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終章“止まり木”の世界、出逢う全ての物語編
潜祇 司という少年
しおりを挟む潜祇 司。彼は、いたって普通の学生だった。
趣味嗜好の特殊さや、年齢の割に色々幼い所は有ったが、それでも彼自身には何の特筆すべき経歴も無く、人と同等の苦楽を味わって成長してきた少年だった。
だが、普通とは言うが、彼にも特別な記憶くらいは有るだろう。
誰しもが特殊な思い出を一つは持っていて、ただそれを忘れているだけという事もある。何もない全くの平凡なら、それこそが最早特別と言うべき人生だった。
だから、彼にもきっと特別な出来事があったはずだ。
それは「二次元エロ画像が詰まった学校用のUSBメモリが女子に拾われてバレたという特殊な理由で、クラスの女子全員と女子の息のかかったクラスメートから無視を決め込まれた」などという漫画のような災いではなく、別の真っ当な出来事が。
その思い出があるからこそ、今の彼を「彼」足らしめている。
年齢の割に他人に対する警戒心が薄く、すぐに懐きやすい性格も、彼なりに生きてきた素地があったからと言えるだろう。
尾井川は、その彼の人生のほんの少しの時間を共有していた。
――――ツカサと出会ったのは、小学生の頃だ。
同じクラスになったのは高学年に入ってすぐの頃で、尾井川はその頃から二次元オタクとしての意志を確固たるものとしており、そんなディープな話題に付いて来る事が出来る同級生など居なかったので、孤高の存在として日々を暮していた。
だがそれは、自分が「そうしたい」と思ったからだ。
学校や塾の中で全てが完結する同級生達と違い、尾井川はネットの世界やゲームを嗜む集まりにその頃からよく参加していた。
そうして一度同年代の集まりから外れてみると、自分の世界がいかに狭いものかを実感したのだ。それ故に、学校で一人過ごしてもなんら不都合は無かった。
むしろ、趣味が合わない奴らと話すなんて面倒だと思っていた節がある。
だから自分は全く困っていなかったのだが……そうではない、新しいクラスメートが一人、教室に居た。それが今より幼い、同級生かも怪しく見えるツカサだった。
(あの頃は……今のコイツとは、まるで違う感じだったよな……)
真っ白なベッドの上で昏々と眠るツカサを見ながら、尾井川は息を吐く。
両親や医者からは「帰れ」と言われたが、心配で帰る事が出来なかったのだ。それをツカサの両親が快く受け入れてくれて、交代でこうしてツカサを見守っている。
彼を毛布に包み、どうにか周囲に隠しながら救急車で病院に連れて来た時、院内はまさにハチの巣をつついたような騒ぎとなった。
それでも“指定した病院”は全てを理解していたのか、それ以降は冷静に対応して、ツカサの事を外部に漏らす事無く治療してくれたのだ。それからツカサの両親に連絡し、今に至ると言う訳である。
細かい傷が有り極度に疲弊しているものの、幸い命に別状はないらしい。
医者はそれ以上の詳しい事は言わなかったが、それが判るだけでも自分とツカサの両親は救われる。現に尾井川は、心が羽のように軽くなっていた。
(しかし、こうしてみると……本当にあの頃と変わんないな……。性格なんかは昔とまるきり違うくせして……コイツ、ちゃんと成長してんのかね……)
ツカサの眠る顔は、とても幼い。
そもそも彼は身長も平均以下で童顔であり、シモの方も第二次成長期はまだなのかと心配になるレベルだし、ついでに表情も良く動いて子供そのままなので、素で十七歳とは思えない様相ではあるのだが……こうして静かに眠るツカサは、そんないつもの彼よりも、もっと幼かった。
そんな、幼げなツカサが……二週間も、失踪していた。
しかも見つかったは良いが、あんな酷い……怪我をした状態で見つかったのだ。
この衰弱した状態を考えれば、普通の状況で生きていた訳でないだろう事は容易に考え付いた。だからこそ、心配だったのだ。
(…………なにが、あったんだろうな……またあんな性格に戻らなきゃいいが)
そう思い、月明かりだけが照らす個室で尾井川は溜息を吐く。
脳裏によぎるのは、先程考えていた小学校の頃の事だ。
――――初めて出会った時のツカサは、いつも俯いていて一人だった。
最初は仲の良い友達とクラスが離れた事が原因かと思っていたが、どうもそうではないらしく、登下校も昼休みも、ずっと一人でどこかしらに座り込んでいた。
他のクラスメートが流行りのゲームや漫画の話を楽しそうに話しているのに、普通そうなツカサはその輪に入る事も無く、ただ一人でずっと外を見ていたのだ。
……外見的には、活発で元気に動くタイプに見えた。
現に短距離走だけは速かったし、雑巾がけだって異様に上手かったので、尾井川はツカサが「何かしらのリーダーをやりたがるタイプ」だとずっと思っていたのだ。
だが、彼は五月になっても誰とも仲良くなろうとしなかった。いや、話し掛けたそうな動きをする時はあったのだが、そうすると必ず尻込みして寝たふりをするのだ。
そんな彼が、尾井川は不思議でならなかった。
人懐こそうな元気な外見と全く違う、引っ込み思案な相手。
妙に気になって、そんな彼をいつしか目で追うようになり……そして、つい好奇心で彼が下校する時に尾行した時、ツカサの本当の姿を知ったのだ。
