異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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聖都バルバラ、祝福を囲うは妖精の輪編

9.意外とみんな真の姿を隠し持っている

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「ああ、見えてきましたよ。向こうに洞窟があるでしょう? あれがバルバラ神殿の入り口です」

 先頭に立って前方を指さすアドニスに、俺はぜいぜいと荒い息を漏らしつつ顔を上げる。真っ白な世界の先には確かに岩肌にぽっかりと開いた穴があり、その両脇に赤々と燃える松明たいまつが掲げられていた。
 どうやら本当に到着したようだ。

「う、うう……辛かった……辛かったよぉ……」
「あんのクソ眼鏡……殺す……終わったら絶対に殺す……」
「腹が減った……」

 ちょっと待ってほしい。と言うか説明させてほしい。
 俺達三人がそれぞれ不満を漏らしているのには、深い訳が有るのだ。

 まず、クロウを真ん中にした俺達三人の腰に注目してほしい。ベルトがしっかりと巻き付いているのがお分かり頂けるだろうか。
 そしてベルトの背中側にはロープが伸びており、俺達の後方でずりずりと重い音を立てて付いて来ている荷物が乗ったソリを見て頂けるだろうか。
 そう。そうなのだ。この六合目の神殿前まで、俺達は三人で必死にソリをいて体力をけずられながら雪山登山を決行していたのである。

 本当はくじ引きでハズレを引いちまった俺一人が引っ張るはずだったんだけど、ブラックとクロウが「絶対に無理! ツカサ君一人にやらせたら、荷物ごと山から転げ落ちるよ」とか「そうだぞ、ツカサの体力の無さを知らんのかお前は」とか、本当にもう良く擁護ようごしてくれたものだから、三人で力を合わせ今まで頑張ってソリを牽引けんいんしてきたのである。

 凄く失礼な事を言われていたから殴り倒そうかと思ったが、事実俺一人ではこのソリを動かせなかったから、何も言えなかったんだけども……それはともかく。

 たったの二合だというのに山を歩くのがこんなに辛いとは思わなかった。
 いや、俺だって婆ちゃんの田舎で山を探検しましたよ。でもね、その時はこんな重い装備なんて無かったですしね?!
 ああちくしょう、自分の非力さもムカつくけど、俺達を気にせずのほほんと先を歩いているアドニスもムカツクぅうう……。

「なんですかその顔は。くじ引きで当たったのは君でしょうに」
「協調性のない奴にイライラしてるだけですけど何か」
「おやおや、公平に決めるためにくじ引きをしたと言うのに、結果的にそこの変態勇者様二人に助けられて協調性と言う言葉を振りかざして、大いに公平性を欠いてしまった人にそんな事を言われるとは」
「ぐううう……」

 グウの音も出ないっていうかグウの音しかでないんですけど!!
 特に変態ってところとか……いやごめんお前らこっち見ないで、俺はそこは肯定してません、肯定してませんから俺。誓って。やだ幅寄せしてこないで。
 ちくしょう、いつかムキムキになってやる……。

「さて、たわむれはこれくらいにして……これからバルバラ神殿に入りますが、その際に神茸老しんじょうろう……チェチェノさんとその御子息は隠しておいて下さい。いくら人に友好的なモンスターと言えど、彼らには討伐の対象にしか見えませんからね」

 雰囲気を変えるかのように急に真面目な話をし出すアドニスに、俺はとりあえず頷いて箱の上に乗っていたチェチェノさん達にフードを見せた。

「チェチェノさんは俺のコートの覆いの中に入って下さい。ピクシーマシルムはちょっと大きさ的に難しいから、ロクと一緒にバッグに隠れててな」
「心得た」
「ムゥー」

 俺の言葉にすぐさま隠れた二人を確認すると、アドニスは続けた。

「それと……貴方達が私を信用出来ないと言うのは解っていますが、バルバラ神殿の目的の場所へ辿たどり着くまでは、私の指示に従って下さい。必要が無くなればそう言いますので」
「……どういう事だ? 理由を説明して貰えないと、ハイソウデスカとは言えないんだけどね」

