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終章“止まり木”の世界、出逢う全ての物語編
7.遥か闇の先の希望へ
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決心してからの準備は、思った以上に速かった。
と言っても、恥ずかしながら俺が用意した訳ではない。尾井川が俺のために、色々便宜を図ってくれたのだ。しかしその用意がまた一苦労だった。
初めて聞いたのだが、俺が入院しているフロアに入るには身体検査や持ち物検査を受ける必要があり、スマホなどの物は持ち込めない事になっているのだと言う。
だから、恐らく服も没収されるだろう。それを憂慮して、俺達は一つの策を実行する事にした。……と言っても、古典的としか言いようがないんだが……まあ要するに「トイレの小窓から品物を取り入れよう」というアレだ。
しかし外には木の枝が張っているワケでもなく、到底無理ではないかと言う感じではあったのだが……中と外に一人ずつ人が居て準備が出来ればそれもたやすい。
まず一度尾井川には家に帰って準備をして貰い、俺は時間が来るまで仮眠や勉強をして夜まで時間を潰す。これは、宵闇に紛れるためだ。そうして警備の人を油断させた後に、いつものようにフロアのトイレに行き、まずは窓を開けトイレットペーパーを慎重に垂らす。幸い今日は無風だったので、ペーパーはある程度の所までしっかり伸びた。それを下……下の階のトイレの窓で待ち構えているのが尾井川だ。
尾井川はペーパーに慎重に細い糸を巻き付けて合図をする。
それを、俺はペーパーが千切れないようゆっくりと撒いた。これがシングルだったとしたら失敗していただろうが、流石は厚い二枚巻きのダブルだ。尾井川と協力して負担が掛からないように糸を流せば、簡単に巻き取る事が出来た。
これで、準備は完了だ。
あとは俺がその細い糸を全て巻き取り……糸に繋がっている新たな太いロープを引き摺り込めば完了である。そして、ロープの終点には待望の服を包んだ黒い布が撒き付けられていた。これこれ、これですよ。
コレのために何メートルもの細い糸と、トイレットペーパーを無駄にしてしまったが、まあ背に腹は代えられない。というかペーパーはちゃんと巻き込んで使うので許して欲しいと思う。糸は……あとで何とかしよう。
とにかく、今度はこれを警備の人に気付かれずに運ばなくては。
受け取りにかなりの時間をかけてしまったので、そろそろ警備の人が心配になって見に来てしまうはずだ。窓を閉め、巻き上げた物は一旦掃除用具入れに隠し、俺は別のトイレに籠ってとにかく何も無い風を装った。
案の定、警備の人が見に来て俺に容体を聞いて来たが、俺は少し待ってトイレから出た。すぐに開けると怪しまれるし、なにより捜索されかねないからな。
だけど、このままだと勘のいい人にはトイレを捜索されかねない。それを防ぐため、俺は警備の人に薬を頼んだ。
もちろん、便秘薬だ。しかしこれは男にとって頼むのが微妙に恥ずかしい。
だって普通なら、んなもん飲まないじゃん。胃薬や下剤は何度か飲んだことがあるけど、便秘薬って女の人の薬のイメージなんだよ。それになんか、他の奴らは絶対にそう言う事言わないし……。自分だけそんなんなってたら、恥ずかしいじゃん。
女の人なら母さんとかがなってるから、全然変には思わないんだけどさ。
なので、看護師さんにバレないように持って来て欲しいと警備の人に甘えたのだ。
……普通なら「看護師さんに言え」となるだろうが、そこも俺は伏線を張っていた。俺は元気になってからというもの女性の看護師さんにデレデレしており、そんな俺を警備の人は見ているので、年頃の男ならそれも仕方ないと思ってくれる土壌が既に完成していたのである。で、取りに行って貰っている間に、まんまと個室に目的のブツを搬入できたと、こういう訳だ。
うむ、我ながら性癖と実益が見事に重なった素晴らしい手法と言えよう。
…………言えなくても今は褒めて欲しい。うん。
とにかく、これで私服とロープを得られた。あとは脱出するのみだ。
