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海洞都市シムロ、海だ!修行だ!スリラーだ!編
30.大切なもののために
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「彼奴らが欲しがっておるのは【ガラグール】という“香骨”じゃよ」
「こ、コーコツ……?」
恍惚、いや甲骨だろうか。
勉強部屋代わりの診察室で椅子に行儀よく座りつつ悩む俺に、カーデ師匠は長い白髭を扱きながら「違う」と首を振った。なんで俺の思考読めるんスか。
「そうではない。香る、骨。香木と同じく“香りを楽しむためのもの”で、香骨じゃ。これを特定の方法で燃やすと、芳しい香りが漂う……お香の素のようなもんじゃな」
「そ、そっちっすか」
「コレしかなかろうが。……ともかく、海洞ダンジョンは十層からなるが、その内の第三から第五まではコープスのみの根城じゃ。第三層から人が多くなるのは、奴らの素材……骨を狙っての事じゃろう。第三層にあれだけ冒険者が多かったのは、そこのコープスが一番弱いからで、なおかつ素材が出にくいからだの」
師匠が言うには、モンスターから剥ぎ取れる素材というのは強ければ強いほど質の良いモノが入手できるが、反対に同じモンスターでも弱い個体だと、質の悪い素材やヘタをすると素材自体が取れなかったりするのだそうだ。
なんだかゲームめいた話だけど、栄養が行きわたってない肉……と考えたら、そういうのも仕方がないのだろうか。現実的だったりゲームだったりで調子狂うなあ。
……ともかく、あの凄まじい数の冒険者達は、そういう理由で一日中ダンジョンに潜って無限湧きするコープスを狩ってたんだな……。
話では、第三層より下の階層に行けば強いコープスから【ガラグール】という香骨が簡単に採取出来るらしいのだが、並大抵の冒険者では太刀打ちできない強さなのだそうで、八割の冒険者があそこにたむろっているらしい。
だけど、前述のとおり弱い個体は素材のドロップ率が低い。なので、みなさん延々とあそこでコープス退治をつづけているのだそうで……。
「いや、あの、根本的な話なんスけど、どうしてそんな一日中モンスターを追い回す面倒な作業をみんな続けてるんです? その【ガラグール】って、売ったらそれなりにお金が稼げるモノなんですか?」
それに、この前まで全然人気が無かったのに、急に人が押し掛けるなんて変だ。
納得がいかないなと顔を顰めてしまった俺に、師匠は少し考えるように腕を組み、それから俺に流し目を寄越した。
「……まあ、酒場のマスター……ギルドの責任者から聞いた話じゃが、なにやらその【ガラグール】と似た香を求める貴族がおるらしくてな。大方その貴族が、幾らでも買うとでも吹聴したんじゃろう。そうでなければ、こうも人が増えまい」
「似た香って……その香骨そのものじゃないんスよね?」
話の感じからすると、どうも「代用品」っぽいよなぁ……。
もし貴族が何かを依頼しているんだとしても、代用品なんかで満足するんだろうか。それに、あるだけ欲しいだなんて、どれだけ散在する気なのか。
貴族なら有り得るけど、しかしなんか納得いかない。
そんな気持ちを込めて再び師匠に問いかけた俺に、相手は長い髭を扱いて見せた。
「そうじゃなぁ。じゃが件の“似たような香”というのが、これまた【ガラグール】に輪を掛けて入手が難しい物らしくてのう。大方廉価版でも良いから欲しいということなんじゃろ」
「そ、そんな妥協する貴族とかいるんですか……」
「冒険者だってそうじゃろうが。タバコが欲しい不健康者は、我慢が出来なくなれば粗悪なタバコだろうが吸う。人族というものは、欲望に弱いもんじゃ。一時の幸福の為なら罪とて簡単に犯す」
そりゃまあ、この世界の人って俺の世界の人間よりも欲望に素直で、えっちな事も明け透けに言っちゃったりヤッちゃったりするような感じだけど……貴族まで廉価版でもいいからブツが欲しいだなんて、なんだか極まってるなぁ……。
本物は、そんなにもう一度嗅ぎたくなるお香だったんだろうか。
しかし、今の言い方はなんか凄く突き放した感じだったぞ。
いくら毒舌のカーデ師匠でも、今の言い方はちょっと突き放し過ぎなのでは。そう思って師匠の顔を見上げたけど、相手はなんだかいつもと違う様子だった。
……もしかして、何か思う所が有るのかな……?