 ブラックの不快感を隠しもしない声音に、アドニスは溜息を吐くと、悩むようにこめかみをトントンと指で叩いた。

「簡単に言えば、理由は三つ。一つは、貴方達の身の上を聞かれた時に、私があいだに入って誤魔化ごまかすためです。不本意でしょうが、沈黙していれば兵士や労働者達は貴方達を私の従者と思うでしょう。ちょうど服装も冒険者そのものですしね。これは二つ目の『秘密を漏らさないため』にも掛かります」

 なるほど、確かに黙ってアドニスのフォローを受けた方が楽ではあるよな。
 アドニスとしても、勝手に喋られてボロが出るよりはよっぽどマシだろうし……どのみち神殿の事に関しては何の情報もない俺達は、アドニスの導きを受けるしかないもんな。アドニスが全部処理してくれるならありがたいや。

 これにはブラックもクロウも一理あると思ったのか、素直に頷く。
 アドニスはフードを目深に被って姿を整えて、最後の三つ目を示した。

「そして三つ目は……単純に、交渉の邪魔だからです」
「…………交渉……?」

 どういうことだ。バルバラ神殿を調査しているのはオーデル皇国の兵士だけで、アドニスはその遺跡に入れる権限を持っている。
 彩宮からの連絡が行っている以上、神殿の兵士達が俺達に対して交渉を仕掛けてくるはずなどない。なのにどうして交渉する事が必要なのだろうか。

 ブラック達も俺と同じ事を思っているのか、疑問による眉間の皺を作っている。
 しかし、アドニスは俺達の疑問に答えようとはしなかった。

「いずれ解りますよ。……さあ、行きましょう」

 そう言われてしまうと、もう質問しても無駄で。
 俺達は顔を見合わせて小さく首を傾げたが、何を言う事も出来ず後に続いた。

 ――しかし、入り口は本当に神殿とはかけ離れたただの洞窟だ。
 兵士が守っていなければ、ここはただの穴倉にしか見えないだろう。けど、逆に言えばその「ただの穴倉」に松明たいまつやランプを掲げて見張りが立っていると言う事は、それだけこの施設が重要であると言う事だ。

 誰が見つけたのかは知らないが、本当に発見者には頭が下がる。よくこんな寒々しい雪山(しかもいつ凶暴なランク5以上のモンスターに遭うか解らない)に登って来たものである。俺なら絶対に登りたくない。寒いし。寒いし!

 やっぱこの世界にもアルピニストだとか登山家だとかがいるのかなあ。
 ああ、登山家と言えばあのバラエティ番組では、まだ女芸人さんが山を登ってんのかなあ……。すげえよなあ、実際来てしみじみ感じたけど、俺ごときが登山なんて魔法の道具がなけりゃぜってー無理だわ。死ぬわこんなん。
 いやまあ、そんな事考えてる場合じゃないか。

 見張りをしている兵士達に挨拶あいさつをして洞窟に入り、随分ずいぶんと拡張されている通路を歩く。これ……明らかに人の手が加わってるけど、元は小さい洞窟だったのかな?
 ファンタジーならトラック一台分楽々入れる洞窟なんてありがちだけど、ダンジョンでもないのに人工的な洞窟ってのは流石に見た事なかったな……。
 ハーモニック連合国の黒籠石こくろうせき鉱山やチェチェノさん達のいた洞窟は、大きくはあったけども滑らかに削られてはいなかったしな。近い所があるとすれば、鉱山に行くためのあのでっかい軌道車トンネルかな?

 ……俺意外と洞窟入りまくってんな。そろそろ岩窟王名乗っても良くない?

