異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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神滅塔ホロロゲイオン、緑土成すは迷い子の慟哭編

8.授かりし者の選択

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 その後、俺達は図書保管室を一通り見て、塔で暮らす常駐騎士達がしるした日誌を見つけた。地図は見つからなかったけど、業務日誌が有ればなんとかなる。
 ブラックは意味が解らないようでハテナマークを頭の上に浮かべていたが、俺は得意げに説明をしてやった。

 ――――業務日誌と言うものは、次の担当者に伝えるための事項が必ず記されており、また業務に関係する事を記録しておくので、わりと重要な情報がまぎれていることもあるのだ。
 例えば「○階○○室の空調設備が壊れていた」とか記されていたらどの階に何があるのかが解るし、日誌に記された担当の名前が規則性を持って変わっていれば、人の流れを理解出来る。
 ……とまあ、こんな感じで業務日誌は情報の宝庫って場合もあるのだ。
 仕事によって日誌の付け方は様々だろうけど、とりあえず塔を点検する兵士達の日誌なら、点検個所についての記述があるはず。その記述を拾って行けば、何階に何があるかぼんやり理解出来るだろう。

 地図が無くたって、どこに何があるか程度のマッピングは出来るものなのである。ふふん、探偵ドラマでやってたもんね。警備員さんの日誌を読んで事件を把握するとか言う展開があるやつがさ!
 ってなわけで、今回の俺的には日誌も重要な情報源なのだ。

「へ~……ツカサ君って変な事良く知ってるよね」
「ふっふっふ、無駄知識だけはあるのだよ」

 その代わり真っ当な知識が何一つないんだけどね……と言うのはお口チャック。
 とりあえず日誌を読んでまとめてみたところ、やはりこのホロロゲイオンという塔は三十以上の層で構成されており、その機能は地下か上層部に集中していた。

 地下の方は恐らくあの巨大な謎の工場だろう。どうやらこの塔はオーデルの現在の技術のみで作られた物ではないらしく、重要な施設の無い下層はほとんどが空調設備だとか管の通り道で占められており、俺が投入された大地の気の濃縮機械がある部屋などはほとんど上層部と言っていい場所にあるようだ。

 多分、修理の際に機材を運びやすくする関係かな?
 ここはエレベーターでしか来れない所だし、あの部分を封鎖してしまえば、後は相手が飛行手段を持たない限り籠城出来るもんな。
 まあ、街の外からしか見えないこの塔ならそんな心配はないだろうけど……。

 それはそれとして、この日誌の中で最も目を引いたのが、ある二つの階に関する項目だった。

 一つは、アドニスが管理していると思われる最上階の“執務室”。
 そしてもう一つは……――【砲台】と呼ばれる、謎の階だ。
 この【砲台】の階は、他の場所に比べて驚くほど細かく点検されていた。

「なあ、ブラック……この砲台って何のことだと思う?」

 額面通りに受け取れば、砲台が設置されてる場所だろうけど、どうなんだろう。
 考えあぐねて、俺に肩を引っ付けて座っているブラックに問いかけると、相手も答えが出ないのかうなりながら首を傾げた。

「ううん……隠語ってのもあるからねえ……。だけど、点検の様子からするとどうも兵器っぽい感じがするし…………もしこれが本当に砲台だとしたら窓があるはずだから、逃げる事が出来るかもしれないね」
「おそろしいほど高い場所から飛ぶのか……」
「いや、それは最後の手段だよ。もしそうなったら、僕が何としてでもツカサ君を守るから安心して」
「ぐっ……そ、そう言う話じゃなくて、それならなおさら俺の曜気とか必要になる時が来るだろ? なら、やっぱこの状態ってのはヤバくないか。なんとかしてコレを外さなきゃ……」

 アドニスの【寄生木やどりぎ】が首に引っ付いている以上、俺は逃げられないし、持続的な疼きに邪魔をされて、巨大な術を使う事すら出来ない。
 まずはこれを外す手がかりが必要だが……ヒントになる言葉が有ったとしたら、やっぱりアドニスのあの台詞だろうか。

 あいつは、厨房で「一つ操るには一つ消さなければならない」と言っていた。
 つまり、操るために出現させた樹木は基本的に使い捨てであり、新しく操る木を増やす為には、一度術を解除して改めて「今のより低木を三本多く!」なんて思いながら発動しなければならないのだ。

