異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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ラクシズ泊、うっかり調合出会い編

 苦悩

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「ツカサ君、じゃあまた明日」
 
 そう笑って、いつものように【湖の馬亭】の扉を閉める。
 途端に夢が終わったように思えて、赤髪の男――ブラックは溜息をついた。
 暖かく賑やかだった雰囲気は消え、後は夕暮れの荒んだ世界が纏わりつく。
 視界に見えるのは、狭い路地とボロ布に身を包んだ者達。悪臭は止めどなく、そこかしこから人を羨み憎む視線が突き刺さる。しかしそれすらも出来ぬ絶望に身を落とした者の方が多く、殆どの生物がゴミのように地面に転がっていた。
 蛮人街は、そういう場所だ。
 だが、何もかもが下賤で堕落したこの街にあって、湖の馬亭だけは活気と生きる喜びに満ち溢れていた。

 女将の裁量のお蔭でもあるだろう。だが、ブラックから見れば、あの館の活気は黒髪の異邦人――――ツカサが巻き起こしているように見えた。

 彼は、不思議と己の境遇に悲観しているような素振りがない。
 女将達にも懐き、笑顔を見せ、いっぱしの娼姫のように客であるブラックにすら媚びようとしない。自然体の少年そのままだった。
 
 ――娼館に連れてこられた奴隷というのは、すぐに館の主人に懐く事はない。
 殆どの者が自分を陥れた者達に敵意を抱いたままか、あるいは全てに絶望し人形のように心を閉ざしてしまう。自分を物のように扱われて反発しない者などいないのだ。だからこそ、彼は不思議だった。
 何故あれ程、自分の周囲の者に優しく接するのかと。
 普通なら、数か月は人を恐れるものだ。だが、彼はここに来てまだ半月も経っていないのに、女将や娼姫達を純粋に慕っていた。その上、怪我をした娼姫のために、常人には作れないはずの回復薬を作って見せたのだ。
 何か欲があった訳でもなく、ただ、自分を拾い上げた女将に報いたいからと言う理由だけで。

(……信じられないことだ)

 心が壊れているのかとも思ったが、ツカサは決してそんな素振りは見せない。
 それどころか、誰よりも強いように思えてくる。
 荒れた蛮人街に怯えながらも、自分の守護獣である蛇を一生懸命に探していた姿は、まるで子供を探す母親のようだった。
 ちっぽけな存在にすら心を傾ける彼が壊れているのなら、ブラックの心など無いも同然と言える。
 
(まあ、壊れていたとしたら、惹かれる訳はないが)

 自分と同じものを好きになれないのは、自分が一番よく知っている。

 ブラックは縋るような目で自分を見上げる者達には目もくれず、一般街へと歩き出した。
 





 水琅石のランプに明かりを灯し、粗末な木製の椅子に腰かける。
 蛮人街の娼館よりも質素な宿の部屋は、少量の明かりでも部屋が見渡せるほどに狭い。娼館に入り浸っているとこちらの部屋の方が牢獄に思えてくるが、これでも多くの冒険者にとっては贅沢な部屋だ。
 それを考えると、自分達はなんて幸せな身分なのだろうと思えた。
 部屋を選び、もっと上級の部屋を知って羨む。
 それは、間違いなく存在が肯定された物にしか出来ない自由な思考なのだから。
 
 時に蔑まれる冒険者ですら、存在を肯定されている。この世界に存在していると言う証を持っていて、世界を歩く自由を与えられている。だからこそ、狭い部屋に押し込められようが「贅沢な部屋に泊まりたいな」と笑う事が出来るのだ。
 だが、自分が通うあの場所には、証を持つ者は少ない。その殆どが、みじめな世界で生きていくことを強制された存在だった。
 蛮人街の人々には、人と比べる自由すらないのだ。

 けれど、蛮人街の娼姫達はその身分を恥じる事はない。
 みじめな世界でも精一杯に意地を着飾り、胸を張っている。
 誰も認めずとも、自分の存在を誇示し毎日を笑顔で生きているのだ。
 そんな娼姫達を毎日見ていると、自分の今の境遇の方がよほど低俗で下らないように思えて、早く眠ってしまいたくなった。
 
