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廃荘ティブル、幸福と地獄の境界線編
20.それはまるで小さな棘のような
しおりを挟む「では、遠慮なく頂く」
あれっ。クロウってこんな牙鋭かったっけ……もしかして、牙も伸縮可能なのか?
でも、獣人も神族と一緒で、獣モードも人間モードもその人の一部って扱いみたいだし、だとしたら全く別の姿に姿を変えられる獣人は、体の細かい調整も利くのかも知れない。良く考えたら毛皮を皮膚に変換するのも顔立ちを人間に変えるのも、凄く難しい事だろうしな……ううむ、獣人って奥深い。
「ツカサ、噛み付きやすいようにどっちか首を曝してくれ」
「あっ、わ、分かった。こう?」
左肩を見せるようにシャツを引っ張って頭を傾けると、クロウは首筋をふんふんと嗅いでくる。何をしているのかと思ったが、どうやら血管がどこにあるのかアタリをつけているらしい。嗅いだだけで分かるもんなのかな。
しっかし、クロウも血で腹が膨れるってのは凄いけど……まさか、その摂取方法が吸血鬼と一緒だとは思わなかった。ガキの頃はあんなん絶対に痛いだろと思って凄く怖かったが、アニメや漫画を沢山見るようになると「噛まれてる人は色々あって痛くないんやで」みたいな説明をよく見かけたから、そんなに怖くなくなったんだっけ。
それに吸血鬼とか現実にはいないしな! まあ、ガキの頃の話だからな!
「……ん? 待てよ……」
「どうした」
「クロウ、もしかして……このまま普通に噛んだら、俺フツーに痛いのでは?」
吸血鬼って、何か蚊みたいに媚薬成分を滲ませたり嗅がせたりしてるから、美女も痛がらずに成すがままになってるって話だったよな。
でも、クロウは獣人だからそんなスキルなんて無いんじゃないか?
だとしたら、首を噛まれると俺は痛みに七転八倒するのでは。
それは嫌だ。ていうか自分から言っといて痛みに泣き喚くなんて格好悪いぞ!
でも麻痺スキルとか俺にはないしな……。やだ。痛いの怖い。
「ふむ……そう言えばそうだったな……。オレ達は基本的に相手と戦闘して斃した時にしか血を呑まないから、すっかり忘れていたぞ」
「げっ、じゃあマジで痛いの? どーしよ……」
「痛くしないですむ方法なら、有るには有るが……あまりやりたくないな」
「え、あんの? なんで?」
あるなら行使するに越したことはないじゃないか。何でダメなんだろう。
不思議で仕方なくてクロウを見上げると、相手は困ったように首をかしげた。
「ツカサには黒曜の使者の持つ『痛みを快楽に変える』力があるだろう。それなら、恐らく平気ではないかと……だが、あまりやりたくない……」
言いながら、クロウはしょぼんと耳を伏せる。
……そっか、アレってクロウにとっては嫌な思い出だもんな。俺の事を無理矢理に引き離そうとして、酷い奴になるためにわざと使った力だし。
それに、どうしてクロウにあの力が使えたのかって所も考えてみると奇妙だ。変な事が起こるかも知れないと思うと、クロウも安心して使えないんだろう。でも、現状痛みに耐える方法がそれしかないんだったら……まあ、俺としては構わんのだが。
だって、アレって今のところブラックとクロウにしか気付かれていない能力だし、それに、俺だって望まなけりゃ使えない機能だと思うしな……。
勝手に体を弄られるのは怖いし嫌だけど、いま目の前にいるのはクロウで、相手は俺の事を気遣ってくれている。だったら、何も心配はいらない。
「……別に、いいよ」
「ツカサ」
顔を上げて心配そうに見つめ返してくる橙色の瞳に、俺は笑ってやった。
「ちょっとの間の事だし……それに、クロウなら適切に使ってくれるだろう? ……無理矢理にされるのはヤだけどさ、断わってくれるなら全然いいから」