 それが本当だとしたら、もしかするとこの【寄生木】は俺の中に大地の気を力を伝える管でしかなくて、アドニスが近くに居なければ外す事が出来るかもしれない植物って事になる。
 “操る”ことが目的の木じゃないから、ブラックの手枷も俺の【寄生木】も、あの濃縮装置で変な木の触手が出て来た時に消えなかったんだ。

 だとしたら、俺の術でも対応は可能……かもしれないんだけど……。

「……ツカサ君、まだ植物を枯らす術は覚えてなかったよね」
「そうなんだよ。もしそれが通用すれば、この【寄生木】も外せるかもしれないんだけど……でも、アドニスは俺が木の曜術を使えることも知ってるし、枯らす術を使う事は想定してるはずなんだよな……それで俺を野放しにしてるって事は、それだけじゃグリモアの力が宿ったモノは外せないのかも……」

 あいつがそんな初歩的な事を見逃すはずがないし、俺が使える術なんてもう既に知られちまってるんだから、それ相応の対策はしてるはずだ。
 だとすれば、普通の術じゃ【寄生木】もブラックの手枷も外れないって事になる。だけどブラックは何やら思う所があるみたいで、なんだか難しそうな顔をしていた。

 なんだろ。何か案でもあるのかな。

「ブラック、どうした?」

 間近にある顔を覗き込むと、ブラックは深刻そうな顔を俺に向けて――へにゃりと気味の悪い笑顔に緩めた。

「ふあぁあ……ツカサ君がすぐそばにいるぅうう……」
「ちょっ、おいっ、真面目に話せバカ!!」

 懐いてんじゃねーよ! と寄りかかってくる重い中年を引き剥がし、俺はうむむと唸る。イチャイチャしてる場合じゃないのに、何考えてんだこいつは。
 しっかりしろ両サイドから無精髭でチクチクする頬を軽く叩くと、ブラックはしょげたような顔つきになって口を不機嫌そうに歪めた。

「……あのね、ツカサ君」
「なんだよ」
「…………正直言うと……出来ない事は、ないんだ」
「何が?」

 要点を得ない言葉だと顔を歪めると、ブラックは申し訳なさそうに目を伏せる。
 その表情は、どこか怯えているようにも見えた。

「多分だけど……僕なら、そのグリモアの力を消す事が出来るかもしれない」
「えっ、マジ!? 凄いじゃん!」

 なんだよお前、本当こういう時にやっと奥の手を出してくるよな。
 そうならそうと言ってくれればいいのに、探してた俺がバカみたいじゃんもう。
 でもそんな隠し玉を持ってるなら話は早い。さっさと外して貰おうと思ったが……ブラックの表情は、明らかにその発言を後悔しているかのようだった。

「でもね……僕、その力は出来るだけ……使いたくないんだ」
「ブラック……」
「だから、いざって時のために教えておくけど……ツカサ君を危険な目に遭わせたくないから、使わない。他の方法があれば、それが良いと思ってる……」
「…………そっか」

 多分それも、ブラックがの一つなんだろうな。
 ……でも、ここに来てその内の一つを話してくれたって事は、俺がその話を飲み込んでくれると信じてくれたからだろう。誘い受けなんて大人がする事かよとは思うが、ブラックは存外臆病だからまあ仕方ないよな。

 こんな場合だし、非常事態になったらと思って隠しておきたい事を話してくれたんだから、その思いはんでやらなきゃ。
 俺は両手で挟んだ相手の頬を軽く掌で揉むと、安心させるために笑ってやった。

「話してくれてありがとな、ブラック」
「…………ツカサ君……」

 おうおう泣きそうな声出しやがって。
 自分から話したくせに、自分の嫌いな所を話す時はいつもこうなんだから。
 ……ほんと、ダメなオッサンだ。

「でもさ、俺はアンタを信じるよ。だって、今回は俺を二度も助けに来てくれたじゃないか。……少なくともさ、俺と出会った時より……ずっと、成長してるよ」
「つかさく……」
「オッサン相手に“成長してる”ってのも変な言い方だけどな」