うーん、考えてみればそうだよな。
いつもはギャハギャハ笑ってて、今はらしくないシリアスな顔をしてる師匠も、俺より何十倍も年を取ってるんだし……そういう場面を沢山見て来たんだよな。
中には、悲しい事や憤った思い出もあったんだろう。
経験から来るその思いを俺が理解するのは難しそうだけど……どこか遠い場所を見ている師匠は、なんだか寂しそうな悲しそうな感じに見えた。その顔に俺が気付くと、すぐに元のだらしない感じに戻ってしまったけれど。
「ま、そういう感じであやつらは広場で延々と素材探しを繰り返しとるワケじゃな。こっちとしては、お前の修行が捗るから好都合じゃが」
「…………そ、それは薬を売る的な意味で……?」
「よう分かっとるのう、はっはっはー! ここらが一気に稼ぎ時じゃ! と言うワケで、お前にもここらで回復薬の“等級”について学んで貰うぞい」
さあてはじめるぞ、なんて言いつつ、師匠はテーブルの上に数本の回復薬を並べて見せる。俺にはどれも普通の薬の瓶にしか見えなかったが、師匠は「とりあえずそれぞれ飲んで見せろ」と何枚もの小皿に回復薬を零して見せた。
「こ、これ飲むんですか?」
「体感した方が早いからのう。ヘンなモンは入ってないから安心せい」
「うぅ……」
本当は、ダンジョンに潜る冒険者の話をもっと聞きたかったのだが、しかし師匠に口答えをするとゲンコツが飛んできそうなので言うに言えない。
色々と釈然としない物を感じながらも、俺は一番左の薬から口を付けた。
「…………」
うむ、普通のマズい回復薬だ。昔の薬みたいな独特の味がする。なんというか……栄養ドリンクから生薬の味だけ取り出したみたいな……。
ともかく、コレがどんな等級なのかとか色々な事を感じなきゃいけないんだよな。でも、自分の体を確認しても、金色の光も見えないし別に疲れが取れた感じも無い。
怪我でもしてた方が良かっただろうかと思ったけど、師匠は俺の様子を見て「次を飲んでみい」と急かした。
その後も何個か回復薬を飲んでみたが、何か違う感じがしたのは三本ほどで、他の回復薬はマズいだけだった。なんだこれ。
「……その中で、何か違うと感じた薬はあるか?」
「えっと……コレとコレと……あとコレです」
感じたままに、三本抜き出して自分の方へと引き寄せてみると、カーデ師匠は満足したようにニヤリと白髭の奥の口を歪めた。
「それなりに感覚は良いようじゃな。左様、それら三本が本来の回復薬じゃ。他のはお前ら冒険者が言う“ハズレ”の薬じゃな」
「マジですか! やったー、あたった!」
俺の感覚はまともだったぞ、と思わず諸手を上げて喜んだが、師匠にチッチと指を振られて喜びを無理矢理鎮められてしまう。
なんでそんな「まだまだだな」みたいなジェスチャーするんスか。
「感じられたと言っても、お前はただ飲んだ感覚……つまり、いつもの回復薬を思い出して、その記憶に当てはめようとしただけじゃ。それでは【鑑定】には及ばぬ」
「これじゃ駄目なんですか?」
「記憶による判別も悪い事ではないが、それじゃと“知らない効果”がある薬を飲んだ時も、ハズレの回復薬を呑んだ時と同じように、何も感じず罠にハマるじゃろうが。その危険を減らすために、しっかりと“等級”と成分を把握出来るようになるのじゃ」
「でも、俺まだ何も知りませんよ」
そう言うと、師匠は呆れたように肩を落とした。
なんですかっ、何でそうあからさまな態度でバカにするんですかっ。
「ま、素人じゃ仕方ないか。……いいか、ワシらは自然の力を感じる事が出来るもの――“木の曜術師”じゃぞ。本来ならば、我らは植物すべての鼓動を感じられる稀有な存在なのだ。例えそれが、形を変えた物だとしても」
「…………」
えっと……それは……どういう意味、なんだろうか。
そりゃ、木属性なんだから植物の事は他の曜術師よりは理解出来るだろう。
木の曜術で植物が元気かどうかも把握できるし、枯らす事だって自在だ。だけど、他の曜術師は他の属性を極める事が出来るんだ。俺達が特別に稀有だというワケでは無いと思うんだけど……師匠は別にそういう事を言いたいんじゃないよな。
いまいち分からない、と目を瞬かせる俺に、師匠は何故か緩く微笑んできた。
そうして、まるで俺の爺ちゃんみたいに優しく頭に手を乗せて……。
