異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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終章“止まり木”の世界、出逢う全ての物語編

  抱擁

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『やめろ! 無理に動かすんじゃない!』

 外野が何か言っている。だが、聞く耳など持たなかった。

 こんな薄汚いことをする存在に貸す耳など無い。それよりも、ツカサを一刻も早く取り戻す事が先決だった。そうでなければ、こんな場所になど留まっているものか。

(クソッ……くそっ、くそっ畜生が……!! なんてことしやがったんだ、よりにもよってツカサ君を……ツカサ君を僕から……!!)

 脳内で言葉を吐き出しても言葉にならない。
 頭が混乱している。それを自分でも理解しているのに、冷静になれない。
 ただ、今はなりふり構わずに白い無数の鍵盤を叩く事しか出来なかった。

「違う……ッ、これも違う、違う違う違う……!」

 空中にはじき出される半透明の画面には、無意味な文字の羅列が浮かんでいる。
 そのどれもがツカサを取り戻す一言の単語すら含んでいない。どれもこれも全くの役立たずな使えない「プログラム」だった。

 だが、この情報の中には絶対、背後で自分を観察している塵以下の存在が起動させた「転移に関する命令文」が存在しているはずだ。
 そうでなければツカサが消えるはずがない。そうでなければならなかった。

 しかし、その文書が見つからない。
 これ以上ないまでに視線を走らせ全ての画面を浚っても、一片たりとも転移を示す単語に出会う事など無かったのだ。

 それでも、諦めきれなかった。

『諦めろ……転移に関する事項は神格を持つ者か黒曜の使者にしか開けない』
「じゃあテメェがもう一度起動させろよ!! 斬り殺されたいのか!!」

 背後で漂っている薄汚い魂の残滓に怒鳴り散らす。
 そんなことをしても無意味だと理解しているのに、ブラックの感情は自分でも制御が出来ない段階まで荒れ狂っていた。
 だが、そんなブラックにキュウマと呼ばれた物は悔やむような顔をして首を振る。

『俺には……もう、何かを動かすほどの気が残っていない。それに……あいつを再びこの世界に召喚するのは断る。あいつは、こんな場所に居てはいけない』
「ッ……ざけたことを……! お前が決める権限は無いと言ったはずだろうが!」

 髪を手で掻き乱し唾が飛び散らんばかりの勢いで吠える。
 冷静でいられない。冷静で居ようとする自分を、本能的で凶暴な衝動が押さえつけて、どうしようもなく息を、心を乱す。

 この世界に、自分が唯一、心底愛した少年が存在しないと言うだけで、今まで強く押さえつけていた闇が噴き出しそうでたがが外れそうだった。
 それを必死で押さえつけているのに、目の前の利用価値も無い存在はいかにも同情を引こうとするような表情をして「仕方ないんだ」と言わんばかりに俯く。

 なにが「仕方ない」だ。
 こちらの意志を無視して敵にまで擦り寄って強行した身勝手なゴミが、今更そんな態度で反省をしても何も感じない。クズに縋られても迷惑なだけだった。
 いっそ悪びれず飄々と立っているあの元凶の方が余程見どころがある。

 だが、それも底辺と底辺を比べた殆ど差異のない低俗な争いでしかない。
 もしあと少し自分の理性がすり減っていたら、この場の全てを無に帰していたかも知れない。そう自分でも遠い所で焦るほど、今は何もかもが憎かった。

(僕の……僕のツカサ君を、よりにもよって僕のツカサ君を奪いやがって殺すなんて足りない生きて皮を剥いで末端から削って生かし続けて苦しめても許せないこんな屑どもに僕のツカサ君が奪われた消された奪われた奪われたうあぁああ゛あ゛!!)

 言葉が、頭の中ですら生成できなくなってくる。
 黒い感情が吹き上がって来て堰から溢れそうになる。
 必死に抑えていた、混乱の中で理性が封じていた物が滲み出て。

「あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

 目の前の何万回殺しても許せない存在を、再度睨み付けたと、同時。

 ――――己の立つ影から、黒い炎が螺旋状に吹き上がった。

『なっ、なんだ、この黒い光は!?』
「…………これはまた、案外耐えましたね」

 煩い。吐き気がする。
 有象無象の言葉など聞きたくない。
 唯一愛した一人の声すらもう戻らないのなら、耳に入る音は全て雑音だ。鬱陶しい羽虫以下のなにかを認識する事すら煩わしかった。