 普通こういうのって俺が言われるはずなんだけど……でもまあ、いいか。
 あべこべなんて今更だもんな。

 おかしくって、笑いながらじょりじょりした頬を軽く揉んでやると、ブラックは感極かんきわまったように目を潤ませて口を歪ませて、腕の輪の中に俺を捕えて抱き締めて来た。

「つかしゃくんん……う、うぅ……」
「……わかったから。今はとにかく作戦を考えよう。……な?」
「ん゛ん……」

 ほんと、二人っきりになるといつも以上に興奮したり泣いたり忙しい奴だ。
 でも、まあ……いいか。ブラックだって踏んだり蹴ったりだったんだし……。

 もうすこしだけ、このまま抱き締めさせておいてやろう。

 そんで、少し休んだらその後はアドニスの思い通りにさせないように色々と考えなくては。緑化計画もそうだけど……この業務日誌を見た限りでは、どうみてもこの塔は物騒で不可解だ。
 【砲台】が存在する意味も解らないし、常駐している騎士達に一ミリも警戒心や緊張感が無い。あんな装置まで有るのに無防備すぎる。そんなの、あまりにもおかしいじゃないか。

 塔が何故隠蔽いんぺいされているのかも謎だけど……なにより、アドニスが“あの絵本”を俺に見せてきた意図が解らない。
 塔と、過去の神話と、砲台と緑化計画…………。

 この図書保管室でそれ以上の事は解らなかったのなら……――――
 乗り込んでみるしか、ないよな。



   ◆



 白い。白い白い白い。白いうえに、何もなくてつまらない。

 この景色を見ると、妖精の国の方が臭いを差し引いてもまだマシだ。
 クロウはつくづくそう思って、深い溜息を吐いた。

「息まで白い。気が滅入る」
「す、すみません我が国の気候のせいで……」

 申し訳なさそうに謝るヨアニスは、まるで威厳が無い。だがこれがこの男の素であり、こんな相手だからこそツカサは助けたのだろうと思うと、クロウは余計に溜息を吐きたくなってしまった。

(ツカサは本当にダメおとこが好きだ)

 ……こんな事を言えばツカサは烈火のごとく怒り狂うだろうが、今のクロウには知った事ではない。もちろん、自分自身もその一員ではあるのだが、そんな事はつゆほども思っていなかった。

 今はただ、走る事しか頭にない。
 一刻も早くノーヴェポーチカへ向かい、ツカサを探したかった。

「さすがは獣王国ベーマスで名高き“神王の角を持つ熊ディオケロス・アルクーダ”……。あれだけの距離を、もうほとんど走破してしまうとは」

 雪原を駆ける途中、背後でチェチェノが感心したように言う。
 偉大なる樹木竜に感心されるのは、獣人としてはとても誇らしい事だ。
 クロウは耳を喜びに動かしながら、ふむと鼻を鳴らした。

「千年を超え生きる樹木竜に褒めて頂けるとは、光栄の至りだな」
「いや、ワシらはただ森と共に生きておっただけだ。武人とは程遠く、また“竜”と言えども己の能力を制御できぬ未熟者……その魔王の力に等しい角を持ちながらも己を律する事の出来る強い主らとはとても比べ物にならん」
「…………そうか……」

 つい生返事をしてしまったが、それほどチェチェノの言葉は空々しい物だった。

 モンスターが己の存在を極めた末に到達する、最終進化形態“竜”――――。

 それは、魔族とも平気で渡り合える獣人と言えど、おいそれと討伐できるような存在ではない。最高位の竜ともなれば、全ての生物の頂点に存在する上位種“龍”にも匹敵する力を持ち、魔族は勿論神族ですら手が出せない存在となるのだ。

 このギガント・フォトノル・パフ・マシルムという“樹木竜”は、恐らくその最高位に近い能力を有している。そして、彼の言う「不都合があるため、通常はキノコの姿でいる」というのも、恐らくは嘘だ。
 竜種は確かに周囲の曜気を枯渇させるほど取り込む事が出来るが、その代わりに“竜の恩寵”という固有技能で吸収した曜気を倍化して発散できるはず。

 クロウとて、モンスターの血を宿す獣人族だ。その辺りの知識は、国で嫌と言うほど叩き込まれて熟知している。だからこそ、チェチェノの言う事は嘘だと断じる事が出来た。

 恐らく、彼が竜の形態にならないのは、竜であることがこの世界では不適当だと思っているからだろう。「過ぎた力は身を滅ぼす」と知っているのだ。

 力を示し讃えられるのは簡単だが、その分守る物に対しての危険は多くなる。
 だからこそ、彼はそんな事は望まず、あのキノコの姿で穏やかに過ごしているのだろう。力に溺れる事なく、妖精との盟約を守り正しい者を導く『鍵』として。
 ……これこそ、素晴らしい王者の姿ではないか。

