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王都シミラル、貴族の陰謀と旅立ち編
判明
しおりを挟む……こんなに腹の中が煮えくり返る心地がするのは、久しぶりだ。
全てをラーミンから聞いたブラックは、表面上は何事もない顔をしていながらも激しい怒りに身を焦がしていた。
(まったく、人生っていうのは上手くいかなもんだね……どうも)
心内でごちて、息を吐く。
……自分がいない間に、ツカサが攫われた。
そう聞かされた時は、何を言われたか一瞬理解できなかった。まさかこんな場所で誰かに拉致されるなんて思っても見なかったのだから。
予期せぬ不運と片付ける事も出来たが、よくよく考えてみればこの家は貴族フィルバードの屋敷だ。あのいけ好かない男が来る事も予測できただろう。その事を失念して彼を一人にしてしまったのは、自分の失態だった。
ラーミンは勿論、リタリアにだって非は無い。
彼を……ツカサと一緒にいたいと願った自分が、気を付けてやらなければいけなかったのだ。なのに、こんな体たらくで。
――――大事な物ほどすぐに奪われる。
そのことは、痛いほど解っていたはずなのに。
「どうしたら良いのでしょう……リタリア様はあれから塞ぎこんだままで…………ツカサさんだってこんな風に拐かされるなんて……」
ブラックに経緯を話してくれたラーミンは、先程から真向かいのソファに座って頭を抱えている。彼も彼なりに苦悩しているのだろう。
無理もない、通常、一般人が貴族に召し上げられる事は無いのだから。
高級娼姫や貴族の令嬢子息、特別に取り決めた一般人ならば、側室として貴族の屋敷に娶られる事もある。だが、ラスターのやった人攫いのような行動は特殊だ。貴族は鬱陶しい程に儀礼や自尊心を重んじる人種なのに、道端の小石でも拾うかのようにツカサを連れ去ったのは、どう考えても異常だった。
ツカサはラスターの命を救った。それは確かだ。
だが、その程度で貴族がこんな騒ぎを起こすだろうか。
よっぽど頭がスカスカな人間なら仕方がないが、あのラスターは仮にもこの国の中枢に坐する貴族なのだ。そんな頭のはずがない。そんな奴だったら殺す。
とにかく、何か理由があったはず。
だが、どんな理由があったって、彼を取り返す算段がなければ考えても仕方のない事だった。結局、自分は何もできず動けない。
(くそっ……いつもこうだ……いつもつかめずに、僕は……)
ブラックも、ラーミンのように頭を抱えたい気分だった。
しかし、そう思っていると。
「キュウ」
ラーミンの座っているソファの端からもぞもぞと何かがテーブルに這ってくる。
聞きなれた鳴き声のそれは、今ここにいるはずのない動物だった。
「ロクショウ君……?」
「キュキュー!」
呆気にとられた声を漏らすブラックに、ロクショウはしっかりと鎌首を上げて主張する。自分は間違いなくロクショウだと。
しかし、ロクショウはツカサの守護獣のはず。守護獣は主の側を離れられない。他へ預けるにはそれなりの手順があったはずだ。何故……と思ったが、ブラックは彼らがまだ守護獣の契約をしていない事を思い出した。
そう、ツカサとロクショウは、契約をせずともずっと一緒にいたのだ。
だから、ツカサと離れてもロクショウはこうして自由に動けるのである。
しかし何故ツカサは大事な相棒を置いて行ったりなどしたのか。
「そ、そうだ。忘れていました。リタリア様がこのツカサさんのヘビを貴方に託すようにと……」
「なに……? “託す”……と?」
「ツカサさんは、ラスター様に連れて行かれる前に、この蛇に『お前なら俺の居場所が分かるはずだ、頼むぞ』と言って放り出したらしいんです。リタリア様はそれを聞いて、きっとこの蛇は貴方に託したのだろうと……」
「ツカサ君が……ぼくに……?」
彼が、自分に、助けを求めて託した?
