異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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波乱の大祭、千差万別の恋模様編

23.貴方を大事に思うからこそ

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 クロウは獣のように歯牙を剥き出しにして、鋭くとがった爪を巨木のような太さの触手に突き立てる。
 その爪は獲物よりも小さいと言うのに、いとも簡単に深く突き刺さり大きな爪痕を触手に残した。しかし、クラーケンは痛みを感じていないのか、無事な触手を海上に引き上げてクロウを叩きのめそうとする。

 だが、それが無駄である事はその場の誰の目にも明らかだった。

「ア゛ァアァア゛ア゛ア゛ァアアア゛!!」

 人間の声とも野獣の威嚇ともつかない絶叫とともに、クロウは高く跳び上がって触手を手刀で叩き切った。
 濡れた肉を力任せに裂くような音が響く。
 その衝撃に一瞬硬直した触手に飛び移り、クロウはそのままクラーケンの頭部に勢いよく爪を突き立てた。

「――――!!」

 何度目かの悲鳴で、ついにクラーケンの頭部から青い液体が噴出する。

「ば、バカな……クラーケンを素手で、一人で……!!」

 驚愕するファスタインの声を最後に、地響きのような音を立てクラーケンの巨体がゆっくりと水の中に沈んでいく。その間にも甲板を流れる程の青い噴水が周囲に飛び散って、霧に色が付くような気さえした。

 クロウはそんなクラーケンの血液をかわすように身軽に沈む巨体を飛ぶと、難なくまたこの船へと戻ってきた。
 気が済んだのだろうか。そう思ったが……こちらを見た瞳の色がまだ明々とした黄金に染まっていたのを見て、俺とファスタインは同調したかのように体をびくりと震わせた。まだ、クロウは怒っているのだ。

「ヒッ……く、くるな……来るな……!!」

 使い物にならなくなった召喚珠しょうかんじゅを、海へと投げ捨てるファスタイン。
 すると今まで惑うように甲板を動いていた小さなクラーケン達が一斉に海に飛び込んでいく。彼らの呪縛が解けたのだとほっとしたが、ファスタインが取り出したもう一つの宝珠を見て、俺は顔を強張こわばらせた。

「クラーケン!! 何をしている、この男を殺せェ!!」

 乳白色の宝珠が、先程の宝珠以上に強く美しい光を放つ。
 さきほどの召喚珠よりも強い、光。それが何を意味するのかが解って、俺は咄嗟とっさに海上をみやった。
 海鳴りが聞こえる。たおされたクラーケンのものよりも遥かに大きな音に目を見開いた俺の前に、今見た巨大な敵よりも大きなその姿が、現れた。

「こ、このオスのクラーケンを甘く見るなよ……愚鈍な海賊どもを相手にしていたさっきのメスとは違うぞ……」
「…………小賢しい」

 忌々しげに呟くクロウは、金色の双眸でファスタインを睨んで、出現した二匹目のクラーケンにゆっくりと首をやる。
 青い血に染まった甲板の上に立ち、クロウは姿勢を低くし構えた。
 その構えに、クラーケンは挑発するように二本の触手を天高く掲げる。
 触手の切っ先は……鋭い、刃のように尖っていた。

「串刺しにしてやれ!!」

 ファスタインの大声に応えて、クラーケンはその刃を素早く甲板に突き刺した。

「ッ!!」

 危ない、と言うよりも先に攻撃を繰り出してきた触手はあまりにも俊敏で、メスのクラーケンの攻撃がまるで遅い物だったように思えてくる。
 甲板に深く突き刺さった刃を避けたクロウだったが、次々に海から引き上げられる無数の触手の刃に狙い撃ちにされ、攻撃するタイミングが掴めないようだ。
 いくら全力状態のクロウと言えども、あの巨大な刃に少しでも触れられたら肉がえぐられてしまうだろう。その事を考えれば下手に受け止める事は出来ない。

 二三本の触手を引き千切ったものの、それでもまだかなりの刃がクロウを狙っている。甲板は既にボロボロになり、階下が見えかけていた。

「クソッ、あの男、素早く動きやがって……!!」

 既に余裕の消えたファスタインは、歯噛みをしながらクロウの健闘を悔しがる。
 男か女かも判らない下卑た悪態をつく声を聞きながら、俺は未だに攻防を続けるクロウとクラーケンを見て、焦燥感に顔を歪めた。

 船が壊れて行く。二人の戦いに船は揺らぎ、荒れ壊れる度に力なく横たわったガーランドの体が青い甲板からずり落ちて行く。異変に気付いた乗組員達は、どうする事も出来ず階下で混乱に騒いでいた。

 クロウにはその声は届いていない。ガーランドの事も見えちゃいない。
 背後に居るファスタインは、他人の命などハナから気に掛けちゃいなかった。

 そうだ。この場所には、戦いに巻き込まれて死にかけている人間が居る。
 クロウの身は心配だ。クラーケンの事だって、解放できるならしてやりたい。何より、ここから早く逃げ出したかった。
 だけど、それ以上に、無視してはならない事があるんだ。

 この戦いを、長引かせてはならない。

 俺は自分の体にどれほどの力が残っているのかを確かめて――覚悟を決めた。

「……っ、ぁああぁあッ!!」

 クロウとクラーケンの攻防に気を取られていた相手を、背で強く押す。

「!?」

 俺を全く気にしていなかったファスタインは、予想していなかった俺の攻撃に、手を離してよろめいた。その瞬間に、召喚珠が手を離れて甲板に落ちる。
 しめたと思って、俺はありったけの力で召喚珠のところへ走った。
 だが相手もすぐに体勢を立て直し、そして。

