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帝都ノーヴェポーチカ、神の見捨てし理想郷編
1.遠雷、されども旅はお気楽に
しおりを挟む何もない闇だけの空間に、おどけたような声が落ちる。
「来ると思った?」
男か女かも判らないその声に、男の声が答えた。
「……いずれは」
「そう。……つまらないなあ。予想通りって言うのが一番つまらないんだよ」
「……」
「破格の力を持っていても、それじゃつまらない。ねえ、そう言うのわかる?」
「……申し訳ございません」
体を折り曲げて謝罪したかのように移動する男の声に、もう一つの声は一拍置くように黙ったが、やがて軽く笑い声を漏らした。
「君の望みは“破格”だ。前代未聞だ。だからこそ、ボクは君に協力した」
「…………」
「やだなあ、黙らないでよ。なにもね、ボクは今までの失敗を怒ってるんじゃないんだ。それは寧ろ楽しい事だからね? だってさあ、意外じゃないか。想像と違うじゃないか! だから、今ボクは凄く楽しいよ。……ハハハ、ほんと、実に楽しいよねえ。思い通りに行かないなんて、凄く面白い! だからね、ボクは君にもっともっと暴れて欲しいんだ。滅茶苦茶にしたいんだよ! だから予想通りじゃ困るんだ。そんなの詰まらないからね」
「……御意」
しばし、黒に塗り潰された空間に笑い声だけが響く。
ひとしきり笑った声は、ようやく収まると男の声に問いかけた。
「……で?」
「首都は既に我らが手先の手中に落ちたも同然です。あれの方もじきに我らの手に落ちるでしょう」
「あの男の方は?」
「嫉妬の感情を煽って行動させる事は充分に可能かと。なにせ、あの男は酷くあれに執着しているようですので」
「ふーん。……ほんと君らの趣味嗜好って、頭がおかしいよね」
「……縋るのは、当然の事かと」
男が冷静な声で呟くと、相手は一瞬沈黙した。
「……ああ、そうだったね。そうだった。永く忘れていたけど……」
そう言ったっきり喋らなくなった相手に、男は言葉を探すかのように息を吸って軽く吐き出していたが、やっと報告する事を思い付いたのか言葉を続けた。
「それにしてもあの男、まだ己の妻を探しているようです。バルバラ神殿の調査も終わらぬ内にアコールの方へと遣いを出していたとの報告が」
「はぁ……。追いかける奴ってのは男でも女でも無様でしかたないな。あいつらで我慢していればいい物を」
「それだけ感情を乱されていたのでしょう」
男がそう言うと、相手は盛大な溜息を吐いた。
まるで、今度こそ「失望した」とでも言うように。
「炎雷帝……仮にも“雷”の名前を持ってる皇帝のくせして、このザマとは本当にクソッタレだ。大層な名前をしてるんだから、女の一人や二人串刺しにしたっていいのに。まだ狂い切れてないんじゃない? ああ、本当につまらないなあ」
「手を出しますか」
その言葉に、相手は小さく笑った。
「別にいいよ。最近は凄く楽しいから。……だって、あの子はボクの予想を尽く裏切って……ボクを楽しませてくれてるからね」
悪魔が囁くような声でそう言って、いやらしく笑う。
やがてその笑い声が大きく響くようになったが……声を聞いているだろう男は、ただその音を静かに聞き、息を潜めていた。
-------------------------
「兄ちゃん、ノーヴェポーチカに行くんかい」
赤っ鼻の気の良さそうなおじさんにそう言われて、俺は笑顔で頷く。
俺は今、首都に向かう街道の途中にあった小さな農村に立ち寄っていた。
