異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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最果村ベルカシェット、永遠の絆を紡ぐ物編

3.治療室にて

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「とりあえず、傷をふさぐ処置だけはしたわ。けれども、義手や曜具を付けなければ、やがては傷が開いて膿んでくる可能性もあるから……油断しないようにね」

 王宮の一室。便宜上「治療室」とした部屋の中で、シアンは相対する相手に厳しくそう言い渡した。

(まったく……こんな怪我で動こうとしていたなんて、無茶にもほどがあるわよ)

 処置した後の道具を片付けながら、心の中でごちる。
 このような重傷ですぐに動こうとするなんて、自殺行為にも等しい。
 それは何も、目の前で大人しく座っているブラックだけではない。壁にくっつけた長椅子に座っているクロウクルワッハも同じ事だった。

(普通の火事での火傷なら、私の力だけでもなんとか治療出来るけど……この二人の傷口に残る火傷は、そんなものではないものね。……この“人の意志”を含んだ曜術による火傷は、相手への強く攻撃的な思いが強ければ強いほど、意志の力によって負うダメージは深くなる。このまま中和させなければ、間違いなく腕は壊死していた)

 それなのに、この二人はツカサを追って今にも飛び出さんばかりの勢いだ。
 とてもじゃないが、そのまま送り出せる状態ではないと言うのに。

(それなのに、この子達は我先に飛び出そうとして……本当にもう……)

 何とも頭の痛い事態だった。
 ……そりゃあ、シアンだってツカサを早く助けたいと思う。
 彼が危険な状態にあることも心配だし、早く助けたいとあせる気持ちもある。だが、二人がそのまま飛び出て行って何になるというのだろうか。
 この重傷の具合では満足に動けないだろうし、ブラックは片腕になってしまった。以前片足を失った事も有ったらしいが、今の状況はその時よりも酷いものなのだ。

 ましてや人族が最も酷使するだろう「手」を一つ失った事は、死に大幅に近付いたと言っても過言ではない。手負いの獣など、自然界では簡単に淘汰とうたされてしまうのに、そこに人族が加わって無事なわけがないだろう。

 二人とも無鉄砲な所があるという事は重々承知していたが、今回は考えなしとしか言いようがない。
 ただ、当の本人達はこれでも「こらえている」と思っているらしかったが。

「まったく……。ブラック、貴方ねえ、クロウクルワッハさんに止められてなかったら、いつか腕が本当に使い物にならなくなっていたんですからね? 解ってる?」
「…………」
不貞腐ふてくされるのも結構ですけどね、そんな気力があるなら回復につとめなさい。ツカサ君に会うまでに倒れたって、誰かが助けてくれるとは限らないんですからね」
「……解ってるよ……」

 そうは言うが、信用ならない。
 シアンは普段の姿とはまるで違う若々しい姿で、老婆のように溜息を吐いた。

(本当に大丈夫かしらね……。さっきはあれほど顔を顰めていたというのに)

 ――先程……いや、自分達が遅れて到着した時。ブラックとクロウクルワッハは、酷い怪我だと言うのに気丈に立ち上がり、特にブラックは今にも崖から飛び降りそうなほど、危うい静かな表情を見せていた。

 その時は、相手の表情と左腕が無くなっていた事に大層驚いたが、とにかく事情を聞くよりも先に手当てをしなければと思い、シアンは侍従達を使って無理矢理に彼らを王宮へと連れ戻したのである。
 そこで、治療をしながら一連の流れを聞いて今に至るという訳だ。

 しかし……ツカサが落下してしまったと言うのは、予想外だった。
 クロッコ達に拉致らちされたと言うのなら、まだブラック達に掛ける言葉も有ったが、ツカサがブラックを庇って落下した……というのは、中々に掛ける言葉が難しい。

 だからこそ、ブラックも異様な雰囲気を醸し出しながら静かに感情を堪えているのだろうが、そのくせ自分の体の事も考えずに「探しに行く」というのは頂けない。
 満身創痍で誰かを助けに行くなんて、自殺行為だ。

 何より、探される対象であるツカサがそんな事は望まないに違いない。
 彼に触れた者は誰だって解る。彼は自分の傷より他人の傷を心配するような極度のお人好しだ。そんな彼が今の状態のブラックと再会すれば、ブラック以上にその傷を気にして謝り続けてしまうだろう。

 いくら息子のように可愛がっていると言っても、孫のように可愛がっているツカサをおびえさせてしまうような事をさせる訳には行かない。
 何より、今のブラックの容体は非常に危険なのだ。

 痛みすら訴えない状態であっても、無理をさせる事は出来ない。だから、シアンは今まで彼らに付きっきりで二刻にじかんほど治療していたのである。裂傷に加えて、曜術での火傷と言う途轍もなく面倒な怪我を治すべく。