「くそぉおっ、貴様ァァアア!!」

 船が、クラーケンの触手に再び貫かれて大きく揺れる。
 背中を掴まれた俺は、その傾いだ甲板の上で引き寄せられて――――
 そのまま、海へと投げ飛ばされた。

「――――!!」

 全てがスローモーションのように、ゆっくりと視界を流れて行く。
 クロウが刃を避けこちらを向いた事も、ガーランドが部下達に助けられた所も、そして、ファスタインが俺を見て必死の形相で口元を笑みに歪めていた事も。

 眼下には、クラーケンの動きに渦を巻きうねる海が在る。
 そこに落ちればどうなってしまうかは、もう分かりきっていた。
 ……ああ、俺、このままだと死ぬ。

 だけど、どうする事も出来ない。
 せめて死ぬ前に一度、ブラックに挨拶をしたかったな、と思ったと同時。

「ツカサ!!」

 クロウに抱き締められて、視界が遮られる。
 その肩越しに見えた銀光に無意識に目を取られた、刹那。

「ガァアァッ!!」

 クロウの背中に深々と刃が突き刺さったのを、俺は見てしまった。

「あ……ぁ……っ、く、クロ、ウ」
「ぅ、ぐぁあ……あぁあああ!」

 俺をしっかりと抱きとめたクロウは、己を突き刺す刃に手を回して体を引き抜くと、そのまま刃に足を付けて再び高く飛んだ。
 帆を張る為の柱に手を付けそのまま滑るように降りたクロウは、俺を優しく甲板へと降ろすと、ファスタインの方を向く。

「ヒッ」
「貴様……余程殺されたいようだな……ッ!!」
「ぁっ、あぁあ……」

 どんな顔をしているのか解らない。俺に見えているのはクロウの血に塗れた背中だけで、そこから目が離せなくて。

「クロウ、も……もう、いい、もういいから……!!」
「アァアァアアアアァアア!!」

 叫んだクロウに、悲鳴が上がり何かが海に落ちる音がした。
 途端に、クラーケンの動きがぴたりと止まる。
 甲板を貫いた刃がぞろぞろと引いて行き、クラーケンは急にくるりと身をひるがえし、音を立てながら海の中へと消えて行ってしまった。

 後は、ゆっくりと傾いでいく船が残るだけ。
 だれも何も悲鳴を上げなかった。
 ……まさか……ファスタイン、海に落ちたのか……?

「おわ、った」

 そう呟いて、クロウが目の前で崩れ落ちる。
 急に動いた事で血飛沫が顔にかかり、俺は我に返ると慌ててクロウを支えた。

「クロウ!」
「なさ、けない……ツカサを危険な目に、遭わせて……しまった……っ」

 やっと見れた顔は苦しそうに歪んでいて、背中からは大量の血が流れ甲板に落ちて行く。支えた体が段々と冷たくなっていく感覚に、俺は青ざめた。
 このままじゃ、クロウが……。

「く、クロウ、待ってな、今すぐ回復薬を貰って……」
「無理、だ……これほど深いと……もう……っ」

 そう言って、クロウは倒れ込む。
 青の液体に染まった甲板に赤い血が止めどなく流れて落ちるのを見て、俺の頭は混乱をきたし沸騰した。

 どうしよう。
 クロウが、クロウがこのままじゃ、死んでしまう。俺のせいで死んでしまう!!

 そんなの嫌だ。回復薬で治らないなんてウソだろ、でも、薬はどこにあるんだ。
 今から持って来て貰っても遅い。頼めない。
 でも、嫌だ。死んでほしくない。
 クロウに死んでほしくない……!!

「クロウ!!」

 涙声で必死にクロウの体を起こして膝に乗せると、クロウは心地よさそうに目を細めた。しかし、その仕草すらもうぎこちなくて。

「は……はは……や、っと……してほし、こと……貰えるのに……もう……」
「喋んな、頼むから……っ」
「泣く、な……ツカサ……。オレ、は……悔いは、ない…………おまえ……を……あい、してる……から……」
「喋んなって!!」
「け、ど…………やく、そく……もらえ、く……ざん、ね……」
「クロウ……!!」

 約束って、頬にキスしてやるって事か。
 今、こんな時にそんな事言うのかよ。バカだ、バカだよお前。

 頼むから、バカな事言うなよ。キスなんて何度だってしてやるから。
 アンタが死なないなら、何度だって、好きなだけしてやる。
 それがアンタの為になるんなら、なんだってしてやるって。
 だから悔いはないなんて、死ぬ前に言うような言葉を言うなよ、頼むから。

「つ、かさ……」
「する……キスなんて、沢山してやるから!! だから、頼むよ、死なないで……っ、クロウ……!!」

 何も考えられない。
 この後どうするのかも、どうなるのかも、考えられなかった。
 ただ、クロウが望む事を叶えてやれるのなら、それでクロウが救われるかも知れないのなら、何だってしてやりたかった。

 俺はクロウの冷えた頬を両手で包むと、顔を近付ける。
 もし、俺の力が、彼を救えるのなら。そう、思って。

「クロウ……っ」

 鉄の臭いで満ちた唇に、息を吹き込むように触れる。

 その行為がどういう感情から来るものなのかなんて、今の俺には関係なかった。











 
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