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神域島ピルグリム、最後に望む願いごと編
24.ほんとうのねがい
しおりを挟む「どうしたのさ、なんで先に帰るなんて……っ……ツカサ君……!?」
いやだ、聞きたくない。ブラックの声を聞いちゃいけない。
耳を塞ぐけど、どうしようもなく相手の声が聞こえてしまう。蹲って体を出来るだけ小さくしようとするのに、ブラックの声も気配も足音すらも感じ取ってしまって、気が狂いそうだった。だけど。
「ツカサ君、こっち見て。ツカサ君」
「うっ、あ……や、ら……ぃあら……っ!」
急に腰を掴まれて無理矢理体を持ち上げられる。精一杯身を縮めようとするけど、空中では何をしても無駄で目を閉じる事ぐらいしか出来なかった。
……声が、上手く出せない。掠れて、震えて、言葉になってない。
なのに、ブラックの気配だけ敏感に解ってしまう。
息が濡れた顔に吹きかかってくる。腰を掴む大きな両手が、僅かに動いている。
目を開けた先にブラックの顔がきっとある。そう、感じてしまっていた。
「どうして泣いてるの? あ……もしかしてまた人殺しのこと思い出しちゃった? んもう、気にしなくて良いって言ったのに……ツカサ君たら繊細だなぁ」
違う。そうじゃない。いや、そうかもしれない。でも、今は別なんだ。
目を閉じたままで首を振るけど、ブラックは俺を離してくれない。それどころか、否定し疲れた俺の頬を少しざらついた舌で舐め上げて、眦の涙を吸い始めた。
そんなことしたって、涙は止まらないのに。
今やっている事は傍目から見ればどうかしてる事なのに。
だけどブラックは、俺が目を閉じたままでも吐息で嬉しそうに笑いながら、ずっと俺の涙を舐め続けた。
まるで、俺が泣いている事が嬉しいとでも言うように。
「ぅ……ブラ、ック……」
「今すぐ呑み込まなくて良いんだよ。誰だってはじめては怖いし、だからこそ初体験が強烈なほど記憶に残るんだ。初めての心の揺れを感じたから、強烈に覚えている。それを回避しようとしたり、また体験したがるからみんな考えようとする。だから、いつまで経っても忘れられないんだ。……僕だって、ツカサ君を初めて抱いた時の感動は忘れられないよ……。凄い衝撃だったんだもの。……まぁ、今も初体験の衝撃がずっと続いてるんだけどね」
――ツカサ君と出会ってから、幸せな衝撃ってあるんだって解ったよ。
そう、言ってくれる。
笑ってそう言って、俺を抱き締めて恥ずかしいくらいに触れてくれる。
また泣いてしまいそうになるぐらい、心が痛い。
今の綯い交ぜになった感情が激しく体を酷使して、涙も嗚咽も苦しみも何もかもが止まってくれなかった。だけど、ブラックはそんな俺をまた抱き締めてくれる。
泣いたばかりなのに、今日だけで何度縋ったか解らないのに……心が不安定な俺を、それでもいいんだと肯定して、抱き締めてくれていた。
俺が、お前を最悪の不幸に巻き込むかもしれないのに。
「ツカサ君……僕の前でだけは、たくさん泣いて……。辛かったら、苦しかったら、僕に全部話してよ……。僕が全部受け止めてあげる、ツカサ君をたっくさん愛して、安心させてあげる……だって僕は、君の唯一の伴侶なんだ……。だからね、もっと僕に弱い所みせて、甘えて……? 僕から離れられなくなるくらいに……」
――唇に、なにか触れる。
温かくて少しカサついてる、知っている感覚。ブラックの、唇だ。
今は俺の涙のせいで潤っているのか、滑るように何度も角度を変えて来た。
「んっ……く……っ、んん゛……ん、ぅ……っ」
また、キスで息を奪われる。今日は何度キスしたんだろう。
解らないくらいに触れられて、ただ抱き締められた。
……もう二度と、こうしてブラックに触れられなくなるかもしれない。
ブラックと一緒に居られなくなるかもしれない。
怖くて。どうしようもなく、涙が溢れそうになって……――
気が付けば、ブラックの肩に縋りついていた。
「ツカサ君……嬉しい……」
低くて体に響くぞわぞわした声が、俺の耳元で聞こえる。
でもそれが今までの感覚を呼び起こしてくれる声のようで、俺はブラックの硬くて筋張った首に頬を擦りつけ、必死に相手の肌に触れた。
ただ、そうしたかった。
「っ……ぅ……う、ぅ……」
「いいよ……もっと僕に甘えて良いんだ……。ツカサ君の情けないとこ、今度は僕にたくさん見せてよ……そういうツカサ君も、僕はとっても好きだよ……」
……好き、と、言われる。
それだけでどうしようもなく体が熱くなった。
今考えていた事を放り出して本当に縋りつきたくなるくらい、ブラックの言葉は俺の中に入り込んで、そのたった一言だけで俺をおかしくしてしまう。
それくらい、ブラックは……俺と、ずっと一緒に居てくれた。
どれだけ泣いたって、情けない所を見せたって、ずっと……ずっと、俺の事を好きだと言って……今までも、今だって、俺の全部を好きでいてくれるんだ。
こんな、どうしようもない俺を。
ブラックを破滅させてしまうかも知れない、世界すらも壊してしまうかもしれない――――最悪な、伴侶を。
「ぶ、ら……っ、く……」
「ほら、ツカサ君。目を開けて僕を見て……僕、ツカサ君の目が見たいよ」