ロクショウを見ると、相手は空色の瞳でじっとブラックを見つめていた。
その瞳の中に自分を待っているツカサが見えたような気がして、ブラックは息を呑んだ。幻想でも、心臓に悪い思い込みだ。
だが、今の自分には充分な気付けになる。
ツカサが自分を待っているのだと思えば、不思議と力が湧いてくるようだった。
(……僕もつくづくしょうのない男だな)
己の御しやすさに心の中で苦笑しながらも、意気を取り戻したブラックはラーミンの方に視線を向けた。
「ありがとうございます。……ツカサ君の事は、僕に任せてください。リタリア様には大丈夫と伝えておいて下さると助かります」
「はい。こちらこそ……あの……ツカサさんは私達の恩人です。ですから、私達に出来る事でしたら何でも致しますので。どうか、協力させてください」
ラーミンは卸の商いをしている。
頼めば、王都でのことや道具も用意してくれるだろう。ラスターが属するオレオール家は、このライクネス王国の中枢幹部を多く輩出している。よって、あの男が帰るのも王都しかない。
商人と言うのは、時に官僚すら把握できない人脈を持っていたりする。国中の商品が集中する王都となれば、僅かなツテでもどうにかなるだろう。
使っていいと言うのなら、最大限利用させて貰う。
ブラックは静かに頷くと、周囲に人がいないかを確認し、少し前屈みになった。
内密な話だと理解したラーミンも、同じように屈んで顔を近付ける。
「では、僕も貴方に今から頼みたい事が有ります」
「なんでしょうか」
「リタリア様の命を狙っている犯人が判りました」
「ッ……!! だっ……だれ、だったんですか……!」
にわかに緊張し始めたラーミン。
勿体付けて言うのも酷だし、今は時間がない。単刀直入にブラックは告げた。
「メイド長のヴィナ・アルパスです」
「何故……か、彼女は責任あるメイド長で、そんな……ど、どうしてです?!」
混乱するのも無理はない。だが、ブラックが掴んだ事実は確かなのだ。
実直が服を着て歩いているようなこの男には辛い事実だろうなと思いつつも、ブラックは一つずつ、ラーミンに説明していった。
まず、ここから盗み出されたツカサの回復薬が【純正品】として露店に出回り、あまりにも法外な値段で取引されていたこと。
市場に出ていた純正品と名の付く回復薬の出所を辿ると、ある一人の男に行きついた事。その男はメイド長と繋がりがあり、二人は度々連絡を取って、なにやらよからぬことを企んでいたと言う事。
そして、その純正品について、男が「貴族も認める品だ」と吹聴していた事。
ここまで話すと、ラーミンも流石に閉口してしまった。
だが、話は終わっていない。
ブラックは次に「薬を盗み出した手口」を語ってやった。
彼女が薬を持ち出した手口は、実に簡単なものだ。
掃除に使う桶を空にして、その中にツカサの作った薬を入れて持ち出す。その後、同じ桶を持ち掃除している体を装いながら、粗悪品を男から受け取り貯蔵庫へと戻すのだ。傍から見れば掃除しているようにしか見えないし、第一彼女はメイド長である。疑う者はだれ一人いない。
執務室の掃除を出来、誰からも詮索されずに動けるのはメイド長のヴィナしかいないし、領主や執事とて彼女の舌鋒に言い包められていたのだから、彼女の行動にケチをつける者は皆無だったはずだ。
しかし、その行動に一人だけ気付いたものがいた。
それがメイドのビネッタだ。
彼女は噂を流したから解雇されたのではない。ヴィナが外部の男と接触していたのを見てしまったから、解雇されたのだ。これ以上余計な事を思い出す前に。
一般人は許可がなければ高等区には入れないし、放逐された者のいう事など警備隊はまず信じない。だから、屋敷から追い出してしまうだけで良かったのだ。
長々としたブラックの説明に、ラーミンは再び頭を抱えてしまった。
「し、しかし、彼女は他の貴族から薦められて、このフィルバード家に呼ばれたと言う優秀な人です。そんな人が何故、お嬢様を……」
「先程聞いた話では、リタリア様に送られたペンダントはメイド達からの贈り物だと聞きました。それも恐らくはヴィナの一存で決められた贈り物でしょう」
「ですが、彼女にはリタリア様を殺す理由はありません」
「ヴィナになくとも、別の人間…………そうですね、その【彼女を推薦した貴族】とか……この家に恨みを持つ者だったら、理由を持っているのでは」
ブラックの冷静な言葉に、ラーミンは声を失った。
