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海洞都市シムロ、海だ!修行だ!スリラーだ!編
23.常識をひっくり返すのは難しい
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「きょ……今日もハードだった……」
台所にぬるま湯を溜めた桶を置いて、タオル代わりの布を持つ。
上半身裸のまま布を浸し、体をごしごしと拭き洗いしながら俺は息を吐いた。
――海洞ダンジョンに潜ってから数日。なんとか修行の成果は出始めたが、やはり毎日限界まで曜術を使うとなると体力だけでなく精神的にキツい。
無傷で帰れるようになっても、心の摩耗がハンパなかった。
なんせ、曜術は「イメージ」と「意志」が基本だ。つまり凄く頭を使う。
ずっと集中し続けていたら、そりゃもう頭がショートしたって仕方がないだろう。
ペコリア達のお蔭で敵にボコられるような惨事は起きなくなったが、しかし精神が摩耗してしまうのはどうしようもない。
連続で三日目ともなるとだんだん頭が働かなくなってきて、今日の夕メシは何でもいいか……味の付いた汁とかで……なんて思うような状態になってしまっていた。
しかし、それでも俺には癒しがある。もちろんロクショウとペコリア達だ。
「クゥックゥッ」
今も、俺の傍で三匹のペコリアとロクが床で転がりながら意思疎通をしている。
モコモコした可愛いワタアメうさぎのペコリア達に囲まれるロクは、通常でも最高に可愛いのにその可愛さが二倍増しになっている。
ああ、なんでこう可愛い動物が戯れている姿って素晴らしいんだろう。
思わず手に持った布を強めに絞ってしまう俺に構わず、ロクショウはペコリア達と何か――恐らく、今日のダンジョンでの様子を聞いているらしく、首を傾げていた。
「キュー?」
可愛く頭を横にするロクに、ペコリア達が身振り手振りを交えて話す。
「クゥー。くきゃーっきゃふーっ、クゥー!」
「クゥウ!」
「クックゥー!」
「キュゥウウ……!」
ハッ……はぁあ……ッ!!
ちっちゃい前足でパンチの真似をしたりピョンピョン飛び跳ねるペコちゃん可愛いんですけどぉ……! そしてそれをロクが目を丸くして、長い首をくねらせてるのがまた可愛過ぎるうぅう!! ああもう、ほんっとこの世界のモンスター最高……っ。
精神的に疲れたけど、ロクショウ達を見てるだけで心が回復するよぉ。
「お前本当にヤバい奴じゃのう」
「あっ、師匠! やめて下さいよ俺はただの可愛いものを愛でる紳士ですよ!」
「その紳士が変質者みたい顔をすりゃあ変質者としか言いようがないじゃろ」
まあごもっとも。
でも可愛いものを愛でないのは俺の主義に反するので変えようも無いのです。
そこはご配慮いただきたいと厳しい顔つきで師匠を見ると、相手は「真面目な顔でアホな事を言うな」と俺を一蹴した。酷い。
っていうか師匠、てっきり帰ったと思ったのに何でここに居るんだろう。
「師匠、なにか用事ですか?」
「おおそうじゃった。お前も中々物覚えが良いから、明日からは第三層まで潜ろうかと思っておるのじゃが……その前に、一日準備期間をやろうとおもっておるのだ」
「えっ、休みって事ですか?」
てっきり明日もしごかれると思っていたので、思わず驚いてしまう。
しかし師匠は「何を驚いておる」と言わんばかりに呆れ顔で眉を吊り上げた。
「無論その際も腕が鈍らんよう、植物を操るなどの修業は多少やれと命令するが……しかし、ヒヨッコのお前では連日の修行は辛かろう。それに、ダンジョンの第三層からはモンスターどもも桁違いじゃ。お前はそこまで体力が無いようだし、一日休んだ方が良かろうと思ってな」