「…………――――」

 一歩足を踏み出すと、地面が割れる。
 いや、黒の炎が亀裂のように侵食してその存在を崩していくのだ。

 だがそんな事などもうどうでも良かった。

『お前……っ、まさか絶無…………!』
「ツカサ君を返せ」

 進む。その度に纏わり付く蛇のような黒炎の帯が周囲を朽ち腐らせ崩していく。
 凄まじい音を立てて割れる床に目の前の元凶が怯えたような顔をしたが、まるで命が存在する物のように振る舞っている様が一層憎悪を駆り立てた。

 しかし、相手は何を勘違いしているのか、こちらに向かって必死に訴えて来る。

『っ……あ……ああするのが一番なんだ、ツカサは優し過ぎて、この世界では生きていけない! だから元の世界に帰してやったんだ、それの何が悪い!! お前だってアイツの恋人なら、アイツに幸せでいて欲しいだろ!? 争いのない幸せな世界で、自分の故郷で幸せに暮らしていてほしいって思うのが普通じゃないか!!』

 堰を切ったようにまくしたてる相手。
 ブラックは何の感情も湧かずただその無様な姿を見ていたが、目を細めた。

「ツカサ君の幸せは、僕と永遠に、死ぬまで一緒に居ることだ」
『…………ッ!?』

 目を見開き、驚愕か疑念の表情かも判断できない歪んだ顔でこちらを見る。
 同じ異世界人で、こうも違う。
 ツカサは可愛かった。淫らで性欲を掻き立て、嗜虐心を煽ってくる顔だった。
 なのに、この人の形をしたゴミはツカサではない。

 そんな物に何を語れと言うのかと苛立ちが沸いたが、ブラックは続けた。
 相手の思いあがった愚かな思考をすべて否定するために。

「ツカサ君の幸せは僕と永遠に一緒に居ることで、僕に犯され組み敷かれることだ。僕の為に人殺しになって、僕の為にこの世界で暮らす事を決心して、僕の為だけに股を開いて自分の全てを捧げて壊して僕に縋りついてメスとして生きるのがツカサ君の幸せなんだよツカサ君が選んだ幸せなんだよツカサ君は故郷を捨てて異世界の倫理観も捨てて自分の男としての尊厳も捨てて僕のお嫁さんになるって約束したんだツカサ君の全部は僕の物だツカサ君の幸せは僕の幸せだ僕のための幸せだ僕を幸せにすることがツカサ君の幸せなんだよ……わかるか? お前は、その幸せを壊した。ツカサ君の幸せを壊した、僕の幸せを壊した……壊したんだよ!!」

 引き抜く剣に、真紅ではなく黒い炎が宿る。
 全てを飲み込み支配する邪龍のような禍々しい黒の光に支配された宝剣は、紅玉を嵌め込んだ刀身をガタガタと震わせる。
 壊れるかもしれない。それも、どうでもよかった。

『お……っ、お前、それでもアイツの恋人なのか……!? そんなの……そんなのは愛じゃない、支配してるのと一緒じゃないか!!』
「お前に解ってたまるかあぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

 漆黒に染まった剣を振り上げる。
 狙いが定まらない、だが力任せの衝動は最早止められるわけがなく……
 狙った標的から僅か逸れた床を打ち砕いた。

 刹那、亀裂が入りその一帯が崩れる。
 飛び退いたブラックの居た所まで砕け堕ち、ぽっかりと穴が開いてしまっていた。
 だが、それ以外の場所は何とも無い。黒炎を纏った剣の触れた場所だけが、まるで空間ごと何かに掬い取られたかのように崩れて、あとは黒い砂粒を僅かに残すだけで消えていた。

『紫月に絶無なんて最悪な組み合わせを選びやがって……!』
「うるさい。死ねよお前。僕とツカサ君の幸せを邪魔する奴は死ね。全員死ね。世界なんぞ滅びてしまえ。ツカサ君が戻らないならお前の望み通り今世界も殺してやる。お前の事なんて誰も思い出せないように」
『やっ、やめろ……! なんで解らないんだ、なんでお前はツカサ自身の幸せを考えもしないんだよ!!』

 苦し紛れの、弱点を狙ったようなあざとい正義の皮を被ったような言葉。
 自分達こそが正しいのだと思って疑わないような言葉。
 何も知らず、知ろうともしない愚かな雑音に、ブラックは射殺すように目を見開き吐き気を催すほどの不快感を覚えながら眉間に皺を寄せた。

「僕達の幸せを、お前みたいな底辺のクズに理解出来るかよ。ツカサ君を戻さないんなら死ねよ。なあ、今すぐみじめに世界が壊れるの見ながら死んでくれよ」
『――――~~~~……!』

