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北アルテス街道、怪奇色欲大混乱編
迷走
しおりを挟む目が眩むほどの綺麗な青空の下、村の小さな広場で、行商人と子供たちが玩具を前に戯れている。その姿をぼけっと見つめながら、ブラックは聞こえない程度の溜息を長々と吐いた。
(……昨日は失敗しちゃったなあ…………)
微笑ましい朗らかな光景を、己の重たい溜息で曇らせてはいけない。
それは重々承知しているのだが、しかし昨晩の事を思うと憂鬱で堪らなかった。
(はぁ……どうしてこう僕は堪え性がないんだろうか……)
――――昨晩、ブラックは初めてツカサに求められた。
しかも、酒に酔った酩酊状態の時ではなく、素面の状態で。
そんな状態でツカサはブラックの手を取り、昂ぶった体を自分に見せつけながらブラックを求めてくれたのだ。
その嬉しさと言ったら、顔がだらしない笑みのまま戻らないほど。
今まで半ば無理矢理に抱いていたブラックからすれば、ツカサが誘ってくれたと言う事実だけで、もう天にも昇る心地だった。
それに、あの時の情欲と羞恥に震えたツカサは本当に素晴らしかった。思い出すだけで幾らでも彼を犯せそうだったが、今回はそういう嬉しい部分ばかりを挙げて浮かれている訳にも行かない。
(だって、今までせっかく我慢してのに、あんなに簡単に乗っちゃって……。例えツカサ君が誘ってくれたからと言っても、あの時のツカサ君はシラフじゃなかったし、僕もノリノリで応じちゃったし、これってどう考えても悪手だったよね……)
昨日の風呂場でのツカサは、誰がどう見ても普通では無かった。
それはあの場で理解出来ていたはずなのに、自分はあえてその事実を無視した。そして欲望のままに突き進んでしまったのだ。
……好きな相手が据え膳でやって来たのだ。箍を外しても仕方ないだろう。
そうは思うが、それに対して我慢も出来ず貪ってしまった事実には、溜息しか出てこない。己の我慢の無さと欲望の深さには、ただただ呆れるばかりだった。
どうしても、ツカサが関わってくると我慢が効かなくなってしまう。
あるのかないのか解らないなけなしの理性が、すぐに消えてしまうのだ。
今更な話だが、今のブラックにはそれが実に情けない事のように思えていた。
普段ならここまで自分の言動に問題意識を持つ事も無いブラックだが、こうも己を顧みるのには理由がある。
それは、ブラックが建てていた密かな計画のせいだった。
(たくさん『恋人』らしい事をして、ツカサ君に今よりもっと僕を好きになって貰って、離れられなくなったら……ダメ押しで、贈り物しようと思ってたのに)
そう、だからブラックは今までツカサに必要以上に触れるのを我慢していた。
ツカサに「恋人らしい行動を勉強しろ」と言われていたせいもあるが、マイラに訪れてからはそれに「思いついた計画のため」という意思も加わったのだ。
それ故によりいっそう自戒し、来るべき時が来るまで普通の人間のように節制に挑戦しようとしていたと言うのに。
(自制も出来ない、物も作れないじゃ、ほんと大人としての威厳ゼロだよね……)
まったく、現実は上手くいかない。いや、自分が不器用なだけか。
そう思いながら、服の中に隠した「渡したいもの」を握りしめる。
いまだに形の整わないそれは、自分達の歪な関係と同じように不格好な形のまま眠っている。殆ど見た事のない物を作ると言うのは、いかに能力の高いブラックでも難しく、マイラから出発して数日経っていると言うのにまだ形が整えられずにいた。
(もっとちゃんと修練しておけば良かったなぁ……。金の曜術なんて自分のためにしか使って来なかったから、一人でやっても全然わかんないや)
金の曜術を使えると言っても、何もかもを万能に作り出せるワケではない。
作った事のない物を使った事のない技術で作成するには、やはりそれなりの熟練の技と言う物が必要だった。
(マイラの工房で教わったばかりの技術とは言え、二日も経っても完全に習得できないなんて思わなかったなぁ……いつもなら、簡単に覚えられるはずなのに……)
本なんて、一度読めば覚えられた。
曜術すらも、自分にとっては簡単なものだった。
剣技も作法も言葉も、一度基本を押さえてしまえばつまらないもの。
故意に忘れようとしない限りは、いつだって使いこなす事が出来た。
今までそうして様々な事を習得して来たブラックだからこそ、今回の失敗続きに余計に落ち込まずにはいられなかったのだ。
(あぁああ……それもこれもツカサ君が可愛くて可愛くてしょうがないからっッ! 普通さっ、普通、布一枚だけの相手にあんな風に誘われたら、そりゃあその気がなくたって興奮するだろ! うぅう……ずっと我慢して本気で禁欲しようと思って、夜中にツカサ君の寝顔で抜くのも我慢してたのにいぃいい……)
禁欲が快楽を育てるとはよく言ったもので、自分を戒める為にやった事がアダとなるとは思いもしなかった。
こんな事なら我慢する事を覚えておくんだったと思うが、時すでに遅しである。