「……本当か……?」
しゅーんと伏せていた熊耳が、片方だけちょっと上がる。
相手のご機嫌を伺ってるワンちゃんみたいで、何だか可愛いと思ってしまった。
でもまあ、不安なのはお互い様だ。クロウだって反省してるから怖いんだよな。
これ以上心配しなくても良いようにと思って、俺はクロウの頭をわしわし撫でた。
「心配すんなって! つーか痛いより気持ち良い方が楽だしさ、クロウだって食事で痛がる俺なんて見たくないだろ? だからホラホラ。前みたいに頼むよ!」
「む……ムゥ……ツカサが良いなら……。だが、緩めにするぞ」
「おうっ」
正直な話、気持ち良くなる能力はどうやって発動するのか俺にもよく解らないんだが、まあクロウがやり方を知っていると言うのならそれで良かろう。
再び首を曝してクロウを招き入れる姿勢を見せた俺に、横で待っていたクロウは、少し離れた距離だと言うのに聞こえてしまうくらい大きくゴクリと唾を飲み込むと、俺に恐る恐る近付いてきた。
口からはもう牙がはみ出ていて、耳さえなければ野性的な吸血鬼のようだ。
実際の吸血鬼って、そんなガブーッと噛み付くんじゃなくて、牙で傷をつけて血を啜るだけらしいけど……獣人の場合はどうなんだろうな。
痛みは無いはずだがとドキドキしながら待っていると、近くに来たクロウは体勢を傾けて首に齧りつき易いようにすると、俺の首に近付いてきた。
生暖かい息が、首や頬、項にまで吹きかかってくる。
な、なんか、ドキドキしてきたぞ。
「では、行くぞツカサ」
「う……ん゛ッ……! ――――……ッ!」
何かが皮膚に差し込まれるような、凄まじい異物感と拒否感。
だが、痛みは無い。むしろ、何かが首に入り込んできた瞬間に、体の中を細かくてぞわぞわとした感覚が一気に駆け抜け、俺は思わず緊張してしまった。
でも力を入れると首の異物感がより顕著になってしまい、無意識にシーツを握る。
そんな中、首筋に何かが伝う感触で、血が流れたのだと分かった。
だけど、俺は首にある違和感の元が動く度に体がぞくぞくして仕方がない。
これはもちろん、怖いとかそんな感覚じゃない。確実に、体の中も外も熱くなっている。あまり言いたくないけど……気持ち良くなってるんだと、思う。
痛い事されて気持ち良いだなんて、やっぱり変だよな。おかしいよな。
そうは思うけど、でも、痛いよりはこっちの方が良いって言ったのは俺だし。
だから、我慢するしかなかった。
……でも、正直に言うと……とても、怖い。
なんか、こういう時に「この体は、もう今までの自分の体じゃない」ってはっきり解っちまって……何だか、怖さと同時に強烈な違和感を感じてしまう。
鏡を見てもまったく違いなんて無いのに……中身が違うだなんて、なんか……。
「…………っ」
「うぐっ……どうした、ツカサ」
急に震えが来たのをクロウが感じ取ったのか、浅く刺していた牙を抜く。
だけど今はどうしようもなく人の気配が離れるのが怖くて、俺は思わず傍にあったクロウの手を握ってしまっていた。
「つっ、ツカサ!?」
滅多にない、クロウの驚いた声。
だけどどうしようもなくて、俺はその状態のままでぎゅっと目を閉じた。
「ごっ……ごめん、何でもない……い、いいから、早く啜って」
「だが……」
「これ、は……その……離れて欲しくない……だけ……だから……」
掌に、ごつごつした硬い骨の感触が伝わる。
クロウの手の甲はとても硬くて、俺の父さんよりも大きい。けど、滑らかな肌じゃない。ずっと誰かと戦ってきた、戦う男の手の甲だ。
今はもう、傍にあるのが当たり前になってしまった手だった。
……それが、そのことが……俺には、何故だか凄く安心できることのようで。
「……解った。安心しろツカサ。ずっと近くにいる。一滴も無駄にはしない……」