 そんな事を思っていると、前方に洞窟の明かりを凌駕するほどの光がちらちらと見え始めた。どうやらあの光の先に神殿があるらしいな。
 密かに気合を入れて、その光の先に足を踏み入れた、と――――

「っ…………!!」

 思わず見上げてしまう程に天井の高い、大空洞。
 その中心にそびえ立つのは、朽ちて崩れかけてもなおその身の半分を残し、今もこの地に存在し続けている巨大な黄土色の遺跡だった。

 これ……土? 巨大な岩を削ってできてる……のか……? 煉瓦れんがとか、そういう建材の切れ目がまるで見つからないんだけど……。

 それに、黄土色の遺跡はくすんだ色をしていると言うのに、不思議な事に光を発しているかのごとく大空洞全体を明るく照らしている。

 しかもその壁や柱に至るまで、目も眩むほどの細かい装飾が彫り込まれており、まるで中東に存在する宮殿のように荘厳で美しい。
 まるで地味さを感じさせない不思議な遺跡だ。

 その遺跡の中央にある、二本の豪奢な柱に挟まれた入り口からは、絶えず人が出入りしており中から岩が運び出されている。
 近付いてみると、それらは遺跡の壁や天井の一部である事が解った。
 そうか、調査を進めるために石を運び出してるんだな。そんで、運び出した所が後で解って戻せるように、区域別に瓦礫がれきも分けられている、と……。

「……変だね。労働者にやけに黒髪の人間が多いみたいだけど」

 いち早く気付いたブラックが、怪訝けげんそうに言う。
 確かに、作業をしている人達はどうも黒髪が多い。
 黒髪って、他の髪色に比べたらかなり少ないんだよな? そんな人達がたくさん雇われてるってのは確かに変かも。
 不思議に思っていると、アドニスがまたもや深い溜息を吐いた。

「黙っていて下さいと言うのに……まあ良いでしょう。あの人達は病んでいた頃の皇帝陛下がポイした人達ですよ。別に野放しにしても良かったんですが、陛下の病状を触れ回られると困るでしょう? ですので、パーヴェル卿が一計を案じ彼らをここで働かせていたんです」
「そんな事を……」
「ああ、言っておきますが別に非人道的な事はしてませんからね。奴隷扱いなんてやったら、それこそ報復されかねませんから」
「ふむ、黒髪の人間の中にも術師や冒険者がいるみたいだしな」

 クロウに言われてよく確認してみると、確かに彼らは小奇麗な労働服を着ているが、風体からしてカタギではないようだ。しかも、彼らは馬車馬のように働かされている訳ではないらしく、役割もちゃんと分担されており、さほど疲れているようには見えなかった。
 それに、他にも正規の方法で雇って来た労働者の人がいるみたいだし、言われてみれば奴隷を酷使しているって場面とはまるで違うな。
 でも、彼らって結局ここに無理矢理連れて来られた人達なんだろう?

「……恨まれてるんじゃないのか? お前」
「まあ、強制してるのは強制してるので、恨まれても仕方ありませんね。私も彼に協力していましたので、今ここで刺されても何らおかしくはないでしょう」

 当たり前の事のようにさらっと言うアドニスに、俺は何だか気分が悪くなった。――いや、アドニスの言っている事は正しい。恨まれても仕方ないだろう。
 だけど……それを恐れもせずに平然と言ってのけるなんて、本当にコイツどんな性格してるんだよ……。自分が悪い事をしたって認めてるのは良い事だけど、でもこんな開き直ったような、唐突な死すら恐れてないような事を言うなんて。

 ……覚悟してるから、なのか? それとも…………。
 不快感が有る訳じゃないが、けれど、俺は少しアドニスが怖くなった。
 こいつ、ブラックとは“別の種類”の同類なのかも……。