 眠ってしまえば、朝が来る。
 朝が来れば、またあの子に会える。
 暖かい気持ちを思い出させてくれた、大事な子に。

(今まで生きて来て……明日が待ち遠しいなんて、思わなかったな)

 早く起きて、誰よりも先にツカサに会いたい。そうして、抱きしめるふりをして怒らせたい。触って、嫌がられて、その幸せに笑いたかった。
 そう、幸せだ。彼に嫌がられる事は幸せだった。
 何故なら、ツカサは自分を本気で嫌っていないから。ブラックには、彼が自分を心底嫌っている訳ではない事がちゃんと解っていた。
 
 ツカサが自分に向けている感情は、嫌悪ではない。あんなにやさしく甘い態度が嫌悪だというのなら、ブラックはこんな事にはならなかっただろう。
 
 本当の「嫌悪」は、人を異形に変える。それほど恐ろしいものなのだから。
 
 故に、ブラックは確信していた。
 彼は……ツカサは、自分を無意識に受け入れてくれてるのだと。
 嫌っているのに自分の他愛ない話をちゃんと聞いてくれるなんて、それは受け入れていると言っているようなものだ。それに、ツカサはいやらしい事が嫌いなくせに、ブラックが戯れに触れても拳一発で許してくれる。
 汚れを知らない体を汚し、あんなに酷い事をしたのに。
 普通なら、自分を近付ける事すら許さないはずなのに。
 なのに、彼は。
 
 ……だから、ブラックは彼に会いたかった。
 好き勝手をしても受け入れてくれた、ツカサに。

(明日は旅行だ。楽しい。ああ、楽しいなあ)

 自分の体には少し小さい寝台に飛び込む。
 金など惜しくない。ツカサに殴られるのなら痛みだって悦びに変わる。なにより、自分と話してくれることが、一番嬉しい。
 とうに失ったと思っていた「誰かを求める感情」がこんなに素晴らしいものだったなんて、知らなかった。本当に、今が楽しくて仕方がない。
 
 マントを剥いで適当に放ると、ブラックは仰向けになる。
 早く朝になればいい。そう思って、薄汚い天井を見ていたが――――

「…………誰だ」

 部屋の隅に気配を感じて、呟く。
 仄かな明かりの届かない部屋の隅はしんとしていたが、やがて、マントを引き摺るような音が聞こえてきた。
 ずり、ずり、と間隔を開けて音の主が近づいて来る。
 やがて現れたのは、目元まで覆いで顔を隠した男だった。

「流石はグリモアの一人、すぐに気付かれてしまうとは」

 そう言って、相手はくすりと笑う。
 男にしては涼やかで艶のある声は、忘れられようはずもない。ブラックは体を起こし、警戒を露わにしつつ目を細めた。

「その呼び方はするなと言ったはずだけどね、クロッコ」
「これは申し訳ない。以後気を付けます。それより……その後、いかがですか。黒曜の使者は見つかりましたか?」

 今はあまり聞かれたくない事だったが、自分がこの街に来たのはそれを探すのが目的だ。相手が自分を逃さない依頼者である以上、この依頼を果たさぬわけにはいかない。溜息をつき、ブラックは首を振った。

「相変わらず消息不明だ。森でそれらしき痕跡を見た後はなんの音沙汰もない。もし相手が私の査術を抜けて消えたのだとしたら、私には手に負えない存在だ。これ以上の追跡は断るよ」
「何を仰います、貴方ほどの人が……。あなたが手に負えなければ、どの国王でも黒曜の使者を止める事は出来ないでしょう」
「魔族でもか」
「ええ。黒曜の使者は人知を超えた存在……神をも食らう魔族を束ねる魔王とて、使者を倒す事が出来るとは言い難い。災厄は、生きとし生けるものの思惑全てを薙ぎ倒すからこそ災厄と呼ばれるのですから。ですが、貴方は人知を超えた。その存在であれば、あるいは」