クロウが予想以上に食料を消費してしまったので、村の食料品店で食料を調達しているのだ。いやまさか、あんなに食べるとは……もしかして教会ではかなり我慢してたのかな……。考えてみればあいつ旅してる時は俺達の三倍くらいはペロッと食べてたし……。
「さっきも言ったけどな、今の時期のノーヴェポーチカは何もねぇぞー。みーんなラフターシュカの『妖精の過ぎ越し祭』に行っちまってるし、この時期は特に寒いってんで、みんな南の方の別荘に行っちまってんだ。まあ閑古鳥さね」
クロウの胃の凄まじさについて考える俺に構わず、赤鼻のおじさんは紙袋に食料をガサガサと詰め込みながら話を続ける。
閑古鳥か……久しぶりに聞いたな、その時代劇みたいな言い回し。
そういや俺達は今までイベントのある時期に街に到着する事が多かったな。
だがまあ、ラフターシュカで死ぬほど大変な目に遭ったし、もう当分お祭りの最中の街に行くのはいいや……ノーヴェポーチカではひきこもる予定なので、そこではゆっくりしたい。植物園にも行きたいからな。当分は大人しくしていよう。
……しかし待てよ。オフシーズンって、植物園は開園してるんだろうか。
国立とは言え祭りや避寒のシーズンなんだから、植物園の職員さん達も園を閉じて休んでしまっているのでは。
それは困る。俺は職員の人に用があるのに。
「あの、おじさん……つかぬ事をお伺いしますが、国立植物園って今の時期開園してます? 休みとかじゃないですよね?」
「ああ、お前さんあそこが目当てか。それなら安心しな、植物園は年中無休だ。今の時期は人が少ないし、じっくり見られると思うぜ。俺は行った事ねぇけんども、良い所だって言うよなあ……。緑が、色がいっぱいあって、暖かくてよぉ。植物園ってのは良い所だよなぁ」
「確かに……ここらへんずっと雪で真っ白ですもんね」
「そう、木が生えてても“シラカバ”だからな。色もなにも有ったもんじゃねえ」
このおじさんが言うシラカバとは、俺達日本人が知っている「白樺」ではない。
シラカバは木の棒のような細い物で、雪の大地に直立で突き刺さっている。その棒は雪を吸い上げて水を周囲に撒き散らし、氷の幹を作って己の弱い体を守る性質があり、枝部分には雪が付着するようになっているのだが……その不可思議な氷の樹の事を、この国では「シラカバ」と言うのである。
そう、つまり、厳密に言えばそれは樹ではない。ただの氷のオブジェだ。
中に通ってるほっそい藁みたいなシラカバの本体も、実は木ではなく虫型の大人しいモンスターだって言うんだから、なんかもう悲しくなる。
しかも集団で生えてるからモンスターがそのシラカバの森に隠れていたりするらしく、だから「白い狩場」でシラカバなんだって。
そんな土地なんだから、緑が溢れる植物園にこういう感想を抱くのは至極当然の事なのかもしれない。俺もそろそろ緑が恋しくなってきたもんなあ。
「あいよ、坊ちゃん可愛いからライ麦パンのオマケしといたよ。干し肉のスープに浸して食うと結構うめえぞ」
「うわー、ありがとうございます!」
ラッキー! ドラマとかではよくこういう会話があるけど、まさかこの世界でこういうラッキーをちょくちょく頂けるとは思っても見なかった。
まあ、沢山買ったからって事も有るんだろうけど、でもパンは純粋に嬉しい。
エレジアさん達が用意してくれた食料を食いつくしてからは、自分達が用意していた浅黒い穀物パンばかりだったので、ライ麦の白パンなんて今の俺らにはご馳走オブご馳走だ。
思わず満面の笑みを浮かべておじさんにお礼を言うと、相手は赤ら顔を更に赤くして照れ臭そうに頭を掻いていた。