「さ、ここからは腰縄を外して、手で引っ張って下さい。あと……今度こそ、誰かに何かを言われても黙っているように」

 ぐるぐる考えている俺に聞こえるようにか、アドニスは人差し指を立てて「しっ」と息を小さく吐いた。まあ、今のアドニスは髪色が違うし、何よりローブで顔を隠しているから大丈夫だとは思うけど……。

 心配しつつも、俺達は遺跡の内部へと足を踏み入れた。

「…………っ」

 やっぱ、内部も凄い。まったく継ぎ目が見つからない。
 継ぎ目のない壁と言えばアタラクシア遺跡もそうだったが、でもここはあの遺跡とはモノが違う。この遺跡は本当に一つの岩から掘り出された物なのだ。
 魔法の鉱石じゃない、風雨にさらされれば壊れる程度の、それだけの塊。
 そんなものをいて、掘って、気が遠くなるほどの細かくて美しい装飾を刻むなんて……一体、この遺跡を作った存在ってのはどういう物だったんだろう。

 廊下の壁は飾り柱で一定に区切られており、壁は時々透かし彫りを加えたような向こう側が見えるものが有る。そんな廊下の天井も採光のためか、極限まで薄くなった部分や透かしが入っており、本当に見れば見る程作った存在の異常なまでの技術を見せつけられてしまう。

 古代人って基本的に「現代技術でしか再現出来ない事やってんだけど」みたいな謎の技術を持ってるけど、この世界でもそれは当たり前みたいだな。
 しかしこれ……俺の世界でやったら、完成にどのくらい時間がかかるんだろう。
 一個の岩からって事だから、便利な道具や建材って使えないんだよな? だとしたら、現代人の技術でも軽く五十年くらいかかるんじゃ……。
 うむむ、やっぱこれって魔法の類で作られたんだろうか……。

 ブラックとクロウも俺と同じく変な顔をしながらキョロキョロしているので、やっぱり同じ事を思っているんだろうな。
 うーん、長くパーティー組んでると似てくるのか?

 そんな事を思いながら、黒髪の人達や兵士の人達からの視線を避けるように奥へ奥へと俺達は移動していく。
 最深部はまだ瓦礫が完全に除去されておらず、大きなソリが通れないほどの山があったが、そこはクロウが一人でソリを抱え上げて通ってくれた。
 ……ほんと獣人って規格外の体力だな……。

 黙りつつも、会釈えしゃくをしてくる人達には会釈を返して先に進む。
 長い長い迷路のような廊下を時折同じ場所を何度か通りながら、脇目もふらずに歩いて行くと……不意に、人の気配が全くしなくなった。
 変だな。さっきまでは岩を運ぶために気合を入れる声や、兵士達が指示する声が聞こえていたのに。どういう事かと思っていると、アドニスが振り返った。

「まだ、喋ってはいけませんよ。……この神殿は『ある特定の順路』を通る事で、が隠されている場所に行くことが出来るのです」

 特定の順路って……あ、じゃあ、あの何度か同じ場所を通った奴って迷ってた訳じゃなかったのか!? 正直、うっかりミスかと思ってた……。

 しかし、特定の順路って……そんなの、兵士達はもちろん遺跡を調査してる人達だって絶対に知らないよな?
 なのに、アドニスだけは知ってるって……コイツマジで何者なんだろう……。

「全ては、通る事を許された後です。そこまでくれば、ちゃんと説明しますから」

 説明。
 アドニスが、自分の事を説明してくれるというのか。
 ……と言う事は、アドニス自身がこの遺跡やこの先に在る場所に関係しているって事だよな? そしてそれは、俺達が「完全に巻き込まれた」後でなければ教えられないほどの重大な事柄だって事だ。

 でも、そんなに隠さなきゃ行けないって一体……。

「もう少しです。……ああ、見えてきましたね」
「……っ」

 そう言うアドニスの先には、黄土色の廊下が有る……はずだった。
 だが、今俺達が見ている前方の光景は明らかにその予想を裏切っている。

 黄土色の温かみすら感じる岩の壁を唐突に切り崩した、漆黒に染まった通路。
 光り輝いているとすら思うほどに光沢のあるその壁は、遺跡が崩れていると言うのに全く劣化した様子を感じさせなかった。
 ……これ……地下水道遺跡のあの奥の空間と一緒だ…………。

 ってことはまさか、この先にまたオーパーツが存在するって事か?!

