異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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彩宮ゼルグラム、炎雷の業と闇の城編

12.閉ざされた部屋の記憶

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「…………よし」

 目の前で寝息を立て始めたヨアニスを確認し、俺はいつものようにゆっくりとベッドから降りる。毛の深い高級な絨毯じゅうたんが敷き詰められた床は、忍び足を行うのに適していて、変な動きさえしなければ気付かれる事はない。
 扉の鍵を外して少しだけ開けると、俺はそこから頭だけを出して周囲をきょろきょろと見渡した。

「……誰も居ないな」

 パーヴェル卿は皇帝の居住区の外に詰めているので、俺が部屋から出た事には気付かない。そもそも、この区域は給仕やメイドさん以外、用事がなければ立ち入り禁止なのだ。よっぽどの事でも無ければ人と鉢合わせすることはない。
 俺は素早く扉をすり抜けると、ヨアニスを起こさないように出来るだけ音を立てないようにゆっくりと閉めた。

「ふう……今日はいつも以上に大変だったな……」

 昼は罰ゲームレベルの綺麗なドレスを着せられて精神が死に、それをアドニスに見られて思いっきり笑われ、その後ベッドで「あの服はもう着てくれないのか? 似合っていたのに」と純粋な目で言うヨアニスに、笑顔で受け流しながら寝物語を聞かせて……とにかく俺は頑張った。頑張ったのである。

 しかし今夜はもう少し頑張らねばなるまい。
 これから俺は王宮を探索に出るのだ。
 ヨアニスには実験棟に帰ることを禁止されており、パーヴェル卿達も「明日、私達がなんとか説得してみます」と言って今日は引き下がってくれたので、時間はたっぷりある。

 道案内をして貰うためにアドニスにも留まって貰ってるので、逆に言えば今がチャンスなのだ。大っぴらに彩宮さいぐうの中を歩ける立場になっているのだから、やれる事はやっとかないとな。

 アドニスは俺の主治医と言う立場で居住区に居る事を許されているので、寝所の近くの部屋に待機して貰っている。
 なので、二人で居てもメイドさんや給仕に怪しまれる事はない。
 それでも長い間ヨアニスの所から離れているのは怪しまれるだろうから、迅速に行動しなくちゃな。ええと、アドニスの居る部屋は真向かいの二つ目の部屋だったっけ。ノックをすると、中から知った声が聞こえてきた。

「準備が出来ましたか」

 言いながらドアを開けたのは、少し眠そうなアドニスだ。
 待っている間ずいぶん退屈だったらしく、その表情は「やっと来たか」と言わんばかりの不機嫌な表情だった。

「ヨアニスはぐっすり眠ってるから、今のうちに行こう」
「はー……本当に子供扱いなんですねえ。貴方、今なら傾国の美女にでもなれるんじゃないんですか? まあ、男ですけど」
「警告の美女? 訳解らん事言ってないでさっさと行くぞ」

 警告の美女ってなんだ。ゲームでヒントをくれるお姉さんみたいなもんか?
 質問したいけど、それを言ったらまた笑われそうだからやめとこう。
 カンが働くんだ俺は。

 とにかく探索だ、とアドニスを引っ張り出した俺は、自分の前にアドニスを立たせてさあ案内して貰うぞと息巻いた。
 アドニスはそんな俺に呆れたように眉を上げたが、しかし約束した事はきちんと行おうと思ってくれたのか、ゆっくりと歩き出した。

「言っておきますが、私も正確な場所までは覚えていませんよ。道順を間違えても怒らないで下さいね」
「まあそりゃ一回だけしか行ってないなら仕方ないし……そん時は探そうぜ」
「そんな気楽で良いんですかねえ」
「いいのいいの、冬の国の夜は長いんだから」

