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帝都ノーヴェポーチカ、神の見捨てし理想郷編
3.寝起きだとどんな音でもうるさく思える
しおりを挟むごうん、ごうん、と規則的な間隔をとって何かが動くような音が聞こえる。
まるで飛行機が分厚い雲の上を通っている時のような音だ。凄く煩い。
あまりの音に目が覚めてしまって、俺はもぞもぞと寝袋から這い出した。
「ふわ……あれ、もう朝……?」
寝部屋には天窓しか窓が無いので起きてすぐは解らなかったが、薄暗くても今は朝のようだ。上から降りてくる冷気がかなり寒くて、俺はぶるりと体を震わせるとコートを羽織った。
すると、ややあって部屋のドアが開く。
「ツカサ、起きていたか」
「あ、クロウおはよ。なあ、もう馬車動かしてんのか?」
ごうんごうんという音の他に、もう慣れてしまった車輪の音がする。
部屋ごと体を揺らすこの振動は、間違いなく馬車が動いている証拠だろう。
しかし朝と言っても外はまだ薄暗いし、もっといえば俺は朝食を作っていない。それなのにブラックもクロウも俺より先に起きているだなんて変だ。
首を傾げながら立ち上がる俺に、クロウは少し目を逸らしたが、ポリポリとバツが悪そうに頭を掻いた。
「…………最近、ツカサの事を食べ過ぎてるから……」
「………………」
俺を食べ過ぎている。パッと聞いた限りではその言葉は意味不明だろうが、残念ながら俺には悲しいくらいに心当たりがある。
そう、ラフターシュカから出て数日……。俺はことあるごとにブラックとクロウからセクハラ……と言うかもうこれアレだよね、性的虐めだよね、性的虐めを受けていた。そりゃもう、日を置かずに延々と。
……まあ、周りが雪ばっかりだし、食べるか進むかしかやる事がないから鬱憤が溜まったと言うのは解る。性欲が溜まると言うのもまあ解らんでもない。
人間が自分達三人しかいないという開放感も理解は出来る。
だがな、だからって俺で遊ぶのはどうかと思うんだよ俺は。
御者台に乗ってりゃキスしてくるわコートの中に手ぇ突っ込んでくるわ、台所に居れば背後から抱き着いて来るわ首筋に食い付いて来るわ、最終的に二人がかりで拘束して嫌がる俺の体を舐めまわしやがったんだぞこいつらは。
なに協力してんだお前ら、っつーか挿れるのは我慢してるから良いよねっていうレベルじゃねーだろあれは。
逆にあそこまでやってズボンも脱がないお前らの忍耐力が凄いわ。もうそこまでやるんなら犯せよ本当に。お蔭で俺だけ精根尽き果てるわ首から胸元にかけて悍ましいほどのキスの痕がつくわで、肉体も精神も死ぬかと思ったわ。
ああもう、思い出すと熱が上がって爆発四散しそうになる。
だから、そのせいで怒りっぱなしの俺に対して、クロウとブラックは一計を案じたのだろう。そんな事を考えられるんなら最初からセクハラすんなと言いたいが、この二人が性欲を我慢出来るのなら、俺も二人と変な関係になっていないだろう。つまり、最初から怒っても無駄なのだ。
今更その部分に文句を言っても仕方がない。あまりぶちぶち言ってると俺にも「そんな奴と付き合っている方が悪い」と言うツッコミが入るしな。
俺は寝起き早々深い溜息を吐かざるを得ない状況にうんざりしながらも、居心地悪そうに目線を動かしているクロウに声を絞って言ってやった。
「……良い心がけだな」
「反省している……。朝食抜きで良いから許してくれ」
深く深く頭を下げるクロウの耳は、ちゃんとぺっそり垂れている。
獣人はこういう所が本当にずるいよなと思いながらも、俺はとりあえずクロウの肩を叩いて身支度をしようと狭い台所へ向かった。
俺だけでもご飯食べよ……。一人で朝食とは寂しいが、ロクはまたずっと寝てしまっているので付き合ってはくれない。
昨日作って置いたスープを温めながら、俺は頭を掻いて窓の外を見る。
「…………やっぱ冬眠かなぁ……」
冬の国に入ってから……と言う訳でもないが、ロクはベランデルン公国に入って少しした頃からいつも以上に寝ている時間が多くなった。
前はちょくちょく起きててくれたのに、冬の国と言うのも相まってか最近はもう一週間くらい寝てるのが普通になっているのだ。パルティア島で診て貰った時には心配ないって言われたけど……やっぱり心配になる。
起きた時のロクは別に痩せこけてはいないし、むしろ食べさせ過ぎて太った? と言うレベルで健康体なのだが、こうも触れ合えない時間が多くなると寂しい。
クロウを無視してスープをすすりつつ、俺はどうしたものかと窓の外を見た。
まあ、確かにこの寒さじゃ冬眠したって変じゃないけど、ダハって冬眠するのかな。ライクネスは常春の国だし、ダハはあの国のあの森にしかいないから、冬眠するのかすら良く解らない。
ああ、ロク……って本当うるさいな。さっきからもうずっと外でゴウンゴウン言っててすっげえ煩いんだけど。考えがまとまらないんですけど!
