異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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最果村ベルカシェット、永遠の絆を紡ぐ物編

38.気付きを与えるのは1

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「はっ、はぁっ、はぁ……っ!」

 必死で空気を吸い込みながら、廊下を逃げる。
 自分では走っているつもりなのに、足が上手く動かなくて全然速度が上がらない。

 それが怖くて、レッドに追いつかれるんじゃないかと思うとどうしようもなく背中が寒くなる。でも後ろを振り返る事すら出来ない。
 必死に体を引き摺って、なんとか階段まで辿たどり着こうとすると、背後からガタッと音がして床が大仰にきしんだ。

「ツカサ……ッ」
「……っ!」

 レッドが、追って来た。

 確信して、やっと階段の手すりに手が届く。
 半ば腕の力だけでそこから階段に滑り込もうとすると、背後からレッドが怒鳴り声のような鋭い声音をこちらにぶつけてきた。

「待てツカサァ!!」

 その鋭い声が怖くて、ひざから崩れそうになる。だが今捕まってしまえば終わりだ。
 さっきのよく解らない奇跡が再び起こってくれるとは限らない。それよりもレッドから逃げて、早く距離を置かないと。まだ相手が動けない内に、早く。

 そう思い、一段目に足を降ろそうとすると。

「我が名、レッド……――」

 何故か唐突に俺に向かって名乗りを上げようとしたレッドが、その次に何か言葉を紡ごうとした瞬間。また何かが割れるような音がして、遠くからうめき声が聞こえた。

「うっ……ッ!」

 だが俺も急に体に痛みが走って、その場でうずくまる。
 何が起こっているのか自分でも解らず、目が痛くて思わず両手で覆った。
 だけど、立ち止まる訳には行かない。レッドが再び動き出さない内にと思い、痛みを堪えながら、俺は段に尻を付きながら慎重に階段を降りた。

「なっ……何故だ……何が起こっている……!?」

 一段ずつ降りる最中に、苦しげなレッドの声が聞こえる。
 信じられないとでも言いたげな言葉に足が止まりそうになったが、その思いを振り切って、俺はどうにか一階に辿り着く事が出来た。

「はぁっ、は……」

 もう何分も経ったような気がする。だけど、きっと十分も経っていない。
 レッドが呻いたのは数秒前だ。充分に追って来られる。逃げなきゃ。
 まだ少ししびれていたが、足は動く。さっきより調子が良い。それどころか、さっきの目を覆うような痛みが起きてからむしろ体が軽いかも知れない。
 何故そう思うのか解らなかったが、俺は何とか立ち上がり玄関に急いだ。

 こうなってしまっては、もうここには居られない。
 まさかこんな風に出て行く事になるとは思わなかったけど、仕方ない。
 俺は失敗した。いや、いつかはこうなるって解ってた。覚悟をしていなかった俺が悪いんだ。感傷に浸る暇があるなら、今は自分の安全を確保しなければ。

 だけど、どこへ行こう。
 ブラックの所に行って良いものだろうか。それこそ危険じゃないのか。
 片腕のないブラックは、レッドに勝てるのか。逃げ切れるのか?

 考えながら、玄関へと走る。
 だけどそんな自分の弱気な考えに、真っ向から反論する自分も居て。

 ――ブラックは、俺が今まで見て来た誰よりも強い男だ。俺を守ってくれる、絶対に見つけてくれる奴なんだ。そんなアイツが負ける訳がない。
 自分の大事な人だと思うのなら、信じないでどうするんだ。

 ……そう思って、万が一の心配をしてしまうもう一人の俺を叱咤しったする。
 だけど、どちらが正しいのか、解らない。

 ブラックを頼りたい。危険に曝したくないから頼ってはいけない。
 ドアノブをひねるけど、その迷いが俺の思考を狂わせるのか、どちらに回したら開くのかすらも認識できなくて、再び焦りと恐怖が湧きあがってくる。

 もう時間が無い。決めなければ。開けなければ。
 逃げなきゃ、安全な場所に逃げなきゃ。でもどこに、誰の所に、誰と逃げる、自分一人で逃げるのか?

「つ、かさ……!」
「あ……あっ……あ、ぁ、あ……!」

 逃げなきゃ、嫌だ、逃げなきゃ、逃げなきゃ逃げなきゃ……!

 そう思うのに、手を動かしてもドアが開かない。
 ドアノブの音がガチャガチャと耳を叩く。うるさい、何で開かないんだ。どうして。
 開け、開け……!!

