異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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最果村ベルカシェット、永遠の絆を紡ぐ物編

45.信じられる物が一つあれば

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「レッド……!」

 ブラックに右の手首をつかまれながら手を伸ばす。
 目をらせば、俺の体にもブラックがまとっている物と同じ薄緑色の透けた光がうっすらとまとわりついていた。これは、障壁。いわゆるバリアだ。

 前にブラックは「自分から約数センチ程度の膜のようなバリアしか張れない」と言っていたが、今更こんなものを使うとは思わなかった。
 ブラックの説明では、戦闘に使うとなるとただの緩急材程度にしかならないので、全くもって役に立たない術なんだそうだが、こんな風に生身では触れる事の出来ない物に近付く時だけは、そこそこ使えるのだそうだ。

 ただ、他人もその恩恵に預かるには、こうして今俺達がやっているように体をくっつけあうしかない訳で、そのせいか今までは宝の持ち腐れだったと言う。
 けれど今は違う。
 こうして火の中に手を突っ込むような時なら、充分に活躍できるのだ。

 そもそも、ブラックは膨大な力を有している。発動範囲に難はあるが、その火力と制御は確実に達人の域だろう。なんたって、ブラックは曜術師の等級の中でも恐らくS級相当と思われる、一級の更に上である“限定解除”と呼ばれる等級なんだ。
 俺よりも力を使いこなしているだろうことは容易に知れた。

 だから、大丈夫。例えグリモアの炎だって、ブラックなら退しりぞけられる。
 俺は迷うことなく炎の中に入ろうと、螺旋らせん状に吹き上がった炎に手を触れた。

「っ……」

 じり、と音が鳴る。熱いが、痛みなどは無い。やっぱりブラックは凄いよ。
 これなら中のレッドを助けられるかも知れない。

 俺はごくりとつばを飲み込んで、炎の中に手を入れようと手に力を込めた。
 じゅうっと何かが焼ける音がする。けれど、まだやれる。一気に腕を押し込もうと力を籠めようとするが。

「うわっ!?」
「ツカサ君危ないっ!」

 俺の動きに反応したのか、炎がいきなり俺を飲み込もうとこちらに突き出て来た。
 だがすんでの所でブラックが後ろに退いてくれて、事なきを得る。しかし、あの炎が俺達を攻撃するとなると……一体、どうすりゃいいんだ。

「ブラック、あの炎に包まれても耐えられるか?」
「う、うーん……五分五分かな……。障壁術自体ほとんど使った事が無かったから、グリモアの炎に包まれて耐え切れるかは未知数かも……」
「力が足りない?」
「どうだろ……でも、出力を上がれば、もしかしたら……」
「じゃあ、俺から曜気奪って!」

 どれだけ奪っても良い。あせりながらそう言うと、ブラックは何故か不機嫌そうな顔をしたが……事の重大さは解っているのか、コクリと頷いて再び俺の体に圧し掛かるようにして背後から俺を包んだ。

「くそっ……終わったら死ぬほどキスして貰うからね!!」

 レッドを助けると言うのが余程嫌なのか、ブラックは毒づきながら俺を抱え込む。
 すると、体の奥の熱が急激に吸い取られるような感覚が有って、俺は瞠目どうもくした。やっぱり、俺自身が術を使えなくても、ブラックには曜気を与えられるのか。
 今更驚いたが、しかしそんな俺を余所にブラックはどんどん俺を通して曜気を吸い上げて行く。その衝撃が体をビリビリさせて、俺は思わずひざを付きそうになった。

 体が、熱い。熱波によるものではない熱さが、曜気を吸い取られるたびに込み上げて来て、体が今は感じたくなかった嫌な感覚に痺れた。
 部屋が赤々と燃えているのに、背中がゾクゾクする。体が、震えてしまう。
 それが黒曜の使者の「防衛機能」だと解っていても、俺は自分の体が勝手に昂ぶってしまうのが許せなくて、必死に歯を噛みこらえるしかなかった。