(チェチェノ……いや、を持つチェッカー・チェイン・ノースマン……。父上のように偉大な竜王だな。そんなモンスターに出会えるとは思っていなかった)

 まったく、うまそうなキノコだとあなどっていた自分が恥ずかしい。
 ツカサといると本当に自分の色々な部分に気付かされる。だが、嫌ではない。

 自分の弱点を自覚して反省する事は難しいが、ツカサと共に旅をしていると己の至らない部分ですらも苦も無く理解する事が出来るのだ。
 それはきっと、彼が自分を見放す事は無いと確信しているからだろう。

 ……ツカサは、弱点すらも認めてくれる。受け入れてくれる。
 だから、安心して己の「嫌いな部分」を顧みる事が出来るのだ。

(そしてそれが、さらなる高みへ達するための力になる……。ツカサと一緒に居るだけで、オレはもっと強くなれる。それが、とても嬉しい)

 本当に素晴らしい事だ。可愛らしく良い匂いがするだけではなく、自分を高めてくれるなんて。本当にツカサは手放せないくらいの存在だ。
 考えていたら余計にツカサに会いたくなってしまい、思わず耳が少し垂れてしまったが、クロウは雪を掻き跳ぶ足の動きを速めてひたすら進んだ。

「ああ、もうすぐ首都が見えてきます! あと少し、よろしくお願いします」

 声に張りが増してきた皇帝陛下に、クロウは「おや」と片耳を上げる。
 先程までは腑抜けかと思っていたのに、急に声が凛々しくなった気がする。それに「頑張ってくれ」ではなく「お願いします」という言葉を選んだのは、まさしく王たる者の賢明な判断だった。

 既に全力を出している相手に「頑張れ」と言うのは、反感を買う恐れがある。
 最適解と言う訳ではないが、そんな場合には「技量を信じている」と言う意味の言葉を使えば、相手を不快にさせる確率はぐんと減るのだ。
 なるほど。己の守るべきものを思えば、この腑抜けた王は開眼するらしい。

(…………こう言うやからが一番困るな)

 味方や協力者であればこれほど心強い気合の持ち主はいないが、残念ながらこの男は完全にツカサに恋や愛と言った類の好意を持っている。
 つまり敵だ。今は背に乗せてやっているが、この男は恋敵なのだ。

 ブラック一人でも対抗するのに大変なのに、これ以上恋敵が増えては困る。

(全てが終わったら、こんな国からはさっさと逃げよう)

 勿論ツカサを横抱きにして……などと、思っていると。

「うっ、うわぁ!?」
「ッ!?」

 突然背後から驚いたような音が聞こえて、ぼすんと雪の上に何かが落ちた。
 この音は、まさか寝ていたピクシーマシルムが落ちたのだろうか。
 慌てて急転回で速度を落とし止まると、少し後方にツカサの鞄が見えた。

「おい、ダメ皇帝! ツカサの鞄はしっかりと持っておけと言っただろうが!!」

 思わず喉を唸らせながら声を荒げると、自分の上に乗っていた皇帝はびくりと体を震わせながら慌てて背から飛び降りた。

「も、申し訳ない! 急にバッグが動いたものだから、驚いてしまって……」
「なに、動いた?」

 その言葉に鼻をすんと動かし、クロウは片目を細める。
 ――ツカサの鞄の中で動くものと言ったら……一つしかない。

「ロクショウ、無事か」

 ツカサが溺愛して「相棒」と言ってはばからない蛇に、そう言いながら近付く。
 クロウの言葉に気付いたのか、鞄はもぞもぞと動いて、その中から元気そうな緑青ろくしょう色の蛇が可愛らしく顔を覗かせた。
 どうやら怪我はないようだ、雪が衝撃を吸収したらしい。
 申し訳なさそうな男を横に連れて鞄に近付くと、ロクショウは不思議そうに周囲をキョロキョロと見回しながら、クロウにキュウと鳴いた。
 ……どうやら、ツカサを探しているらしい。

