異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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ベランデルン公国、意想外者の不倶戴天編

  怯弱

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 常日頃から感じている至福というものが具現化するのなら、このツカサに結んで貰ったリボンがそれに当たるのだろうか。

 いつもよりほんの少しだけ上で髪をいましめているリボンに触れて、ブラックはこらえ切れない笑みを気兼ねなく漏らす。他人にどう思われようが、この嬉しさを抑えることは出来ない。ツカサが自分の望みを叶えてくれた事や、髪に触れて貰った事が嬉しくて仕方なくて、ブラックは年甲斐もなくニヤニヤと口元を緩めていた。

(ツカサ君の手、優しかったなぁ……)

 くしがないから、ツカサはブラックの髪を手でいてくれた。
 その手は柔らかくてとても優しく、ブラックの絡まりがちな髪を労わるようにゆっくりと、五本の指で撫でるように解かしてくれたのだ。
 その指が頭を撫でる感覚と言ったら、陶然とうぜんとせずにはいられなかった。

 昔、櫛を使って解かして貰った事はあるが、そんなものなど比べ物にならない。
 自分を思いやるような温かな手つきは、愛しい恋人の手と言う事実も相まって、今までに感じた事のない充足感をブラックに与えてくれた。
 それを喜ばなくては、恋人という称号などただの肩書きも同然だ。

(でも、あんまり喜び過ぎたらツカサ君が怒るんだよなあ。……恥ずかしがりなのは可愛いから良いけど……もうちょっとくらい、優しくしてくれてもバチは当たらないのになぁ……)

 恋人になってから、ツカサは如実に態度を軟化させた。
 それはブラックの努力によるところも大きいのだろうが、しかし、ツカサ自身もブラックに歩み寄る努力をしてくれているのには違いない。

 その為か、ツカサは最近はブラックの大人げない甘えも、前より柔軟に受け入れてくれるようになったのだが……それでも、人前になるとかたくなになってしまう。

(相思相愛の恋人は、人前でも構わずに仲睦まじく触れ合うものだ……って聞いたのに、どうしてツカサ君は恥ずかしがるのかな……)

 やはりまだ恋人としての熟練度が足りないのだろうか。
 それとも努力がまだ足りないのか。

 早くツカサと「普通の恋人同士」になりたいブラックにとって、これは由々ゆゆしき問題であった。

「うーん、やっぱりもっと愛情を示すべきか、それとも見守るべきか……」

 宝飾技師の師匠からの話では、駆け引きもまた大事であると教わった。
 今までこんなに他人の事を考えた事が無かったブラックにとっては難問であったが、しかし、ツカサと理想の関係になる事を想えば不思議と辛くはない。
 寧ろ楽しくてたまらなかった。

 だがしかし、今はそうして浮かれている訳にもいかない。
 ふとその事を思い出し、ブラックは頭を振ると目の前の本棚を見上げた。

「そうそう、まずは調査だ。さて……どこから調べようかな……」

 ブラックが今見ているのは、ベランデルン公国の国土に関する本が並んでいる本棚である。国土についての本……とは言うが、そのくくりで集められた本の内容は多岐に渡る。地理、歴史、経済に政治。国に関わる「事実」のみを集めたその棚は、統一されていないようで統一された一つの群れとなっていた。

「歴史学でも良かったんだけど……数年の空白を埋めるには“記録”が必要だからなぁ……。余計な情報が入るものは、どうも信用できないし」

 ブラックがツカサと一緒に一階の本棚を探そうとせず、わざわざ二階のこの本棚の前に来たのには、ちゃんとした理由がある。
 それは、他人の主観が入ったものを避け、調べ上げた結果として導き出された「事実」のみを記憶する為だった。

 歴史学などの学術に関する書籍は、どんなものであれ必ず執筆者の主観が入る。その主観は、時々捻じ曲がった目で結果を見て解説したり、己の価値観による決めつけで「事実」を曲解して解釈していたりすることも有るのだ。

 書籍の内容を「知識」ではなく「情報」として受け取るのであれば、そのような主観に塗れた文章は不要極まりない。だからこそ、ブラックは事実のみが淡々と記されている書籍のみを扱うこの本棚へとやって来たのである。
 出来るだけ他人の思考を排除して、正確な情報を知るために。