「う……うっ、ぅ……っ!」
「はっ……ツカサ君……ほんと、君って凄いや……」

 馬鹿、ばかばかばか、変な声出すんじゃないってば。耳元で感じ入ったような低い声なんて出すな、ぞわぞわするだろうが!
 霞みそうになる目の前で、金の光と赤い光が糸のように折り重なって背後へ流れて行く。その間にも目の前の炎の柱は上へと広がって行き、とうとう天井すべてを覆うほどの炎になってしまった。

 もうヤバい、これじゃいつこの部屋が崩壊してもおかしくない。
 そうなると次に終わるのはこの村だ。
 霧の向こう側まで炎が達するのかは判らないけど、こんな凄まじい勢いで炎が燃え続けたら、他の家にも燃え移って大惨事になるだろう。そんなのレッドだって望んでいないはずだ。

「ブラッ、ク、まだ……っ?!」
「んん……もうちょっと…………っ、と、そんな事言ってられないねこりゃ」

 天井を多い上から俺達を熱してくる炎に気付いたのか、ブラックは顔を上げる。
 この状態になると流石さすがに余裕ぶって居られなくなったのか、ブラックは真剣な表情で少し考えて、俺の顔をじっと見た。

「このままだと危ないね。下手すると、この部屋自体が崩壊しかねない」
「う……やっぱり……?」
「………。ねえツカサ君、正直やりたくないんだけど……今貰った曜気で、僕がなんとか炎の侵攻を抑えるから……一人であのクソガキのこと、どうにか出来る?」

 思っても見ない言葉に目を瞬かせると、ブラックは不機嫌そうに目を細めた。

「アイツの為に使うってのは凄く不本意だし、まだ僕も効果が出るのか不安なんだけど……これ、持ってるよね」
「……?」

 目の前に出されたのは、右腕の指に収められている……指輪、だ。
 宝石違いだけどそれと同じ物をズボンのポケットに入れている俺は、小さく頷いて指輪を取り出した。俺の指にはだいぶ大きい、綺麗な菫色すみれいろの宝石がはまった指輪を。
 その所在を見て、ブラックは満足げに頷くと続けた。

「その指輪にはね、今の僕が使える全ての術を使って、大事な“ツカサ君を守る術”が掛けてあるんだ。もし離れ離れになっても、ツカサ君を守れるようにってね」
「あっ、じゃあ、レッドに襲われた時にレッドが勝手に吹っ飛んだのも……」
「……そう言う事があったの……?」

 や、やべえ、ブラックの顔がまた怒っているように歪んだ。
 今その話題はヤバい。俺は慌てて話題を消すように手を振った。

「あっ、み、未遂! 二回とも未遂だったからな!? とにかく、アレもブラックの指輪が守ってくれてたんだな……! ありがとう!」

 素直に礼を言うと、ブラックの不機嫌に曲がった口の端がちょっと緩んだ。
 そうだよな、自分が作った物がちゃんと機能したら嬉しいよな。

「んんっ……ま、まあ、僕がツカサ君の為に作った指輪だからね……。とにかく、この指輪にはツカサ君を守る術が掛けてあるんだよ。例えば、ツカサ君に害をなす物を弾くような術を掛けてるんだ。……だから……」

 なるほど、言いたい事が分かったぞ。
 つまり、ブラックが炎を抑えている間に俺が指輪の力で炎の檻を破って、レッドを引き摺りだせって言いたいんだな。確かにそれが一番いいかも知れない。

 こうなったら、もう迷っている時間は無いんだ。
 俺は指輪を握り締めるとブラックに宣言した。

「分かった、俺一人でやってみる!」
「えっ、そ、そんな簡単に……。もう二回も弾いちゃってるし、効果が弱まってるかも知れないよ?! それに、僕の術が完全かどうかも解らないし……」

 決断すると急に慌て始めたブラックに、何だか笑いが込み上げてくる。
 面白い、とかそう言うんじゃなくて、不思議な感覚の笑みだ。
 不思議と、さっきまで波立っていた心は収まっていた。

「大丈夫。アンタが作った指輪なんだから、絶対に俺を守ってくれるって。だから、ブラックは炎の方を頼む。もし俺が失敗しても、アンタが炎を抑えてくれていたら、きっとなんとかなるから。……なっ」

