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神殿都市アーゲイア、甲花捧ぐは寂睡の使徒編
18.言葉には言い知れぬ力がある
しおりを挟む俺達は朝食に呼ばれる前にさっさと支度を済ませ、まずネレウスさんの所に向かう事にした。善は急げって言うもんな。
それに……今日見た夢の“黒いの”……いや、百眼の巨人の影の事が妙に気になってたし。だから、一刻も早く真相を解き明かさなければならないと思ったのだ。
とは言え、俺達はまだクレオプスが何故ああなったのか解らないし、あの巨人の夢が本当に真実を語っているのかどうかも判断が付かなかったけど……でも、何もせずに悩んでいる暇がないという事だけは分かるぞ。
花の事もそうだけど、領主さまの状態だってヤバいんだしな。
昨日、領主であるネレウスさんと話をしたけど……やっぱり、あの状態は健康とは言えなかった。それどころか、明日の朝起きたらどうにかなってしまうんじゃないかと怖くなるくらいゲッソリしてて……いや、ダメだダメだ。悪い想像をしていると、それが現実になるかも知れない。俺の世界ならまだしも、ファンタジーな異世界では何が起こるか解らないもんな。
そんな悪い事を考えるよりも、どうやったら救えるかを考えなきゃ。
しかし、俺達に出来る事と言ったら、花が効果を失う原因を解き明かすことと、俺が調合した特製の回復薬をネレウスさんに渡すことぐらいしかないんだけども。
でも……そうは言うけど、気が重いよなあ。
今回はよく解らない事ばかりだし、俺の回復薬が本当に効果を発揮しているのかも判らない。普通なら「治って良かったな!」って言えるけど……今回はネレウスさんの病状が判明してないのでそうも言っていられない。
しかし、俺達には今は判断しようが無いんだ。
今は「これが効いてるんだ」と思って、病状が悪化しないか観察するしかない。
……はぁ……俺にもっと力が有ればなあ。
こういう時って、チート小説では絶対に【鑑定】や【ステータス表示】を使って、相手の病状を正確に把握したりする展開になるんだよ。
そんで、超級回復術とかスキル解体とか色々使って相手を救ったり、ひょんなことから相手の病気に劇的に効く薬やスキルを持ってた事が判明したりして、すんなり事が運ぶんだ。すぐに終わるから、それ以降もう誰も苦しまなくて済むし、人を救った主人公も何一つ苦労せずに崇められたりするんだ。
実にスマートで、万能感あふれる話だ。絶対に、救えない展開にはならない。
チート能力があったら、自分が行動しさえすれば誰でも救えてしまうんだ。
実に素晴らしい。気持ちの良い話じゃないか。俺は、そんな感じで最後にはみんな幸せになる話が大好きだ。それで自分がヒーローに成れるような話だったら、もっと良い。俺と同じ気持ちの人は、沢山いるんだろう。
だから、ああいう話が溢れているんだ。俺だってヒーローになりたいよ。出来る事なら、天才的な力を貰って指先一つでチョイと人を救う英雄になりたかった。
でも、現実ってのは残酷だ。
チート能力を持っていても、俺みたいな赤点スレスレの落第人間には、凄い力すら使いこなせない。例え、相手の病状すらも知る事が出来る術を覚えていたとしても、その使い方を知らない俺には何も出来ないのだ。
こういう時に勉強しときゃよかったと後悔するんだけど、後悔するんなら有言実行しとけよって話だからなぁ。はぁ……今更色々言っても仕方ないか。
ちょっと肩を落としつつ玄関のあるフロアにさしかかると、丁度メイドさんと執事が領主――ネレウスさんの部屋に朝食を運びに行くところに出くわした。
これはグッドタイミングだ。とりあえず、薬は食後に飲んで貰おうと思い、俺達も一緒に部屋へと入らせて貰う事にした。
今回は「薬を飲んだ後の経過を見る」という話しだったので、すんなりと領主様のお部屋に同行する事が出来る。
ネレウスさんは、病気で臥せっているかも知れない……と執事は心配そうに言っていたので、俺達も不安だったんだが、それは杞憂だった。
寝室に入ると、そこには床に伏せった姿ではない、思った以上に元気そうにベッドの上で長い袖を振っているネレウスさんがいたのだ。しかも、息子であるネストルさんもベッドの横に居て、嬉しそうに座っている。
昨日までの消えてしまいそうな脆弱な姿が嘘のようだった。
「あっ、おはようございます、お二人とも!」
俺達に気付いたネストルさんは、子供の仕草そのままに全力疾走でこちらへと駆け寄って来て、俺達の前でニコニコと笑顔を見せて来る。
最初に出会った時の老獪さなど欠片も無い、本当に年相応の姿だ。
そうそう、子供はこういう風に笑っているのが一番なんだよ。例え優秀な子だって、いつでも礼儀正しくいろってのは辛いだろう。やっぱり子供が頑張りすぎているのは見ていられないよ。ネストルさんだって、本当はお父さんとずっと一緒に居たり遊んだりしたいはずだ。
それを考えると……うう……涙でそう……。くそっ、どうにかなんないかなあ本当にもう! こうなったらいっそキュウマにでも頼んでみるか!?
