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神殿都市アーゲイア、甲花捧ぐは寂睡の使徒編
29.真実を語る甲花
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「……かつて……文献に於いては【第三の乱世】と呼ばれていた時代の末期……人族しか住んでいなかった場所に、たった一匹のモンスターが住みつきました。……そのモンスターがどんな形で、どんな存在だったのかは、今はもうわかりません。ですが、その傷付き全てを失ったモンスターは、大陸の端にある……今もモンスター達と戦い続けている場所に、辿り着いたのだそうです」
長い栗色の髪を肩に流したまま、ネレウスさんはボソボソと語る。
百眼の巨人と化したせいで、今の彼の声は俺達には大きすぎるのだ。そのため、彼は俺達に合わせて神殿の中で声が響かないように喋ってくれている。
しかし、その彼が語る話は俺達の耳にしっかりと入ってくるから不思議だ。
体中の無数の目を閉じ休めているネレウスさんは、座り込んだ俺達と一緒に地面に座してただ話を続けた。
「そのモンスターは強かったため、心が存在したと言います。そんな満身創痍の化け物を、その場所に居る人々は手厚く看病しました。……何故、そのモンスターだけを助けたのかは伝わっていませんが、この地の人々はそれだけ優しかったのでしょう。モンスターも人の愛に触れて、彼らの恩義に報いるため一生懸命働きました」
まるで自分が見て来た事のように言うネレウスさんは、顔の目だけを開けて、時々その無数の目のどこかを瞬きさせる。
その姿が、まるで昔の思い出を語るように見えて、俺は少し切なくなった。
「……そしてそのモンスターを、一人の女性が愛したと言います。女性は慈愛の神と呼ばれる“ナトラ神”に日夜願いを捧げたことで、その女神に許され……人族と心あるモンスターだけは子供を宿せるように、神が取り計らって下さったのです」
慈愛の女神ナトラ――――ライクネス王国で国教とされる、博愛と献身を主な教えとするウソみたいに平和な宗教の主神だ。
彼女はこの世界に神として降り立った時から、他の神とは比べ物にならないほどに人を愛して尽くした。その献身の一つが、この街に残っていたのか。
驚く俺達を余所に、ネレウスさんは続けた。
「女神ナトラの祝福によって、二人は結ばれ……やがて、一人の子が生まれました。それが……百の目を持つ子供……私達の祖先だったのです」
百眼の巨人はこの土地に元々居た守り神のようなものじゃなくて、人から生まれた存在だったのか。いやでも、ネレウスさんを見ていると不思議と分かる。
それに……巨人になりかけていたあの肌も、分厚かったけど動物みたいな硬さは無くてどちらかというと人間に近かった。多分これは……亜人って奴だ。だからこそ、ネレウスさんは最初から喉で言葉を発する事が出来たんだろう。
モンスターの多くは、人間と同じ声帯を持ってはいない。俺がいつも助けて貰っている守護獣達だって、心が繋がってるから何となく言いたい事が解るだけで、彼らが俺と同じ言葉を喋った事は一度も無いんだ。
知能が有っても、人と同じ性能を持って生まれたモンスターでなければ、喋る事は出来ない。でも、モンスターと人が混じり合った亜人なら、言葉を発せるんだな。
そっか。そう言う事だったのか。やっと合点が言ったよ。
――――あの文献を見てからずっと、考えていたんだ。
……もし、ネレウスさんの一族が「巨人を倒した英雄の末裔」ではなく、「英雄に斃された……ことにして助けられた巨人の末裔」だとしたら、彼らはどうやって人と会話をする術を手に入れ、どうやってネレウスさん達のように人の姿になっていたんだろうかと。
でも、彼が最初から「人族の要素」を持っていたのなら理解出来る。
「一番最初の百眼の巨人も……人と言葉を交わせたんですよね?」
問いかけると、ネレウスさんは頷いた。
「私達の祖先である“百眼の巨人”は、人とモンスターの絆の証だ。その愛を尊んだ女神からの祝福で、亜人となった子供は人族とモンスター両方の力を手に入れる事を許されました。もちろん、土地の住人達は巨人の誕生を喜んだと言います。巨人も、彼らの優しさと懐の深さに感謝し、心清らかに生きていました。彼らの畑を喜んで耕し、共に家を造り、時には悪しき獣を退治して……勇者と讃えられていたんです」