 ブラックに、指輪を握った手を差し出す。
 すると、不安顔だった相手は少し口をすぼめたようだったが……ゆっくり頷いた。

「……でも、無茶は駄目だよ……? あのクソガキのせいでツカサ君が大火傷を負うなんて、僕は絶対やだからね!!」

 まったく、こんな状況だってのにむすっとしたり大声を上げたり忙しい。
 でも、そのいつもの態度と変わらないブラックを見ているだけで、俺は不思議と炎に立ち向かう事も怖くなくなったような気がした。
 ブラックがブラックでいてくれるから、俺も俺でいられるんだ。

「……じゃあ、頼むな!」

 きびすを返して、俺は再び炎の柱を見つめる。
 もう炎は恐ろしい程の音を立てて壁にまで下りようとしている。
 一刻の猶予ゆうよも無い。俺は指輪を握り締めて炎に駆け出した。

「っ……!」

 本当に、凄まじい熱だ。
 けれどひるまずに進んで、再び炎の柱に挑む。ブラックの補助がない状態で炎に手を伸ばすなんて恐ろしい事だったけど、今は怖くなかった。
 ブラックの指輪が守ってくれていたってちゃんと分かったから。

「頼むぞ……っ」

 指輪を握り締めた拳を引いて、それから――――

「どりゃぁっ!!」

 思いっきり、殴りつけた。刹那。
 握り締めた拳の周囲の炎が円形に避けて、瞬間、凄まじい暴風と共に周囲に飛び散った。膨大な熱と、火の粉を伴って。

「――――っ!!」

 皮膚ひふが焼けるような熱に思わず目をつぶって顔をそむける。
 だが暴風は衰えない。俺の拳を中心にして、風は炎をえぐり続けていた。
 これがブラックがくれた指輪の力なのだ。けれど、ブラックは残り回数に不安を持っていた。もしかしたら、この力は定期的に曜気なんかをチャージしなければいけないのかも知れない。だったら、早く進めなければ。

 俺は腕で顔をガードしながら、柱に一歩踏み込んだ。
 風が俺を守り、炎の柱を風で削って行く。本当に不思議な光景だが、それと同時に炎の柱の厚みが凄まじい物だと解ってしまい、俺はつばを飲み込んだ。

 この状態で一気に爆発すれば、どれほどの規模になるのか。
 まるで、時限爆弾のようだ。いつ弾けてしまうかと考えたら、それだけで心が萎みそうだった。けれど、だからって逃げる訳には行かないんだ。
 ブラックも今必死で炎を食い止めてくれているはずだ。俺がやらなければ。

 一歩一歩確実に踏み込み、遂に炎の壁に体をうずめる。
 少しだけ指輪の出力が不安定になったような気がしたが、立ち止まっている事も出来ずに俺は覚悟を忌めてそのまま突入した。

「う、わ……っ」

 目の前で、炎が水のように流動して上へと流れて行く。
 これほどまでに膨大な炎が一体どこから湧いていると言うのだろうか。耳に轟々と聞こえる燃え盛る音に少し背筋が寒くなりながらも、俺は足を速めた。
 レッドは遠くない。すぐ近くにいるはずだ。
 だが、どうしてこれほどまでに遠いと思えるのだろうか。

 焦ってはいけない。分かっているが、集中力が切れそうになる。
 手に握った指輪は熱く、汗ばんだ肌に微かな振動を伝えていた。
 この振動が無くなってしまったら、術も消えてしまうのだろうか。それだけは避けなければ。流石の俺も、グリモアの炎に焼かれたらどうなるか解らない。
 相手に殺意が有れば、死んでしまう可能性もあるのだから。

「レッド……っ」

 まだ炎の中心にいるのだろうか。
 見たくない物を認められず、自ら炎に焼かれて。

 もし、炎に苦しんでいるのなら、どうにかして救わなければ。
 レッドが心を壊してグリモアの力に負けてしまえば、この村の全てが消えてしまうかも知れないのだから。

 歩いて、着実に進んで、拳を突き出す。
 炎の柱の中心に必ず辿りつけると信じて。
 ブラックの指輪が守ってくれるから、何も怖くなかった。

 ……と。

「あっ……!」

 唐突に、拳が炎を突き抜ける。
 やっと終わった。この熱い炎の柱の内部を抜けて中心に辿り着いたのだ。
 そこにレッドがいる。矢も楯も止まらず、俺は一気に炎を抜けた。

