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最果村ベルカシェット、永遠の絆を紡ぐ物編
対峙2
しおりを挟むこの世界では、例えどんな場所であろうとも、太陽は昇り月が照らす。
悪徳の街ですら、その恩恵の枠に漏れなかった。
(月夜だと行動しにくいんだが……まあ、仕方ないか)
昼間と同じように壁を見上げて、ブラックはそう考える。
相変わらず周囲に人の気配は無く、街は闇に沈み水琅石の街灯だけが等間隔に道を照らしていた。悪党にとっては夜が一番の稼ぎ時だろうに、この飾り立てた地区だけはそうではないらしい。悪党という枠の中にすら階級が有るのかと思い、ブラックは重い息を吐いた。
(まあ、人がいないに越した事は無いんだけどね……)
だが、侵入するにあたって警戒を怠る事は出来ない。
夜闇に紛れる事が出来ると言えど、気を抜いてはならないのだ。どうかすれば、昼より難しいかも知れない。気を抜くのは危険だった。
いや、むしろ、動きにくい方が今の自分にとっては好都合なのかも知れない。
今の自分は、冷静ではない。ふとすれば剣を抜いてしまいそうになるほどに、醜い衝動を溜めこんでいた。もし直球で相手の所に行っていいというのなら、間違いなく剣を取って駆けだしていただろう。
そんなふうに、無策な愚か者と同等の行動をしてしまいかねない。
だからこそ、冷静にならざるを得ないこの状況に自分を追い込んだのだ。
……昼間からずっと憤りが収まらないと言うのも、情けない話だが。
「ビィ」
そんなブラックを呼ぶように、マントの中から子蜂が顔をのぞかせる。
「大丈夫か」というような鳴き声だったが、その声には答えずブラックは手で子蜂の顔を覆ってぎゅっとカバンの中に押し込んだ。
「良いからお前はツカサ君のバッグの中で寝てろ」
「ビ~……」
不満げな声だったが、大人しくカバンの中に納まったようだ。
そう言う所もツカサに似ているが、これが「主に似る」という事なのだろうか。
願わくば不意に飛び出て来ないでほしいものだがと思いつつ、ブラックは軽く一歩二歩壁から足を遠のかせた。
(よし……)
そうして、そこから地面を爪先で叩くように駆けだすと、小さな距離でもう一度地を蹴って、軽々とその場で飛び上がった。
(やっぱり気の付加術が有るのとないのとでは大違いだな……)
今は『ラピッド』を重ね掛けしているため、助走が無くとも高く飛べる。
だが、術が使えなければもっと助走が必要だっただろう。もしくは、空中にもう一段足場が必要だったかもしれない。こういう時に、術の有用性が解る。
月の光を浴びながら軽々と防護柵まで飛び越えて、ブラックは影を作っている木の陰に飛び込み、一旦姿勢を低くして周囲を窺った。
高く飛んだのは、見張りがいないかどうか探るためだ。
しかし、この家はよほど気が緩んでいるのか中庭を見張る目も無く、どうやら奴隷達を捕えているらしい施設にもそれらしい物は居ないようだった。
(…………本当に、どういう所なんだ? この屋敷は……)
普通、奴隷商人とは、これでもかと言うほどに人を雇うものだ。それは、己が取り扱う商品が「生きて動く」からであり、それが簡単に逃げる可能性があるからだ。
どんな風に捕えていようとも、奴隷の質が上がれば上がるほど逃げる可能性は高くなるし、誰かに奪われる可能性もぐんと上がる。
相手に足が付いている以上、脱走しないとは言い切れないのだ。
だから、奴隷商人は屈強な兵を雇い、警戒も怠らない。普通なら、中庭にも傭兵が居て当たり前なのだ。なのに、ここには誰の気配も無い。
(両方の建物から人の気配はするが……それだけだな……)
一応『索敵』で確認したが、やはりこちらに誰かが気付いた様子はない。
