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最果村ベルカシェット、永遠の絆を紡ぐ物編
9.彷徨
しおりを挟むこの世界では、国境を越える方法が三つ存在する。
一つ目は、礼儀正しく国境の砦の門をくぐる方法。元も安全であり善人が選ぶ。
二つ目は、空や海から国境を越える方法。
前者はモンスターを従えていなければ出来ない芸当だが、空を渡るモンスターは揃ってランク5以上の凶暴な存在であり、並の冒険者では歯が立たないため、事実上不可能となっている。後者の方法は、一つ目と同様に客船を使って合法的に渡る術も有るが、そうでなければ、海図では決して見えぬ潮流やモンスターなどの脅威に曝され、おまけに海賊に襲われると言う危険を侵して越えねばならない。こちらも余程の冒険者でなければ、命をどぶに捨てるような物と言えるだろう。
だが、この二つ目も三つ目の方法に比べれば随分と生温い。
三つ目は、最も危険とされ――誰もがやりたがらない、自殺と同意義の方法だ。
それは……――――
(国境を作る山脈を、越えること)
そう。
この大陸の中を縦横無尽に走り国家を区切る、長大な山脈。
それらを越えることが、この世で最も危険極まりない国境越えの方法なのだ。
無論それは大げさな事ではない。それどころか、目の当たりにすれば噂以上の凄惨な光景を見ることになるだろう。
――国境の山脈にはランクでくくれるのかどうかと言うほどの凶悪なモンスターが犇めき合い、常に殺し合いを繰り広げている。
地上ですら弱肉強食と言う言葉に縛られていると言うのに、この国境の山では強者が強者を喰らわねば生きて行けない。そう、弱い物など最早欠片も存在しないのだ。
その前提を知っていたとすれば、とても国境の山を越えようとは思わないだろう。
どんな育ちの子供であろうとも、どこかしらで国境の山の恐ろしさを教えられ、無意識に忌避するようになるのだ。そうして何度も刷り込まれる内に、国境の山への畏怖の念が浮かんでくるという訳だが……今思えば、出来すぎた話だった。
(もしこの山脈が“神”に作られた物なら、ここに高ランクのモンスターばかりが存在しているのも納得が行くし、何故そいつらが殆ど山を下りて来ないのかという疑問も『そういうものなんだ』としか言いようがなくなるな)
草木も生えぬ垂直の山肌を駆け、崖の僅かな平面に飛び移りながら降りる。
モンスターの追従を防ぐだけなら、これが一番いい方法なのだが、曜術などを駆使しながら降りると言うのは非常に辛い。
潤沢な気による付加術を使用したとしても、崖は地上すら見えないのだ。
国境の山はモンスターだけでなく、地形そのものが人族にとっては心が折れるかのような造りになっている。それもまた神の御業と言ってしまえばそれだけだが……。
(ツカサ君は、色々考えるんだろうなあ……)
冷たい風に髪を靡かせ、どこまで落ちれば地上へ辿り着くのかと思うほどに高い崖を無言で降りる。背には自分のマントを必死に掴んでいる小さな気配があるが、よく振り落とされない物だなと思う。やっている自分が言うのもなんだが、崖を降りる姿勢や衝撃は、モンスターであっても辛い物だ。こんな幼体では、マントに喰らい付くのもやっとに違いない。
ましてや、平原や森に棲む比較的温厚な蜜蜂であれば、気温が低い時点で最早体が凍えて動かないだろうに。やはりそう言う所も、ツカサの守護獣という事なのか。
そんな相手を気遣いながら、ツカサは色々と思うのだろう。
この険しい地形にも何か気付く事があって、話しかけてくれるに違いない。ここは寒いなと笑って、和ませてもくれただろう。抱き寄せてこうして飛べば、きっと腕にしがみ付きながら楽しげな声で騒いでくれる。ここにいなくたって分かるのだ。
ツカサはいつだって、自分の手を本当の意味では拒んでいなかったのだから。
(ツカサ君……)
ブラックは、それが嬉しかった。だから、ツカサと一緒に居たいと思っていた。
けれど、今は腕の中には誰もいない。
それどころか自分の腕は、負けた証として無様にも片方が失われている。