(ひとりで木に登ったり、カンケリしたり……高学年にもなってブランコを漕いで、本当に楽しそうにしてたり……。あんときゃマジで驚いたよ)
それだけでなく、ツカサは隣町にワザワザ足を運んで、自分より学年の低い子供達と一緒に鬼ごっこをして遊んだりしていた。
それで、彼が何故一人でいたのかようやく謎が解けたのだ。
(後から聞いた話だが、ぐー太は田舎で外遊びばっかりしてたらしい。だから、今時のゲームとか漫画の話題についていけなくて、取り残されちまったんだろうな)
初めて声を掛けた時のツカサの顔は、今でも忘れられない。
物凄く驚いたように目を丸くしたと思ったら、今度は解りやす過ぎるほど嬉しそうに自分に笑ったのだ。まるで、やっと誰かに見つけて貰った迷子のような顔をして。
だから、尾井川もポリシーを無視して付き合ってしまった。
あんまりツカサが懐くもんだから、ついヒートアップして誰にも話さなかったオタクな話をしてしまったりもした。あの時は「しまった、引かれてしまう」とか「ドンビキされてしまうのではないか」と無意識にツカサの反応を恐れた物だったが……彼は、ただ「楽しいね」と純粋に……心から楽しそうに、笑ってくれたのだ。
誰も理解しないだろうと思っていた、自分が本当に好きな物の話を。
(それから俺は、お前を親友だと思うようになった。まあ……そのせいでお前にまで二次元の素晴らしさを伝授してしまったが……今は、俺の方がお前に感謝してるよ。だって、お前がいなけりゃ俺は友達すら作れなかったろうからな)
本当に、劇的な変化だった。
尾井川と言う親友が出来てからのツカサは、変わった。
いや、恐らくそちらが本当の彼だったのだろう。
ツカサはみるみる元気に、お調子者になって、せっかくそれなりに可愛い顔をしているのに、素直にスケベな事を楽しみ闇に隠れる立派なオタクになってしまった。
だが、明るくなった彼を遠巻きに見る者は最早おらず、いつしか自分達は一般人とそれなりに付き合える、そんな二人組になっていたのだ。……あんな事が無かったら、ツカサは今年もクラスでそれなりの評価を得られていただろうに……本当に、申し訳ない。
(お前にエロい事を教えたのが間違いだったとは言わないが、守ってやれなかったのは……完全に、俺達の罪だ。あの時庇って一緒に泥を被っていりゃあ、お前もこんな酷い目に合わずに済んだのにな……)
あんなアクシデントがあった時、ツカサは尾井川達に矛先が向く事を案じて「黙っていろ」と言ってくれた。尾井川には柔道部という大事な部活があり、シベにはそれまでの評価を崩してはならないと言う負い目がある。そしてもう一人の友達であるクーちゃんと呼ばれるハーフの同級生にも、色眼鏡が付いて嫌わねかねなかった。
帰宅部でなんのしがらみも無いツカサ以外は、みな不都合があったのだ。
だから、ツカサは自分達の立場を守るために一人で泥を被ってくれた。
「元はと言えば持って来たのは自分で、失う物は何もないから」と言って。
(あの時……部活を辞めさせられる事も厭わずに間に入っていりゃあ、お前の立場だって、少しくらいマシな位置に有ったのにな……)
後悔しても、もう遅い。
こうして帰って来ても、ツカサの身に何か起こっただろう事は明白なのだから。
「ぐー太……」
小学校の頃からの絆を示す、尾井川だけが呼ぶあだ名。
あの頃からずっと変わらずに、自分達は気の良い友人として付き合ってきた。
それはこれから先もずっと変わらない。何があっても。例えツカサが……重大な病に侵されていたとしても……。
「…………――――」
「……ん? ぐー太……?」
ツカサの体が微かに動いたような気がして、椅子から立ち上がる。
慌てて彼の顔を覗き込むと――――薄らと開き呼吸していた口が、動いた。
本当に微かだが、ゆっくりと緩んで……そうして、瞼が動いた。
「…………」
じっと、その時を待つ。
そのまま声も漏らさずただ見ていると、薄らと目が開いて……その瞳が、こちらを確かに見やった。そうして、再び口が動く
「…………ぃ……ぁ、あ……」
まだ覚醒が浅く、ちゃんと言葉を発する事が出来ないのだ。
だけど、彼は確かに自分を認識した。ちゃんと、解っていたのだ。
「ぐー太……俺が判るな。ちゃんと、見えてるよな?」
「…………ん……」
「よし……。お前の両親を呼んで来るから、そのまま寝るんじゃないぞ」
ナースコールを握りながらそう言うと、ツカサは周囲をゆっくりと見る。
……なんだろう。何故か、いつものツカサではないように思える。
思わず行動を止めてその目の動きを見ていると……ツカサは、顔を歪めて――――急に、泣き出したではないか。
「ぐっ、ぐー太!? どうした、体が痛いのか!?」
慌てて問いかけるが、ツカサはぎこちなく動く首を必死に横に振る。
だが、その涙は止まることなどない。
まるで何かを失った事を深く悲しむように、ツカサは声も無く泣き続けていた。
「…………」
それが、この二週間の間に彼に「何かが起こった」事を如実に示しているかのようで……尾井川は、医者が来るまでずっと黙っている事しか出来なかった。
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