「お前なら、感じられるはずじゃ。まどろっこしい調合法を教えても良いが、それでは規格外のお主のためにはならんだろう。だから、自分で見つけて体で覚えるのじゃ。ワシと同じ“稀有な存在”であるお主なら……薬と化した命すら理解出来る」
「……師匠…………」
何だかよく解らないけど、でも、師匠は俺の事を凄く買ってくれているのかな。
……俺なら出来るって信じているから、普通の方法を教えずに、あえて難しい方を選ばせようとしているんだろうか。でも、だとしたら……答えてみたい。
いっつも俺のこと小馬鹿にしたり笑ったりするけど、でもカーデ師匠は教えるべきはキチンと教えてくれたし、俺の物覚えの悪さに辟易しつつも、投げ出したりせずに根気よく教えてくれた。そんな師匠が「俺なら出来る」と言うのなら、応えないワケにはいかない。
俺のダメな所も知っていて、師匠は俺の能力を信じてくれているんだ。
だったら、返事なんて一つしかないよな。
「わかりました。時間がかかるかも知れないけど……やってみます!!」
そう言うと、師匠は嬉しそうに目を細めて俺の頭をポンポンと叩いた。
「うむ。お主ならそう言うと思っておった。……その研鑽の中で、新たに気付く事も有ろう。あの薬草畑は、お主が自由に使ってよい。これから【ガラグール】を含めて“効果を落とした”回復薬の調合法を教えてやるから、それを使って更に励むがいい。等級に関する大まかな規制は教えるから、それに近付けるように精進するのじゃ」
信じてくれているんだと思うと、心が温かくなってやる気が湧いてくる。
早く“普通”の、誰が飲んでも安全な、回復薬を作れるようになって、師匠に「よくやった」と言われたい。そう思うとなんだか子供染みた興奮が湧き上がって来て、俺は師匠を見上げながら何度も頷いていた。
「――――というワケで、俺はこれから回復薬もたくさん作らにゃいかんのだ」
「えぇー……ツカサ君大丈夫なの……? 朝から回復薬作って、夜はアッチの世界の勉強してだなんて、休む暇ないじゃないか」
狭くて薄暗い勉強部屋、相変わらずブラックの膝の上に乗せられて恥ずかしい格好になっているが、今日の俺はやる気と興奮でそれどころではなかった。
期待されるというのは嬉しい事だ。それが、自分にとっては凄い人であり、さらに「お前も稀有な存在だ」と励まされたら、奮起せずにはいられないだろう。
自分の力を認めて貰えるのは、なにより嬉しいことだ。
最近は少しずつだけど後衛としての仕事が出来るようになって来たし、ブラックにも「やるじゃん」って言って貰えた。歩みは遅いけど、着実に力が付いてるんだ。
だからこそ、ここで師匠にも認められたのが更に俺を焚きつけた。
もっともっと頑張ったら、もっと早く有能な後衛になれて、師匠みたいに自画自賛が出来る薬師になれるかもしれないって。
そう思うともう居ても立ってもいられず、俺は史上最高のやる気に満ちていた。
しかし、そんな俺に対してブラックは何やら心配そうで、素直に喜んでくれない。
クロウもペコリア達もロクも「良かったね!」って凄く喜んでくれたのに、なんでお前は拍手の一つもくれないんだ。しかも嫌そうだし、よく分からん。
休む暇がないって、そりゃ修行してるんだから多少は忙しくなるだろうよ。
でも、それは仕方ないだろう。修行ってのは、休みも気にせず鍛錬に明け暮れる厳しい毎日を送るものなのだ。漫画や映画では、谷間の橋に吊るされて訓練するとか、一日中壺の上で生活とか、とにかく俺よりも厳しい修行をしている人がいる。それに比べたら、俺は全然楽な方だし現実的だろう。
むしろエンジョイしてて、辛い修行をしている人に申し訳ないくらいだ。
よく眠れて勉強も楽しいし、何より強くなる実感が俺を高揚させてくれる。唯一、俺の世界の勉強だけはテンションが下がるが、それ以外は楽しいし物凄くやりがいがあるんだ。暇がないなんて些細なことだろう。
心配してくれるのはありがたいけど、でも俺は今燃えてるんだ。
今、このやる気で突っ走ってしまいたいんだよ。お前も男なら分かるだろ。
そう思いブラックを振り返るが、相手は不満げに口を尖らせ眉根を寄せていて。
「なんだよ。せっかく人がやる気に燃えてるってのに……」