「よし、早く終わらせてツカサ君の所に帰ろう!」

 本を読む事は、苦痛でも何でもない。
 だが、ツカサと一緒に居る時間を圧迫すると言う点では苦痛である。
 目当ての情報を読み取って、自分の中の知識と照らし合わせる事が終わったら、すぐに一階へと降りてツカサを探しに行こう。

 そう思い、ブラックは棚の一番左端の本から読み解こうとした。
 ――――と、そこへ。

「お仕事中失礼します」

 どこか上から目線っぽさを感じる、表情のない冷静な女の声。
 嫌と言うほど聞いたそのうんざりな声音に、ブラックは手を止めて振り向いた。

「…………どうして、最近の伝達係はクロッコじゃなく君なんだろうね」
「それはこちらの台詞です。シアン様の命令でなければ、私とて下等な人類の街にそう何度も降りる理由はないのですから」
「ああもういつ聞いても殺したくなるなその毒舌」
「おや、ツカサ様が側を離れたら、早速その下品で直情的な物言いですか」

 ほんの少しだけ呆れを声ににじませながら、毒舌で失礼極まりない神族……エネが、冷静で無表情な顔のまま近付いてきた。
 ブラックの不機嫌な言葉を浴びせかけられても、相手はけろりとしている。
 そのすました態度が一層不快感を掻き立てるのだが、エネはそれの不快感を煽るかのようにブラックの近くまで来て腰に手を当てた。

「私は下賤な生物を区別する事はない、と言いましたが……あなたはいささか言葉の刃が鋭すぎます。ツカサ様以外にそんな態度をとりすぎると、後で後悔しますよ」
「お前に言われたくない」
「それは兎も角として……今あなたは一人ですね。シアン様より言伝が有ります」
「無視か」

 神族はこういう部分もいけ好かない。
 以前の伝達係であったクロッコも、こちらの神経を逆なでするような事ばかり言って見下してきたが、エネのような自由勝手に放り投げられる毒舌に比べたら、可愛い物だったかもしれない。悪意にも分別と言う物が必要だ。

「この辺りは人があまり訪れない場所のようなので……ここで済ませましょう」
「ああ、そうしてくれるとありがたいね」

 わずらわしい事は迅速に処理するに限る。
 本の事は一旦忘れ、ブラックはエネと共に更に人が近寄らない部屋の奥の本棚の影へと移動した。二階は難解な専門書や記録が多いため元々人が少なかったが、用心のためだ。エネがブラック一人の時に現れたと言う事は、ツカサには聴かせる事が出来ない話なのだろうし。

 しかし、何の話をするつもりなのか。
 疑問に首を傾げつつ、ブラックはエネが【偽像球】の用意を終えるのを待つ。
 ややあって、エネが水晶玉のような透き通った球体を取り出し、ぶつぶつと呪文を呟き始めた。すると、玉がにわかに光を帯びて目の前に人体の輪郭を描きだす。

 そのたおやかで女性的な線は、ゆっくりと起伏を作り人の形へ変化していく。
 やがて、ブラックとエネの間には半透明のシアンが現れた。

「…………ああ、ちゃんとトリファトに到着していたみたいね、ブラック」

 ゆっくりと開いた瞳は、青みがかっているのに向こう側が透けて見える。
 いつ見ても不思議な光景だと思いつつ、ブラックは頷いた。

「アタラクシアに行く前に少し休息を取ってたんだ。ツカサ君が休みたいって言ったし……それに、色々用意も有ったからね」
「そう。休めているようで良かった。貴方も健康そうで何よりだわ」

 にっこりと微笑む皺を刻んだその顔は、昔と少しも変わらない。
 本来の年来を隠す「仮の姿」を取らずに、老女である「真実の姿」をさらしているとはいえ、それでもシアンは数百歳と言う年齢に見合わない程の美貌だった。
 彼女を見ていると、無駄に年を取ったように思えてくる。
 まあ、種族が違うから外見の差は仕方ないのだが。

「それで……なんの用件だい?」
「ああ、そうね。ここは……図書館みたいだし、簡潔に済ませましょうか」

 そう言いながらシアンは少し周囲を見回し、他人が居ないのを確認してから再びブラックに向き直った。いつもとは少し異なる、真剣な表情で。

「……ブラック、貴方達はこれからアタラクシア遺跡に向かうのよね」
「ああ、その情報を集めにここに来た……」
「早めに出立しなさい。出来れば、今夜にでも」

 自分の言葉を遮って強く命令したシアンに、ブラックは面食らった。
 こんな物言いをするシアンは、何年振りだろうか。ラッタディアでの和解の時だって、こんなに真剣な表情で強い口調を発する事は無かったと言うのに……一体どうしたのか。何か言い知れぬ不安を覚えて、ブラックは眉根をしかめた。

