異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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暗黒都市ガルデピュタン、消えぬ縛鎖の因業編

11.変わる事を恐れる者

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 奴隷の少年――ツカサと生活するようになってから、ガストンの生活は変わった。

 別段、奴隷商人としての仕事の何かが変わった訳でも無く、相変わらずガストンは哀れな奴隷を売る商売にいそしんでいたが、その仕事への取り組み方も少々変わったなと自分で思う程に、普段の生活が変化して来たのだ。

 さもありなん。ツカサを正式に自分のもとに迎えてからと言うもの、ガストンの生活だけではなく、この黒狼館全体が妙な事になって行ったのだから。

(本当に、コイツには驚かされる……)

 最初は右も左も解らなかった少年が、今や館の使用人にすら気安く話しかけられ、和気あいあいと厨房で変な料理を作っている。
 たまたま水が欲しくて厨房に立ち寄ったというのに、自分は何を見せられているんだろうかとガストンはぼんやり思った。

「おい坊主、なんだそりゃ」
「バロメッツのお乳に砂糖を混ぜてですね……」
「へ~、あんなシャバッシャバの液体がこれだけでとろみがでるもんなのねえ」

 バロメッツとは、この館の裏で飼っている気難しい動物だ。
 他国では育成が難しいモンスターの一種だが、この国の気候では比較的簡単に育てやすいため、余裕がある家では一匹くらいは飼っている事が多い。

 小さな村なら、比較的裕福な二軒ほどがバロメッツの世話をして、その栄養豊富な乳を村全体で共有する。そんな分け合いが一般的になるほどに、このモンスターは人々の生活に根付いていた。とは言え、バロメッツはとても気難しく臆病で、基本的に家人以外の者を受け入れる事は少ない。機嫌が悪くなると乳すら出さなくなる。
 この館の料理人達でも、乳を全てしぼるのは不可能とも言える程だった。
 それがどうだろう。この少年はバロメッツを手懐てなずけてしまったのか、厨房には乳がたっぷり入った大甕おおがめが二つも置いてある。今までに見た事も無い量だった。

 そんな偉業を成し得たツカサに料理人の夫婦も感化されてしまったのか、今は彼の両隣で子供のようにはしゃいでいる有様だ。これもまた、ガストンにとっては初めて見るような光景だ。彼らのあんな姿など、初めてだった。

 二人ともこの堕落した都市の住人に相応しく、料理人としての素晴らしい腕や精神がありながらも、酷い博打ばくち癖が災いして窃盗などを行っていた落伍者だったが、この館に雇ってからは厳しく節制させていた。そのためか、欲求不満で不愛想にしていたのだが……二人がこんな風に楽しんでいる所など、博打以外であっただろうか。

 何にせよ、ガストンには見せた事のない表情だった。
 驚きながら見ていると、厨房の窓から雇っている奴らが次々に顔を出した。

「おいツカサなんだよ、すげえめぇ香りしてんぞ。ちょっと寄越よこせよ」
「あら、美味そうじゃないの」
「え~、ツカサちゃんちょっと私にも分けてよ~! 甘い物とか最高じゃない?!」

 男も女もツカサの作る「れんにゅう」だとかいう不思議なソースの匂いに惹かれ、窓から身を乗り出して掻き混ぜている鍋に鼻を動かす。
 いつもの緊張し鬱屈うっくつしている姿は微塵みじんも無い、まるで他の街の青年たちのように、無防備な感情をさらけ出して楽しそうに笑っていた。

 そんな彼らに、ツカサは笑って小さな肩を揺らす。

「みんなの分もあるからさ、後で果物と一緒に持って行くよ。井戸水で冷やした方がもっと美味しくなるから! あ、果物好き? ビスケット持って行こうか?」

 そう言うと、雇われ達は次々に注文を言う。
 だけど、ちらりと見えたツカサの横顔は、少しも嫌そうな顔をしていなかった。
 ……きっと、そんな風に皆に接するから、彼は自然と人に囲まれるのだろう。

(まったく……大したガキだな……)

 厨房から離れて、ガストンは頭を掻きながら二階へと向かう。
 水を飲もうかと思ったが、そんな気分ではなくなってしまった。厨房の光景が何となく面白くないような気がして、そんな自分に恥ずかしさを覚えたので、私室で落ち着こうと思ったのだ。……なぜ恥ずかしいのかは、知りたくもないが。

 二階の廊下の中ほどにある自分の部屋に入り、お気に入りの椅子に腰かける。
 古めかしい調度品に囲まれた部屋は少し狭く、家具や本棚でごちゃついているが、しかしそれも己の趣味によるものだったので、むしろガストンはこの部屋を気に入っていた。……掃除をするツカサはとても面倒臭そうだったが、まあそれは兎も角。