「ソレが問題なんだよ。ツカサ君、最近頑張りすぎじゃない? 全然休んでないじゃないか。そのせいで最近恋人らしいコト出来ないし、セックスもお預けだし……」
「いや後半の言い分はお前の不満じゃねーか」
「なんでさ、僕だって不満言ったっていいじゃないか! ほらこれっ、この指見て! ここに嵌ってる指輪なーんだ!?」
そう言いながら、ブラックは左手の指に嵌った指輪を見せつけて来る。
特定の意味を持つ指にしっかりと絡みついた、少し歪な輪をした指輪を。
その輪の中に挟まった濃密な琥珀色の宝石を見て、俺は思わず素肌に触れる菫色の宝石を思い、顎を引く。すると、ブラックは唐突に俺を抱き締めて来た。
「ちょっ……べ、勉強……」
「ツカサ君は、僕と勉強とどっちが大事なのさ」
「お前そんな、めんどくさい女子みたいな……」
「面倒くさくても良いよ。僕は、勉強なんかにツカサ君を取られるのヤなんだよ。ねぇ、もう今日くらい休もう……? 休んで、イチャイチャしようよ……」
そんな世迷言を言いながら、ブラックは俺の首筋に顔を埋めて来る。
夜になってヒゲが濃くなった顎が、容赦なく俺の肩口をざりざりと刺す。だけど、その刺激すら痛いというよりも変な感じ方になってしまって、体が跳ねてしまった。
ヤバい。そうは思っても、体を拘束して首筋にキスして来るブラックに抵抗する力なんて、今の俺には無かった。
それを良い事に、ブラックは音を立てて俺の首筋に吸い付いて来る。
「やっ、ばっバカ、もうダメだってっ! 明日もダンジョン行くんだから……!」
「キスも駄目なの? 僕、たくさん我慢してるのに……ツカサ君と毎日毎日ドロドロになるくらいセックスしたいって気持ち我慢してるのに……?」
そう言いながら、ブラックは綺麗な菫色の瞳で俺を見上げて来る。
「う゛……」
あまりにも情けない顔だ。
でも、これを断ると……ロクでも無い事になるのは目に見えているワケで……。
「…………キスする、だけだぞ……」
「今日は勉強しない? 僕とイチャイチャするだけにする?」
「あーあーもう分かった分かったから!」
そう言うと、ブラックは心底嬉しそうに笑って、今度は口にキスをして来た。
痛い。ヒゲが痛いっつんだよ、このバカチン。
「あはっ。ツカサ君、顔真っ赤だぁ。んもぉ~、ツカサ君も僕とイチャイチャ出来て嬉しいんなら、素直にそう言えばいいのにぃ」
「ばーっ!! もうやめるぞ!?」
からかうならやめる、と肩を押し退けようとするが、ブラックはびくともしない。
それどころか、嬉しそうに再び顔を近付けて来た。
「ツカサ君……恋人同士のキスしたいなぁ……。ね……キスして……?」
「…………。しょ……ぅ……しょう……が、ない……な……」
……そりゃ、俺が「頑張る」って、いいましたし。自分から恋人らしくするって、決めたけども……でも、それってねだられてするんじゃなくて……ああもういいか。
決めた事なんだから、貫かないと。
その代わりに勉強出来なくなっちゃったけど……仕方ないよな。
まだ時間は有るんだから、明日頑張ればいいんだ。
ブラックとのことだって大事だし、勉強より……その……重要な案件が出来る時だって、あるし。優先させるべき物の中で、勉強が一番低いわけだし。
なら、もう、大事なコトから先に片付けた方が良いに決まっている。
だから今日だけは、あっちの世界の勉強を忘れよう。ブラックだって俺の事を少しは心配して「休め」って言ったのかも知れないし。そういう優しさを受け入れるのも、男の器量ってヤツだよな。うん。だから、俺は男として、休むんだ。
……なんかこれを「男として」なんて言うのはヘンだけど、まあいい。
一個ずつ、少しずつ頑張って、立派な一人前の男になるって決めたんだから。
これもその一環なんだ。ちゃんとした恋人同士として、恋人らしい行為を自分からも出来るようになって、ブラックを満足させてやるための……その……うん。
とにかく、今日はもう、勉強はやめておこう。コイツの機嫌を損ねないためにも。
そう思いつつ、俺は――――じりじりと、顔を近付けた。
→
※だいぶん遅れてしまって申し訳ないです…_| ̄|○
次から新しい章です!
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