いやあ冬の国もやっぱり人情が厚いですなあ。倹約するからってパン代をケチって穀物パン買いまくった俺とは大違いだ。
あんな事はもうしない、お金があって街道を進む時はなるべく白パンを買おう。そう心に決めながら、俺は食料品店を後にした。
「うーわっ、やっぱ村になると雪がすげえなあ……」
村中を真っ白に染めるほどの雪が、この村に入った時と全く変わらない量でどんどん地上へと落ちてくる。昼間だと言うのに暗い空は、一向に晴れる気配を見せなかった。首都に近付けば近付くほど雪深くなっていくとは聞いていたけど……青空すら見えなくなるレベルとは思わなかったなあ。
「はぁー……うわ、息が雲みたい」
透明さがまるでないくらいの息は何度見てもヤバい。頬が痛くならない内に早く馬車に戻ろうと思って、俺は雪に埋もれつつある村を早足で歩いた。
俺のブーツは踏み固められた雪の上もスイスイ歩けるようになっているらしく、デザインは子供用かとゲンナリするほどだが、性能は本当にありがたい。
生まれてこの方雪国なんて行った事の無い人間なので、こういう所は魔法の世界らしくて嬉しくなる。はあ、でも本当雪かき大変そうだよな。
曜術で燃やして水にしてるからいいけど、毎日それをやるってなると、簡単に雪を溶かせても嫌になりそう。
魔物除けバリア……もとい障壁発生装置が買えない村は、雪の被害にも頭を悩ませているんだろうな……。モンスターも雪も同列の厄介者か。
「たまに降るから嬉しかったんだなあ、雪って……」
そうだよな……雨だって俺達はウンザリする事が多いってのに、いざ日照りでずっと降らなきゃ降った時には喜んじゃうんだもん。そういうもんだよな。
うう、しかしさぶい。
村の隣に造られている駐車場に入ると、俺は足早に馬車へと乗り込んだ。
「うーっさぶいっ! ただいま!」
「おかえりー、ツカサ君」
「おかえり」
「はいはいただいま! つーかお前ら、いつもはベタベタするくせして、買い出しジャンケンの時は放り出すんだから薄情だよな! はいこれ注文の酒!」
馬車の扉から入ってすぐの台所……小さなダイニングルームで温かい麦茶を飲んでいたオッサン二人は、俺がドンと酒を取り出すと、嬉しそうに近寄ってくる。
あーあーもうほんっとこういう所オヤジなんだから!!
「わはー、これが念願のウォッカ!」
「ラフターシュカで買おうと思ったが、教会に寝泊まりする事になったし、買えずじまいで心残りだったんだ。ありがとうツカサ」
二人とも酒には目がないようで、いそいそとコップを持って酒を開ける。ほんとそう言う時だけ仲良いよな、あんたら。
嬉しそうにコップにウォッカをなみなみと注ぐ二人を横目で見ながら、俺は買って来たものを食料庫に詰める。
「はー、温かい……やっぱ馬車の中は凄いな」
俺も麦茶を飲もうと思ってポットから茶を注いでいると、背後で「かぁーっ」とか言う声が聞こえてきた。
「効くなぁ、これ……!」
「あんまり味がせんな」
「お前は果実酒ばっかり飲んでるからだよ」
……うーん……なんか悔しい。
俺酒飲めない……っていうか、飲めるんだけどブラックが呑むなって言うから、駄目なんだよな。自分達は食堂にワインやら酒が有ったら迷わずに頼んでガブガブ呑むし、その上俺に色々やってくるくせに、俺にはアレ駄目コレダメって言うんだから本当理不尽だ。
折角大っぴらに酒が飲める世界なんだし、俺だってエグい度数と噂のウォッカを飲んでみたい。
っていうかお前らばっかり喜んでてずるい! 大人はずるいぞ!!
麦茶で我慢してる俺に謝れ!