「よし……早速着替えよう」
中身は、ブカブカのジーンズとデカい簡素なシャツだ。尾井川の私服だな。
ベルトをしっかり締めてずり落ちないようにするが、ちょっと不安だ。
でも今は悩んでいるヒマなどない。ロープをベッドの固定された足にしっかり巻き付けると、ずっと締め切っていたカーテンを開けて窓を開いた。
「っ……」
冷えた、夜の空気。
まだ夏も来ていない春の終わりの空気は、少し冷たくて身を竦ませる。
アスファルトやビルが醸し出す独特の夜の匂いが何だか懐かしくて、俺は大きく息を吸い込んだ。……この空気も、久しぶりに肺に入れた気がする。
帰ってきてすぐは違和感ばかりだったけど……やっぱり、この世界の空気も、俺にとっては「懐かしくて好きなもの」の一部だった。
「おいっ、ぐー太、準備できたか!」
小声が下から聞こえてくる。窓から身を乗り出すと、尾井川がぐるぐると腕を回し「早く来い」と言っているようだった。
そうだ。警備の人が戻って来るまでそう時間が無い。
俺は慌ててロープを垂らすと、はだしで窓から抜け出した。
「よっ……」
尾井川の言うように、俺はあっちの世界で多少度胸が付いたのか、ロープで降りるのも別に難しい事じゃなくなっていた。今は無風だし、全然楽に降りれるよ。
コレよりも、アフェランドラに登る梯子の方がよっぽど怖かったな。
だって海風が吹きつけて来て揺れるし、縄は固定されてないからめっちゃ不安定でいつ切れるかも分からなかったし……うーん、あんなの現代じゃ考えられんな。
「……そういやお前、木登りも得意だったな……」
尾井川の呟きを聞きながら、俺は1メートルくらいの所まで下りる。
ここからは、自力でジャンプだ。でも、怖くもなんともなかった。
「よっ……!」
体に負担が掛からないように気を付けて、腰を落とし下へ降りる。
着地はカエルっぽい感じになってしまったが、まあ無事ならよかろう。
「お前……ホントに異世界で冒険してたんだなぁ……」
「なんだよ今更」
「その感じで運動音痴もいつか治ると良いな……」
「なおらないんだなこれが……」
こう言うのは上手くなったけど、そっちは全然なんですよ。
真面目に深刻な問題なんだが、俺の深刻さなどお構いなしに尾井川は笑う。でも、俺も今はそれが嬉しくて楽しい。
「じゃあ行くか……っとそうだ。ぐー太、これ巻いとけ」
「ん?」
そうして渡されたのは、なんだか黒くて長い布だ。でっかい。
なんだろうかと思ったら、体に巻けという。これはポンチョ……いやマントか?
ちょっと待ってなんでこんな漆黒のマント(仮)を持ってるんだ尾井川。
「もしかして……尾井川も十四歳の頃に使命を帯びた事がおありで……?」
「何も聞くな」
そうか……。まあ俺も似たような事をしてたので、深く聞かないでおこう。
漫画オタクなら、誰でも一度は邪気眼が発動する時が来るものだ。
境目は、それが誰かに目撃されるかされないかというだけなのである。
尾井川の隠しきった中二病を思いながらも、俺はマントを羽織って駆けだした。
もちろん、尾井川も一緒に。
「それで、指輪はどっちの方向を指してんだ」
「ちょっと待って。えっと……」
指輪を出して、光が差す方向を確認する。
すると、それは病院の遥か向こうを指しているようだった。
ずっとこの指輪は有る一方向に光を向けている。そして、その光は決して途切れる事も無かった。俺を導こうとするように、綺麗な菫色に光り続けていたのだ。
「あっちだな。よし、行くぞ」
「うん」
病院をこっそり抜け出して、人気のない夜の街を光が指す方向へ走る。
走る最中、その指輪を見ていると……心がぐっと痛くなった。
「…………」
――――今日、仮眠している時に、また夢を見た。
それは当然あの闇の中の夢で……だけど、今回は様子が違っていた。
俺は最初から指輪を持っていて、光を放つ指輪が手の中に在る事に安堵し、闇の中でも構わずに指輪を両手で握り締め愛しげに頬を当てていた。
夢の中だから、たぶん過剰に感情が湧き出ていたんだと思う。
現実じゃやらない事をやってしまうのが夢だからな。