剣士としても、曜術師としても恥だ。やっと見つけた唯一無二の大切な物を、掴む事すら出来なかった。それどころか、最後まで守られるだなんて。
(…………本当に、反吐が出る。こんな事が出来たって何になるってんだ)
術と“力”によって落下と着地の衝撃を和らげ、五感の全てを使って周囲のわずかな平地を探し、軽く爪先で降りる。
確かにそれは、ブラック以外には出来ない所業だ。
だが、魔鏡の崖を軽々と越える事が出来たとて、それが何になるだろう。
こんな場所など物ともしない存在など、珍しくも無い。
国境の山を越えて来た人外の獣人族がいて、自分が生まれるずっと前から国境の山に居を構える宗教や世界機関が存在する。
ありとあらゆる方法で人族の限界を超えて有り得ない事を実現した存在が、両手で足りない程存在しているのだ。それを考えれば、自分がやっている事など別に凄い事でも何でもない。たった一人を救う事の方が……よほど、難しい事だった。
(なのに、どうしてツカサ君はそんな事が出来たんだろう)
今でも、それだけは不思議でたまらなかった。
(僕より弱くてすぐに涙ぐむし嘘だって下手だし、怒られるって解ってるくせに考えなしにしょうもない事やっちゃって、何度も失敗するようなダメな所だってあるのに。……なのに、どうしてツカサ君は……僕より、強いんだろう)
「恋人」という目線から苦心して外れ、自分の中に長く存在した「冷たい部分」でツカサを見れば、彼の評価は散々な物だった。
脆弱で青臭い理想に縛られた、小動物よりも弱い雑魚。
性善説を煩く喚いて、弱いくせに愚かにも人の前に立ち人を守ろうとする。立派な宗教家ですら、ツカサのように腕を犠牲にして「物」を守る馬鹿者は少ないだろう。例え、その腕がいつか治る物なのだとしても。
……ツカサは、そう言う存在だ。
この世界では真っ先に淘汰されるはずの、子供にすら劣る存在。
昔のブラックなら、絶対に好きにはならない。それどころか、斬って捨てる事すら面倒だと思うような、路傍の石に等しい存在だった。
……だったと、言うのに。
(強いんだ。……変だよね。何でツカサ君って、そう思えるんだろう)
ただ人に優しく純粋なだけではないか。
ただ、見下げたてたお人好しの阿呆というだけではないか。
自分を犠牲にしてまで人を信じ、許し、受け入れる。偽善ぶった存在ではないか。
なのにどうして……――――
誰よりも強く、特別な存在なのだと……思ってしまうのか。
(嫌だよ。そうじゃない、そう思いたいんじゃないんだ。僕が守りたかったんだよ。僕はツカサ君を守れるくらい強いんだって、証明したかったんだ)
だが、ツカサは簡単には守らせてくれなかった。
それどころか、何度も何度も、自分を守る為に前へ出ようとする。一緒に落下した時ですら、咄嗟に自分を下にしてブラックにかかる負荷を減らそうとする有様だ。
普通なら、そうはなるまい。本当に信じられない事ばかりだった。
いざという時にしか使わない黒曜の使者の力以外は、ブラックよりも弱く何の能力も持たないはずの少年だと言うのに。なのに気付けば自分はそんな弱いツカサに寄りかかっていた。誰よりも頼りにして、誰よりも求めていた。
彼こそが強いのだと、無意識にあの弱い少年を認めていたのだ。
(そして僕は、また守られてしまった。僕はツカサ君を守るって言ったのに……)
本当に爪先ほどしかない崖のでっぱりに体重をかけて降り立ち、そこが崩れる前に再び飛んで落下する。
心は冷えていて、その事に恐怖も感じない。
いや、元々自分はこうだったのだ。それが、ツカサと言う生涯の伴侶を得て、注意深くなり恐れを抱くようになれた。そのはずだったのに、元に戻ってしまっている。
ただただ崖を落ち続けていると、ツカサがくれた恐怖心まで消えてしまいそうだ。
その事に初めて恐れを覚えて、ブラックは無意識に服の胸元を掴んだ。
「ビ……ビィィ……」
背後から怯えるような声が聞こえて、ハッと我に返る。
と、やっと眼下に緑がまばらに生える大地が見えて来て、ブラックは背後で必死にしがみついている蜂の子に声を掛けた。
「地上に着く。休憩しないから、降りてもまだ寒かったらマントの中に入ってろ」