「買ってきた奴を無視して呑むウォッカは美味いか」
「うまいよー、体の中からカッカしてきてコート要らずだねえ。これでツカサ君が目の前で脱いでくれたら最高なんだけど」
「同意せざるを得ない」
「雪に埋めてやろうか貴様ら」
酔って来たのか。そうか酔って来たんだなオイコラ。
遠慮なく外に放り出してやるからもっと酔えやのんだくれどもめ。
「そんなに不満そうな顔しないでよ~可愛いなあもう! 飲みたい気持ちは解るけどさ、たぶんこの酒、ツカサ君には辛いと思うよ」
「飲んでみなきゃわかんないじゃんか」
「だから呑むのは駄目だって。うーん、じゃあ舐めてみる?」
「マジ? いいの?」
「どうぞ」
そう言いながら、ブラックはコップを差し出してくる。
おいおいえらく素直だな。久しぶりに酒が飲めてご機嫌だからだろうか?
だったら、これからはご機嫌取りの為にまた酒を買ってくるってのも良いかもな。二人とも酒を飲んでたら俺の事放っておいてくれそうだし。
そんな事を思いながら、コップを傾けて無色透明な酒をちろりと舐めてみる。
――――と。
「~~~~~~~っ、っ、ッつっ!?」
の、の、喉が焼ける! なにこれマジで酒!? 消毒液じゃなく!?
思わずコップを手放し恐ろしい回数の咳をするが、まさか自分の喉から「ケンッケンッ」とか言う漫画みたいな咳が出るとは思わなかった。
ブラックはそんな俺にヘラヘラと笑いながら、半分以上残っていたウォッカを喉を曝してグイッと煽る。
あの、物凄い衝撃の酒が、一気にブラックの口の中に消えて行った。
それを見て、クロウもなみなみと注がれたウォッカを一気に飲み干す。
ひ、ひぇ……。喉痛くないの、あんたら鼻がヤバくなったり頭がギイッてなったりしないの。ナニソレ怖い。あんたら本当に人間?
二人の行動が信じられずにポカンとしていると、ブラックとクロウは酒のお蔭で血行が良くなった頬を歪めてニヤリと笑った。
「あはは、ツカサ君可愛いねえ……」
「ツカサは酒に弱いんだな」
「そ、そうじゃなくてアンタらが強すぎるんだよ」
「そうでもないと思うけど……でも、ツカサ君にはそのままでいて欲しいなあ。酒に慣れちゃったら、その可愛い仕草も見れなくなっちゃうし」
「む、確かにそうだな。ツカサ、酒をなるべく飲まないようにするんだぞ」
「ぐぅう……お前ら好き勝手言いやがって……」
馬鹿にしてんのか、バカにしてんだな!
チクショウ俺は酒に弱くなんかない、飲み慣れてないだけで、飲み続けてたらお前らみたいにウォッカもぐいぐい行けるようになるんだからな!!
ぐうっ、でも喉がヒリヒリする、甘い物食べたい。もうあれ飲みたくない。
いや違うこれはあの、あれだ、本当慣れてないから。そうだから。もう一杯くれたら慣れて飲めると思うんだよ俺は。でもね、あの、今は甘い物が欲しいから。
「やっぱりウォッカ、飲めないんだ」
「う、うぅうううちくしょおおお!! お前らなんか酔い潰れてしまええええ」
ニヤニヤした声でそう言われて、俺は恥ずかしながら号泣して捨て台詞を残し寝部屋へと駈け込んでしまった。
くっそー、俺だって、俺だっていつかウォッカもぐいっと飲める大人のオトコって奴になってやる……でも、そのまえに!
「クロウに食べられないように隠しておいたお菓子たーべよっと」
本当はクロウが耳をへたらせて「甘い物が食べたい……」とか言いだしたらあげようと思ってたんだけど、もう知るもんか。一人で食ってやる。
ブラックの分のライ麦の白パンも薄く切ってやるんだからな。
そう思いながら、俺はお久しぶりのスクナビナッツにこっそり入れて隠していた、お菓子が詰め込まれた袋を取り出した。
→
※次は挿入はしないですがえっちなので注意
雪が固まってギシギシになってる道ってガチで危なくて怖いですよね
あとウォッカはがぶ飲みするものではありません
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