「はぁ……」

 思わずため息をついて、背もたれに体を預ける。
 彼の驚異的な求心力を見ていると、なんだか初めて会った時の事が遠い日の記憶のように思えて来て、ガストンは手の甲で目を覆った。

(まさか、この俺の【黒狼館】が、あんなに賑やかになるとは思わなかったな……)

 ――彼が目覚めてからまだ二週間も経っていない。

 だが、彼がこの館に住み始めた時から、もう変化は始まっていた。
 ツカサが館を丹念に掃除し始め、今まで交流のなかったマルセル以外の他の奴らとも交流し、ガストンとほとんどの時間を一緒に居るようになってから……たった数日で、この館は大変貌をげ、彼はこの屋敷の誰もに好かれてしまっていた。
 だが、それも無理からぬことだろう。
 何故ならば、ツカサにはそうするだけの「力」が有ったからだ。

(ツカサは誰にでも話しかけるし、無邪気な子供のようによく笑う。……純粋な好意に飢えた奴らばかりだから、少し優しくされれば簡単に心を開いちまうんだ)

 しかしそれだって、計算づくでやっても上手くは行かなかっただろう。
 この街の者は、そういう「利益」のにおいに敏感だ。何か利益を得ようとしておのれに優しく接して来る者には、特に警戒するようになってしまっているのだ。
 普通なら、優しくしただけではあんな風に皆が懐くはずもない。だからこそ、彼らはツカサの純粋な好意を読み取り、素直になついたのだろう。

 そのうえ、彼は良く働いた。
 時折、仕事を忘れて誰かと立ち話をしていたりもするが、それでも仕事を投げ出したりはしない。それに加えて、彼は厨房に立ち雇われ達の食事も監督した。
 おかげで最近の食事は非常に満足の出来るもので、料理人夫婦も舌を巻くほどであった。……今まで食べていた食事は、どうやら完璧な物ではなったらしい。

 だが、そのように時に誰かを負かすような事をしても、館の誰もツカサをうとましく思ったりはしなかった。全てを楽しみ一生懸命に働くツカサを見ていると、子供が親の為に手伝っているような風に見えて、誰もがなごんでしまうのだろう。
 いかに悪人と言えど、自分達の為に一生懸命に動く小さな子供を怒れはしない。
 彼の優しさが、料理人の自尊心も雇われ達のささくれた心もやわらげたのだ。

 まさに「純粋」の勝利と言えよう。

 人と言う物は、結局己を純粋に慕う物には勝てない。
 誰だって好かれたら気持ちが良い物だ。皆ツカサが与える暖かさに酔って、がらにもなく楽しそうにしてしまっていたのだろう。
 だが、そんな風に人に囲まれているツカサを見るのは……良い気がしない。
 何故そう思うか自分でも解ってしまっていて、ガストンは酷く憂鬱ゆううつだった。

(大人げない……どうかしている……。自分から小間使いにすると言い出した癖に、他人と交流する事すら許せないのか、俺は……)

 ――――あの日、ガストンは心を決めた。

 自分を心から慕ってくれている純粋な少年を、手放したくない。
 こんな自分を「良い人だ」と言ってくれたこの少年を、失いたくなかった。
 その気持ちがどんな物かは言い表せないが、とうに失ったと思っていた暖かい感情である事だけは確かで。それがどれほど得難い物かを解っていたから、ガストンは彼を……ツカサを、自分専用の奴隷にしようと決めたのだ。
 彼がどう思っているかなんて、考えもせずに。

 だが、ツカサは受け入れてくれた。
 こんな身勝手な自分に「一生懸命尽くす」と笑顔で誓ってくれたのだ。
 それが、どれだけ嬉しい事か。

 どれほど……心の中の自分を歓喜させたか、言い表せない。

 いつ抱き締めても必ず抱き返してくれるという存在を得られた喜びは、こらえがたい幸せの叫びをガストンに催させた。
 最早そんな衝動など起こらないと諦めていた自分を、そこまで揺るがしたのだ。

 ……だからなのか……――
 ツカサが他の誰かと親しげに喋っていると、ガストンは胸が痛むのだ。

 それが、情けなくて仕方が無かった。

(バカらしい……年甲斐もなく舞い上がって、あんなガキにすがって……。そんな風な心持ちだから、今まで誰にも好かれなかったのかも知れないのに)

 過去を思い出せば、後悔や悲しみは押し寄せてくる。
 今までの事を思えば、今の自分は本当に滑稽こっけいで仕方ない。
 素直に喜ぶのは愚かだと理解しているからこそ、制御できない感情が恥ずかしい物のようにしか思えなくて、とてもではないがあの輪の中に入って行けなかった。