肩から離され、目の縁を優しく指で撫でられて、涙を拭われる。
うっすら目が開きそうになった俺に、ブラックは嬉しそうな吐息を漏らした。
「あはっ、その調子! でも最近はさ、ツカサ君の方がよく泣くよね。出会った時とあべこべ。……でもね、僕……本当はそれがちょっと嬉しいんだ」
「っ…………ぅ……」
無意識に声を堪えた俺に、ブラックは笑って言った。
「だって、やっとツカサ君が『僕と恋人なんだ』って、どんどん態度で示してくれるようになったって感じがするからさ。……えへへ。僕、色んな事でツカサ君に甘えてばっかりだけど……今はなんだか、同じで……対等でいいなって思わない?」
「………………」
――――そう、いえば。そうだったな。
ブラックは最初、本当にびいびい泣いてて、コイツマジで俺より年上のオッサンなのかよって思うぐらいで……だけど俺は、そんなブラックが気になってしまって。
だからずっと、一緒に旅をして来た。
いつから好きになってたのかなんて俺にも解らない。本当は最初から、出会った時からこうなる気がしてて……だから、拒めなかったのかも知れない。例え、自分の「男」と言うプライドを捨てて、ブラックのメスに変わる事になっても。
でも、それでも、俺はブラックを選んだ。
元の世界に帰るよりも、ブラックの傍に居たいって思った。だから、決めたんだ。
この人を守りたい。
どうしようもない性格のオッサンだけど、最悪としか言いようがない存在だけど。
でも……隣に、立ちたかった。
アンタの背中に守られるんじゃなくて、泣いてるアンタを守りたかった。
そのだらしない顔で嬉しそうに笑ってくれるなら、何だってしてやりたかった。
人殺しだって、きっと、そうだ。
失いたくない。
幸せに生きて欲しい。
俺が黒曜の使者でもなんでもいい、世界の事なんてどうでもいい。
そう言ってくれた、俺だけを見ていてくれた人だから。
脆くて、いつ壊れてしまうかも判らない、強いのにとても弱い人だから。
だから、もう。だから、俺は……――――
「……――――」
「ツカサ君」
涙で歪む視界で、相手を捉える。
綺麗に輝く緩くウェーブした赤い髪と、宝石みたいな菫色の瞳。だらしない無精髭で、いつも呑気にへらへらと笑っている、笑って俺と一緒に歩いてくれる……――
この世界で
一番、大事なひと
「ツカサ君、可愛い……」
俺を見て、幸せそうに笑ってくれる、それだけで俺も満たされる大事な人。
誰よりも、なによりも大事で、失いたくない。
たとえ自分の世界に帰れなくなっても
自分が死んでしまうとしても
この人を守るために、人を殺してしまうのだと、しても……――
「…………ぁ……あぁ……」
目が、いっぱいに見開いて涙がボロボロと零れる。
最初から見えていたのに、今更ブラックがハッキリと見えたような気がして、俺は声も掠れたままで泣いた。喉が痛くて、目の奥が痛くて、頬が痛くても、泣いた。
解って、しまったから。
自分がどれほど罪深く最低な事を望んでいたのか、もう理解してしまったから。
だけどそれを否定する事は出来なかった。
自分が決めた事を、本当に心の底から望んだ事を知ってしまって、もうそれ以上、他の答えを探すなんて出来なかった。
それは俺が望んだ答えじゃない。俺が本当に望んでいるのは、この答えだ。
悪辣で、最低で、神と名乗る事すら烏滸がましい、最悪の答え。
けれど、俺は……心の底から、それを望んで……選んで、しまった。
大事な人をどれほど思っているか自覚した瞬間に、決まってしまったんだ。
「ぶ……っ、ぶら、っく……」
「ん?」
目を瞬かせて小首をかしげる、おどけた調子のブラック。
それだけで俺を翻弄するどうしようもない相手に、俺は戦慄く口を開いた。
「おれ……帰りたく、ない……アンタと、ずっと……一緒に、いたいよ……」
「ツカサ君……?」
すぐに何か悟ったのか、真剣な色を滲ませて表情を変えて来る。
俺の事なんてなんでも解ってしまう、不思議な恋人。
誰よりも俺を見ていてくれる、大事に思ってくれる。そんな人。
失いたくない。離れたくない。この指輪の約束を捨てたくない……!
「世界、が……滅ぶと、しても……一緒に……いて……っ」
「え……?」
「俺……ブラックと、一緒に、居たいっ……アンタと、一緒に居たい……! 世界がどうなったって、一緒に居たい、神様になんてなりたくない、嫌だ、アンタと一緒が良いよ……っ、ずっと……ひぐっ、ぅ……っく……い゛……いっしょに、ぃだい゛よ゛ぉ……っ!!」
涙があふれて、止まらなくなる。
そんな叫び声だけ上げたらブラックだって困惑するだろう。それは解っているのに、それでも説明出来なくて、冷静になれなくて、もう、耐え切れなくて。
自分の本心からのわがままと、そのわがままに対する自分の理性の失望と、目の前にいる大事な人に訴えかける思いとで、頭がぐちゃぐちゃになる。
言っちゃいけない。それは違うと理性では分かっているのに、ダメだった。
例え世界を救う事が出来るのだとしても、延命できるのだとしても
ブラックの居ない世界に、俺は帰れない。
一番大事な人のいない世界なんて、もう何の意味も無かった。
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