「し、師匠……!」
本当師匠って口は悪いしスグに手が出るけど、それ以外はまともだなあ。
何故かそのことがやけに尊いように思えて感動していると、師匠は唐突に俺の額にデコピンを喰らわせた。い、痛い。
「なにすんですかぁっ!」
「お前はそういう所がいかんのだ。すぐに自分の世界に入るし、自分の常識が当然と思うてモンスターを愛でよう愛でようとする」
「それの何が悪いんですかあ」
だって可愛いんだもん。仕方ないじゃないか。
ダンジョンのモンスターには攻撃しまくってるせいで近付けないけど、でも友好的なロクショウやペコリア達を見ていると、可愛いと思うのは当然だろう。
つーか敵でも可愛いじゃないか。仲良くなれるならなりたいじゃないか。
何故それがいけない事なのかとヒリヒリする額を抑えながら師匠を睨むと、相手は妙に真剣な顔をして、ずいっと俺に顔を近付けて来た。おお、白髭が長い。
「いいか。モンスターは基本的に人族を害する物じゃ。捕食者であり敵対者である。その認識は絶対で、お前に力を貸すようなモンスターの方が異常なんじゃ。……そもそもの話、こやつらモンスターの凶暴性は、守護獣として飼い慣らした程度で押さえられるものでは無い。使役する者の力が弱まれば、いつ牙を剥かれてもおかしく無いのじゃぞ。そんなバケモノを愛でるお前は完全に変態の極地じゃ」
「そ、そこまで言わなくても……」
しかし……そう言われてみれば、ブラックも出会って最初の頃は、俺がロクショウと人目を憚らずイチャイチャしてたのを嫌そうな顔で見てたっけ……。
でも、俺は以前、主人を待ち続けている人懐こいマンティコア(ライオンの尻尾がサソリになってるタイプ)を見たことがあるし、偉いお姉様に頂いた藍鉄だって人を無暗に敵視したり“お願い”を拒否した事なんて一度もないのを知っている。
そりゃ、確かに攻撃的なモンスターの方が多かったけど……それでも、意思疎通が出来ないなんて事は無いってのは俺は充分に分かってるんだ。
けど、師匠が言うにはそれも「奇跡の連続」でしかないらしい。
何故そこまでモンスターに対して警戒心を抱くのかと思ったけど……何千年も怪物と暮らしてきた人達からすれば、それも当然なのかな……。
その長い歴史を考えたら、モンスターは基本的に害悪だって認識になるのも仕方がないのかも知れない。この世界の人達だって、長い時間を掛けて世界中のモンスターの生態を研究したりしてたんだろうし。
まあ、俺としては納得しかねる師匠の言葉ではあるが、異世界人でしかない俺が突っぱねるには、あまりにも重すぎる見解だ。拒否は出来ないよなあ……。
だってさ、俺は人間に対して刃を突き付けた事もないし、危険な生物と真っ向から敵対し続けていたワケでも無いんだ。平和な場所で暮らしていたんだよ。
だから小さいモンスターを可愛いと思ってしまう。それに、こちらが愛情を示せば理解してくれる……なんて甘っちょろいことも考えちまうんだ。
けれどそれは、俺自身の勝手な思い込みでしかない。
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連綿と紡がれてきた古のノウハウによって「危険だ」と断じられているのなら、たかだか十七年平和に生きただけの俺に反論する資格など無いだろう。
師匠が断定的に言えるだけの事例は、恐らく過去に何万と存在しているのだから。
ぶっちゃけ、反発する気持ちも有るし……可愛いものにすぐ飛びついてしまうのは俺のサガだけど……でも、師匠に言われたように、「頑固」は危険なんだよな。
自分の……異世界人の常識だけで物事を考えてはいけないんだ。
だったら、今回ばかりは気を引き締めるべきだろう。