でも、その時の俺はとても幸せだった。ブラックがくれた指輪が戻って来た事に、それだけに満足し、周囲の事なんかまるで気に留めていなかったのだ。
そんな俺に、闇はまた動いた。
だけど今度は闇から手が這い出て来る事も無く、ブラックが出て来るでも無く――――何か、叫び声を上げて……黒い何かが背後から現れたのだ。
けれど俺はそこから逃げられなかった。
黒い「なにか」は硬直する俺を即座に包み込み、べたべたと生々しい感触で俺の腹や足に巻き付き浸食した。それだけでなく、耳元で叫び始めたのだ。何を言っているかも分からないような、獣のような声を。
…………だけど、何故か俺は……それを、少しも怖いと思わなかった。
それどころかじっと聞いて、そして……その叫びが何を言っている理解したんだ。
――――ああ、これは……呼んでいるんだ。
自分を、俺の名前を呼んでいる。泣き叫ぶようにして俺を求めているんだと。
そう理解した瞬間、闇が唐突にずるりと溶け落ちて……俺を抱き締めている存在が……ブラックに、変わった。俺と対の指輪を嵌めた、恋人に。
だけどブラックは、俺を抱き締めているのに半狂乱で叫び、ただ泣いていた。
――――ツカサ君どこ。逢いたいよ。ツカサ君、ツカサ君。絶対に離さない。僕の恋人、婚約者、絶対に取り戻す。何もかも、知るものか。絶対に、離さない……
今俺を抱き締めているのに、ブラックはダダをこねる子供のような事を言い続け、声にならない叫びをずっと上げていた。
そこで、解ったんだ。
……これはきっと……今のブラックの、心の声なんだって。
ブラックも、俺の事を探してくれている。今も必死に呼び続けてくれている。
あちらがどうなっているのか解らないけど……でも、ブラックは生きているんだ。きっと、俺の事を諦めずにどうにかしようとしてくれているんだよ。
そう思うと……何故だか無性に泣きたくてたまらなかった。
「………」
ぶかぶかの指にはめて、落ちないように片方の手で抑えている指輪。
あの夢はきっと、指輪が見せてくれた夢だ。
ブラックが「お守り」だって渡してくれたこの指輪が、俺達を繋いでくれた。
今も、俺とブラックを繋ごうと……必死で、光を放ち続けてくれている。
それがどれだけ頼もしい事か、言葉では言い表せなかった。
「なんだか見慣れた所に入って来たな……」
「う……うん……っ」
尾井川の声に、周囲が通学路の近辺に入っていた事に気付く。
どうやら俺が入院していた病院は学校とさほど離れていない所だったようだ。病院なんて滅多に行かないから全然解んなかったよ……。
それにしても、随分長く走って来たな。
い、息がちょっと苦しいかも……。
「ちょっと休むか?」
尾井川にそう言われるけど、首を振る。すると、横から頭をチョップされた。
「い゛っだぁ!」
「バカ、ヘトヘトになって再戦しにいく奴がどこに居るんだ! ちったぁ考えろ!」
「ぐ……ぐぬぬぅ……」
言われてみればその通りだけど……でも、俺は一刻も早く跳びたいんだよ。
行って、ブラックを安心させてやりたいんだ。
「気持ちは解るが、そんなヘタレ状態じゃ好きな奴も守れないぞ。……まあ、前よりは体力がついてるみたいだが……それじゃ全然ダメなんだからな」
「うぅ……」
せめて体調を整えて行けと言われ、自販機でスポーツ飲料をおごられてしまった。
ぐうう……最後の最後まで迷惑かけっぱなしか俺……。
「尾井川、ごめん……」
「だから謝るなっての! ったくもう、おめえは……どうせ異世界に行ったんなら、ドンと男らしく変わってこいよなあ!」
いつまでも陰キャじゃ彼女にフラれんぞ、と発破を掛けられたが、残念ながら相手は男で、しかもド変態のオッサンです。婚約までしたので、さすがに今からフラれるのは無いというか、俺もそれはちょっと考えたくないと言うか……いやまあ、こんな事は絶対に言えないんだけど……。
つーか絶対言えん。これだけは墓場まで持って行こう。
さすがにオッサンと婚約してるってのは親友にも言えんわ。反応が怖すぎる。
尾井川は信頼してるけどそれとこれとは別だ。
俺は初動の尾井川のドンビキした顔がみたくないだけなんだ。
「充分息は整ったみたいだな。指輪は……うん? 少し方角が変わったな」
