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ベランデルン公国、意想外者の不倶戴天編
4.情けは人の為ならず(色んな意味で)
しおりを挟む「こんな偶然ってあるわけ?」
穀物の入った肉汁スープを啜りながら、俺は眉を顰める。
味があるだけありがたい食事だが、それにしたって肉汁と塩胡椒だけで味を付けるという力技は、いつまで経っても慣れそうにない。この世界美味いメシと不味いメシが両極端すぎぃ……。
いやそれはともかく、俺は今疑念で胸がいっぱいだった。
だってさ、俺達がこれから行こうとしている「アタラクシア」って遺跡の近くに、俺達が持って来なきゃいけない鉱石を掘れる洞窟があるんだぜ?
どう考えたってカモネギ案件だし、なにか裏が有るような気がしてならない。
こんなに上手く行くって、どう考えても変じゃん。絶対なんかあるって。
しかし、俺が疑っているにも関わらず、ブラックは変だとは思ってないようで。その証拠に、何の恐れも無く、久しぶりにありついた白パンをモグモグ食べながら塩スープを飲んでいた。
「ツカサ君、食事中にそんな話やめようよ。偶然の事なんだから、いくら考えても理由なんて見つからないってば。それより白パン食べようよ白パン! 美味しいよね~、さすがは実りの国ベランデルン、そこそこの宿の食堂でも白パンがこんなに食べられるなんて!」
とかなんとか言いながら、ブラックは呑気にパンを貪っている。
コンチクショウ、本当お前白パン好きだな。
この国は穀物の産地だから、俺が日本で食べてたような白くて柔らかい美味しいパンが死ぬほど安価に食えるけど、そんなに食べられたらなんかムカツクわけで。貧乏冒険者は穀物パン食え穀物パン。
「お前お気楽すぎない?」
「ツカサ君が考え過ぎなんだよ。……って言うかそもそも、件の遺跡の場所が山の近くだし、そういう可能性が有っても何もおかしくないじゃないか」
「うーむ……そう言われると納得しないでもないが……」
「きっと最近色々あり過ぎて疲れてるんだよ。そういう時は休むのが一番だよ。さぁさぁ、ご飯食べて休んだら早く部屋に行こうね!」
行こうねって、お前がやりたいのは別の意味の「休憩」だろうがこの。
ツッコミたかったが、人前で怒鳴る事も出来ず俺は無言でパンを頬張った。
ああちくしょう、確かに美味い。美味いけどなんか悔しい!!
抱かれるのが当たり前に思われてるこの現状がなんかムカツク。じゃあ逆が良いのかと言われるとそれも嫌だから、もう仕方ないんだけどさ。
しかし、いざ抱きたいって言われると、凄く意識してなんか困るな。
こういうのって約束とかすると余計に恥ずかしくなるんだよなあ……。
いっそ襲われた方がまだ正当防衛とか言い訳出来るし、そっちのが良かったんじゃ。などと不届きな事を考える俺になど気付かず、ブラックはニコニコしながらパンを食べている。
普段は無意識にマナーとか気にしてるくせに、今はよっぽど浮かれてるのか口にパンくずを付けてもぐもぐしていた。おいコラ、大人なのにみっともないぞ。無精髭剃らないからそんな事になるんだ。
「…………ブラック、パンくずついてっぞ」
「え? どこ?」
やっと気付いたのか、ブラックはきょとんとしながら指でクズを弾こうとする。
しかし髭が邪魔してるのかパンくずの感触が判らないのか、ちっとも取れる気配がない。ああもう、こういう時ばっかり不器用なんだからこのオッサンは!!
「ったくもうしょうがないなあ……ほら、動くな!」
「んぐっ」
片手で頬を固定して、無精髭に引っかかったパンくずをとってやる。
ブラックは目を瞬かせていたが、なにやら急に蕩けた顔をしだした。
「な、なんだよ」
「ツカサ君…………お母さんみたい……」
「ばーっ!! 性別がちゃうわアホ!!」
せめてお父さんと言えお父さんと!
っていうかお前の方が親父の歳だろ、なんで逆転してんだばーろー!