とは言え不承不承と言った様子で頷いてしまったが、それでも俺の心意気は師匠に伝わったのか、相手は「ウム」と呟いて俺の頭をポンと叩いた。
「他者の言葉を理解しようとする心は良い。……まあ、お前とそこらのペコリア達の絆を疑っておる訳では……うおっ!? ヘビがおる!!」
今頃気付いたのか、師匠はビクッと体を動かしてそのまま台所の入口まで思いきり飛び退いた。ど、どんだけ爬虫類嫌いなんですか師匠……。
「あ、あの、師匠……それで、お話の続きは……」
「おっ、おう、そうじゃった……。まあ、つまり、だ。次の階層はお前が思っているような明るい海のダンジョンなどではない。モンスターに懸想するような浮ついた心持ちでは、精神に異常をきたしかねん。……そろそろ、討伐するという気持ちに切り替えておけ」
「は……はい……」
なんだか、師匠の様子がいつもと違う気がする。
でも、師匠が真面目な顔をするということは、それだけ重要な話なのだろう。
思わず正座をして師匠を見上げると、相手は咳払いを一つして再び口を開いた。
「それと……今度必要になるのは回復薬だ。明日、ラッタディアからの貨物が纏めて届くだろうから、それを使ってありったけ作っておけ。数十本は確実にな」
「ありったけって……ええ!? それ休めって言ってなくないですか!? つーか他の材料とかどうすんですか!」
「それはお前が用意せんかい。そこまで面倒見れるか」
「えええええええ」
俺が回復薬をたくさん作れると言っても、何十本も作れば絶対に疲れるぞ。
そんなの休みなんて言わないじゃないかっ。それに、聖水以外の他の材料は自分でどうにか調達しろって、どう考えても休み潰れない!?
結局精神すり減っちまうじゃねえかあああ!
「んじゃな。夜は戸締り忘れるなよー」
「師匠おおおお!!」
なんつうご無体な事を命令するんだと叫んだが、時すでに遅し。
台所の入口には誰も居なくなってしまっていたのであった……。
「クゥ~?」
「キュ~……」
がっくりきた俺に、ペコリア達とロクショウが寄り添ってくれる。
ああ、本当に優しいなあ君達は……。
「うぅ……ありがとなあ……」
ペコリア達とロクショウの頭をかわるがわる撫でながら、可愛さと優しさを存分に噛み締めていると、階段をギシギシ言わせながら誰かが下りて来た。
誰だろうと顔を上げると、さきほどまで師匠が居た場所にヒョイと顔が出る。
ウェーブがかった赤い髪なんて、一人しかない。
「どしたのツカサ君、なんか叫び声が聞こえたけど」
「ああ、いや……明日は休みだけど休みじゃないみたいな……」
「え? なにそれ」
いや、うん、そうですよね……。でもそれを説明する気力は今の俺には無い。
つーか湯冷めしそう。そういや今まで上半身素っ裸だったな……。
乾いた布で体を拭いて乾かしつつ、俺はシャツを頭から被る。
「つーかーさ君っ」
「ん? ……って、うおっ!?」
シャツから頭を出した、と思ったら、急に目の前にオッサンの顔が飛び込んできて反射的にのけぞってしまう。
しかしブラックはそんな俺の腕を掴んで支えながら、元の姿勢に戻してくれた。
なんだか妙にニコニコしているが、何か嬉しい事でもあったんだろうか。
「ねえツカサ君」
「な、なんだよ」
「ん? んん?」
無精髭だらけの濃い顔で、ニコニコしながらブラックは首を傾げて来る。
やけに言葉少なで、何を言いたいのか解らずに数秒眉根を寄せてしまったが――――相手の意図を理解し、俺は息が詰まった。
要するに、これは……き、昨日約束した……アレを……っ。
……しかし、あの……いや、約束とは言えその、ロクとペコリアがいるのに……!
ああでもあの、なんつうか、その……し、仕方ないかくそう!