 驚きに目を丸くする俺達に、アドニスは再度歩みを促して歩き始める。
 付いて行かない訳にはいかず、俺達も遅れてその漆黒の通路に入った。

 ああ、なんだこれ……歩くたびにカツカツと音がする。鉱物で出来ているらしい事は解るのに、まったく元の物質が想像出来ない。
 やっぱりあの遺跡と一緒だ。ここも【空白の国】だったのか。
 じゃあアドニスが氷漬けのヨアニスを生き返らせるために使うモノって言うのも、この遺跡に在るかもしれない謎の装置か何かなんだろうか。

 考えながら歩いていると、不意に目の前の足が歩みを止めた。
 何かと思って前を見てみると、なんとそこには黒の空間に似つかわしくない木製の大きな両扉がどーんと出現していて、俺達の行く手をふさいでいたのだ。

「っ……っ!?」

 な、な、なんだこれ。なんでいきなりこんなモノが!?
 つーか折角凄い通路なのに、ここだけ木製の両扉って!!

 あまりにミスマッチな物の出現に戸惑う俺達だったが、そんな俺達にアドニスは振り返ると、こちらに近付いてきた。

神茸老しんじょうろう、お願い致します」

 その言葉に、フードに隠れていたチェチェノさんがぴょんと俺の肩に飛んできて、それからアドニスのてのひらの上に移動する。
 アドニスは掌の上のチェチェノさんに軽く頷くと、彼の姿を目の前の扉に見せるように掲げ、フードを解いて銀色の髪を露出させた。
 ただ脱いだ……いや、誰かに見せるため……?

 動けずにいる俺の目の前で、チェチェノさんが扉に向かって声を張り上げた。

「我は長老神茸ちょうろうしんじょう、この世で唯一む安住の地の扉を叩くである。さらば、扉を叩く者に応えよ!!」

 小さな体から出したとは思えないほどの強い声が、空間に響き渡る。
 その言葉に贈れて数秒――――扉の方から何かの言語がいきなり帰って来た。

「――ッ、――――――、――――」

 聞き取れない。と言うかこれ……聞いた事が有る。
 これは、アドニスがあの時に使っていた言葉だ。

 瞠目どうもくする俺の目の前で、チェチェノさんはその解読不能の言語に応える。

「左様、一度は去ったものである。しかしこの姿を見よ、後ろに在る哀れで勇敢な一国の王を見よ!! 我が息子を守らんとし自らの命を捧げたこと、王としては下劣なれど親としては最上のものなり。貴殿もそれを認めているからこそ、この冬の大地に住まう人々を愛し、地に根を下ろしたはずだ」
「――――……――、――――」
「真に許しをうものあらば、その許しを受け入れよ。それが貴殿を作りし存在の望む事ではなかったか? 我を掲げるものを今一度確かめてもまだ、受け入れぬと申すか。貴殿の息子は全てを捨て、そしてまた全てを捨てて帰って来た。それを、お主は覚悟も無いと申すか!!」

 一喝するような言葉に、扉から発せられた声が喉を詰まらせる。
 どうやら、これは……扉の向こうに誰かが居るんじゃなくて……扉を開ける役目の存在に対して、チェチェノさんは話しかけているらしい。
 だけど、よく話が理解出来ない。息子って……どういう事だ……?