「何か不都合な事でも起こったのか?」
「不都合なんてレベルじゃないわ。ブラック……“ヴォール”の筆頭が……貴方を追って来てるのよ。貴方の首を取ろうとして……ね」

 ヴォール。その言葉を忘れかけていたブラックは一瞬戸惑い、その言葉が何かをすぐに思い出し嫌悪に顔を歪めた。

「あいつら、まだそんな胸糞悪い階級付けを続けてたのかい」
「古くから続く慣習は、簡単には変えられないものよ。ましてや、数千年も続いてきた権威ある一族の決まりであれば尚更……ね。貴方はイレギュラーだったから、疑問に思うのも無理はないと思うけど」
「だからその変な単語止めてくれないかな、意味が解らないんだけど」

 いれぎゅらーがどんな単語か知らないが、良い事を言われている気がしない。
 半眼で睨むように見つめるブラックに、シアンも負けじと眉根を寄せる。

「そういうツッコミはいいのよ。とにかく……ヴォールには、貴方のアタラクシア行きは伝えていなかった。その情報が漏れてるっていうのが大変な事態なのよ」
「大変かな。僕が一族に蛇蝎の如く嫌われてるのはいつもの事だし、漏らした奴が居ても何も不思議はない。いずれ誰かが僕を殺しに来るだろうなと思っていたよ」
「……覚悟していたというの? 一族からの刺客を」

 うかがうような目つきに変わった相手に、ブラックは苦笑して軽く頭を動かした。

「もとより僕は【誰の子でもない忌み子】だからね。ヴォールだのヴィンテルだのとは別枠の存在だと思ってたけど……まさか、第一座位から刺客が来るとは思ってなかったなあ。……ははは。彼らも、僕の存在を少しは認めたって事なのかな」

 そんな馬鹿な事、ありえないが。
 そうは思ったが、自嘲するようにじわじわと口が歪んでいく。
 自分で言ったにも関わらず激しい嫌悪に襲われて、ブラックは肩を竦めた。
 認めた、だなんて死んでも言われたくはない。最早思い出すことすら辛い日々を想えば、二度と彼らと関わり合いにはなりたくなかった。

 だが、今回だけは違う。
 ツカサの為に必要だったから、もう一度だけ関わろうと思ったのだ。
 それなのに早速のこの仕打ちとは、片腹痛い。
 どうやら相手はそれほどまでにブラックの存在を抹消してしまいたいらしい。

 なんと熱心な対応か。
 ブラックにしてみれば、笑いが出るほどの高待遇だ。

 堪え切れずにくつくつと笑うブラックに、シアンは正反対の悲しそうな顔をして口端を引いていた。思えば、この老女も神族にしては随分とお人好しだ。

 十数年の時間をかけて今更気付いた事だが、しかし、そんな昔からの仲間の姿は嫌いではなかった。何故なら、今のブラックにはその表情の意味が“憐憫”や“見下した同情”ではないと理解出来るからだ。

 そう、シアンのその表情は、あの一族のように「下賤の存在を哀れんでいる」のではなく、ツカサと同じように「心から心配している」表情なのだと。

「ブラック……貴方、真っ向からぶつかる気だったのね。だけどツカサ君はどうなるの。貴方、恋人にまでしておいて死闘をやろうだなんて危険な事しないわよね? そんな事をして、今度こそ死にでもしたらツカサ君が可哀想よ」
「あはは、シアンったらほんと最近は積極的だね」

 いつになく必死に問い質してくる相手がおかしくて笑うと、シアンはこれもまた珍しく、怒りの表情を浮かべて目と鼻の先まで顔を近付けて来た。

「茶化すんじゃありません! あの子と共に歩んで行くと決めたのなら、笑いごとじゃないのよ!? 死闘もそうだけど、貴方を狙う刺客がツカサ君に目を付けたら貴方冷静でいられるの!?」
「っ……!」
「それに貴方の場合、激昂して相手を殺しかねない。そんな場面をツカサ君が見る事になったらどうするの。あの子が貴方を避けないと言う保証なんてないのよ?」
「……それ、は……」
「ブラック、誰かと共に歩むと決めたのなら……自分だけの未来じゃなく、相手が必ず幸せになるだろう未来を考えなくてはいけないの。それが“普通”なのよ……。貴方だって、ツカサ君がどうして欲しいかは解るはずでしょう?」