俺とブラックは顔を見合わせて、ゆっくりと頷いた。
やはりあの文献……ネレウスさんの先祖が残した日記に記されていた通りだ。
――……愛しき者達の子孫のために、この地を守る盾となろう。
もし巨人が本当に悪い存在だったとするなら、そんな事を言うはずがない。
自分を斃した存在――英雄【ヘルメ】を恨み、この街の住人にも復讐を誓っていただろう。あの【クレオプス】の毒も、呪いとして土壌に染み込んで、じわじわと街を滅ぼしていたかもしれない。
だけど、そうはならなかった。
領主となったネレウスさんの一族は、まるで命を注ぐかのようにこの街を盛り立て守って来たんだ。……それだけでもう、巨人の善性を測るのは充分だよな。
巨人は、自分を大切にしてくれていた街の人達を愛していた。
あの夢の中の「巨人の影」は……やっぱり、巨人の“なにか”だったんだ。
だけど、そうなると――――。
「やっぱり……この地に伝わる伝承は、かつてのこの街の人の視点ではなく……他の土地の人族からみた伝承だったんですね」
そう。
あの伝承があれほど巨人を悪しざまに言っていた理由は、そう言う事になる。
そもそも、ネストルさんから聞いた伝承は最初からおかしかったんだ。
…………まるで“その土地の者”では無く“外から見ていた者”のような語り方。
その恐怖や悪事が曖昧にしか語られない伝承なんて、ヘンだ。巨人を制した英雄の末裔である一族が、巨人の悪行を知らないワケがない。
だから、伝承の内容になんだか納得がいかなかったんだ。
仮に巨人が悪なら、何故神殿に壁画があるんだろうか。
英雄の神殿は壊したのに、この場所を隠し続けるのは、どうしてなんだろう。
何故ここに巨人の壁画が残り続けていたんだろうって。
「……あの伝承は、仰る通り英雄【ヘルメ】を呼びこんだ移民達のものです。第三の乱世の時に移り住んできた人達は、巨人の姿を見て恐れ、この土地に近付きませんでした。……その事がいつしか歪み、巨人が『この肥沃な大地を独り占めしている』と思い込まれてしまったのです」
「それで、巨人を排除するために英雄を送り込んだ……と」
ブラックの興味無さそうな言葉に、ネレウスさんはゆっくりと目を閉じる。
なんだか、とても悲しそうだった。
「……彼らは、戦乱と魔獣に怯え、長い間放浪してやっと常春の国に辿り着いた人々です。だから、巨人を見て『人族を奴隷にしている』と勘違いしても不思議ではなかった。これは……不幸な事故だったのでしょう」
「…………」
話を聞く限り、百眼の巨人は完全な被害者だ。
もし人族が彼に誤解を抱かなければ、ネレウスさん達は巨人の姿のままで……この街の人達と平和に暮らせていただろう。
なのに、色々な事が掛け違えになって全てが狂ってしまった。
それを飲み込むには、それなりの時間が必要だったに違いない。ネレウスさんも、こう言えるまでは複雑な思いが在っただろう。
誰だって、隠れながら生きたいなんて思わないはずだ。
今までずっと、自分の正体を明かせずに生きて来たご先祖様たちの事を考えたら、他人の事だと言うのに心が痛んだ。
そんな俺の表情をちらりと脇腹の目で見て、ネレウスさんは顔を上げた。
「ですが、私達は今のままで十分でしたよ。……巨人を斃すための暴動が起きた時、街の人々と巨人は、英雄ヘルメと女神ナトラに助けられました。そうして、彼らは私達が迫害されないように街の者と移民の争いを平定し、巨人を一度人の姿に変えて、匿ったのです。また“人”が守ってくれた。それだけで……嬉しかったのです」
「人の、姿……だから、ネレウスさん達は今まで人の姿に……」
巨人が人間の姿を手に入れたのも、ナトラの「神の力」だったのか。
目を丸くする俺に、ネレウスさんは少し目を笑うように歪めた。