「レッド!」

 駆け抜けた拍子に、体が傾ぐ。
 思わず地面に転がってしまうが、そこは確かに只の地面だった。
 レッドの周囲だけは炎が避けているらしく、中は拍子抜けするぐらい平和だった。まるで台風の目だ。しかし、だからと言ってここが安全と言う訳でもないだろう。俺は痛みに顔を歪めながら、体を起こした。

「ッ、ててて……。レッド……!」

 痛みをこらえつつ、すぐに立ち上がって中心にいるレッドを見やる。
 だが、相手は頭を抱えて俯いたまま、動こうともしなかった。

 完全に自分の殻に入ってしまっている。誰の言葉も聞かずに、自分の心の中のつらい出来事をずっとグルグル考え続けているんだ。
 そんな事をしたって救われない。膨大な時間を一人で悩む事になるのに。
 でも、気持ちは分かるだけに俺はそれを責める事は出来なかった。

 ……だって俺も、ショックを受けて悩み続けた事があるから。

 俺は、レッドやブラック達みたいに凄惨な過去を持っている訳じゃない。だけど、何かに悩んで道が見えなくなるという事は、誰にだってあり得るだろう。
 心を弱くしてしまうほどの事を知ってしまったなら、そうそう立ち直れない。

 それを一人で悩む事になれば、どうすれば良いのか解らなくなるのも当然だ。
 レッドは今まさに、一人で打ちのめされている状態なんだ。

 ……俺にとっては嫌いな奴だけど、俺を自分好みにしようとして記憶を奪うくらい嫌な奴だけど……でも、記憶を失った時に接してきたレッドは……俺の中でいつまでも残っていて、放っては置けなくなってしまっていた。
 最低な奴だけど、理不尽な奴だけど……見殺しになんて、出来ない。

「レッド、目ぇ覚ませって。レッドってば!」

 ごうごうと凄まじい音を立てて周囲を固める炎の壁は、徐々に温度を上げている。
 このままだとここにも炎が漏れ出してくるかもしれない。
 俺は起き上がり、半ば四つん這いのようになりながらレッドに近付いた。

 やはりこちらに気付きもしない。
 手で背中に触れてみたが、まったく気付く気配は無かった。
 思考に入り込んでしまっているのか、それとも、グリモアの力で話し掛けられないようにされてしまっているのか……何にせよ、このままではいけない。

 俺は何とかレッドの意識をこちらに向けようと思い、頭を抱える腕を取って、子供のように強く引っ張って体勢を変えようとした。
 だけど、レッドは思った以上に動かない。その状態がとても異質なものに思えて、思わず離れてしまいそうになったが、それでは駄目だ。
 なんとしてでも、目を覚まさせないと……!

「レッド!」

 もう一度強く名を呼んで、今度は指輪を握ったままの手を近付ける。
 案の定「じゅうっ」という嫌な音が鳴ったが、俺は構わずにそのまま手を伸ばし、レッドの頭を拳で思いっきり押し出した。

「っ……っ!」

 やっとレッドの体が傾ぐ。だがそれだけでは駄目だと俺は相手を揺さぶり続けた。
 正気に戻ってくれなければ、この炎を止められない。この爆弾をどうにか出来るのは、レッドしかいないのだ。何としてでも、まともになって貰わなければ。
 俺は一層気合を入れると、段々と緩び押すたびに揺らいできたレッドの体を――――思いっきり、突き飛ばすようにして押した。

 途端、レッドの体が急に呪縛から解けたかのように、その場に倒れた。

「え……?」

 な、なんで急に。今まで全然動かなかったのに、何が起こったんだ?
 思わず硬直してしまったが、すぐに頭を振ってレッドに近付いた。

「おっ、おい!」

 大丈夫かと言いつつ顔を覗き込むと、レッドは一度大きく震え、目だけを動かす。

「う……ぁ……?」

 良かった、正気みたいだ。
 だけど、何が起こっているかは分からないらしい。おい、それじゃ困るぞ。アンタのせいで今とんでもない事になってるってのに。解らないなら、説明するまでだ。
 俺はレッドが起き上がるのを手伝って、相手を真正面に見据みすえた。












 
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