それでも足音を立てないように気配を殺し、ブラックは館へ近づいた。そうして、火を落としている厨房の勝手口から難なく館に入り、堂々と廊下のど真ん中を歩く。
……普通なら、こんなに簡単ではないのだが。
(お蔭で、もう執務室っぽい所に着いちゃったよ)
灯りが点いている部屋は事前に確認したが、部屋の大きさや洋館の構造から考えると、ここが執務室であるとしか考えられない。
だが、ここまで無防備で良いのだろうか。もしかして、罠なのではなかろうか。
思わずそう考えてしまうが、時間を無駄には出来ない。
出来るだけ警戒はしようと思い直し、ブラックはノックをして見た。
すると、ややあって中から声が返ってくる。
「誰だ」
少し掠れた低い声。間違いなく中年の男だ。
とすると、この男がガストンである可能性が高い。
だがブラックは応える事も無く、ドア傍の壁に移動して開くのを辛抱強く待った。
「……誰だと聞いている」
相手は苛立ったような声で再度問いかけて来る。
だがそれにも答えず、ブラックは再びノックを繰り返した。こういう場合、こちらから答えると動きが読まれやすいからだ。
すると、中から大仰な溜息が聞こえて「入れ」と声が聞こえてきた。
「…………」
ドアのすぐ向こう側には、人の気配はない。
動きが無いという事は、相手は自分の居場所から移動していないのだろう。
馬鹿なのか、それとも安心しきって緩んでいるのか。
警戒している自分の方が馬鹿らしく思えて、ブラックはゆっくりとドアを開けた。
「…………」
敷居を越えて、部屋の中に入る。
真正面に見える執務机には――――陰鬱な男が項垂れるように座っていた。
(…………こいつは……)
一瞬、強烈な既知感があった。
だがしかし、相手が顔を上げた事でその感覚が一瞬にして消え去る。
ブラックを見返した相手は、特徴的な鷲鼻を持っていたからだ。
(人の美醜にあんまりどうこう言いたくないが……この国の奴らなら、平気で鷲鼻を笑いそうだな……)
もちろん、ブラックとて好みは有る。だが、だからと言って人の容姿を馬鹿にするのは好きではないし、好みではないからと言ってその特徴をあげつらう事はしない。
しかし、この国では美しいか否かは重要な問題だ。
しっかり階級を分けておいて、何故仲間の内で更に派閥を作るのかとブラックには不思議でならなかったが、貴族連中などは特にそれが顕著だった。
仮にこの男が貴族だったとしたら、他の貴族の話の種にされて、嗤われていたかも知れない。それほど、その鷲鼻は他人の目を否応なく集める立派さだった。
だが、この男のどこに既知感を感じたのだろう。
そんな事を思い黙り込んでいたブラックを見て、相手――恐らく、ガストンという男――は、まるでモンスターでも見たかのような顔をして目を見開いた。
(何だ……?)
怖がるでも無い、敵意を見せるでも無い、ただ驚いたような表情。
一目で侵入者だと解るだろうに傭兵を呼ぶ事もしない相手に、ブラックは「敵意は無い」のだと理解した。いや、敵意を抱くほど強い者ではないということなのか。
測りかねたが、しかしここで逃げる訳にも行かない。
ブラックはマントで自分の手の内を隠しながら、静かに問いかけた。
「……お前がガストンか?」
訊くと、相手は我に返ったようにハッと体を動かし、改めてこちらの顔を見やる。
そうして何故か髪を見て、溜息を吐いた。
なんだ。髪がどうかしたのか。そういえば、この男は褪せた煉瓦のような赤い色の髪だが、それが何か関係があると言うのだろうか。
しかし、こちらにしてみれば相手の態度など関係ない。
ブラックはガストンを睨み付けながら言葉を放った。
「ツカサ君をどこへやった」
「……!」
その言葉に、四白眼の酷薄そうな目が見開かれる。
思いもよらなかったとでも言うような顔だ。
(なんだその顔は。今更思い出したとでも言うような顔か? 自分で手放しておいて何を……!!)