「はぁ……」

 思わずため息を吐くと、その音を掻き消すかのように扉を叩く音が聞こえた。

「ガストンさん、入って良いですか?」

 丁寧ていねいに聞く、声変わりしたのかどうか判断が付かない少年の声。
 そんな声の主など一人しかいない。ガストンはだらけた姿勢をすぐに直すと、扉の向こう側に居るだろう相手に「入れ」と許可を出した。

 すると、まず扉が開く。
 だがすぐにツカサは入って来ず、肩でドアをゆっくり開けながら、後ろ向きで部屋に入って来た。何事かと目を丸くしていると、ツカサはこちらを向く。
 と、その両手は果物とソースを入れる小壺を乗せたトレイを掴んでいた。

「お、お尻でドアしめて良いですか」
「…………手が空いてたらやるなよ」

 そう言うと、ツカサはホッとして、ガサツにドアを閉める。
 自分には丁寧にしているが、基本的にこの少年は粗雑なのだろう。

「ガストンさん、おやつ……じゃなかった、お茶の時間に食べて貰いたくって、故郷に居た頃のえーと……水菓子? って感じの奴を作ってみたんですけど、食べて貰えますか? これなんですけど」

 そう言いながら差し出して来たトレイの中をまじまじと見やると、小壺には先ほどツカサが作っていた「れんにゅう」という物がたっぷりと入っていた。
 乳を掻き混ぜていただけあって、色は乳白色のソースだ。
 それと合わせるためなのか、皿には綺麗に洗ったヘビイチゴが乗せられている。

「このソースは、練乳って言う甘いソースなんですけど、こういう甘みの少ない果物とかに掛けたりすると、より甘くなって美味しいんですよ!」
「ほう……」

 甘い物は嫌いではない。寧ろ、昔は金が許す限り食べていた気がする。
 テーブルに置かれたソースを早速ヘビイチゴに掛けて食べてみると、予想外の甘く濃密な味に思わず瞠目どうもくしてうなってしまった。

 食物に関する語彙は決して多くは無いので表現が難しいが、これは凄い。
 鼻に突きぬける乳の匂いはいつも以上に濃厚で、舌に乗せた時に感じた甘みも刺々とげとげしい物ではなく、とろみがイチゴに上手く絡んで甘みで酸味を包んでいる。
 いつもは眠気の緩和などに口にしていたい果物だったが、ひと手間加えるだけで見違えるほどに魅力的な菓子になるとは思っても見なかった。

「お、美味しいですか?」

 驚きつつ無言でフォークを動かすガストンに不安になったのか、ツカサは体をもじもじと揺らしながら、上目遣うわめづかいで聞いて来る。
 そんなに自分の評価が欲しいのかと思うと悪い気はしなくて、ガストンは気分よく応えてやった。

「ああ、美味い。これは良いな」

 そう言うと、ツカサはすぐに顔を明るくして照れたように笑った。

「えへ、よ、良かったぁ。うろ覚えで作ったから、実はちょっと不安で……。でも、ガストンさんに一番に食べて欲しかったから急いで持って来たんです」
「……そ……そうか……」

 一番に食べて欲しかった。
 そこまで自分を思ってくれているのか。

(…………一人で落ち込んでいた自分が馬鹿らしいな……)

 そうだ。
 彼がどんなに人に囲まれようが、彼は自分を好いてくれている。自分の事をいつも気にかけてくれているのだ。それだけでもありがたい事じゃないか。
 そう思うと心が軽くなって、ガストンは改めてツカサに礼を言おうとした。だが、ガストンより一拍早く嬉しそうに声をかけてきて。

「ガストンさんって甘いの苦手でしたよね? だから、ちょっと不安だったけど……美味しいって言って貰えて良かったです!」

 輝かんばかりの満面の笑顔でそう言われて、ガストンは瞠目した。

 ――――甘い物が、苦手?
 自分はむしろ、甘い物は好きで……苦手などと言った事も無かったのだが。

(……まさか…………)

 そう、思うが。

「あっ、そうだ! 今日の夕食とかって、何食べたいとかありますか? 何か今日は色々食材が手に入ったらしいから、俺も手伝って美味いモノ作りたいなって……」
「あ、ああ……そう、だな……何が良いか…………」

 考えたくない。
 無意識にそう思ってしまい、ガストンは次の話題に逃げてしまった。

 …………気付いてしまえば、逃げられないと解っていたのに。














※遅れてすみません…('、3)_ヽ)_
 
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