異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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空中都市ディルム、繋ぐ手は闇の行先編

59.例えこの身が焼かれようとも

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「――――~~~ッ!!」

 怒鳴るような声に、体がビリビリと震える。

 射竦いすくめられたように動けない俺に、レッドは鬼のような形相で手を伸ばしてくる。体の上に乗られているせいで身をよじる事も出来ない。どうにか逃れようとするけど、俺よりも体重が重いレッドには到底かなわなかった。

 ……怖い。いつも以上に、レッドの事が怖い。
 こんな顔今まで見たことも無くて、どうしたら良いか考える事も出来ずただほうけていることしか出来なかった。

 レッドが何を考えているのか解らない。青い瞳が星の光なんて跳ね返すほどにギラギラと光り、獣のように歯を剥き出しにしてきしませている。
 人が怒りを剥き出しにした表情がこんなに怖いなんて思ってもみなかった。

 怒られて涙が出る事は今まで何度もあったけど、人の表情に心底恐ろしいと思って涙する事があるなんて知らなかったんだ。でもそんな事を考えても、もう遅い。
 今目の前に突き付けられている状況は、俺の気持ちなど待ってはくれなかった。

「その手をどけろぉぁああ゛あ゛!! 燃やしてやる、そんなもの燃やしてやる! あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

 レッドの手が、指輪を守る俺の手を引き剥がそうとして来る。
 だけど、そんな訳には行かない。怖いけど、動けないけど、でも、それだけは絶対に出来ない。この手を開く事は出来なかった。

「離せと言っているだろうが!! 燃やされたいのか!!」

 怒りのせいなのか、さっきまであれほど力強かったレッドの手は、俺が必死に握り締めている手を開く事すら出来ないでいる。
 だけど俺のかたくなな態度に業を煮やしたのか、怒鳴りながら右手に炎を纏わせて俺に近付けて来た。俺ごと指輪を燃やそうってのか。怖い。あの炎をまとった手を押し付けられたら、火傷やけどでは済まないかも知れない。

 でも。だけど。

「い、やだ」
「あ゛ぁ!?」
「ぃやだ……嫌だ……っ! 絶対にっ、指輪は燃やさせない!!」

 この指輪は、ブラックがくれた物なんだ。
 俺の大事な奴がくれた、一生懸命作ってくれた大事な指輪なんだ。
 大事な、大好きな、俺を恋人だと言ってくれる大切な奴の分身なんだ……!

 ――そう、強く思って、俺はぎゅっと目を閉じ手に力をめる。
 握り締めたら握り締めただけ、力が湧いてくる気がする。炎なんて怖くない。指輪を永遠に失ってしまう事に比べれば、何度でも再生する自分の体で守るくらい平気な事のように思えた。それだけ俺は、この指輪に救われている。守られているんだ。

 ブラックがくれた、ずっと一緒に居るという約束の証でもある、婚約指輪に。

「離せと言っただろうがぁあああ!!」

 目を瞑った暗闇の世界で、炎が燃える音が聞こえる。
 その音が近付いて来る――そう認識した、瞬間。

「あ゛ッ……――――!」

 焼ける音がする。何が焼けているのかと、思って、

「ぎあ゛ぁあ゛あ゛ッ!! あ゛っ、ああ゛ぁあ゛あ゛あ゛!!」

 手の甲が何かに浸食され溶けるような凄まじい感覚と、痛みとも痺れともつかない強烈な熱の衝動に悲鳴を上げて目を見開いた。
 痛い。痛い、熱い、痛い、痛い、わからない、なんだこれ、嫌だ、辛い、苦しい、痛い、怖い、逃げなきゃ、逃げたい熱い痛い熱い痛い痛い痛い痛い!!

「あ゛あ゛ぁあ゛あ゛ああぁ!! い゛ぁあ゛っ、がっ、ぎっ、ぎぃっい゛ぃ……ッ!!」

 唾液だえきが絡んで、気味の悪い悲鳴が喉から絞られる。悲鳴なんか上げたくないのに、こんな声出したくないのに、何も出来ない。自分の思い通りにならない。
 手の感覚が解らない、視界の端に赤いなにかが見えるのに、頭は何なのか解らない衝動から逃れようと滅茶苦茶に振り回される。
 周囲の景色がにじむのは、汗のせいか涙のせいかもう解らない。

「離せと言っているだろうが骨まで焼けてもいいのかお前ああああ!!」

 ぶすぶすという音と、何かが沸き立つような音、炎の燃える音。
 自分の悲鳴がうるさいくせにそれだけは良く聞こえる。
 鼻が嫌な臭いを嗅ぎ取って、息が引きつった。

 だけど、手の感覚がある。握った感覚がある。
 指輪の感覚が、手の中に、ある。

 その感覚が確かに存在する、それだけで、俺は。

「ぃ、ぎっ、ひぐっ、ひっ、ひ、あ゛っあ゛ぁあ゛……!」
「ッ……!!」

 だけどもう、感覚が解らなくなってくる。
 俺の手、どうしたのかな。指輪は無事なのかな。嫌だよ。痛いのは、熱いのはもう嫌だ。逃げたい、もう嫌だよ。だけど、指輪が無くなるのは、指輪が解らなくなるのはもっと嫌だ。ブラックに貰った指輪が消えちゃう。いやだ、いやだよ。

 俺の大事な宝物なんだ。好きな人から貰った、初めてのプレゼントなんだ。
 ブラックが俺のために作ってくれた、大事な、証なんだ。

 解らない。手がもう感覚が無くて、動いてくれないんだよ。
 ……俺の指輪、無事なのかな。守れたのかな。
 ブラックが一生懸命に伝えて、与えてくれたものを、俺は守れたのかな……?