どこか嬉しそうなクロウの声がして、今まで覆っていた手が簡単に逃れて、今度はこっちの手を覆って来る。そうして、指の股に太い指を捻じ込んで来た。
それだけで、今の俺は……お腹の奥がじりじりとするような、とても微細な快感を感じ取ってしまっていて。
「んっ……」
「ツカサ……あぁ……なんだか、本当に喰う前みたいで興奮するぞ……」
少し体を離した事で俺の首がどういう状態になっているのか確認したのか、クロウはどこかうっとりしたように言う。息が再び近付いて来たが、その息はさっきよりもはぁはぁと忙しなくて、熱くなっているような気がした。
来る。もう、唇が、触れる。思わず体を緊張させたと同時に……柔らかい何かが、血が垂れていた肩口に触れて、ゆっくりと上へ移動し始めた。
「あっ……あ、ぁ……っ」
小さくて掠れた、変な声。気持ち悪い声が出てしまう。
だけど、多分……唇で、その間で小さく動く舌で、肌をなぞられると……どうしても変な声が出てしまう。体が熱くなって、腰から下がおかしくなる。
首筋を辿って、その口が遂に傷へと辿り着くと――――
体の芯を握り締めるかのような強い衝撃が来て、俺は声を上げながら反射的に足をぎゅうっと閉じてしまった。
「っぅああ! んっ、ぅ……うぅ……う……っ!」
「んむ……う、うまいぞ……っ、ツカサ……ツカサ……っ」
ぢゅくぢゅくと音が聞こえる。
耳の下で恥ずかしい音がしてて、ざらついた舌が首を舐めてる。
濡れるたびに熱くなっていく体が恥ずかしくて、痛くてもう何も出したくないはずのソコはじんじんして来て、何度も何度も舌で首筋を舐め上げられると、お腹の奥が酷く疼いて仕方がなかった。
なにより、クロウの声が。興奮してる声が、耳に入ると体が震えて。
「ハァッ、ハァ……ハッ……ッ、ツカサ……お前は、本当にどこもかしこも美味い……これでは本当に喰ってしまいそうだぞ……っ」
「ひ、ぅ……ッ、うぅう……っあ、ぅ……ぅあぁあ……ッ!」
だめ。痛いのに、勃起するだけでも痛いはずなのに、体が言う事を聞かなくなる。
足の間で必死に抑え込もうとしても、それすら気持ちが良くて、痛いはずなのに、俺はどうしてこんな、こんなの……っ。
「もっ……も、だめ……くろぉっ、だめ、ぇ……!」
このままだと、変になる。痛いので気持ち良くなって、壊れる。
首だけだと思ってたのに、このままだと……っ。
「っ……! すっ、すまんツカサ!」
「うぇ……っ」
変な声が出る。同時にずるっと音が聞こえて、ようやく俺は自分が涙ぐんでいたのだと気付いた。だけど、こんな事で泣くなんて恥ずかしい。どうかしてる。
ただ気持ち良くなってただけなのに、泣くなんて……自分が恥ずかしい……。
でも、そんな俺の涙を勘違いしてしまったのか、クロウは慌てながら俺の顔を覗きこんできた。口には少し血が付いているが、耳は相変わらず垂れている。
俺の手を握ってくれていたクロウの手は汗ばんでいるが、今は握っている力も緩く頼りない感じになってしまっていた。
あ、ああ、違う。違うんだよ。これは、そうじゃなくて……。
「ご、ごめ、ん……。クロウのせいじゃ、ないから……」
「だが……今のはオレがうっかりハメを外しすぎたせいでは……」
ああ、そうか、クロウは俺の能力を強め過ぎたと思ってるんだ。
違うよ、そうじゃない。アンタは謝らなくて良いんだ。
何度か深呼吸して、やっと体の中の熱が治まり始めたのに安堵し、俺は目の前でしょげているクロウの頭を空いた方の手で撫でてやった。
「ほら、その……俺、今、その……ちんちんが痛いはずだったから、思ったより強い感覚でビックリして、抑えるのに必死になっちゃってさ」
「……ぬ……っ! そ、そうだ……ツカサはもう精液がちょっとも出ないから、血液にしたのに……これでは本末転倒ではないか!! すまんツカサ……ッ」