「クロウ、あの音なに!?」
思わずキィッと言わんばかりに強めの声で問いかけると、クロウは俺に話しかけられて嬉しかったのか、耳を動かしながら窓の外を見た。
「あれは管の音だ」
「クダ?」
「朝起きた時、音がしているのに気付いたから、ブラックに言われて調べた。そうしたら、雪の中……というか、地面に管のようなものがずっと伸びていて、それが脈動しているのが分かったんだ」
雪の中に管のような物?
ブラックがクロウに頼んだって事は、雪の中か地中に埋まってる物って事だろうけど……音を立てるクダってなんだ……?
「……下水道……かな?」
首を傾げながら顔を歪めて言う俺に、クロウも眠そうな顔で首を傾げる。
「よく解らない。脈に近い動きをしているから、何かがどこかへ流れているのは解ったのだが……かなり遠くに同じような動きをする巨大な管が数本あるようだから、首都に関係する何かではないか?」
「あ、そっか……もうすぐ首都だっけ」
そっか。首都が近いのなら何かの設備って可能性も有るよな。
管ってことはやっぱ水関係? 雪を溶かして水にして首都に送っているとかなんだろうか。だとしたら凄い技術だが、この音はいただけないな。
馬車の車輪の音と同じぐらいの音量だけど、寝起きだった俺は心底驚いたし、ずっとこのゴウンゴウンという音を聞いていると、耳にこびりつきそうだ。
「今どんくらいなんだろ……首都に近い所なら街の中も煩そうだよな……」
「御者台に行ってみたらどうだ? 夜明け前から馬車を動かしているから、じきに街が見えてくる頃だと思うぞ」
「そっか、じゃあちょっと見て来る」
後片付けをしてくれるというので頼み、俺はしっかり帽子とミトンをつけて防寒を完璧にするとドアを開いた。
「ひぇえっ、さぶっ!!」
御者台へは、馬車の外から行かねばならない。
停車している時は御者台に直接上がればいいのだが、移動中は馬車の装飾に同化している細い通路を、これまた巧妙に装飾に見えるように工夫されている手すりを握りつつ移動せねばならない。
ちょっとした危険なダンジョンの仕掛けだが、手すりがあるだけマシだ。
俺は落ちないように気を付けながら平均台のように細い通路を蟹足で歩き、御者台へと上がり込んだ。
「あっ、つ、ツカサ君、おはよう」
「おはようブラック、俺に何か言う事はあるかな?」
「ごめんなさいなるべくもうしません」
「意味解らんけどまあよろしい。……で、今どこらへん?」
俺が怒っていない事を理解したのか、ブラックはあからさまに顔を明るくして口を緩ませながらコクコクと頷いた。
「あ、あのね、もうすぐ首都が見えて来ると思うよ! ツカサ君に悪いと思ったから、馬どもを叩き起こしてずっと走ってたからね!」
「叩き起こして?」
「叩き起こして!」
訊くと邪気のないだらしない笑みで返してくるブラックに、説教は無駄だと痛感した俺はせめてもの謝罪をと思って、馬車を力強く引いてくれている二頭のディオメデに向かって頭を下げた。
「ごめんな君達……眠かったよな……」
「ブルルルッ」
「ブルッ」
気にしてないとばかりに鼻を鳴らし、ディオメデ達は首を少し上げる。
うう、お仕事ご苦労様……このオッサンには俺が後で良く言い聞かせます。
「それよりツカサ君、ほら、道の先を見て」
「先?」
ブラックに言われるがままに、街道の先を見る。
道は少し下っていて終点が判らなかったが、霞んだ道の先にほんのり色付いた影が見えて、俺はその影の先を追って目を上へと動かした。
起伏の激しい影の中央に伸びるのは、黒い一つの線。
それは暗い空に突き刺さるように伸び、空を割っていた。
「…………あれ……なに……?」
この世界では見た事がない程に、高い“なにか”だ……。
思わずブラックに聞くと、ブラックも困惑したような顔で眉根を寄せた。