「あ、ほんとだ……でも、この方角って……」
二人して、電灯と自販機だけが照らす道の少し上を見やる。
指輪を掲げると、その綺麗な菫色の光は動きに呼応するように上を指した。
俺達が良く知っているこの道の先に在って、遥か上の方に在る目的地。
今は闇の中に沈んでしまっているが……そんな場所、一つしかない。
「まさか……【禍津神神社】なのか……?」
「でも、お前が行ったのも帰って来たのもあの神社なんだろう? だったら、その指輪の光が続く場所はそこしかない。漫画でもよくあるが、神社ってのは神聖な領域でもあるが、別の世界に続く異界の入口でもあるんだ。……だから、またあの世界への穴が開いていたって何も不思議じゃない」
「そ、っか……そうだよな……」
「行こうぜぐー太。俺が見届けてやるからよ」
うん。そうだな。今度は一人じゃない。一人で異世界に行くんじゃない。
ちゃんと俺の行く末を見届けてくれる奴がいる。
……脱走の痕跡を残したまんまだから、もし尾井川が怒られたらと思うと心苦しくも有ったが……それでも俺は、あの世界にもう一度行かなくちゃいけないんだ。
少しだけ見えた、可能性の為に。
そして……一番大事な、この指輪をくれたブラックの為にも。
「後の事はうまくやっとくから、心配すんな。まあ……なんとかなる」
神社へと続く石段に差し掛かり、二人で手すりを掴みながら登る。
急な階段で、うっかりすると転びそうになるけど、今は這い蹲ってでも指輪の指す場所に行かなければならなかった。
光が強くなっている。あと少し。もう少しで、辿り着くんだ。
そんな風に知らずに焦っていた俺の隣で、尾井川はただ歩いてくれた。
本当に、尾井川が親友で居てくれて良かったと思う。
こんな俺を叱咤激励して、危険を冒してまで助けてくれた。
だから俺は、これから少しでも彼に報いたい。小学校の頃からずっと、情けない俺を救ってくれた。そんな大事な友達の為にも、絶対に……。
「はぁっ……はっ……はぁ……っ」
あと三段、上から来る冷たい風に応援されるような心地になりながら、息を切らせ必死に階段を踏みしめる。あと三段、二段、一段――――と、最後の段を踏んで……鳥居と、その向こう側に見える社を望もうと顔を上げた。そこには。
「……――――っ……!」
「は、ははっ……マジで有りやがった……! おい、ホント、これオカルトだぞ……マジで信じらんねぇ……!」
息を荒くして、まるで興奮したような尾井川の声。
だけどそれは俺も同じだった。ハァハァと肩で息をして、流れる汗を拭って見やるその先……古く朽ちかけた社が見えるはずの、その鳥居の潜り門には…………
金色に輝く光の粒子を含んだ、黒く渦巻く穴が、出現していたのだから。
「まるで茅の輪だな……」
「ちの……?」
「ああ、良い。それはどうでも良い。それより……中に入れるか?」
そう問われて、俺は大きく息を吸うと……深く、頷いた。
だって、それ以外に何も思う事は無かったから。
俺の大事な指輪も……その、深く先の見えない闇の輪の中を、惑う事も無くずっと指差していたのだから。
「……よし、良い返事だ。…………あっちに行っても、絶対に死ぬなよ」
最後の最後まで、尾井川は俺を気にかけてくれる。
そっけない言葉だけど、尾井川がその短い言葉にどれだけの思いを込めているのかなんて、俺にはもう充分すぎるくらいに解っていた。
「精一杯、努力して、足掻いて……頑張ってみるよ。ありがとう、尾井川」
そう言うと、彼は気恥ずかしそうに目を反らして頬を掻いた。
「よせよバカらしい。礼なんて何にもなりゃしねえ」
「ははっ。……じゃあ、行って来る!」
元気にそう言った俺に、尾井川も勝気そうに笑って手を上げた。
「言ってこい、親友!」
尾井川の嬉しい言葉に、俺は駆け出す。
跳び込む先は、暗い闇の輪の中だ。
だけど、その闇を恐れる気持ちなんて微塵も無かった。
……だってその先に、待っているから。
俺が選んだ世界と……――――
何よりも大事な、大好きな人が。
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