「――…………――っ、……――――」

 扉から響く声が、少し曇った。
 チェチェノさんの言葉に、何か思う所が有ったのか。
 俺達には全くわからないやりとりだったけど、一応の決着を見たようだ。

 アドニスがそれを教えるように、チェチェノさんに小さく礼を言った。

「ありがとうございます、神茸老しんじょうろう
「なに。……人に限らず、やり直すための機会は必要だからの。……さて、儀礼に乗っ取って、宣言をせねばな」

 そう言うと、チェチェノさんは大きく息を吸うかのようにカサを膨らませて、ぴょんとアドニスの掌から飛んだ。
 だが、その体は地面に落ちる事は無く、宙に留まっている。

 そして――チェチェノさんの体が光り、その姿が急に変化し始めた。

「――ッ!?」

 目を見開く俺達の前で、チェチェノさんの姿が変わっていく。
 その姿は最早穏やかで優しい姿ではない。ギリギリと音を立てながら光を中心に出現するのは、太い幹をねじり束ねて作られた鉤爪かぎづめと腕。
 俺達が見ている背中は青々とした葉が生い茂り、たてがみとなった。
 周囲に凄まじい量の緑の光の粒子が飛び散り、彼の姿は扉を覆わんほどの姿になって――――

 そして、木々の枝葉を角のように伸ばす……竜の頭で、扉を見据えた。

「我は長老神茸ちょうろうしんじょう、幾千年の時を経て森の英知を守る存在もの。人と人ならざる神の御使いを繋ぐ選定者であり契約者である。よって、その役目を行使し、今人族を扉の先へと導かん!!

 我が名は北方の樹木竜“チェッカー・チェイン・ノースマン”――――

 【失われし言語】のを有する鍵である!!」

 樹木竜の姿が、その言葉と共に緑色の光に変化する。
 光の塊になったチェチェノさんの体は、大きな幕となり扉を包み込んだ。
 刹那、俺達は強い光に呑まれて思わず顔を覆った。

「――――ッ!!」

 まぶしい、目開けていられない……!!

 周囲を視認できない程の強い光に曝されて顔を隠す俺達に向かって、強く鋭い突風とっぷうが襲ってくる。まるで台風の中に居るかのような状況で必死に踏ん張って耐えていると、耳の傍でギィイイと軋むような扉の音が聞こえた。

 扉が、開いている……?!

 だけど、解らない。
 このまま進むべきなのか、それとも立ち止まっているべきなのか。
 指示がほしい。アドニスはどうしたんだ。俺はどうしたらいい。

 考えて、だけど動く事が出来ず、そうして風が収まるのを待っていると――
 前方から、やけに冷静なアドニスの声が聞こえた。

「もう目を開けて大丈夫ですよ。あと、喋るのも解禁です」

「え……でも、一体なにが……」

 起こったんだ、と言いながら目をゆっくりと開いて……俺は絶句した。

「な、なんだいここは!?」
「オレ達は洞窟みたいな所にいたはず……?」

 混乱するブラックとクロウの言葉に何度もうなずきつつ、俺はアドニスの背後に広がっている光景に対応しきれずキョロキョロと見渡す。
 だって、俺達の居る場所は草原の小高い丘で、遺跡でも雪山でもない場所で。
 しかも空は薄紫色をしていて、どう考えても普通の場所じゃない。

「まっ、マジでどこだよここ……!!」

 慌てていると、背後から扉が完全に閉まる音がする。
 じゃあ、やっぱ俺達はいつの間にか扉をくぐって、この謎の場所に連れ込まれていたってのか。でも、どうやって。
 何か分かるかと思って咄嗟とっさに振り返ったが……あれほど大きく道を塞いでいた扉は、忽然こつぜんと消え去っていた。

 ……後には、小高い丘と不思議な薄紫色の空が広がっているだけで。

「ここは……一体…………」

 誰ともなく呟いた言葉に、唯一この場所の事を知っているのであろうアドニスが、小さく息を吐いて俺達の前に立つ。
 そうして、はっきりとこう言った。


「皆さんようこそ。
 妖精の国……【リングロンドヤード・ヴァリシカ】へ」











 
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