 さっさと行こうと背中を押すと、アドニスは溜息を吐いて少し速度を上げた。
 相手はそこそこの長身なので、ムカツク事に俺とは歩幅がだいぶん違っており、付いて行くのに凄く苦労する。しかし案内して貰ってる手前文句を言う事も出来ず、俺はただただ早足でアドニスに付いて行った。

「…………なんか知らない所に入って来たな」

 皇帝の寝所や外に続く扉を離れて、サロンのあった区域も通り過ぎて、今まで行った事が無かった場所に入り込む。
 俺達が辿り着いたのは、広く長い直線の廊下だ。飾り立てられた廊下の片方の壁には金の枠の窓がずらりと並んでいて、暗い外の風景を透かしていた。
 むう、さすが皇帝の居住区……窓の枠ですら物凄く豪華だ。
 通り過ぎる際にふと窓の外を見てみると、思わぬ風景が広がっていた。

「うわ……すげえ……」

 この世界の夜の街というのは、基本的に薄暗い。
 水琅石すいろうせきの明かりがあるとはいえど、それを無駄遣いするほどには文明が発展していないせいか、家々の明かりは早々に消えて、街灯の明かりだけがぼんやり照らしているのが普通の光景だ。
 だけど、この国の……少なくとも皇帝領の風景はまるで違っていた。

 彩宮さいぐうからのぞむ皇帝領の街並みは、地面からの白い蒸気を浮き立たせるほどに明かりが煌々こうこうと灯り、曇天の空を照らさんばかりに輝いていた。
 凄い。まるで、俺の世界の都会みたいだ……。
 しばし見惚みとれていると、不意にアドニスが話し始めた。

「この皇帝領の生活をまかなう燃料は、少々特殊なものでしてね。その燃料のお蔭で、皇帝領はこうして漆黒の夜でも明るい光をともしていられるのです。水琅石のように光源が減る事も無いので、私としてもありがたいですね」
「その燃料って?」
「……さすがにそれは、国家機密なので」

 うーん、そう言われると仕方ないか。
 こんなに凄いエネルギーを使ってるんなら、他の奴には知られたくないよな。
 隠すって事は他人に知られたら困るほどの貴重な燃料なんだろうし……興味があったけど、まあ今の俺達には関係ないので忘れてしまおう。
 それよりも早く件の子供部屋を見つけなければ。

 俺はアドニスと共にその場を離れ、それから数十分ほど豪奢ごうしゃできらびやかな居住区を歩き回ったのだが……どうしたことか、アドニスが言っていた「とても質素な子供部屋」はどこを探しても見つからなかった。

「ないな……」
「変ですね……確か、あの窓際の廊下を越えたあたりで、どこかに入ったような気がするんですが……」
「部屋に入ったんじゃないのか?」
「いえ、この廊下から……みすぼらしい通路に入って、二三度曲がったような気がするのですが……」
「ふむ……」

 アドニスは思ったよりもしっかり覚えているので、ここまでの道のりが間違いという訳ではないだろう。とすれば、アドニスが解らないような変な所に通路があって、恐らくそこから部屋に行くって事だよな。
 そもそも、皇帝の住む居住区域にその子供の部屋が在ったと言うのなら、普通は病んだ皇帝だって目に付くはずだし、俺にだって「ここには入るな」と言う警告がなされていたはずだ。
 でもそう言うのがないって事は、部屋は隠されてるって事だろう。
 皇帝の屋敷なのに、皇帝が知らない部屋か。皇帝の屋敷なのに……。

 そこまで考えて――――俺は、ある事を思い出した。

「……そうだ、ツァーリ様式だ……!」
「ツァーリ様式?」

 鸚鵡おうむがえしで俺に問いかけたアドニスに頷いて、俺は説明した。

「ラフターシュカの街のシスターさんに聞いたんだけどさ、皇帝の宮殿は、普通の家とは全く違う特殊な造りになってるんだって。ツァーリ様式の屋敷は、その家のあるじや客人の目をわずらわせないように、使用人達が使う『裏』の通路ってのが有って、それが至る所に隠されてるって言ってた」
「なるほど、それがツァーリ様式」
「そう。だから、アンタが入った部屋もその『裏』にある部屋だったんじゃないかな。それなら殺風景だったってのも理解出来るし」
「……そう言えば、使用人と鉢合わせする事がないなとは思っていましたが、そう言う事だったのですね。初めて知りましたよ」