 貴方は、もう昔の貴方ではないのだから。

 シアンにそう言われて、ブラックは言葉を失くしてうつむいた。
 ツカサが必ず幸せになる未来。確かに、それを考えれば自分のヤケ気味な考えは適当では無かった。死闘をすればツカサは絶対に怒って止めに来るだろう。
 それに、自分が怒りに我を忘れて人を殺せば……――。

(ツカサ君が、泣いてしまう)

 解ってる。あの子は、あの優しくて暖かい子は、そう言う子だ。
 ツカサは、ブラックが殺した人の事を悲しんで、ブラックが罪を犯した事をなげいて、気も狂わんばかりに悩むだろう。それが自分が人質に捕られたせいとなれば、それこそ全てが自分の罪だと思って身を投げかねない。
 ブラックの罪を認めた上で、それでも自分にも罪が有ると思ってしまうのだ。
 ツカサは、何も悪くないのに。

(…………そんなの、嫌だ。ツカサ君が僕のために泣くのはいい。だけど、そんな事で泣くのは……絶対に、嫌だ…………)

 ツカサは、自分だけのものだ。
 だからこそ、笑っていて欲しい。自分に微笑んでほしい。
 悲しみに嘆く所なんて見たくない。

 彼の為なら他人を殺す事なんて何とも思わないが、しかし、彼の為にならないと言われれば、最早殺す事すら躊躇ためらうようになってしまった。
 ツカサが微笑んでくれなくなるのが、ブラックには一番恐ろしい事だったから。

「…………ブラック、ツカサ君が理不尽な死を望まないのは、解るわよね?」

 シアンの静かな言葉に、ただ無言で頷く。

「だったら、あの子を泣かせるような事を考えるのはやめなさい。貴方はあの子に望まれている。ツカサ君に、確かに必要とされているの。だからこそ、その思いを裏切ってはいけないわ。それはちゃんと解ってるわね?」
「うん……」
「なら、どうすればいいか…………解るかしら?」

 子供を諭すような優しい声音に、苦笑が湧いたが――抑えて、顔を上げた。

「彼を守って……逃げる。それでいいんだろう」

 ブラックの目に映る半透明の相手は、その言葉を待っていたかのように微笑む。
 そうして、実体のない手でブラックの頭を撫で、言葉を零した。

「いい子ね」
「や、やめてくれよ子供じゃあるまいし……」
「あら! ツカサ君にはして欲しいって言ってるくせに……お母さん悲しいわぁ」
「誰が母さんだっ……っていうか何でそれを知って……」
「それはそれとして。自分のやるべき事が解っているのなら、早めにこの街を出なさい。一族の件は、これが終わってから考えましょう。今はそんな暇はないし」

 またはぐらかされて少々イラッとしたが、確かに喧嘩をしている場合ではない。
 もやもやした気持ちになりながらも、ブラックは気を取り直して言葉を返した。

「でも、街を出るのは良いけど……遺跡はどうするんだい。ヴォールが来ているのなら、遺跡にも手を回してる可能性があるだろう? それに、何も言わないままでツカサ君に街を出ようって言ったって、彼が頷いてくれるか……」
「そこは貴方の頼み方次第でしょう。あの子は全体的にチョロいんだし、キスなり土下座なりすれば流されてくれるわよ」
「お、お前も発言に遠慮がなくなってきたなぁ!」
「それより問題は前者。アタラクシア遺跡の方よ。今の所世界協定の嘆願だけしか届いていないみたいだから、ヴォールによる妨害は無いでしょうけど……けれど、万が一って事も有るわ。だから、それも考えて……エネ」

 背後にずっと控えていたエネが、呼ばれてようやく動き出す。
 ローブの懐を何やら探っていたが、やがてそれを取り出しブラックへと渡した。

「これは……地図?」

 設計図のような図面に見えるが、階層に分かれての詳細な書き込みと、精巧な縦横の断面図さえなければ地図に見えない事も無い。
 少々大きな羊皮紙に描かれた地図の上端には【アタラクシア図解】とやけに綺麗な古代文字で書かれていた。