(しかし……治療してみて解ったけど、ブラックは死んでいてもおかしくは無いほど酷い怪我だったのに、何故あそこまで冷静でいられたのかしら)

 そう、シアンは治療しながらそこが引っ掛かっていた。

 最初は「痛くないから早く大陸に降りたい」と静かに繰り返していたブラックだったが、妙に綺麗な布を取り去ると急に痛みが襲って来たのか、しかめっ面をしながら黙って治療を受けていたのだ。

 悲鳴を上げないのは「我慢しているから」という理由で済むが、しかしそれでも傷を何とも無いようにこらえていたというのが解せない。
 一体どうして今まで耐えられたのかと考えれば……やはり辿り着くのは、治療の前まで傷を包み込んでいたあの不可解なハンカチが、何らかの効果をもたらしていたのではないかと言う結論だった。

「……ねえブラック。このハンカチなんだけど……一体どういうものなの?」

 さっきまで重傷だったブラックの腕を包んでいたと言うのに、このハンカチは血のひとしずくすらも付着していない。どこをどう広げても、綺麗な物だった。

(何か曜気みたいな物を感じるけど……色々と混ざっていて良く解らない。それに、この大き目のハンカチを付けている間は、ブラックの傷が全く劣化していないようだった。とすると……何かの曜具のたぐいだと思うんだけど……)

 柔らかいがしっかりとしている布は、光に曝すと仄かに輝く。
 薄水色の布地には目立った模様は無いと言うのに、とても不思議だった。

 そんな不思議なハンカチを見て、ブラックがやっと動いた。

「返せ。それは……僕が貰ったバンダナだ」
「貰ったって……」
「ツカサ君が、僕に“恋人として”初めてくれた……バンダナなんだ……ッ」

 子供が親から宝物を奪い返すように、少し乱暴にシアンの手が握っていたハンカチ……いやバンダナを奪い、右腕でしっかりと握り込む。
 そのブラックの様子に少しだけ謎が解けて、シアンは改めてバンダナを見た。

「ツカサ君が……じゃあ、普通の布ではないって事ね……」
「それはどういう意味ですか、水麗候すいれいこう

 こんな時でも礼儀を忘れずに敬語で話すクロウクルワッハに、シアンは軽く頷き今さっき“視ていた”ことを二人に説明した。

「手当てをする前の貴方達の傷は、正直助かったのが不思議なぐらいの物だったの。特にブラックは、数十分も時間が経っている訳だから失血死してもおかしくなかったのよ? ……けれど、貴方は私が来るまで一滴の血も逃さず、平然と立っていた……それは、本来なら有り得ないこと。それに……そのバンダナに血が滲んでいないのは、とてもおかしい事なのよ」
「確かに……その布で包んでいる間は、ブラックの腕から血が零れた事など無かったな……。ツカサから貰ったという事は、やはり何かの曜具か……」

 じろじろとバンダナを見るクロウクルワッハに、ブラックは「やらんぞ」と子供のような事を言いながら、バンダナを懐に隠そうとする。
 そんな子供染みた行動を見て、少し安心しながらシアンは続けた。

「これは完全に予想だけど……そのバンダナは、包んだ物の状態を一時的に留める事が出来るのではないかしら」
「血が垂れなかったのもそのせい……と?」
「ええ。さすがに時間を止めるという事ではないと思うけど……傷の劣化を防いだり、普通の布と違って水を零さずに包む事も出来るんだと思うわ。その布には、水の曜気を感じるし……何より、そうとでも思わないと、ブラックの腕の傷が切断直後のように新鮮なままであった理由が付きませんからね」

 シアンがそう言うと、ブラックは今日初めて明確に表情を動かし、目を丸くした。
 そして、右手で一生懸命に握り締めたバンダナを、顔の所に持って行って頬ずりをするかのようにぐりぐりと顔に押し付ける。
 ブラックのその姿は、今ここに居ないツカサに甘えているかのようだった。

「ツカサ君……っ」
「……貴方への贈り物だから、ツカサ君も頑張って手に入れたのでしょうね」
「ああ、そうだ。ツカサ君は僕の為にくれた、こんな凄いものをくれたんだ……! ツカサ君、僕の腕を守るためにあんな時に渡して……ッ、う…………」

 バンダナに顔を押し付けて、ブラックは震える。
 泣いてしまうのかと一瞬思ったが、しかしそこでもブラックは泣かず、堪えるように肩を大きく動かしながら一度深呼吸をした。