 だが、どう言ったらいいものか。
 悩むが、そんなクロウの背からぴょんと飛び降りる小さな存在が有った。
 チェチェノの子の、ピクシーマシルムだ。

「ムムッ、ムムム~!」
「キュ? キュゥウ~!!」

 久しぶりに友達に会えて嬉しくなったのか、ピクシーマシルムもロクショウもニコニコと笑ってお互いを触る。
 急ぐ旅ではあったが、幼い二匹のモンスターの再会は微笑ましく、邪魔をするのははばかられた。じゃれあう二匹をしばし見ていたが――やはり、ロクショウはツカサが居ない事をすぐに思い出したらしく、また悲しそうな顔で哀れに鳴きだした。

「キューゥ! キュゥウー!」

 必死に首を動かして、あらゆる方向に鳴き声を送るが、いつまで経っても返事は帰ってこない。ロクショウを優しく抱き上げてくれる腕も、今は失われていた。
 混乱するロクショウに、同じ感覚を味わったピクシーマシルムが何やらムウムウと何度も鳴き始めた。どうやら、何かを説明しているようだ。

 ……本来、別種のモンスター同士は会話をする事が出来ないのだが、ツカサのロクショウは不思議な事に相手の思念を読み取る能力があるらしい。
 ピクシーマシルムと仲良く遊ぶ事が出来ているのも、その能力のお蔭なのだ。

(オレには何を話しているか解らんが……恐らく、今までの事だろうな)

 ピクシーマシルムも、一応はチェチェノに道中簡単に説明をして貰っている。
 ロクショウは鳴くのを止め、ピクシーマシルムの話を聞いているようだったが……やがて、全てを聞き終わると、いきなり頭を雪に何度も押し付け始めた。

「おい、ロクショウ?」

 何をしているのか解らず、その場の全員が困惑する。
 だが、クロウはロクショウの鳴き声が初めて違う音になっている事に気付き、息を呑んだ。

 ――――やんでいる。

 このモンスターは、今まで自分が眠っていた事を悔やみ、ツカサを助けられなかった事を悔やみ、そんな不甲斐ない自分に心底怒りを感じているのだ。
 だから、何度も何度も雪に額を打ちつけて悶えているのだろう。

 しかし、そんな事を繰り返していたらツカサが悲しむ。
 ツカサはロクショウの事が大好きなのだ。こんな姿は見たくないに違いない。
 ならば、止めなければ。

「ロクショウ、やめろ。悔やんでもツカサは帰ってこないぞ。そうして悔やむ暇があるなら、ノーヴェポーチカへ向かうんだ」
「グゥウウ!! グゥウウウウウウウウウ!!!」

 熊の姿で近寄り、相手をなだめようとする。
 耳慣れないうめくようなロクショウの慟哭が耳をざわつかせて、クロウは自分の毛が逆立つのを感じながらも、その小さな体を救おうと前足を伸ばした。
 だが。

「――――――!!」

 一瞬で感じた、悪寒。

 本能的な行動が咄嗟とっさにロクショウから離れる事を選び、クロウは距離を取った。

「なっ、ど、どうしたんですか」

 解らない。だが、危険だ。
 なにが起こるかは全くわからないのに、危険だ。それだけは解る。
 危険が、迫っている――――!!

「乗れ、走るぞ!!」

 全身の毛が浮き立つ。耳がじりじりして、鼻先がひりつく。
 地肌すらも恐ろしいまでの感覚に曝され、クロウはその場にいた全員を背に放り上げてその場から出来るだけ離れた。

「ムゥ!! ムゥウウウ!!」
「ど、どうしたんですか一体!!」

 騒ぐ子キノコと皇帝を無視して、距離を取る。
 まだあのロクショウの唸り声が聞える。遠ざかっているはずなのに、あれほどに小さな体だと言うのに、走れば走る程声は近く大きくなっていく。
 こんなバカな事があるか。あべこべではないか。

 考えて、クロウは目を見開き首を振った。

 ちがう。そうではない。これは……あべこべではない。
 実際に、“声が急激に大きくなっている”のだ…………!!

「グゥウウウウウ!! グゥウウウァァアァアアアアアアア!!」

 空気が震える。地が揺れている。
 あの蛇の体からは絶対に吐き出される事は無いはずの凶悪な絶叫の力は、ついにクロウの足を硬直させてしまった。射竦いすくめられたかのように、動けない。
 進退しんたいきわまったクロウは、思わずロクショウの方を向いた。

「まさか……人族を想い、これほどまでに…………!!」



 チェチェノの声が放られたその場所には――――




 “ロクショウ”の姿は、もう存在しなかった。










 
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