 覆いの内側から、自分をじっと見つめる視線を感じる。
 だが、ブラックはそれ以上に相手が自分を煽っている事を感じて、険しい顔でクロッコと呼んだ相手を睨み返した。

「やめてくれと言ったのを忘れたか?」

 これ以上言えば、どうなるか解らない。
 そう言うつもりで紫電の瞳を光らせたブラックに、クロッコは暫し黙って、頭を下げた。

「少々図に乗りました、申し訳ございません。……ですが、報告を怠っているのですから、これくらいの事は言わせて頂きたいですね」
「報告?」
「しらばっくれても駄目ですよ」

 先程の態度とは打って変わって、クロッコは楽しげに口を弧に歪める。

「数週間前、湖の馬亭に買われた少年のことですよ。彼も黒髪で、常人にはない力を持っている。その上出自は不明の奴隷だ。奴隷屋や盗賊を締め上げても、彼が道を歩いていた貴族らしいという事しか解らないのでしょう? そんな人物の事を今まで隠していたんですから、ねえ」
「気付かれているとは思っていたが、今まで放置してたのは趣味が悪いね」
「とんでもない。今日知った事ですよ」

 それも本当かどうか。
 相変わらず意地が悪いと思いつつ、ブラックは溜息を吐いた。
 知られてしまっては仕方がない。

「……彼については、まだよく判らない。黒曜の使者としては脆弱すぎるし、色々と納得できない部分もある。だから放置していた」
「放置した相手と旅行に行くと聞いたのですが」
「それも見極めるためだ」
「見極める?」

 首を傾げたクロッコに、ブラックは呆れたように目を逸らす。

「行先には、災厄にはおあつらえ向きの物がある。……火山の噴火なんて、破滅の象徴にならお手軽な物だろう?」
「ああ、なるほど。……多少の犠牲は出てしまうかもしれませんが、仕方のない事ですね。大義を成すには必ず犠牲が付きまとう……」
「それはどうでもいい。誰が死のうが私には関係がないからね。……とにかく、件の地で何もなければ、彼が黒曜の使者ではないと断定できる」
「しかし……そう思惑通りに行きますかね?」

 どこか楽しそうな相手の声。
 まるで心の中を見透かされているようで、ブラックは忌々しいと臍を噛んだ。

「行かずとも、見極める事は出来る」
「ですが、見極めて本当に黒曜の使者であった場合……貴方は彼を始末できるんですか」
「……今更罪が一つ増えた所でどうという事はない。誰が死んでも、同じことだ」
「そうでしょうとも、貴方はね。……では、良い返答を期待しています」

 楽しそうに嘯いて、クロッコはそのまま空気に溶けるように消えた。
 あとには、もう何もない。

「…………」

 静かになった部屋を暫く見つめていたブラックだったが、自棄になったかのように勢いよくベッドに体を落とした。

「どうせ、旅で判る。すべての事がな」

 彼の事をもっと知りたい。だからこそ、息抜きと言って旅を勧めた。
 けれど、自分の置かれた立場では、浮かれた思いばかりではいられない。彼の力が本当に曜術師の素質ゆえの物なのかを見極めるのも、自分に課せられた使命なのだから。
 そして、もし本当に彼が黒曜の使者だというのなら――

「……ツカサ君、怒るだろうな。いや、今度こそ本当に嫌われてしまうかもな」

 先の事はあまり考えたくなくて、ブラックは目を閉じた。
 
 明日からの旅で知る事は、自分にとっては知りたくなかった事実かも知れない。けれど、ブラックは決行するつもりでいた。知らなければ、前に進めないからだ。
 災厄であれ普通の存在であれ、知ってしまえば自分はもう戻れない。
 だからそれまでは、己の本性も隠しておきたかった。
 ブラックのその行動は、ツカサからすれば汚い大人にしか見えないだろう。
 優しい顔をして近付いて、腹の中では常に殺すことを考えている。
 だが、それがブラックという男だ。

 生きとし生けるもの全てに嫌われ、嫌悪されても仕方のない存在。
 それが――――今ここにいる、自分自身なのだから。

「…………明日からが、楽しみだ」

 少し笑った自分がどんな笑みをしているか、今のブラックには解らなかった。









伏線とっ散らかってますがラクシズからちょっと離れて二人旅します(´・ω・`)
やっとこさちょっとRPGぽくなる
 
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