「リタリア様は、王侯貴族会の最高権威であるオレオール家の側室に行くことになっている……と噂で聞きました。ライクネスの貴族会は、実質オレオール家とコリンスキー家が動かしている。その二家の力は拮抗しているが、国王の寵愛を受けているのはオレオール家だ。そこへ側室を入れるということは、二等権威の家でも特別な力を持つことになりますな」
「まさか……そんな権力争いの為に、数年前からメイド長を潜ませて、じわじわと殺そうと……いえ、待って下さい。でしたら回復薬をすり替える必要はないのでは? あと一年あるなら阻止する機会はいくらでもあるはずです」
そう。例え素晴らしい回復薬を使ってリタリアが元気になったとしても、焦る事は無い。別の方法で、輿入れを破談に持ち込めばいいのだ。それならば方法は幾らだってある。
何も、危険を冒してまで粗悪品と取り換える必要はなかった。
ラーミンはそれについての納得できる理由が欲しいのだ。
混乱していても、彼はやはり怜悧な頭脳の持ち主だ。
ブラックはさもありなんと肩を竦め、もう一度相手を見た。
「王都の暴動によって回復薬が品薄になったのを、好都合だとみて功を焦ったか……。それとも、別の理由があって回復薬をこっそりと売らざるを得なかったか」
「それは……どういう……」
「後はヴィナ・アルパスを捕えて尋問するしかありませんね。件の男は一足先に逃亡していたようで、家はもぬけの殻でした。ヴィナもそのうち男の失踪に気付くでしょう。警備隊は先に呼んでおきましたので、申し訳ないが貴方がたで尋問するなりなんなりやって下さい」
そう言って、ブラックは立ち上がる。
「ま、待って下さい。いて下さらないんですか」
「言ったでしょう。ツカサ君の事は任せて下さいと。ですから、この件は貴方がたで処理をして下さい。僕は生憎とツカサ君のように優しくはない。これも、彼の為だった。ツカサ君がいないのなら、ここにいる意味はありません」
「そんな……」
「……貴方だってそうではないんですか。リタリア様の事でないのなら、本当は貴方はどうだっていいはずだ。リタリア様が悲しんでいるから、ツカサ君を救いたいと……そう思っている。人とは、そういうものだ」
はっきりと言い、見下す冷たい紫電の瞳に、ラーミンは顔を歪める。
「ブラックさん……」
相手の言いたい事は、ブラックにも解っていた。
いや、恋焦がれても尚手に入らない者を思う者同士だからこそ、通じるのかもしれない。とても哀れな事だが、ブラックにはそれを笑う資格は無かった。
何を置いても、愛するものを手に入れたい。
余人など置いて、愛する者のためにこそ、死力を尽くしたい。
そんな浅はかで子供のような愚かしい感情を共有し合うのは、慰めにすらならない事だ。相手の感情を理解したとて、どうなるものでもない。
ラーミンをそれを解っているから、黙ったのだろう。
互いに不毛な立場にいるなと思いつつ、ブラックは座ったままの相手に静かに告げた。
「今から王都へ向かいます。その事で、貴方には協力して欲しい事が有る。ツカサ君を助けるために必要な事だ。多少無茶を頼むが、構いませんか」
「……わかりました、なんなりと」
しっかりとした顔つきに戻ったラーミンは、ゆっくりと立ち上がる。
狐のように細い目は、もう不安に歪みはしなかった。
「私も私なりに、リタリア様のために覚悟を決めます」
そう、これは、ラーミンがやるべきこと。ブラックがやる事ではない。
相手の幸せを思うなら、その幸せを一番に願っている者が結末を決めるべきだ。ブラックのように、犯人を知っても何も思わない者が結末を考えるべきではない。そして、ツカサの事もそうだ。
この役目は、自分以外には渡せない。
彼を手に入れたいものこそが、彼を救うべきなのだ。
「ロクショウ君、これからの道案内を頼むよ」
マントの肩当に乗る小さな蛇にそう言うと、相手は心得たと言うように頷いた。
彼がこの蛇を自分に託したのは、自分に迎えに来て欲しいから。そして、この小さな蛇の――――紙面の無駄とすら言われた蛇の能力を信じたからだろう。
……そういえば、自分もこの蛇も、人間に疎まれ必要とされない存在だった。
ふとそう思ってロクショウを見ると、相手は少し不満げながらも、ブラックの考えている事が判るかのように首を竦めた。
「君と僕は、少し似ているね」
「キュゥ」
お互いに認めたくない事実を認めながら、ブラックとロクショウは王都にいるであろう少年を想って苦笑したのだった。
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