「何をした……そんなに俺から逃げたいのか……!!」

 鬼みたいな、低くて怖い声が近付いて来る。
 手が震えてどうしようもなくて、もうどうなったって良いとドアに体当たりをすると

「ッ……!!」

 どん、と音がして俺は投げ出されるようにドアの向こう側に転げ落ちた。

「っ、ぐ……ッ」

 一気に寒くなって、風が体の周りを通り抜けて行く。
 外だ。外に出たんだ。

「ツカサ!!」
「ぅっ、あ……!」

 また強い声で呼ばれて、反射的に体が起き上がる。
 とにかく逃げなければと地面を踏みしめ、俺はよろめき重心を左右に揺らしながらも、不格好に走り出した。
 何度も体にダメージを受けているせいか、体が揺れて視界がふらつく。
 でも、走れるだけマシだ。

 肺を冷やす息を思いきり吸い込むと、俺はとにかく森の方へ走った。
 誰も居ない街の薄暗い道を走って、レッドから逃れようと。

「待て……ッ」

 背後の声が、再び遠く離れて行く。まだレッドも何かの衝撃から立ち直っていないんだ。なら出来るだけ距離を稼ごう。レッドが俺を見失うまで、走るしかない。
 だけど、月明かりに照らされているとは言えども、古い煉瓦れんがの道は所々が欠けたり陥没かんぼつしていて俺みたいな運動音痴にはとても走り辛い。

 何度もつまづきそうになりながら、俺は転ばないように必死に走った。
 だけど、人気ひとけのない空間と言うのは、逃げる者にとっては嫌な空間でしかない。

 自分が地面を蹴る音や相手が追い駆けて来る足音すらも響くほどに、空気は澄んでいる。そのせいで、この場所には俺とレッドしか居ないのだと理解してしまい、更に恐ろしさが増してくるのだ。

 薄暗い、誰も居ない街。追いかけてくる足音。冷たい空気と、思うように動かない自分の足。まるで、悪夢の中のようで泣きたくなってくる。

 叫びたくても怖くて声が出なくて、必死で逃げているのに景色が動くのが遅い。
 こんな悪夢何度も見た事が有る。だけど、今ほどこれが夢だったら良かったのにと思った事は無かった。

 追いかけられる悪夢は、いつも終わる前に目が覚めていた。
 だけどこの現実は都合よく覚める事は無い。
 捕まってしまえば、俺は壊されるか、最悪殺される。
 だがそれが終わりではない。

 俺が「黒曜の使者」で有る限り、意識を手放そうが再び「元の俺」に立ち戻り……永遠に終わらない悪夢を味わうことになるのだ。

「ぃ……いや、だ……っ、それだけは……嫌だ……ッ!!」

 ここで捕まってしまえば、もう戻れない。
 ブラックに、二度と会えなくなるかもしれない。支配されて、今度こそ自分が誰であるかすらも解らないようにされて、死ぬまで好きにされるかもしれない。
 どのみち、人間である俺は死ぬ。

 嫌だ。そんなの嫌だよ。
 ブラックだけじゃない。俺の可愛い相棒達や、クロウやシアンさん達にもう二度と会えずに自分が自分でなくなってしまうなんて、もう嫌だ。
 もう二度と、消えたくなんてなかった。

「っ……く……ブラ、ック……」

 助けを求めるように、名前を呼ぶ。
 一度二度と、何か解らない力が働いた。もしそれが……ブラックが俺の為に作ってくれた指輪のおかげだというのなら、俺はブラックに会いたかった。

 迷惑をかけるかも知れない。ブラックにまた危険がおよぶかもしれない。
 だけど、それでも……もう、離れるのは嫌だった。

「はぁっ、は……はぁっ、はぁっ、はぁ……ッ!」

 呼吸が苦しい。どうしようもなく辛くて、立ち止まってしまいそうになる。
 だけどそれでもレッドを近付けさせないまま村を抜けて、森を目指す。そうなると、背後のレッドもあせって来たのか、足音が近付いてきた。

 相手と俺の歩幅はあまりにも違い過ぎる。
 このままだと追いつかれるんだ、ペースを上げないと。そう思っても、俺の体力がレッドに劣っている事は覆せない事実で。
 俺はもう、足が縺れそうになってしまっていた。

 だけど、まだブラックには遠い。まだ走れ。走らないと。
 村と森の間の草原を、駆け抜けようと一生懸命に足を動かす。だが。

「ツカサ……っ!!」

 必死な声が、すぐ後ろで聞こえる。
 何かが近付いてきた気配がする。

 もう、駄目なのか。
 そう思った。と、同時。

「――――――ッ!」

 目の前から、赤々と燃える何かが迫って来たと思った瞬間。

 俺のすぐ横を凄い速度で通り過ぎて、すぐ背後で爆発した。

「っ!?」

 何が起こったのかと思わず立ち止まる。
 だが、そんな場合ではないと走り出して――――俺は、真正面に見える暗がりの森から、何かがやってくるのを見た。
 それが「なにか」なんて、もう、間違えようも無くて。

「ツカサ君!!」

 その声を聴いた瞬間、俺は体の力が一気に抜けるのを感じた。














 
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