 恐怖している。色のついた空気のような存在になっても、恐怖は有るのか。
 ツカサはこの世界に存在すらしなくなったのに、それでもまだこの塵にも劣る存在は、この世界に存在し続けると言うのか。

 許せない。ブラックの幸せを奪っておいて生き続けるなんて、願いを叶えるなんて、到底許される事ではない。これでもう何もなくなってしまった自分を生かし続ける世界も、存在していること自体が意味が無い。それならもう。

「…………まあ、これはこれで構いませんけどね。世界が終わるなら、それもいい」

 誰かが、言う。

 誰だ。解らない。もう何も考えたくない。

 黒い炎が、目の前で噴き上がる。どこから現れているのかも解らない炎が。
 ずっと自分を苛んでいた力が溢れ出す。だが、焦りも失望も無かった。

(ツカサ君がいないなら……もう……どうでもいい…………)

 元より、望まぬ力だった。

 ツカサのために今まで必死に押さえつけ、彼と一緒に生きたいと心底願ったから、この力を使うまいと封じ続けてきたのに。
 “真名”を決して語らぬようにして、忘れようと努めて来たのに……――――

「ツカサ君が、いないなら…………

 こんなせかい、いらない」

 何がそんなに怖いのだろうか。自分がどんな顔をしているのか解らない。
 ただ、乱雑な渦を作る黒い炎が大きくなり、空を目指し成長していくのが判る。
 何もかもを飲み込もうとして、足元の陰からは枯れた茨のような歪な線がいくつも走り、部屋全体に広がっていくようだった。

 力が、溢れて来る。なんの思いも湧かない、全てを飲み込む虚無の力が。


 自分が「ばけもの」と呼ばれるようになった、根源の力が、侵食していく。

 だが、見開いた目から涙がこぼれるばかりで何も感じなかった。
 痛みも、苦しみも、昂揚感すらも無い。涙だけが、雨のようにただ流れて行く。

 もう終わりだ。もう何もかもがどうでもいい。自分の命すら鬱陶しい。
 殺す。全てを以って、全ての物を、壊す。

(だってお前らは……僕のツカサ君を奪ったんだもの…………)

 奪われたものの代償は、計り知れない。
 ツカサを放逐して世界を望むのなら、世界を壊すしかない。
 だが、それではもう、足りないのだ。ブラックの悲しみは、そんな事で収まるはずも無いほどの深く底知れぬ闇のような理不尽な悍ましさだったのだから。

『やめろ……っ!! 本当に、全て壊れてしまうぞ!! ツカサは、クロッコにお前を生かすように約束させてたんだぞ、それを無視するのか!?』

 うるさい。どうでもいい。
 ツカサが居ないのならどうでもいい。もう、何もかもがどうでも。

『――――ッ……!!』

 闇の茨が、地面を這い白い光に近付く。
 そうだ、あの機械が存在するからツカサが戻って来なくなったんだ。
 だったらアレも壊してしまえ。あんなものは、いらない。
 ツカサの代わりにこの世界に存在するなんて許されない。壊す。全部、壊さねば。

『頼む、やめろ……やめてくれ……!』

 声が、小さくなっていく。ああ、それでいい。全部消えてしまえば良いんだ。
 そう思いながら、無意識に体が光に誘われて死人のように揺らめきながら動く。

「………………はは……」

 あの機械を殺せば、少しは胸が透くのだろうか。
 いや、そうはなるまい。何故なら自分にはもう、何も無いのだから。
 そう思って。そうとしか考えられなくて、号令をかけるように、力なく垂れていた左腕をゆっくりと機械の方へ伸ばし――――――

「…………え……?」

 その、左手の指に……琥珀色の宝石を嵌め込んだ指輪が在るのに気付いた。

「………………ぁ……」

 宝石は、自分の方を見つめている。
 もう二度と戻らない愛しい人の瞳の色をして、白い光に負けず煌めいていた。

 ――――どんな光にさらされようと、決して色を変えず輝く記憶の宝石。
 純粋な心を決して失わないツカサに良く似合う、琥珀の瞳。
 自分達が確かに永遠を誓い合った証が、そこに静かに存在していた。

(つ、かさ……くん…………ツカサ君…………ツカサ君……っ)

 涙が、溢れた。

 会いたい。どうしようもなく会いたい。自分が世界を飛び越せるのなら、どんな代償を払っても良いから会いたかった。

 どうして、こんな事になるのだろう。何故、愛し合っている自分とツカサを無理に引き離そうとするのだろうか。理解出来ない。ただ自分達は、永遠に一緒にいるのだと思い合っていただけなのに。それなのにどうして引き離そうとするんだ。【黒曜の使者】という称号が、すべて悪いのか。
 なら、そんなもの要らない。何の力も無い彼で良い。だから、会いたい。

