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最果村ベルカシェット、永遠の絆を紡ぐ物編
8.何も知らない
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書斎で“森の御姫様”の絵本を見せて貰った日から、俺は何となく「どういう時に、笑ったり泣いたりしたらいいのか」が解って来た。
とは言っても、今まで心の中のもやもやした衝動だったり、顔がむずむずして体が動いてしまうような感覚を、本やレッドの言葉で教えて貰ったから理解出来たという感じで、実際は「感情の表現方法を教えて貰った」というのに近いかも知れない。
自分でも上手く言い表せないのが不思議だけど、記憶というものは失ったと思っていても、頭のどこかに欠片くらいは残っている物なのかも知れない。
でなければ、こんなにも早く感情を理解する事なんて出来なかっただろう。
ただ、今も正直しっくりきてない所が無いでもないので、笑おうと思っても上手く出来なかったり、戸惑ってしまったりするんだけども。
でも、レッドは俺が笑うと喜ぶみたいなので、一生懸命笑うように努めている。
鏡で見る限りは、結構うまく笑えてると思うんだけど、レッドの笑い方と少し違うような気もする。やっぱりどことなくぎこちないんだよなあ。
……やっぱり、まだ「真似」の域を出てないんだろうか。
「…………レッドの事ばかり見て真似てるからダメなのかな」
六角形の部屋の中で、俺は本を読みながら一人呟く。
書斎の一番下の棚の絵本を読み尽くし、やがて得た結論はそれだ。
絵本の中の人達は自然と笑ったり怒ったりしているが、そういえば彼らは一人で笑ったりしていることは少ない。大体が誰かと話している時だった。
もしかしたら、色んな人と話す内に何かが変わるかも知れない。
そうは思うのだが。
「でも……レッドには家から出るなって言われてるしなあ……」
なんだか歪めた表情……たぶん真剣な顔で、「外には怖い物がいるから出るな」と言われているので、出る訳には行かないのだが……そもそも、家の外に他人がいるのかどうかすら今の俺には分からない。
レッドは外に出て欲しくないみたいだし……けど、レッドは俺に感情を取り戻して欲しいようだから、悪い案じゃないと思うんだけどな。
うーん、どうしたものか。
「上の棚の本を読んでみるか。でもなあ、レッドは『まだ早い』とか言うし」
何が早いのかよく解らないのだが、そう言われると読む事は出来ない。
絵本にされている童話には、やってはいけないと言われた事をやってしまいバチが当たる人達が結構いた。ってことは、ダメだと言われた事はやっちゃいかんだろう。俺はバチなんて被りたくない。
とはいえ、行動しなくては何も始まらないわけで。
「……頼んだら、読ませてくれないかな?」
あの本棚の本はダメでも、何かほかに用意して貰えるかも知れない。
レッドだって、俺がぎこちない顔で笑うより、自然な笑顔で笑えるようになった方が良いと思うだろう。よし、そうとなったら行動だ。
今まで持っていた“森のお姫様”の本を椅子に置いて、俺はレッドがいるだろう居間へと向かうことにした。俺にはそこ以外に向かう所が無かったからな。
俺が教えられている部屋はと言うと、最初に寝ていた部屋と書斎と居間……後は、風呂と厠だけだな。他にも部屋があるみたいだけど、そこら辺は知らない。
まあレッドが何も言わないから、俺が行く必要はない部屋なんだろう。だから、俺は居間に行くしかなかったのだが……。
「…………居ないな、レッド」
でも、ここに居ないならどうしようもない。
仕方がないのでソファに座って暫しじっとしていると、どこかからドタドタと居間に走り寄ってくる音が聞こえてきた。
「つっ、ツカサ!」
慌てながら居間に入って来たのは、やっぱりレッドだ。
でも、何でそんなに慌ててるんだろう。相手の顔を見上げていると、レッドは何か顔を激しく動かして……ええと……怒ってる顔かな。怒ったみたいだったけど、すぐに顔を硬直させると……バツが悪そう、な顔で、俺の隣に座った。
「レッド」
呼びかけると、相手は……困った、ような顔で、俺の肩を優しく掴んできた。
「ツカサ、頼むから何も言わずにどこかへ行かないでくれ」
「あ……ごめん、なさい。レッドに頼みたい事が有ったから、どこにいるのかと思って探してたんだ」
そう言うと、レッドは困った顔を更に歪めて、俺の頭を撫でた。
「ああ、そうか……一緒に居てやれなくてすまなかったな……だが、何故居間に?」
「他の部屋は解らなかったから、居間かなって思って」
……あれ。
正直に答えたのに、なんでレッドはそんな驚いたような顔をしてるんだろう。
俺何か変な事言っちゃったのかな。
「ツカサ……その……他の部屋を見てみようとか思わなかったのか?」
「どうして? 教えられてないなら、俺は知らなくて良い事なんだろう?」
何故そんな事を聞いて来るのか解らず首を傾げると、レッドはとても驚いたような顔をして、俺をじいっと見つめて来た。
「……何か……気になった物は、ないのか?」
質問の意図が解らないが、そう思うような物も無かったので首を振る。
すると、レッドは何故か少し青くなったような感じがしたが、俺の顔を再度見て、頭をぶんぶんと振ると、俺の肩を抱いて引き寄せて来た。
この行動はいつも意味が解らないけど、レッドが嬉しそうにするからまあいいかと思って成すがままになっている。たぶん、くっつくのが良いんだろう。
レッドを疲れさせてしまったようなので、自分から相手にくっつくと、レッドは「んぐ」と変な声を出したが、俺を抱え上げて膝の上に乗せた。