「なんで……離さない……っ」

 ――――レッドの声が、聞こえる。
 苦しそうな、痛そうな声。

「それほどの重傷を負って、泣くほど痛がっているのに……なんで……どうしてその指輪を離さないんだ……ッ!」

 レッドが叫んでいる。
 指輪……ああ、そうか、在るんだ。まだ、燃えてなかったんだ。
 俺は大事な指輪をちゃんと守れたんだな……。

「ぅ……ひぐっ……ひっ……ぃ…………」
「…………」
「よが……だ…………ゅ、び、あ……」

 指輪、無事だった。

 良かった。守れた。ブラックがくれた大事な指輪、守れたよ。

「なんで……どうしてお前はそんなにあんな男の事を……ッ!!」

 レッドの声が歪んでいる。でも、目がかすんでそれ以上の事は解らない。
 もう痛みも感じない。それだけが救いで、震えるまぶたまばたきをしたら、何度もほおに水が伝った。それすらもう、涙なのか汗なのか俺には判断がつかなかった。

「どうして、お前は……ッ」

 レッドの手が、また俺の方に伸びて来る。
 また指輪を奪おうとするのか。隠さなきゃ。無事な方の手で、もう一回……

「う……う゛ぅ……っ」

 絶対に、指輪は奪わせない。

 震える手を必死に動かして、レッドの手が近付く前になんとか自分の手を守ろうとする。触れるのを躊躇ためらうレベルの火傷を負っているのかも知れなくても、守らないという選択肢など無かった。

 アンタになんか、絶対に屈しない。
 大事な物のためなら、何度だってあらがって守って見せる。

 近付いてくるレッドの大きな手に、睨んでいるつもりの歪んだ顔を向けながら必死に抵抗の意思を見せる。手がうまく動かない。だから、顔で示すしかなかった。
 だけど手が間に合わない。このままじゃ、奪われてしまう。

 目の前に手が迫っている。
 先に目を覆って、俺を完全に沈黙させる気なのか。
 動かない体を必死でじろうとしたと、同時。

「貴様あぁああああ!!」
「――――ッ!!」

 目の前に在った手が、横に逸れて一気に視界が開ける。
 今まで影が掛かっていて流星すらも見えなかったのに、一気に光が降って来た。

 何が、起こったんだろう。

「ツカサ君!!」
「ガァアッ!」

 ドン、と地面を揺らす音が聞こえて幾つもの木が倒れる音が耳をつんざく。
 だけど耳をふさぐ前に俺は何かに体をすくわれて、その場から遠く離れていた。

「あ、ぇ」

 あったかい。
 抱き締められてる。

 嫌なさえぎるように、いつもそばで感じているありとあらゆる感覚が自分を包み込んで来て、気付けば無意識に体を弛緩しかんさせていた。
 ああ、そうだ。このにおいも、この抱かれる感覚も、この大きな手も……

「ツカサ君……っ」

 俺の、大事な……ブラックの、全部だ。

「ぶらっ、く……」
「手をこんなにして……ッ!! なんで、どうしてこんな!」

 走りながら、ブラックは俺の頬にぼたぼたと何かをらしてくる。
 せっかく夜風が気持ち良いのに、冷たくてどうしようもない。だけど、ぎこちなく頭を動かして相手を見上げると、ブラックが鼻水を垂らして泣いているのが見えた。

「俺の手……そんな、酷いんだ……」
「酷いなんてもんじゃないでしょ!? なんでっ……なんで……!」

 変だなぁ。レッドに「なんで」と言われた時はこんな気持ちにならなかったのに、今はどうしてか笑って答えてやりたくなってしまう。
 ブラックが俺のために泣いてくれてるんだと思うと、何も辛くなかった。

「だって、アンタがくれた、指輪…………燃やさせたく、なかったから」
「ツカサく……っ、う゛っ、ぅ、う゛ぁあ゛ぁ゛……ッ」

 泣くなよ、せっかく助かったのにさ。
 それに泣いてる場合じゃないからアンタも走ってるのに、これじゃ格好がつかないじゃないか。せっかく格好良く助けに来てくれたってのに。

「泣く、なよ……。指輪、きっと……無事だから……」
「指輪なんて……もっ、もう一回作るよ……ッ! 僕、ツカサ君がこんなに傷付く方が嫌だよぉお!!」
「ブラック……」

 ぎゅっと抱きしめられて、その拍子に布に押し付けられたらしい俺の手がじりじりと音を立てる。布を焼いているのかも知れない。そんなに酷い状態なんだろうか。
 何にせよ、ブラックの服をダメにしたくない。

「ブラック、服……汚れる……焼けるってば……」

 だから、もう少し離れた方が良い。そう言おうと思ったんだけど、ブラックは俺の体を離すことなく、涙で濡れる頬を俺の顔に押し付けながら森の中を走った。

「嫌だ……ッ、もう、離さない……!!」

 …………ああ……。
 ごめん、ブラック。ごめんな。悲しい思いさせて、本当にごめん。
 だけど俺、嬉しいんだ。

 アンタ達が、俺が信じた通りに助けに来てくれたから。












 
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