「ね、ね、もっとやって!」
「やるか!! パンくずも取れたしもうやる必要はない!」
「えー……」
「あとわざとクズ付けるような食べ方すんなよ。今度は絶対取ってやらんからな」
そう言うと、渋々ブラックは引き下がった。
こいつ本当油断も隙もないな……なんかもう変な汗かいて来ちゃったよ。
これ以上騒いでたら変に目立ちそう。痛くもない腹が痛くなってきた。
「ちょっと手ぇ洗ってくる……」
「解ったよ。寂しいから早く戻って来てね!」
…………これ、女の子に言われたら少しはキュンとしたんだろうけどなあ……。
色々と残念な気持ちになりつつも、俺はひらひらと手を振って席を立った。
お手洗いは食堂を出て廊下の突き当りだ。
催している訳ではないが、顔でも洗って少し冷静になろう。俺もこの後の予定を考えて、テンションがおかしくなってるのかも知れないし。
パンくず取る程度でこんなに喚くとか、流石に意識しすぎだよな……。
俺もまだまだって事だなと思いつつ、男性用トイレに入る。
この世界でも、人が泊まる施設だとこうして男女分かれてたりするんだが、時々男女兼用のトイレとか有ってかなりビビるんだよな。入って来た時に女の人がいると、凄く怖い。女子トイレと間違えたかと思って血の気が引くんだよ。
その血の気の引きようと言ったら、高速道路のパーキングエリアのトイレで用を足してた時に、おばちゃんがいきなり入って来て、途中で尿意が止まるほどビビりまくった時と同じくらいだ。女子トイレが満員だったからってそりゃねーよやめてくれよおばちゃん。
まあその思い出はよくある事としても、俺の世界じゃ男女が一緒のトイレに入る場面なんてほとんどない訳で。
だから俺的にはこの世界の当たり前がかなりキツかった。
女だって、男が堂々と女子トイレに入ってきたら驚く……よな?
即時袋叩き決定とかは流石にナイと信じたいがどうか。
とにかく、カルチャーショックってもんじゃないよこれ。ああいう出来事は二度と遭遇したくないもんだが……と、手洗い場に行こうと顔を上げると。
「…………?」
手洗い場で必死に何かを擦っている変な人がいるのが見えた。
いや、相手の名誉の為に言っておくが、別に服装が変とかじゃないぞ。顔は情けないサラリーマンみたいな冴えない顔だし、服装もそこらへんの市民っぽくて極々普通だ。でも、やってる事が変なんだよ。
「ふあぁあ……お、落ちないぃ……」
そう、さっきからずっと情けない声でそう呟きながら、ゴシゴシと何かを擦っているのだ。水瓶に溜めてある水を何度も手洗い場に置いた何かに掛けながら、手でごしごしと擦っては落ちない何かに涙目になっている。
数分ほど見ていたが、その様子は無限ループでちっとも終わりそうになかった。
「あぁあああ……落ちない……落ちないぃ……」
……なんか番町皿屋敷みたいな恨めしい声に思えて来たぞ。
凄い困ってるみたいだし、協力出来るならしてあげた方が良いかな……?
とりあえず、何をしているのか聞いてみようと俺は近付いて声をかけた。
「あのー……」
「ひっ!? あ、す、すみませんすみません! て、手を洗いたいんですね、占領してしまってすみません本当にすみませんんんん!」
「い、いやそれは良いんですけど……あの、何をしてたんですか?」
そう訊くと、相手は困り顔を更に歪めてわなわなと唇を震わせた。
ブラックより情けない顔だなおい。
「う、うぅ……それが……ご主人様の大事になさっているハンカチに染みがついてしまい、それをわたくしが綺麗にする役目を仰せつかったのですが……どうしても汚れが取れず困っているのです……」
泣きそうな声に釣られて下を見ると、確かに純白のハンカチにソースっぽい汚れがべったりと付いているのが確認できた。ああ、こりゃ水洗いじゃ無理だ。
「えーと、石鹸とかはないんですか?」
「せ、石鹸ですか? ご主人様がお使いになる物がありますが……しかし、あれは大事な物ですので……」
ご主人様とか言ってるし、多分かなり身分の高い人なんだろうな。
ってことはその人の使う石鹸は当然高級モンだから持ち出せない訳か。
仕方ない、フロントに行って風呂用の石鹸を借りて来よう。思うが早いか、俺はすぐにフロントまで行って石鹸を借りて来ると、情けない従者からハンカチを受け取って、石鹸を付けて揉み洗いを繰り返した。
「落ちますか……?」
「うーむ、石鹸だけじゃちょっと難しいな。待ってろ、ぬるま湯貰ってくる」
「お、お願いします」
今さっき付いたソースの染みなら、石鹸を溶いたぬるま湯で洗えば落ちそうだ。家庭科の授業まともに聞いてなかったけど、まあ洗剤とお湯が有ればどうにかなるだろう。俺は再び廊下を往復すると、小桶で持って来たぬるま湯に石鹸を溶かし、高そうなハンカチを破らないように洗ってみた。