「重くない?」
「あ、ああ。大丈夫だ」
そっか、重くないんだ。レッドは強いんだな。体が大きいからかな。
俺なんか本をたくさん持っただけでも重いなあと思うのに。
本。あ、そうだ。頼むのを忘れていた。
「なあ、レッド。頼みたい事があるんだけど……」
「頼みたい事……! な、なんだ?」
「俺、やっぱり何だか上手く笑えてないみたいでさ。もっと取り戻すために、新しい本か何かを読ませて貰えないかと思って……」
「本、か……」
あれ、声の調子がちょっと落ちた。
大丈夫かなとレッドの顔を見ると、相手はしょげたような感じだったが、すぐに表情を整えると、俺を見て自然に微笑んだ。
「よし、解った。だったら、徐々にツカサと同じ年齢の男が読むような本に切り替えて行こう。書斎の二段目と三段目にあったはずだ」
「読んでいいのか?」
「ああ。だが、俺と一緒の時に読むようにな」
それはもちろん。
……と言う訳で、俺は再び書斎に戻り、夕食の時間になるまでレッドと一緒に本を黙々と読むことになった。本を読むのもレッドと喋らずに一緒に居るのも嫌いじゃないから、それはそれで良かったけど……いざとなると、絵本以上の本は難しい。
挿絵が多い本にずっと慣れていたせいか、絵が極端に少なくて厚みのある本は凄く読み辛い。レッドにも教えて貰って読んだけど、一つ読むのでも大変だった。
でも人間ってのは慣れて来るもので、まだ木の板程度の厚さの本ばかりだったが、徐々に助けが無くても読めるようになってきた。
こうなると、段々と調子に乗ってくる。なんだか自然と肩が動いて、本棚に早足で駆け寄りたい感じだ。レッドはそれを「楽しんでいるんだよ」と教えてくれたけど、俺の情緒というモノもやっとどうにかなって来たんだろうか。
そう思うと、何だか体が軽くて何度も浮き上がりそうだった。
これが楽しいって感じか。それならいいんだけどな。
そんな事を思いながら、まだ見ていなかった本を持って来てレッドと一緒に読む。
と、今回の本は今までと毛色が違う事に気付いた。
この本の登場人物は今までの童話のような話と少し違って、村の女の人と、勇敢な男の人が中心になった冒険の話のようだった。
童話にも冒険話が多かったけど、この話はなんていうか……人の動作が多いな。
女の人と男の人が良く喋るっていうか、なんか距離が近い。
俺とレッドみたいだ。読んでいる範囲では言及されてないけど、この二人も主人と奴隷の関係なんだろうか。少し気になったので、レッドに訊いてみる事にした。
「なあレッド、この二人も俺達と同じなのか?」
すると、一緒に本を見ていたレッドが急に咳き込んだ。
何事かと思ったら、レッドは顔を真っ赤にしてまた妙な顔をする。
「お、同じって……」
「奴隷と主人かと思ったんだけど……」
「あ……いや、そうではなくて……。この二人は、その……こ、恋人、なんだ」
「恋人?」
それは初めて聞いた単語だなと思いレッドをじっと見やると、相手は赤くなった顔を更に赤くして、しどろもどろと言った様子で「恋人」という物を説明してくれた。
曰く、恋人と言う物は、常に一緒に居てお互いとお互いが一番好いていて、それに苦難も喜びも共にする唯一無二の相手だという。
でも、それって……
「じゃあ、俺とレッドは奴隷とご主人様の関係なのに、恋人になるのか?」
だってそうだよな。俺にはレッドしか居ないし、レッドの事を嫌い……遠ざけたいと思う事も無い。だったら好きって事だろうし、何よりずっと一緒に居るもんな。
恋人ってこういう事なんじゃないだろうか。
そう思いながらレッドの顔を見上げると、相手は目を見開いて、また俺を抱え上げ膝の上に乗せて来た。今日二度目だ。
「あ、ああ……そう、だな……俺達は、そういう、関係なんだ……」
なんだか苦しそうに呼吸しながら、レッドは俺を抱き締めて髪に顔を埋める。
……もしかして、俺達って記憶喪失になる前はそう言う関係だったのかな。
だからレッドは、奴隷とご主人様なのに恋人の行為をしてくれてたんだろうか。
童話を読む限りは、奴隷ってのは俺みたいに本も読ませて貰えないらしいし、服を着せても貰えないみたいだったからな……。
そっか。俺はレッドと恋人だったから、大切にして貰えていたんだ。
……だったら、悪いことしたな……。俺、感情もまだおぼつかないし、恋人らしい事をしてあげられてもいないし……。
「ごめん、レッド……俺ずっと、恋人だって事も忘れてたんだな」
「いや、良いんだ。……そうだ、これからは、恋人らしい事をしよう。そうしたら、ツカサの感情も元に戻り易くなるかもしれない」
そう言いながら俺を抱き締めてくれる、レッド。
自分よりも大きな体に覆われてぎゅっとされると、何だか心が温かくなった。……これが恋人ってことなんだろうか。心が温かくなるのは、きっとそう言う事だよな。
だったら、俺も自覚を持って更に頑張らないと。
「レッド、俺頑張って色々取り戻すから。……だから、これからは俺にも出来る事が有ったら、教えて」
こんな俺を、レッドは投げ出す事も無く面倒見てくれている。
感情をどう表現したら良いか解らなくたって、自分が人に迷惑をかけている事だけは解る。そして、そんな俺を世話する事がどんなに大変かも、察していた。
だから、レッドに応えないと。
「ツカサ……本当に……いいのか……?」
その言葉に、ただ頷く。
だって、目を見開いて俺を凝視しているレッドは、そうして欲しそうだったから。
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