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最果村ベルカシェット、永遠の絆を紡ぐ物編
4.失ったものは
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どこかの誰かが、こんな事を言っていた。
誰かを思う心どころか執着すらも失ってしまったら、心が空っぽになるんだって。
悪い心でも良いから、誰かに対しての思いを持っていないと、本当に空っぽの人間になってしまって、何にも反応できなくなってしまう。だから、悪い心であっても空っぽよりはマシなんだって。そう、誰かが言ってたんだ。
それを聞いた時、俺はきっと何かを感じたんだと思う。だから、ぼんやりと記憶に残っていたんだろうなって思うんだ。
……けれど今は、何を思ったのか思い出せなかった。
何もかも思い出せない、とは、言わないけど。
でも、その時どんな感情を抱いたのかを俺は忘れてしまった。
それどころか、情報だけが頭の中でまばらに残っていて、自分の事が解らない。
時々人の姿が頭の中に浮かんでくるけど、それだって顔の部分が滲んでいて、何を話してくれたかすら分からなくて、首を傾げるしかなかった。
俺とその人は、どんなことを話してたのかな。
その時の相手は、どんな顔をしていたのかな。
考えるけど、解らない。その事に何の気持ちも湧いてこない。
何もかも解らないから、どんなふうに心を動かしたらいいのかも忘れてしまった。
……そんなのやっぱり、変だよな。まるで「心がなくなった」みたいだ。
だからきっと、俺は今その「からっぽ」の状態なんだろうなと思う。
けれど、俺はその事にすらも感情が湧いてこなかった。
だってそれが悲しい事か嬉しい事かすら、俺は忘れてしまっていたから。
「ツカサ」
これは、俺の名前だ。
呼ばれて、部屋のドアの方を向いた。すると、ドアが開いて誰かが入ってくる。
「目が覚めたか。……体はもう、大丈夫か?」
陽の光に当たると一層鮮やかになる綺麗な赤い髪と、空の色みたいな青い瞳。
爽やかで格好いい顔をしている、どこかのヒーローみたいな青年。この人は、気が付いたら俺の隣に居た。名前はレッドというらしい。
ほとんどの事を忘れてしまった俺に優しくしてくれるが、申し訳ない事に頭の中には彼の記憶が無い。赤い髪の人、と言うと幾つか思い浮かんでくる影は有るのだが、その人がどんな顔で、俺とどんな関係だったのかは忘れてしまっていた。
これでは合わせる顔が無いなと考えていたが、レッドはそんな薄情な俺であってもとても優しくしてくれて、俺が忘れていた色んな事を話してくれたんだ。
例えば俺の名前とか、ここがどこなのかとか、自分との関係とか色々。
残念ながら俺はどれもピンとすら来なかったけど、そもそも自分が誰かって事すら解らない状態だったから、彼の言う事を信じる以外になかった。
まあ、今のところ、レッドって人の言葉を否定する記憶も浮かんでこないし……何よりこの人は、俺に危害を加えようって感じじゃないからな。ベッドに寝かせてくれたし、初日は俺の体調を気遣ったのか何かの穀類が入ったスープを作ってくれたし。
盛り付けがすごく下手で、美味しいかと言われると正直微妙だったけど……でも、レッドと言う人は、俺を一生懸命自分一人で看病しようとしてくれた。
それはきっと、記憶を失う前の俺と彼は多少の付き合いがあったからだろう。
だから、俺は俺なりにこの人を信用しようって決めたんだ。
今の俺は何も解らないから、教えてくれる人がいなければ何も出来ない。
意地を張ってたって、いつかは誰かに頼らなきゃ行けないんだ。ならば、俺の事をサポートしようとしてくれる相手に甘えるのも悪くは無いだろう。
確か俺、十七歳だったし。十七だったら未成年だよな?
じゃあ大人に甘えたって大丈夫だろう。きっと。
ああ、そうそう。俺の今の身分が奴隷だってのも聞いたな。確かに首には鉄製ぽい黒い首輪が嵌められているけど、これが奴隷の証とは思わなかった。
いや、頭の中には「奴隷」って情報は有ったんだけど、自分がどんな人間なのかも判らなかったし、そもそも首についてる首輪にも気付かなかったからな。
まあなんか重いし肩がこるとは思っていたけど……。
……それはともかく。
レッドって人が言うには、俺は奴隷として彼に買われたのだという。だけど、途中で事故に遭い俺が記憶喪失になってしまって、こうなったという事だった。
その時の俺はというと「なるほどな、俺って記憶喪失だったのか」なんてぼんやり思ったものだったが、記憶が無かったんだから仕方ない。
っていうか、俺とレッドって人は奴隷とご主人様という関係だったんだなあ……。そりゃあ相手もなんか距離が近いはずだ。
「ツカサ……どうした?」
ああ、色々考えてたら返事を忘れていた。返事をしないと。
いつのまにかベッドの傍らにある丸椅子に座っている相手に、俺はすぐに答えた。
「なんでも……ありま、せん」
敬語を使おうとするんだけど、何故か口が上手く動かなくてぎこちなくなる。
そんな俺に、レッドと言う人は悲しそうな顔をした。
「敬語で話さなくていいと言っただろう」
「あ……そう、でし……だった、っけ」
「ああ。俺達の間に敬語は無かった。もっと気軽に話してくれ」
「は……う……うん……解った……」
敬語じゃなくて、いいのかな。奴隷と主人でもタメ口でいいの?