 この世界が壊れてしまえば、再び会う事が出来るのだろうか。
 誰よりも、この世界よりも愛しい……最初で最後の恋をした、愛しい少年に。

『やめろ、壊すんじゃない……――――!!』

 指輪の向こうに白く光る邪悪な存在がある。あれだけは、壊さねばならない。
 その後は、すぐに煩い羽虫を殺す。そうしたら、もう、どうなったっていい。
 死ねば彼に再び会えるかもしれない。なら、死に恐怖など微塵も感じなかった。

「ツカサ君……こんな世界すぐに壊して……追いつくから…………」

 闇が、光を飲み込もうとする。
 地面を這う茨が、無数の炎が水晶の群れを喰い尽くそうと迫る。
 その光景をただ眺めて、指輪を見た。と……――

「…………え……?」

 指輪が……いや、琥珀色の宝石が、光っていた。
 これは白い光を取り込んで光っているのではない。自ら輝いているのだ。
 そうして、強い光を発し震えている。まるで何かを訴えるように、金の縁から這い出そうとしてガタガタと震えていた。

(なに……これ……なにが、起こってる……?)

 だが、手は自然と上を目指す。
 天に軽く指輪を掲げるように左腕を上げると……指輪の光が膨れ上がり、光の道となって空中を指し示した。

(これ…………ツカサ君の指輪を探した時の……)

 そう確信し、目を見開いて黒い炎に遮られる空を見た、瞬間。

「――――ッ!!」

 天井が見えない、高く薄暗い空。黒い炎の最中に見えたそこに――――
 煌めく金の粒子を纏った、輝く黒の光の輪が現れていた。

「なっ……!?」
『こ、これは……』

 誰かの驚く声がする。だが、ブラックは目が離せない。
 何故か、その不可思議に輝く黒の輪を見つめずにはいられなかったのだ。

(光が、輪を指してる。震えてる……じゃあ、あれ……あれは……もしかして……)

 輝く漆黒という、本来ならば有り得ない現象。
 金の粒子が光らせているのではなく、黒い光それそのものが光を放っているのだ。
 もし、それが“ある象徴”だとしたら。
 「ありえないこと」を実現させる存在の報せだとしたら。

「――――――――……」
「…………!!」

 声が、聞こえた。

 その声に導かれるように、足が動く。
 同時に漆黒の輪が内部に渦を巻き一層強く光り輝き、金の粒子を放出させ――

「…………ッ……!」
「あ……あぁああ…………!!」

 情けない泣き声が、漏れる。だがもう構っていられなかった。
 声が聞こえた。一番愛しい声が、可愛い声が、もう一度聞きたかった声が。
 ブラックの名前を、呼んだ。今確かにこの耳に届いたのだ。

 思わず両手を広げて神に恵みを乞うように駆け寄る。
 もう、迷いはない。

 黒い炎の渦を抜け、渦巻く美しい漆黒の光を仰ぎ見た。
 その、刹那。

「ブラック……!」

 闇の中から、金色の光を纏って小さな影が飛び出す。

 ――――黒いマントに金の光の粒子を散らし、目一杯に腕を広げた、影。


 ブラックの広げた腕に一直線に落ちて来るのは、間違いない。
 間違える事なんて、有り得なかった。

「ツカサ君……っ!!」

 涙が、光に輝いている。その幼い顔が自分を求めている。
 美しい。可愛い、愛しい。
 その声も泣き顔も幼い姿も何もかもが愛しくてたまらない。

「――――――っ!!」

 空から降って来た、帰って来てくれた愛しい人を、抱き締める。
 ああ、何一つ変わらない。豊かな黒髪も、健康的な肌色も、自分に縋りつく両手の頼りない強さすらも。幻覚ではない。都合のいい夢などではない。
 彼は、帰って来た。自分のこの胸に、帰って来てくれたのだ。

「ツカサ君……っ、ツカサく……ぅ゛…………づがざ、ぐん゛……っ」
「ブラック……」

 自分の声とは全く違う、大人になる前の甘く幼い声。
 柔らかな香りと、自分の腕の中に納まる程の小さな体。なにより、自分を真っ直ぐに見てくれる……宝石よりも美しい、深く煌めく琥珀色の瞳。

(あぁ…………本物だ……ほんものの、ツカサ君だ……っ)

 いなくならない。どれほど抱き締めても、決してすりぬけることなどない。
 だったらもう、何もいらない。
 
 この腕の中の愛しい存在が傍に居てくれるのなら……それだけで、良かった。













 
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