「それは五百年前に記された、アタラクシアの全景図解よ」
「はっ……!? な、なんでこんなものが……!?」

 さらりと言い切った相手に、思わず声が裏返る。
 しかし、それも仕方のない事だった。

 アタラクシア遺跡は、発見された時からその一切を“導きの鍵の一族”により管理されてきた封印の遺跡で、内部の地図を作る事は許可されていない。
 その遺跡が秘匿された年月は、五百年をゆうに超える。

 誰も他者にこの遺跡の内部を語らず、知らせず、世界協定の裁定員ですら余程の地位でなければ入れないほどに、固く守られてきたのだ。

 そんな遺跡の図面など、作ろうと思っても作れるはずがない。
 どういう事だと凝視するブラックに対し、シアンは冷静な顔で目を細めた。

「……神様が造った。…………と言ったら、貴方は信じるかしら」
「何を……バカな……」
「そうね。でもは、そう思わないと納得が行かないシロモノなのよ。……この図面の詳細は、私達も判らない。ただ一つだけ確かなのは……これを、空白の国で見つけて持って来たのが……アナンだってことだけ」
「な…………」

 アナン。再び俗世に帰ってきて、その名前を聞いたのは二度目だ。
 過去の仲間、アナン・レウコン・ダバーブ。
 世間の話では、三年前に空白の国で死亡したと言う男だ。

 まさかこんな時にその名前が出て来るとは思わず瞠目したブラックに、シアンは難しげな顔をしてわずかに視線を逸らした。

「……私にも彼の意図が解らなかったから、それ以上のことは言えないけれど……でも、その地図は今使われるべきものだと思う。……もしアタラクシアへ入る事が許されなかったら、その時はこの地図を使って遺跡に侵入しなさい」
「だけど、そんな事したら……」
「責任は全てこの私が持ちます。……大体、彼らが抱く貴方への憎悪は、いわれなき妄想でしかないのよ。現にあなたはこうしてちゃんと生きている。人を愛する事も出来るのだから。……だから、絶対に……戦ってはダメよ」

 心配そうな顔をして再びブラックを見つめてくるシアン。
 彼女はブラックが変わったと言ったが、やはり彼女も昔とは随分ずいぶん違っていた。
 少なくとも昔は……誰に対しても同じ態度で接する、平等な女性だったのに。

「……解った。ありがとう、シアン」
「大した事じゃないわ。それよりブラック、ツカサ君にちゃんと話してあげてね」

 何を、とは言わない。
 しかしブラックは相手が何を言いたいのかを充分に理解して、軽く頷いた。

「では、また」

 そう言って消える姿に、少しだけ尾を引かれる思いを覚える。だがそれを言ってもどうにもなるまい。ブラックは地図をしっかりとふところにしまい込むと、エネにぶっきらぼうに挨拶を返して帰って貰った。

(…………ちゃんと、話してあげる……か……)

 ぼんやりと考えながら、ブラックは再び左端の一番上の棚に手を伸ばす。
 分厚くびっしりと文字が記されている本を一言一句逃さず記憶しつつ、今でも迷っている問題に暗澹あんたんたる気分になり溜息を吐いた。

(僕は、弱いなあ……。今更なのに、自分がだと言うのは解っていたはずなのに、いざ過去を話すと考えたら何も言えなくなるなんて)

 手は次々に本を取り、頁をめくり、元の場所へと戻し、それを繰り返してすぐに次へと進んでいくのに、頭の中の問題はちっとも進んでくれない。

(……ツカサ君は絶対に離さない。けど……嫌われたら、どうしよう)

 そんな事になったら、どうなるか解らない。
 狂うか、暴れるか――――それとも、死ぬか。

 なんにせよ、ツカサと離れる事だけは絶対に嫌だった。

(ああ、僕は本当に臆病者だ)

 既に読破した本は棚の中程までの数となり、脳内では情報の蓄積が増えて行く。
 いっそ本に没頭ぼっとう出来たら、何も考えずに済んだのに。

(……こんなこと、昔なら考えなかったのにな)

 どうにもならない事を考えながら、ブラックは自分の弱さを振り払うように新たな本に手を伸ばしたのだった。















※(`・ω・´)次からアタラクシア編です。核心部分とか過去とかでわりと話が
 冒険に傾くのでちょっとえっちシーンが減るかもです、もうしわけねぇ…(´;ω;)
 クロウが登場する所までベランデルン編にしようと思ったらえらく長かったので
 遺跡探索は遺跡編として一旦切ります(´・ω・`)そこもすまねぇ…
 
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