「ああもう泣きそうな顔をすんなって! 良いから、大丈夫だから!」
途中で「弱めてくれ」と言わなかった俺も悪かったんだと謝ると、クロウはまるで叱られた犬のように目を潤ませながら、伏せた耳をぶるぶると震わせて俺を見る。
その姿と言ったら、本当にもうオッサンとは思えないほどで。
だけど何だか、そのお蔭で……俺は、一気に力が抜けて笑ってしまった。
「ツカサ……」
「大丈夫だから。……今日のは、ちょっと失敗。でも、またこんな時が来るかも判らないからな。次ちゃんと出来るようにしようって事で……な!」
「グゥ……ツカサぁ……」
懐くように俺の胸元にすり寄って来て、体をぎゅっと抱きしめて来る。
……うむ、今度はビリビリしないな。良かった。
でも……俺って本当に……普通の体じゃなくなっちまったんだな……。
今までは考える暇も無かったから考えないようにしてたけど……そうなんだよな。
俺は死なない。いや、死ねない。何度殺されても塵になっても再生される。
死ぬほどの怪我したとしても体は必ず完治し、一つも欠けることは無い。
時には痛みすらも快楽に感じられるようになる。
だけど、俺は七人のグリモアの誰か一人でも望めば簡単に死ぬし、グリモア達の“真名の支配”には背く事が出来ない。支配されている間は意識すらない。
簡単に操られるし、俺が拒否したとしても……痛みを快楽に変えられてしまう。
……普通の人間は、痛みを快楽に変換する事なんて出来ない。
痛かったら泣き喚く。辛いと思う、逃げたいと思う。
切られれば死ぬし、二度と蘇る事は無い。
なのに俺は。
「…………」
………………。
俺って……本当に……おれ、なのかな。
こんなに体を作り変えられて、普通の人間じゃない化け物にさせられて、それすら自分で気付く事が出来なかったなんて、おかしいんじゃないのか。
この手はちゃんと自分の物なのかな。足は本当に動いてるのかな。
鏡に映る俺は、鏡を見ている俺の目は……本当に、正常なのか。
俺は、ほんとうに――――
潜祇 司なのかな……?
「……………………」
「ツカサ……?」
クロウ。
あ、ああ。そうだ。いけない。駄目だ。クロウに心配をかける。こんな事をこんな時に深く考えてちゃ駄目だ。クロウまで不安にさせてしまう。
「なんでもないよ。それより、お腹いっぱいになったか?」
「ム……? う、うむ……」
「そっか……良かった! じゃあ……ブラックが帰って来る前に掃除してさ、昼メシでも作ろうぜ。ここでのんびりしてたら、まーたネチネチ言われるからさ!」
元気に取り繕って、クロウの頭をぽんぽんと撫でる。
だけど、クロウはいつまで経っても心配そうな顔しかしない。
……バレてる、のかな……。
いや、そんな事は無いはず。そう思うからバレるんだ。俺は元気だぞ。
クロウをこれ以上不安にさせないためにも、いつも通りで居なければ。
それに……こんな事ずっと考えてたら、ブラックにもバレちまうしな。アイツに勘付かれたら何でも言わされちまうから、絶対帰って来るまでに忘れなきゃ。
こんな事、考えたってどうしようもないんだ。
俺は俺でしかないし、それ以上に証明する術は無い。
この世界に来た時点で俺は変わってしまった。そう思うしかないんだ。
だけど……もし、俺の世界に帰る事が出来たら……俺は、元に戻れるのかな。
この体のままだったとしても、自分自身の体だって思えるんだろうか。
もう考えても仕方のない事のはずなのに、沸き上がってきた疑問は延々と俺の頭の中に残り続けて、小さな棘のように突き刺さってしまっていた。
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