「ツカサさん?」
「あ、ああ申し訳ない……それで、領主様の様子はどうかな」
我に返り慌てて訊くと、ネストルさんは更に笑顔になって嬉しそうに体を揺らす。
「ツカサさんの薬のおかげで、お父様が昔みたいに元気になったんです! こんなに朝早く起きて、ぼ……わ、私とたくさんお話をして下さって、それで、それで……」
「ネストル、そこで話していてはお二人も困りますよ。さ、入って下さい」
相変わらず石膏像の顔のような白い仮面をつけているけど、今日のネレウスさんは昨日よりも体調が良いらしい。本当に、俺の薬が効いたのかな……。
それならそれで良いんだけど、でも安心しちゃいけないんだよな。
内心そう思って気を引き締めつつ、俺とブラックはネレウスさんの慎ましい朝食が終わるまで見守り、少しお腹を落ち着かせてから回復薬を一本渡した。
ほんとは二本頼まれてるんだけど、一気に飲むと危ないかも知れないからな。
しかし、ネレウスさんはその事を忘れているようで。
何も言わず、それどころか薬を待ち望んでいたように、少し焦りながら俺から薬を受け取って、笑うように息を漏らした。だが、すぐに居住まいを正してネストルさんを部屋の外に下がらせる。
ネストルさんが、執事と一緒に素直に退出したのを見届けたのと同時、またすぐにネレウスさんはもどかしげに回復薬の栓を抜いた。
……さっきまでの穏やかな姿が、嘘みたいだ。
なんか、飢餓状態の時に食料を奪い取るような感じだなって思ったけど、今までベッドの上から動けなかったネレウスさんからすれば、それと同じなのかもな。
見てはいけない「大人の本性」みたいな姿を見た気がして、ちょっと居た堪れなくなってしまったが、ネレウスさんは俺を気にせず仮面を取ってすぐ薬を飲んだ。
「――――っ……っ……」
凄い飲みっぷりだ。
ネストルさんや執事さん達が居なくなった途端、こんなに必死で煽るなんて……やっぱり、ネレウスさんもそれくらい治りたいって思ってるんだろうか。
なんか俺が見て良い光景なのだろうかと考えてしまって、ちょっとだけブラックに隠れるように後退ってしまった俺だったが――――ネレウスさんは、喉を曝して瓶の中の薬一滴も残さず飲み干し、ふうと溜息を吐いてこちらを見た。
あ、よ、良かった、昨日と同じ顔だ。
いやでも昨日より顔色が良くなってる……のかな?
「ああ、やはり、この薬を飲むと凄く体が楽になります……。ツカサさんの回復薬は、本当に素晴らしい薬ですね」
そう言って嬉しそうに目を細めるネレウスさんの周囲には、金色の光の粒子がほわほわと散っている。あれが、俺の回復薬の特徴だ。飲んだ人の体を包むように、大地の気が現れるのである。ってことは、一応本当に効いてるんだよな。
でも油断は禁物だと気を引き締め、俺はネレウスさんに近付いた。
「楽になると言っても、病気が治ったワケじゃありません。それに、その『楽』は、無理矢理に体を元気にしてるのかも知れない。そう褒めて頂けるのは嬉しいけど……楽観視は出来ません。だから、体を大事にしてください」
「ツカサさん……」
跪いて、せめて彼の体を巡る曜気を見れやしないかと数分目を凝らす。
うーん……変な所は全然ないんだよなあ。
むしろ、ネレウスさんの体を巡っている気は普通の大人と変わらない気がする。
俺には詳しい事はよく解らないけど、彼の状態は病人のソレとは明らかに違うんだよな。痩せこけているけど、でも普通の大人みたいにちゃんとおかしい所も無く気が巡っているんだ。
シアンさんのように、水の曜術一筋で極めた人なら、もっと詳しい事が分かるかも知れないんだけど……他人の体内の気を見るのも慣れていない俺では、これ以上の事は分からない。完全にお手上げだった。
ううむ……やっぱり修行もしてない俺には無理なのかなあ……。
「ごめんなさい、ちゃんと診れたらいいんですけど……俺、こういうの素人だから、判断が付かなくて……。自分から『経過を見せろ』って言ったのに、役に立てなくて本当にすみません……」
回復薬が作れても、こういう時の俺はやっぱり無力だ。
申し訳なくて肩を落としたが、ネレウスさんは俺に対して穏やかに目を細めた。