「……シアン……このバンダナを、また左腕に巻いてくれないか」

 低い声でそう言うブラックに、心が痛む。
 彼は今、ここにいない一番愛しい者を思って苦しんでいるのだ。だが、それを大人として一生懸命に堪えて、泣く事もわめく事も封印している。
 いつもなら……いつもの、ツカサの前でなら、ブラックはきっと恥も外聞も無い子供のように、傍若無人に振る舞っていただろうに。

(それが貴方のあるべき素直な姿なのに…………)

 ツカサが居ないだけで、ブラックの心は簡単に閉じてしまう。
 その事実が不憫でならず、シアンはただ口をつぐむしかなかった。

「…………シアン……。ツカサ君はね、このバンダナを巻けば、腕の怪我も大丈夫だって言ってたんだ……。ハハ……凄いよね、その通りなんだもん……」
「……ええ。本当にあの子は……いつだって、貴方の事を考えてるわね……」

 顔から放された手からバンダナを引き抜いて、シアンは左腕の患部を包むようにしっかりとバンダナを巻き付ける。
 その間も、ブラックは何度も瞬きをして、深呼吸を繰り返していた。

「…………僕のために、こんなすごい物を……ツカサ君が……」

 感動したいが、しきれない。ブラックの声はそんな感じだった。
 さもありなん。そのバンダナをブラックに託した後に、ツカサはこの島から落ちて行ったのだ。彼が今どうなっているかを考えれば、喜ぶ事すら出来なかった。
 せっかくの、恋人からの……贈り物だったのに。

 ……だが、それでもと思い、シアンは顔を上げてブラックを見やった。

「ブラック。ツカサ君がそのバンダナを今渡したって事は……貴方を死なせたくないと思ったからよ。……だから、くれぐれも無理はしないで。体力が完全に回復するまでは、動いてはいけません。……彼を助けたいなら、まず自分が助かる事です」

 解ったわね、と相手の菫色すみれいろの目を凝視すると、ブラックは所在無げに視線をうろつかせたが……やがて、ゆっくりと頷いた。

「クロウクルワッハさんもですよ。……貴方達が休んでいる間は、私の部下が情報を集めます。だから、心配せずにしっかりと休んでください」
「…………感謝する……」

 ツカサがこんな事になって辛いのは、誰だって同じだ。
 きっと、シアンの師匠であるバリーウッドも、ラセットも、自分の姉ですらも……この事を知ったら、激しく動揺し後悔する事だろう。
 彼はそれだけ真剣に相手と向き合ってきた。どんな事になろうとも、自分の意志を曲げる事無く、彼なりの優しさで一生懸命に相手と付き合って来たのだ。

 その献身を思えば、誰だって。
 誰だって、彼を早く助けに行きたいと思うのは、当然なのに。

(ツカサ君……ごめんなさいね……。だけど、私は貴方をこれ以上苦しめたくない。私と姉様を救ってくれた貴方だからこそ……貴方が望まない事は、したくないの)

 本当は、自分だって助けに行きたかった。
 だが、彼が望んでいるのはそんな事ではない。それを証拠に、彼はブラックの腕に「怪我がこれ以上悪化しないようにするもの」を巻き付けたのだ。
 だから、こちらが焦って怪我をするような事は、絶対に避けねばならなかった。

 ……けれど、その“意思の尊重”が、こんなに苦しいとは……思っても見なかった。

(変ね……私は今まで、どんな事だって受け入れて流してきたはずだったのに。……なのに、今は他人の意志に同調するのが酷く苦しい……あの子はどこに行ったのかと、私の方が泣き叫びたくなる……)

 今まで穏やかで凪の海のようだった自分の心が、今はブラックと同じぐらいに動揺して、不安と焦燥感でギリギリと締め付けられてしまっている。
 だがそれは、紛れもなくシアンが彼の事を思っている証拠なのだ。

(こんな気持ち…………いつぶりなのかしらね……)

 かつて一度、同じような心の動揺を覚えた記憶がある。
 それは忘れようとしても忘れられなかった、人生の中で最も最悪だった記憶だ。

 だが、もう二度と、その感情の先に在った絶望までは味わいたくはない。
 大切な物を失う記憶なんて、もう二度と作りたくは無かった。だから。

(今は、私がブラックのように動くばん……この子のように必死になって探す番なのよね。……だから、待っていてねツカサ君……どうか、無事で……)

 無事ではない事など、うに解り切っている。だがそう思わずにいられなかった。
 それも、心が激しく揺れ動いているせいなのだろうか。

 沸き上がって来る気持ちにさいなまれながら、シアンはブラックの腕に巻いたバンダナの端と端を、たくましい腕にしっかりと巻き付けたのだった。













※つ、次は時間内に頑張ります…
 
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