徐々に足場が多くなっていく崖に合わせて、衝撃を減らすために小刻みに崖を降りながら蜂に言う。すると相手はついに寒さに耐え切れなくなったのか、びぃびぃなどと鳴きつつブラックの腰の方に移動し始めた。
そうして、裾からマントの内側に入り、ブラックのベルトに下げられていたツカサの鞄にもぞもぞと入り込んだ。どうやら休むつもりらしい。
(……まあ、よく耐えた方か)
勇蜂種はそもそもそこまで強くは無い種族だ。
そのモンスターの子供ならば尚更、この気候やブラックの速度に耐え切れなくても仕方ない。そうは思っていたのだが、ここまで耐えるのは予想外だった。
元から人語を解するらしく、普通の蜂とはやはり違うようだが、ツカサは一体どのような経緯でこの蜂を守護獣にしたのだろう。
(珠の中にも戻らないしな……一体どういう事なんだろうか)
蜂自体に興味はないが、それでも妙に気にしてしまうのは、この蜂が妙にツカサと似ているからかもしれない。
人族がモンスターに似ているとは、妙な話だが。
「…………ッ、と」
最後のでっぱりから降り、遂に地上へ辿り着く。
……とは言え、まだふもとまでは遠いのだろうが。
(だが、これが一番早いんだから仕方ない)
そう思いながら、ブラックは周囲を見渡し何者の気配も無い事を確かめると、胸の内袋に大切に仕舞っている指輪を取り出し、じっと見つめた。
琥珀色の美しい宝石が嵌め込まれた指輪は、陽の光に照らされてツカサの丸い瞳と同じように輝いている。その琥珀色の宝石をじっと見つめて、ブラックは己の体内を巡る金の曜気を流し込んだ。
「道を示せ」
一言呟いたと、同時。
琥珀色の宝石が仄かに光り始めたかと思うと、そこから小さな光珠が浮き上がり、一本の糸が或る方向へ勢いよく向かって行った。
毛糸の玉から伸び出たかのようなその糸は、ぴんと張っていて一筋の光のようだ。
それを見やって、ブラックは目を細めた。
「……やっぱり方向は変わらないか……。ツカサ君は囲われているのかな」
どうしたものかと迷ったが、内袋に入れたままでは指輪の力を行使できない。
仕方なく右手の薬指に口で何とか押し込んで、ブラックは息を吐いた。
(それにしても……指輪を作っておいて、本当に良かったよ。これでツカサ君の足跡を追えるんだもんな……)
考えて、ブラックは己の機転を自画自賛して薄く微笑んだ。
――――ツカサに“プレゼント”した婚約指輪には、様々な意味がある。
一番は勿論「愛の証」であるが、そのほかの意味は早々ツカサにも言えない。
何故なら、この指輪は彼を縛るための機能も存在するからだ。
その機能の一つが……この、居場所を探すというものだった。
(この指輪が有れば、もしツカサ君が僕から逃げ出したとしても……どこへだって追って行ける。追いかけて捕まえて、二度と逃げないようにすることが出来る)
どうしてそんな事を考えるのかと言えば、それもまた自分が“弱い”からだった。
(そう。ツカサ君は、強い。強いんだよ。そして僕は弱いんだ。ツカサ君がいなくなっただけで、こんな風に心を失くしてしまいそうになっている。だったら、弱い僕がツカサ君を手放さないためにこんな事をしても仕方がないよね? 僕にはツカサ君が必要なんだ。ツカサ君は僕の恋人だ、僕の物なんだ。婚約者なんだよ。だったら、こんな風に鎖を付ける事だって普通だよね? だって、僕は今だって、ツカサ君を探して彷徨うくらい弱くて……今にも、壊れそうなんだから)
ツカサは強いから、きっとそんな事など思わないのだろう。
今だって、恋人であるブラックを、健気に待ってくれているのかも知れない。それか、どこかの土地で呑気に暮らしているのか。
そう思えば、ブラックは衝動に任せて周囲を燃やし尽くしてしまいそうだった。
だが、今はそんな暇など無い。
早く、早く早く早く彼を、取り戻さなければ。
「ツカサ君…………いま、行くからね……」
糸の終点は、そんなに遠くはない。
ブラックはその事に歪んだ笑みを浮かべながら、糸を追うために駆け出した。
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