 珍しく目を丸くして感心するアドニスに、俺はちょっと得意になった。
 ふふふ、頭の良い奴を驚かせたって妙にテンション上がるな。
 よーしこの調子で隠し通路を見つけよう!

 てな訳で俺達はアドニスの記憶にならい、窓側の廊下の先の通路をくまなく調べて見る事にした。
 絵画が掛けてある壁の下の方や、花瓶が置いてある机の裏、壁紙の合わせ目の所などの“少し違和感がある所”を重点的にチェックしていると、その中の湖を描いた絵画の周囲に薄らと切れ目が在るのを俺は発見した。

 試しにその絵画を右に少しずらしてみると――
 ガタン、と音がして、いきなり絵画の周りの壁が回転扉のように動いた。

「うおおっ、回転扉だ! うわーもう本当からくり屋敷だ」
「カラクリ屋敷?」
「い、いや、良いから先に進もう。アドニス、この先の通路って見覚えあるか?」

 隠し扉の向こうにあった、少し狭い質素な通路。アドニスはしばし熟考したが、自分の記憶に確信が持てたのかしっかりと頷いた。
 やった。やっぱりこの通路だったんだ。

 アドニスが思い出してくれればもうこっちのものだ。
 彼に続いて通路を歩き、幾つかの扉を経て奥の方へと進んでいくと……少しほこりかぶった通路の先に、木箱が積み上げられているのが見えた。

「あの先です。……どうも人の立ち入りが禁止されているようですね」
「アタリくさいなー。よし、どけてみよう」

 木箱は案外軽くて、俺達……いや、俺一人が、せっせと木箱を運んで山を崩していく。アドニスは手伝ってくれないが、まあ、道案内してくれたので不問にする。木箱もそんなに重くないしな。

 さくっと道を開けて先へと進むと、突き当りの壁に蜘蛛の巣の張った古めかしい扉が見えた。他には何もなく、どうやら木箱はこの扉を隠していたらしい。
 俺とアドニスは顔を見合わせたが、意を決してドアノブを回す。

 錆びかけた蝶番ちょうつがいがギイッと音を立てて少し背筋が冷えたが、俺は静かにドアを開けるとそこへゆっくりと忍び込んだ。

「……暗いな」
「明かりを付けましょう。少し待って下さい」

 そうそう、皇帝領の屋敷って俺の世界みたいに電気のスイッチがあるんだよな。
 本当この世界って所々現代っぽくて怖いわ。
 パチンというスイッチの音に続き、蜘蛛の巣やほこりを焼く音なのか、ジリジリという変な音が聞こえて、天井にぶら下がった円形の器から光が漏れる。

 その明かりが照らした部屋を見て――――俺は、言葉を失った。

「…………ここが……ほんとに、子供部屋だったのか……」

 必死で絞り出した声は、緊張に固くなっている。
 だがそれも仕方のない事だった。
 何故なら、この部屋は…………あまりにも、殺風景だったから。

「……確かに、ここですよ。ただ、あの時はここまで汚れていませんでしたが」

 ほこりが積もった床の上には、数枚の紙が散らばっている。
 子供が色絵具らしき物で描いた落書きだというのは解ったが、時間の経過を感じさせるせた色は何だか物悲しさを覚えさせる。

 部屋の中にはベッドが一つと、棚が二つ。それに小さなクローゼットが一つあるだけだ。それ以外は本当に何もない。扉はあれど窓は無く、天井も不自然に高く、皇帝の居住区とは程遠いくすんだ白に塗りつぶされていた。