「解らない。……だけど、建物には違いないよ。僕は数年隠遁生活をしていたからその辺の事情は分からないけど……ノーヴェポーチカは、僕が訪れた時よりも恐ろしく変わっているみたいだね。あんな建物、僕は知らないもの」
「……数年で、あんな物が……?」
国境の砦よりも、近くの山よりもずっとずっと高い、一本の細い塔。
脈動する音も相まってか、なんだか恐ろしくて鳥肌がぞわぞわと立ち上がる。
思わず自分の腕を掴んで身を固くした俺に、ブラックは肩を寄せて来た。
「……僕が旅してた時のノーヴェポーチカは、そこまで悪い都市じゃなかったよ。街の大きさは恐らく大陸一だし……まあ、貧富の差があって植物が育たない不毛の地だけど、街の人はそこそこ楽しそうに暮らしていたからね。……ただ、その時の皇帝はかなりの老齢で、いつ崩御の報が流れてもおかしくなかった。高い技術力を持つ特殊な国家だから、そのせいで情勢も不安定だったけど……あんな凄い建造物が立っていたとはね」
「…………それって……本来なら、この国はあんな高い塔なんていらない、普通の都市だったってこと?」
「言い方を変えればね。……ツカサ君の世界だと、物凄く高い建物が沢山あるって言ってたけど……恐らく、君の世界で高い建物が立つ理由にあの建物は当てはまらないと思う。どんな理由があっても、この街に建てる理由がないもの……何か良からぬ事をするためって以外にはね」
「…………」
そう、俺の世界では高い建物を建てるのにはそれなりの理由がある。
現代では諸般の事情や計画によって結果的に高くなるって理由が多いけど、昔も見張りの為だったり神を讃える為だったり、色々とそれらしいワケが存在した。
だけど、ブラックはその全てを否定したのだ。その、真っ当な理由全てを。
「……戦争、とか」
ぽつりと呟いた俺の言葉に、ブラックは軽く笑って俺の肩を抱いた。
「有り得なくはないけど……今は世界協定の目があるからね。可能性は低いよ」
「そ、そっか。なら良いけど……」
「しかし……怖いね。数年訪れない内にがらりと様相が変わるなんて。……他の国じゃ、十年放っておいたってまるで風景が変わらない事なんてザラなのに」
「…………」
ブラックのその言葉に、何だか胸の奥がひやりと冷たくなる。
――他の国は変わらないのに、この国だけは変わっている。
根っこの部分は排他的な国ばかりだからこそ、ここまで特色があるまま国同士が交流していると言うのに、オーデル皇国はそうではない。
ブラックがおかしいと言う程に、どんどん形を変えて行っているのだ。
そう、この国だけ。
「…………ブラック……」
何故か心配になってブラックの顔を見上げると、相手は無精髭が生えた相変わらずの顔で、俺にいつもの気の抜けた笑顔を見せた。
「ごめんごめん、変に怖がらせちゃったね。大丈夫だよ、プレイン共和国だって僕達が見たらひっくり返るくらいに変わってる国なんだ。……なにも、このオーデルだけが変に捻じ曲がってるわけじゃないさ」
「そ、そうなの?」
「うん。だから大丈夫。現にほかの村や町の人だって、ノーヴェポーチカの事なんて何も言ってなかっただろう?」
「……そう、だな」
歯切れの悪い返答をしてしまったが、ブラックはあえて何も言わずに俺の頭を掴んで自分の肩へと押し付けた。
「ブラック」
「それよりさ、街に近付いたらツカサ君びっくりすると思うよ」
「え……なんで?」
「ふふふ、なんでかなぁ。ま、楽しみにしてるといいよ」
「何だよソレ……」
思わず眉を顰めてしまったが、それでもブラックが俺を励まそうとしてくれているのが解って、何だか鳥肌が収まって反対に体が温かくなってくる。
そんな簡単な自分に少し恥ずかしくなったが、腕を振り解くことはせず、黙ってブラックに肩を抱かれていた。
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