「ああっ、落ちますね!」
「うん、大丈夫みたいだな……と、後は水で濯いで乾かしな。それにしてもこれ、絹かなんか? 汚れ落ちて良かったな」
「はいぃっ! ありがとうございます、恥ずかしながらわたくし、洗濯はメイドや掃除婦に任せっきりでしたので、まるで見当がつかず……服も我々と同じく風呂に入るなんて全く知りませんでした」
お、お貴族さまだー。
位が高い人が主人だったら、従者も「家事なんて全然知らないですよ?」なんて事になるんだろうか。まあ服も風呂に入るって表現が面白かったからいいけど。
「あの、よろしければお礼を……」
「いやいや、こんなん女の人なら知ってる事だし、お礼なんて別に良いっすよ」
むしろ俺の婆ちゃんの方がよっぽど綺麗に染み抜きしてくれただろうし。
俺はうろ覚えの知識でやっただけなんで……と退くが、相手はよっぽど困ってたのか俺への感謝を止めてくれない。なんてことない親切なのに、ブルジョアな方々という要素が加わるだけでこんなに面倒臭いことになるのか。
「ですがこういう事にはきちんとお礼をしないと、紳士の名折れ……」
「だぁーかーらー良いんですってば! あーっと、ほら、じゃああれだ。アンタのご主人様もこの宿に泊まってるんですよね?」
「はい!」
「だったら、泊まってる間、出来るだけ俺達の事を内緒にしておいてくれませんか。俺らは静かに宿で静養したいので……それがお礼ってことで」
「ええ……それってお礼になるんですか?」
「嬉しいかどうかは人それぞれですよ。少なくとも俺はそれで満足です」
「そうですか……解りました。しかし、このご恩は忘れません」
言いながらまたもや深く礼をする相手に、俺は苦笑いで「お構いなく」と言いながらその場から脱兎のように逃げ出した。
お礼をくれるっていうのは嬉しいけどさ、あれだけの事でそんな大仰に礼なんか言われても怖いだけだよ。っていうか、困ってたら助けるってのは普通の事だし、こんな事でお礼の品せびってちゃ格好悪いしなあ。
「うーむ、しかしもうちょっとスマートに断れないもんかなあ……」
こう、大人の男ならば、お礼をしたいと言う相手に対して「お前の感謝が俺への報いさ」なーんてキザいこと言うよな。俺がやったらツッコミ待ちにしか見えないだろうけど、後腐れなく相手に格好いいと思われる断り方を覚えたい。
そんな事が出来たのなら、ブラックにも気圧されずにいられるんだろうけど……うーむ、大人ってなんだろう。
色々と考えつつ席に戻ると、既にブラックは食事を終えていた。
「あ、ツカサ君遅いよー。何してたの?」
「ちょっと人助け」
そう言いながら席に着くと、ブラックは呆れた顔を隠しもせずに肩を竦めた。
「またそんな事して。まったく、ツカサ君は本当にお人好しだよね」
「お前が人でなしすぎるんだよ。極薄障壁男め」
「やだなあ、僕の障壁が小さいのは他人を守るのが面倒くさいだけさ。ツカサ君になら、地平線の果てまで障壁を伸ばせちゃうくらい思いやりを発揮できるよ」
嘘だ、絶対嘘だ。
お前の心が狭いのは今に始まった事じゃない。っつーかそれが本当なら、今まで危なかった時にバリアくらい張れただろう。
アコール卿国でこいつの口から“思いやり三センチバリア”の事を聞いた時は耳を疑ったが、どんなに戦闘を繰り返しても障壁だけは全然使った事がないのだから、こいつの言った事はマジなんだろう。
そんな奴が意識して思いやりの幅を広げられるはずがない。
「お前にそんな事出来るとは思えないんだが」
冷え切ってしまった不味いスープを飲みつつ睨むが、相手は俺のぶすくれた顔を見てニヤニヤ笑うだけだ。なんだよ、何がおかしい。
意味が解らなくて片眉を顰めると、ブラックは頬杖をついてうっとりと呟いた。
「出来るよ。なんなら実践しても良い。これからベッドの上で……ね」
「ぶはっ」
公の場でとんでもない事を言いだしたオッサンに、思わずスープを噴く。
「お、おまえ何をこんな所で!!」
「あ、意味解ってるんだ。嬉しいな~、ツカサ君も期待してくれたんだね!」
「違わいっ! これは、お前がいきなり変な事を言うからむせただけで……っ」
必死に言い返そうとする口を、ブラックが塞ぐ。
今までやられた事のない行為に目を丸くすると、相手は薄らと微笑んだ。
「僕も勉強して、ちょっとくらいは恋人らしいこと出来るようになったんだよ」
「な…………」
「ねえ、試してみない?」
そう言って、ブラックは猫のように目を細めて俺を見る。
色々と言いたい事があった。アホとかバカとかそんな誘い方あるかとか。
そんな風に、沢山言いたいことがあったはずなのに……顔の熱が爆発して、俺は何も言えなかった。
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