 けれど、壁にはこの部屋を一生懸命に飾ろうとした者の努力が見て取れる。
 明るい空色の壁紙に、子供が好きそうな馬車の絵。
 棚の一つにはこの国の名産であるミニチュアの馬車がいくつか並んでおり、本を詰めた棚にも子供に読み聞かせていたのであろう絵本が並べられていた。

 だけど、それだけ。本当に、それだけなのだ。

 子供の為に集められた物が有っても、この部屋の寒々しい雰囲気にはとてもかなわない。不自然な程に豪華な天蓋付きの子供用のベッドも、この部屋を温めるほどの熱量には達していなかった。

「改めて見ても、異様ですね。まるで必要最低限の物だけ持ち込んだようだ」
「……だけど、絵本を見る限り、子供は赤ん坊の頃からここに居たみたいだし……多分、必要最低限じゃなくて、これだけの物しか持ち込めなかったって事じゃないのかな……」

 本棚に並ぶ本をほこりを払って順番に開いてみたが、それらは読み聞かせる子供の年齢順に並んでおり、一番下の絵本と比べて一番上の絵本はかなりの文章量があった。それに、マナーとかのしつけ要素がある絵本っぽいし、となると……それが理解できる程度の年齢になるまで、ここには誰かが居たという事になる。
 それが誰かなんて、最早疑う事も無かった。

「……本当にいたんだな、ソーニャさんの子供」
「自分自身半信半疑でしたが、ここまで来ると否定は出来なくなりましたねえ」
「でも、この部屋はだいぶ前に閉じられたみたいだし……それに、ソーニャさんの子供が、風邪を引いた後もここにいたかどうかは解らないよな」
「確かに。あの後死亡していれば、話題に出ないのも納得ですが……」

 アドニスの言葉に胸が痛くなるが、その可能性も考えねばならないだろう。
 俺は生きていると信じたいが、万が一と言う場合もある。
 ソーニャさんがどうして失踪したかの理由が判らない以上、どんな可能性も否定してはならないのだ。
 でも、何か証拠がないものだろうか。子供が生きていると言う証拠が。

 俺は本棚の隣にある玩具を飾った棚に移り、その玩具の中の一つ……白銀の鎧を纏った白髭の老人……ジェドマロズの人形を取った。
 なんかちょっと荒削りでコケシみたいな感じだけど、でも鎧の形は完璧だ。
 めっちゃ格好いい人形ではあるので、子供はこれを使って遊んでいたんだろうな。足の部分や手の部分の塗装が剥げているのは、きっとヒーローごっことかして振り回していたからだろう。

 少し微笑ましくなりながら、背中の方を見る。すると、何かの文字が彫ってあるのが解った。失くさないように名前でも掘ったのだろうか。
 ほこりで埋まったそれを少し唾を付けた手で濡らし、あらためて布で拭いて綺麗にすると、俺はそこに書かれている文字を読んだ。

「えーっと……あ……セイ・ガーリン……トラフ……」
「何ですか」
「あ、いや、ちょっと読みにくくて……読める?」

 乱暴に掘られた文字は異様にガタガタしていて、いまだにこの世界の文字が完璧ではない俺にはちょっとキツい。
 アドニスは読めるだろうかと彼に人形を渡すと、相手は眼鏡をくいっと動かしてから、目を細めてその文言を発した。

「これは……名前ですね。下手な字ですが、アレクセイ・ガーリン・スヴャトラフと書いてあります」
「おお、それってもしかして子供の名前!? アレクセイって……」

 ……え?
 アレク、セイ?

 その名前を聞いて一瞬思考が止まる俺の視界の端で、何かが動いた。

「アレクセイ……?」

 俺とアドニスの声とは違う、別の声。
 その呟きに目を剥いて振り返った俺達の眼前に立っていたのは――――

 寝間着姿の、皇帝陛下だった。









 
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