「……ろ……ロクショウ、ペコリア。あ……あの、な? ちょっとだけ……その、目を、つぶってて……くれないかな……。俺が、イイって言うまで……」
「クゥ? クゥ~」
「キュゥ~?」
俺の周りにいる可愛いモンスター達は、こうかなと言わんばかりに小さいお手手で一生懸命目を隠してくれる。その可愛さに思わず昇天してしまいそうだったのだが、しかし今は発狂してはいられない。
いつまでも“お願い”していられないと覚悟を決めて、俺は……ああもうなんか心臓ドキドキすんだけど、痛いんだけど! このっ、ちくしょう、なんだってこう覚悟を決めてもこうなるんだよ、男が一度決めたことだってのに何でこうも……!
「ふふ……」
うううううう……くそっ、笑いやがって……。
元はと言えば、お前が至近距離でニヤニヤするから悪いのに。チクショウめ、これだからイケメンってのは嫌いなんだもう!!
「ん? ツカサ君、どしたの? んん~?」
「ぐっ……うっ、うるさいぃ……! もう良いからお前も目ぇつぶれよ!」
「あれっ、目を瞑れって……ツカサ君ナニしてくれるの?」
「いいから早く!」
解ってるくせに。マジで性格悪い……!
歯ぎしりしながら睨み付けると、ブラックはクスクスと笑いながら目を閉じた。
……いつもそのくらい素直なら助かるのに。
そんなことを思い、余計に胸が動悸で苦しくなりつつも……俺は唾を呑み込んで、目の前にある顔に……ゆっくりと顔を寄せた。
「……っ…………」
あっ、ああもう駄目だ、見てらんない。
何度もやってる事のはずなのに、なんで改まるとこうも恥ずかしくなるんだ。
顔中がカッカして痛いくらい熱くなってるのが情けない。絶対に茹でダコみたいに赤くなってる。考えるともう頭が沸騰しそうだったが、喉を絞めぐっと堪えて。
そして、俺は……目をつぶったままで、ブラックに、き……きす、を、し……。
「んぐっ」
「ふにゃっ?」
な、なんか当たった。唇に当たる前になんかに当たってズレた!
何でだと思って目を開くと、なんとブラックの高い鼻が当たって……。
「あはは、ツカサ君ったらホントにキス下手なんだねぇ。これじゃ、普通にキスして貰えるまで、何万回もしなくちゃいけないんじゃないのかな?」
「~~~~~~っ」
至近距離で笑われて、もう耐え切れなくなって飛び退こうとする。
だけどブラックは俺をいつの間にか捕えてしまっていて、今度は俺がキスをされてしまった。……とてつもなくスムーズで、鼻がくっつく事も無く。
「…………うぅ……」
「ふふ、ツカサ君てばほんと可愛いなぁ」
「か、可愛い言うなぁ……っ」
怒る声すら恥ずかしさに溺れて情けない感じにしかならない。
……なんかもう、情けない。
頑張って、自分からブラックにキスをしたってのに、しょっぱなからミスっちまうなんて……。本当なら、スマートで大人らしいキスをしてやって、こ、恋人っぽく……照れる事も無く、出来たはずなのに。
恋人だし、指輪を貰うくらい、思ってるなら……そ、そろそろちゃんと、俺だって頑張らないとって考えて、自分からも出来るようになろうって思ってたのに……。
はぁあ……なんで俺って奴は肝心な時に格好良く出来ないんだろう。
キスってこんなに難しかったっけ。
ねだられないで自分からやろうと思うと、どうしてこんなになるんだ?
恋人ってだけじゃちゃんと出来ないモンなの?
でも、ねだられた時はちゃんと出来てたはずだ。今回も出来るはずだったのに。
なのに何故。解んない、マジで自分からするの難し過ぎる。
つうか俺って、異世界の常識だけじゃなくキスすら覚束ないのか……。
ああもう本当、知らないことが多過ぎる。
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