。そう思ったから、必死に食らいついたんだ。……何もかも捨てる覚悟で。そんな覚悟も出来なかった相手なら、それまでの相手って事だろうに)
運命の相手、というのは理解出来る。
だが、だからと言って溺れすぎてしまうのは理解出来ない。
盲目さは敵だ。相手の全てを素晴らしいと思えば思うほど、拒絶された時や相手の行動に失望した時の感情の揺り戻しは酷くなる。
そうなりたくなければ、もっと頭を使って籠絡すればよかったのに。
(ホント、頭の悪い奴の気持ちって分かんないよなぁ)
一度の拒絶でくじけて全てを呪うようになった心が脆い男の気持ちなど、ブラックには理解出来なかった。
自分が、半ば狂いそうになりながらも、愛しい相手をなりふり構わずに追いかけて手に入れたからこそ。
「……なにをしておる」
下らない事を考えていると、背後から誰かが近寄って来た。
この声と、そのわざとらしい口調からすると、相手は一人だけだ。ブラックは面倒な相手が近付いて来たなと思いつつ振り返った。
「核の居場所に、何か手がかりが無いかと思ってね」
色々と考えていた事を突かれるのも嫌なので適当に応えると、白髭の老人は「なるほど」と言わんばかりに軽く頷いて隣に並び立って来た。
熊公と二人で並ぶのも鬱陶しいのに、老人に並ばれても何も嬉しくない。
思わず眉根を寄せたブラックの気持ちを知ってか知らずか、相手は髭を扱いた。
「…………たしかに、手がかりになるかも知れんな」
「何か知ってるのか」
そう問いかけると、相手は何故か神妙な顔をして目を細める。
「……これは恐らく、件の男がモンスターに変化した時に薙ぎ払ったシムロの街だ。自分の生家だった商館の近くを模した物だろう。その様子は、下層に行くにつれて段々と商館近付いて来ている」
「え……本当に?」
思わず問いかけるブラックに、相手は真剣な横顔で頷いた。
「最下層は、商館では無いがの。……まさしく蛇の腹の中じゃ。これだけ己の所業を体内で再現し悔いていても、本性は抑えきれんのだろう。今は、ただの虚ろな亡骸となっておるが……核が再び動き出したということは、また恨みがぶり返したんじゃろうなあ。……それもこれも、無遠慮な人族が再び踏み荒らし始めたせいじゃ」
そこまで言うと、何かに気が付いたようなハッとした顔をして、話の流れを変えるように相手はゴホンと咳を一つ漏らして沈黙した。
暫し、生温い微風だけが耳を舐めていたが――やがて、冷静さを取り戻したのか、いつもの気だるげで飄々とした様子でブラックの方を見やった。
「ともかく、ワシらは今度こそあの【麗しの君】を討つ。もう二度とこのダンジョンに誰かを喰わせるような真似はさせん。絶対にじゃ」
その目は、いつも見ていたような淀んだものではない。
どこか老人らしからぬ、まるで快活な青年が憎しみを抱く目のような――ギラギラとした光を灯す目になっていた。
「…………随分と私情が入ってるみたいだな」
「うるさい。自分の弟子が狙われたらそうも思うわ。……もうそろそろ出発するぞ」
言いながら、相手は踵を返して行ってしまった。
まるで、今の会話に「もう話を続けたくないなにか」があったかのように。
(……そんなにツカサ君に心を傾けてるのかな。しかし、どうも変だな……)
うまく言い表せないが、あの老人の言い草にはどこか引っかかる所がある。
いつものわざとらしい老人口調が消える所からも、強い感情を抱かせる何かが彼の記憶の中に存在するに違いない。しかし、それが何だと言うのか。
(案外、それだけツカサ君に対しての思いがある……とか……)
しかし、それにしてはあの師匠から「メスに恋慕するオス」のような態度は感じた事が無い。ブラックからして見ても、カーデ・アズ・カジャックという薬師の老人は、本当に真っ当な気持ちで弟子としてツカサを可愛がっていた。
だからこそブラックも平気で一緒に居させているのだが……それはともかく。
ツカサに対して、なにをそんなに強く思う事が有るのか。
久しぶりにとった弟子と言うことで、ツカサを大事に思っているのだろうか。
それにしては……表情が不穏な物のような気がするのだが。
「よく解らないけど……どうにもきな臭いね……」
言い表せない不安があるのなら、用心するに越したことはない。
だが、相手が自分と同じ【限定解除級】の曜術師というのは厄介だ。
(暴走しても裏切っても、どっちにしろ面倒臭いことになりそ……)
今日中に戻る事は難しくないだろうが、他の奴らの命の保証は出来ない。
しかし、一人で帰って来てもツカサは喜ばないだろう。
健全な恋人セックスを営むためには、ブラックも善行を積む必要があるのである。
「あ~~~~~面倒臭い! もーやだっ、めんどいめんどいめんどい……」
せっかく気分が良かったのに、この盛り上がりに水を差さないでほしい。
まあ、そんな事を言っても仕方がないのだが。
ぶつくさ言いながら、他の連中が待っている場所へと戻り始めるブラックだった。
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