「ヘルメは、誤った情報を鵜呑みにした事を、巨人に謝罪してくれました。そして、ナトラも巨人を生かそうとしてくれたのですが……暴動が起こった時、巨人はかつて存在していた“呪い”を受けて、体の中からじわじわと毒に蝕まれて死ぬと言う病にかかっていました。……その呪いは酷く……ナトラの力でも、解呪は出来なかったと言います。――――それ以来、我々は……毒に体が蝕まれると、女神の加護が解けて巨人の姿に戻ってしまい……苦痛に暴れて死ぬ運命を背負ってしまいました」
「なるほど、だから……この地下神殿は造られたんだな」
全てを理解したのか、ブラックが呟く。
その小さな声すらも聞こえるほど静かな空間で、ネレウスさんは息を詰まらせた。
「はい……。英雄ヘルメが巨人の願いを聞いて作った……終の地……それが、この【地下埋葬神殿】だったんです。……あの祭壇、みましたか? あれは、我々が自死するために開かれる箱なのです。この静かな場所で一人で考え、風呂に入り、覚悟を決めた時……あの祭壇の蓋を開き中に手を入れます。そうすれば、我々の体は溶けて目だけになり……あの花の下に土と共に塗れ……やがては己も花となり、外の世界へ再び出て行ける。……英雄が下さった、最後の慈悲なのですよ」
低い声で零したネレウスさんの言葉。
その説明に……今度は俺が息を呑んだ。
「……やっぱり【クレオプス】って……巨人の目から、生まれるんですか……?」
少し震えたような言葉に、ネレウスさんは栗色の長い髪を揺らして頷いた。
「…………不思議なもので、我々の目は“種”になるそうなのです。最初の巨人は、誤って外で暴れようとして……ヘルメが斃さざるを得なくなりました。そのせいで、目が零れて【クレオプス】が方々に散ってしまった。それを深く後悔した英雄ヘルメが、巨人の妻である人族の娘……既に巨人の子を宿していたその女を娶ったのです。そうして我々は、形の上ではヘルメの子孫となりました」
そうか、だから英雄の子孫なのか……。
だとしたら、代々ネレウスさんの一族はヘルメに真実を聞いていたのかな。
けれど、自分の運命を知って耐え切れなくなって、自分の子供にそんな悲しい事を教える事が出来なくて……いつの頃からか、あの日記の人のように……自分の子供に「真実」を教える事をやめてしまった。
だから、ネレウスさんも息子のネストルさんに何も伝えてなかったんだ。
子供に死の宣告をするなんて、あまりにも可哀想で耐え切れなかったから。
自分の運命を知っているような感じの口ぶりだったのも、自分が本当はどんな病に侵されているかを知っていたからなんだな……。
でも、いまは……。
「ネレウスさん、今は……苦しくないですよね?」
問いかけると、彼は少し微笑んで頷いた。
「ツカサさんのおかげです。貴方の血は、呪いすらも浄化できる力があるらしい」
「そ、そんな……」
「本当の事です。……苦しみの中に呑まれ、ただひたすら全てを滅する事だけを頭の中で考え続けていた狂った私を、貴方の血が救ってくれました。暖かな光と共に呪いを消しさってくれたのです。……今は、本当に清々しい気分ですよ」
そう言って笑うネレウスさん。
全ての目が、緊張もせずに瞼を緩めている。本当に笑ってるんだ。
もう、苦しくないんだな。もう死のうと思わなくても良いんだ。
そう思うとなんだか泣きたくなってしまって、俺は目の奥がじわじわと熱くなるのを堪えながら、ネレウスさんの顔を見上げて笑い返した。
「貴方が無事で……本当に、良かった」
素直にそう言った俺に、ネレウスさんは無数の目を少し見開くと、微笑んだ。
「私のこの姿を厭わずに祝福してくれる……それだけで、救われます」
どこか、諦めたような言葉。
だけど俺は首を振って、ネレウスさんに近付いて手で触れた。
「俺以外の人だって、きっと祝福してくれますよ。絶対に」
呪いの解き方が分かった。それだけで、喜んでくれる人はいるはずだ。
少なくとも領主の館の人達は、ネレウスさんを祝福してくれるだろう。早世の呪いを乗り越えられたんなら、きっと人型の姿に戻る方法もある。
ネレウスさんの命が助かったなら、呪いが消えたなら、きっと希望はあるよ。
だってこの世界は……想像さえ出来れば全てが叶う、神様がいる世界なんだから。
→
※だいぶん遅れて申し訳ないです…(´;ω;`)
早世:早くして死ぬこと の意味です
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