何の力も無いただの男。そんな存在が、ツカサを良いようにして売った。
そう考えると再び体の内を一気に怒りの炎が駆け抜け、ブラックは剣を抜いて一気に執務机に剣を突き立てた。
「――――ッ!!」
衝撃で中央から割れる机を目の前にして、男の顔が青ざめる。
ざまあみろとも思えない。これだけでは足りない。この男をもっと恐怖させなければ、気が済まなかった。
「もう一度言う。ツカサ君をどこへやった? これが最後だ。もう二度と言わない」
何故言わないのか。それは、この鈍そうな男でも感覚で分かっただろう。
今度答えなければ、殺されるのだと。
「…………わから、ない」
「解らない。解らないだと!? お前が売っておいて解らないなんてあるか!!」
ツカサはこんな男に懐いていた、相思相愛に見間違えられるほど懐いていた。
なのにこの男はツカサを売り飛ばしたのだ。ツカサが大事にしていた指輪を自分の物にして、返しもしないでツカサを冷酷に売り飛ばしたではないか。
それで「所在が解らない」なんてあるものか。
「このクソ野郎……ッ!!」
思わず手が出て、勢いよく相手を殴りつける。
と、相手はさした抵抗もせず、椅子から吹っ飛んだ。
「ぐっ……!」
ガストンと言う男は壁に備えられていた本棚に思い切りぶつかり、飛び出してきた何冊もの本に体を強かに打たれる。
普通なら、そこで何か行動するだろう。だが、その男は本に潰されるかもしれないと言うのに、何の抵抗もしなかった。
ただ、本に埋もれて俯いていたのだ。
(…………なんだ、この男は)
警備も付けない、抵抗もしない、侵入者が現れても逃げもしない。
唐突な問いにまで答え、成すがままになっている有様だ。
この男は馬鹿か、それとも狂っているのか。
考えて、ブラックは拳を握った。
(クソッ……胸糞悪い……)
似たようなものを、見た事が有る。
鏡の向こう側に同じようない影を見た記憶が蘇り、ブラックは息を吐き捨てた。
そんなこちらに、ガストンと言う男は本に埋もれ俯いたまま、力なく笑う。
「はは……そうか…………お前がか……」
「……?」
何を笑う事が有るのか。
一瞬自分の事を笑っているのかと思ったが、そうではない。
この男は、恐らく自嘲しているのだ。
「……すまない。本当に、俺は知らないんだ……確かにツカサはここで保護して……いや、おためごかしは良そう。俺が、奴隷にする為に匿っていた。だが……俺の所で雇っていた奴が、勝手に奴隷市場に売りに出しちまってな…………」
嘘ではない。何故か、そう確信できた。
だがしかしそれが本当であるなら、何故そんな事になったのだろう。
その「雇っている奴」に聞けば、すぐに分かるのではないのか。
「お前の言うその男は、どこにいる」
問いかけると、ガストンは力なく笑った。
「俺が、始末しちまったよ」
「…………!」
始末した。殺したと言うのか。
(こいつ……もしかして、そこまで…………)
そこまで、ツカサの事を思っていたとでもいうのか。
思わず言葉を失くしたブラックに、ガストンは笑うような顔を向けて目を伏せた。
「はは……すまんな……。ツカサが大事にしている奴が来るって解っていたら、始末せずに生かしておいたんだがな…………」
「お前……」
「……すまない。お前の恋人を、こんな風にしてしまって……」
この声音は、知っている。
自暴自棄になってすべてに絶望したかのような、力ない声音。
その記憶は、きっと、恐らく……――――
(ああ、そうか。……そうだったのか……)
何故ツカサがこの男と「相思相愛」に見えるほどに懐いたのか。
それが痛い程よく解って、ブラックは顔を歪めた。
もう二度と、この男を殺せなくなってしまったという己の情けない心情に。
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