「貴方は本当に私の体の事を考えて下さってるんですね……ありがとうございます。そうして、私の事を熱心に見て下さる医師は……もう、いないと思っていました」
「そんな……」
顔を上げると、紫色の分厚い皮膚に覆われた右半分の顔が少し歪む。
しっかりと笑っている時はちゃんと頬が動くけど、その紫色に変質した分厚い右頬は人の皮膚とは別物のような起伏を刻んでいる。もう、人間の皮膚じゃないんだ。
その皮膚の浸食が酷い事を見れば……匙を投げる医師もいるかもしれない。
だけど、そんなお医者さんばかりじゃないだろうに。
見上げると、ネレウスさんは悲しそうに眉根を歪めて小さく首を振った。
「私達が呼べる範囲の医師には、来て貰いました。ですが、誰も私を治す事など出来なかった。こうして体力を取り戻す事も難しかったのです。だから、誰もが最後には私のことを『何も為せず、すぐに死んでしまうもの』として見ていました。……私も当然、そう思っていた。だから、諦めていたのです。ですが……貴方が、私の最後の願いを取り戻してくれた……。本当に、感謝してもしきれない」
「でも、俺はなにも……」
していない、と、首を振ろうとするが、先に相手が否定するように首を振る。
そうして、軽く頭を下げた。
「貴方達が、私に最後の時間をくれた。望んでも手に入らなかった物を、私にくれたのです。だから私も……貴方達に精一杯の協力をしましょう。この街、アーゲイアで出来る事であれば、なんなりと申し付けて下さい」
何だか、どっちが領主か判らない。
でも、その申し出は俺達にとって願っても無い事だ。
ネレウスさんの言葉は気になったけど、俺は時間が惜しくて、言葉を返した。
「じゃあ……この街に関する文献……ネレウスさんや歴代の領主しか見られなかったような資料を、俺達にも見せてくれませんか。クレオプスが変なことになった原因が、もしかしたら過去の“何か”に有るかも知れないんです。だから……」
……やっぱり、ダメかな。
領主しか見る事が出来ない文献とか言っちゃったけど、それって「この国の秘宝を見せてくれ」って言ってるようなモンだしな……。
いくらなんでも無理か、と思い直した俺に、ネレウスさんは頷いた。
「解りました。それでは、すぐ執事に案内させましょう。書庫の鍵をお渡ししますので、ご自由に閲覧なさってください」
「えっ……い、良いんですか……?」
そうすんなり行くと思ってなかったので、思わず驚いてしまうと、ネレウスさんは俺を見て眩しそうに目を細めてゆっくりと微笑んだ。
「貴方なら、いつかそう言って下さるだろうと思っていましたから」
「俺、なら……?」
それって、どういう事なんだろう。
俺がいつかそう言うと分かってたってことは……俺達がクレオプスに関して何かを感じ取る事は想定内だったってコトなのか。
それとも、まさか……ネレウスさんは、最初から……。
「…………本当に、ありがとうございます……。貴方達なら、ネストルの事も任せる事が出来ます」
「え……」
急にそう言われて我に返った俺に、ネレウスさんは口を弧に歪めた。
「母親が不慮の事故で死に、このうえ私までいなくなれば……息子に掛かる重責は、今まで以上の苦しみになるでしょう。ですが、それを知る時に……貴方のような人が居てくれれば、もう、私は……何も思い残すことは有りません」
それ、は……どういう、意味なんだ?
考えようとして、思わず「どうしてそんな事を言うんですか」と言いそうになった俺の行動より先に、ネレウスさんが長い袖に隠された手をパンパンと叩く。
そうすると執事が部屋に入って来て、俺達は「書庫に行く」という名目で部屋から出されてしまった。まるで、最後の言葉に反応する事を拒まれているかのように。
…………さっきの言葉……本当に、どういう事だったんだろう。
なんだか、嫌な予感がする。
でも、それがどんな事に対する「嫌な予感」なのか、分からない。
考えても結論を出せない事にまたもや頭を悩ませながらも、俺達は書庫に向かって歩く事しか出来なかった。
→
※ブラックが一言も喋って無くて申し訳ない…次は喋ります!
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