だけど、レッド……は、どうみても年上だし、年上には敬語を使わなくてはいけないって情報があるんだけど……そうじゃなくても良い事もあるんだろうか。
十七年も生きて来たんだし、それに関するエピソードか何か覚えていないかと必死に思い出そうとするが、やっぱり何も思い浮かばなかった。
……いや、思い浮かんでいるのかも知れないけど、水で滲んでいるみたいに詳しい事が解らないっていうか……これが記憶を失うって言う事なんだろうか。
でも残念な事に、悲しいのか苦しいのかもよく解らなかった。
「ところでツカサ、何か思い出した事は有るか」
問われて、俺は首を振った。
「言われた事とか、そういうのには答えられる程度には記憶があるみたいだけど……誰かと何かをしたって記憶はダメだった。……誰も、思い出せない」
「……そうか……」
レッドの顔が、悲しい顔じゃない感じで緩む。
これはなんていう表情だったっけ。ええと、確か……安堵の表情……かな。
安堵。なんでだろう。俺が覚えている事が有ったから、安心したのかな。
まあ……そうか……今まで一緒に居て、多分いろんな思い出も作って来ただろうに、俺はその頃の記憶を全て忘れてしまったんだもんな。そりゃあ、相手からすればショックだろうし心配にもなるんだろう。
俺は心配をかけてたんだから、もっと相手の気持ちに寄り添わないとな。
「レッド、その……ごめん。何も、覚えてなくて」
俺は奴隷なんだから、本来なら床に転がして鞭で打たれていてもおかしくはない。なのに、レッドはご主人様なのに、俺をベッドに寝かせてくれているし、食事だって作ってくれた。記憶喪失の俺にこんなに優しくしてくれるんだ。
……それなのに、俺は彼の事を覚えていない。
だから、覚えていない事に対して謝るべきだろう。
そう思ったんだが……レッドは安堵した顔のままで首を振った。
「いや、いい。良いんだ。改めて俺の事を覚えてくれれば、それでいい」
「レッド……」
俺は記憶喪失で、アンタの事を全然覚えていないのに。
覚えている事だって、感情や思い出が伴っていない情報しかなくて、俺はその事にどんなふうに思えばいいのかすら解らないのに。
なのに、レッドは今の俺でも良いと言ってくれるのか。
「…………」
その事に、俺は少しだけ胸のあたりが暖かくなったような気がした。
「ツカサ……俺は、お前の事を奴隷と言ったが、そんな風に扱う気はないんだ」
「え……」
唐突にそう言われ、声が漏れる。
どういう意味か解らなくてレッドの顔を見ると、相手は微笑んで俺の手を取った。
綺麗な顔をしてるのに、手はごつごつしていて男らしい。俺のゴツくもない軟弱な手とは大違いだ。そんな事を思っていると、レッドは俺の手を握りながら告げた。
「ただ、俺の傍に居てくれたらそれでいい。奴隷のような仕事など、しなくて良いんだ。だから……一緒に、いてくれるな」
空色の瞳が、俺をじっと見つめている。
さっきの安堵した表情とは違う、真剣な表情だ。
……それ、どんな表情だったっけ。こういう時にするものだったかな。
だけど、真剣な表情なんだから、きっとその言葉に嘘は無いんだろう。
なにより、レッドはずっと俺の事を看病してくれてたんだし、俺には他に行くとこもないし……だったら、迷う事なんて無いな。
「うん、解った。俺、レッドと一緒に居る」
それが、一番いい事なんだろう。
俺を看病してくれたレッドへの恩返しになるなら、それでいい。
素直に頷いた俺に、レッドは一気に表情を明るくして、俺の腕を引いた。
「あ……」
体が簡単に傾いで、レッドの方へと倒れ込む。
すると、レッドは俺を自分の胸元へと引き入れて、ぎゅっと抱きしめて来た。
「ツカサ……っ」
レッドの声が、なんだか苦しそうに引き絞られている。
……どういう気持ちなんだろう?
よく解らないけど、レッドが満足しているのなら良いか。
ただそう思って、俺は相手が解放してくれるまでずっと抱き締められ続けていた。
抱き締められたらどうすれば良いのかすら、俺は覚えていなかったから。
→
※遅れました…次は時間通りに頑張ります(`;ω;´)
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