ツカサに求められてすぐに勃起しているようでは、彼の言う「恋人」には程遠いだろう。それどころか、また嫌われるかもしれない。
(い、いやでも今朝は僕めいっぱいツカサ君に優しくしたし、お世話されてるボロボロのツカサ君が可愛くても我慢したし……ッ!! だああでもツカサ君って変に頑固だし怒ると結構長引くしぃいい)
考えれば考えるほど頭を抱えてのた打ち回りたくなって蹲るブラックに、トルクが心配そうに近寄って来た。
「ブラックさん、どうなさったんですか? 今日はお疲れのようですが……」
「あ、ああ……いや……ちょっとね」
「やはり昨日の事ですか?」
「えっ!?」
「ツカサさんへの贈り物の事ですよ。昨日酷く悩んでいらしたようなので」
「あ、そっち……」
てっきりあっちの事かと思ったが、早々に酔い潰れて寝ていたトルクが、こちらの様子を知れるはずもないか。
悩みすぎるのも駄目だなと思い直して、ブラックは体勢を立て直した。
「確かに迷いますよね。ツカサさんは素敵な方ですが、装飾品は好まないようですし……昨日お話を聞いた限りでは、下手な物を贈るとこじれそうですし」
商売道具の入った袋からがちゃがちゃと品物を取り出しながら、トルクは困ったように首を傾げる。昨晩見た商品を再びブラックに見せようとする相手に苦笑して、ブラックは頭を掻いた。
実は昨日の宴の時、ブラックはツカサに贈る物の参考になればと思い、トルクに商品を見せて貰っていた。
正直な話、ブラックは今の自分の感性に自信が持てない。それゆえ、ツカサには内緒でこっそり市場調査をしようとしたのだ。
どんな物が、ツカサのような普通の人間に好かれるのかと。
……そう。
最近思い知った事だが、ブラックはツカサの好みをほとんど知らない。
ツカサは動物が好きだ。本も好きだ。料理も好きだし旅も好きだと言っていた。
けれど、彼がどんな「物」を好きなのかをブラックは知らないのだ。
よく考えたら、ツカサの好みなんてブラックは殆ど知らなかった。
だからブラックも、ツカサに何を贈れば彼を落とせるのかと悩んでしまい、それが「渡したいもの」の制作にも大いに響いていたのである。
「しかし……私の持っている贈り物に出来そうな物と言えば、昨日出した装飾品や嗜好品くらいですし……子供用の玩具は流石に怒られますよねぇ……」
「それは僕でもダメだと解るよトルク……」
目の前に布を敷いて再び雑貨を並べ始める相手に、ブラックは肩を落とす。
十七歳の子に子供用玩具を贈っても、返ってくるのはビンタか殴打だけだろう。
「えーと……じゃあ…………他には……」
「他にも有ったのかい? 昨日は今出てる物だけだって聞いたけど……」
ブラックが昨日見せて貰ったのは、先程までトルクが村人達に出していた日用品や雑貨、安価な薬に、装飾品や煙草などの嗜好品だけだ。
てっきりそれだけと思っていたが、荷物袋にはまだ物が有ったらしい。
何を出すのかと興味津々で見ていると、トルクは少し気まずそうな顔をして、今まで出していた商品を急にしまいだした。
「あの……ちょっと出しにくい物なので、子供たちの居ない所に……」
「……? わかった」
誘われるがままに路地裏に付いて行き、通りを背にして座ると、トルクは薄暗い中で荷物袋の奥の方に仕舞っていた物を一つづつ取り出した。
最初は、小さな小箱。そして、それぞれ違う薬品名が書かれた薬包紙。
先程と同じではないか、と思ったブラックだったが、次に出て来たものを見て瞠目した。
「ぁ……これは……」
「贈り物という事で装飾品を見るくらいですから……お二人は、仲間同士ではなく……恋人同士なんですよね? でしたら、こういうのもありますけど……」
そういえば、久しくこういう物を使った事は無かった。
トルクが少し照れながら取り出した品々に、ブラックは緩みそうになる頬をひくひくと動かしながら相手に聞いた。
「あ、あの、トルク」
「はい?」
「一つ聞きたいんだけど……こ、恋人同士って、こういうの使っても、いいの?」
「え……むしろ、愛し合う二人が使う物ではないんですか? 聞いた話ですけど、二人がもっと仲良くなる為に使ったりもするそうですよ」
「そ、そうなんだ……!」
別に愛がなくても使っていたが、販売者が言うのだからそうなのだろう。
贈り物としての価値は無いに等しいとは思うが、それでも昨日の事でまだ気分が高揚しているブラックにとっては、魅力的な道具だった。
「じゃあ……これとこれとこれ、貰おうかな……」
「わー、ブラックさんエグいですね」
「君、人にこんな道具出しておいてその言い方はないんじゃないかい」
「いやー、私も人気って聞いて仕入れただけなので……あ、そうそう。こういうのも有りますよ」
そう言ってトルクが差し出したのは、やけに高級そうな紙に包まれた薬包紙。
「これは……」
「とっておきの、薬です」
無邪気に笑うトルクの顔には、一片の悪意も見られなかった。
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