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空中都市ディルム、繋ぐ手は闇の行先編
27.那由多を越えしもの
しおりを挟む白い、自分すらも見えなくなるほどの白い空間。
自分が目を動かしているのか、手を動かしているのかすら解らない場所で、なにか揺蕩う心地だけがあって、ただそれに従い続ける。
『何故いまだに“到達”していない?』
なんだろう。
声が、聞こえる。
だけどこの声は知らない。
『使命は伝えられた。目標は提示された。後は探し、到達するだけだ。それなのに、何故“到達”しない。これもまた、失敗なのか』
……いや……知っているのか……?
でも、怖い。
どうしてだろう。俺は知らないと思っているのに、この声を知っている。
そして、怖い物だと無意識に考えている。
怖いと思った記憶すらないはずなのに、どうしてこの平坦で男とも女ともつかない声が怖いと思うのだろう。
俺が「怖い」と思った人達の声とは全く違う、不可思議な声なのに。
『遮るものはなくなった。過去の神の妨害はここでは起こらぬ。何故、それで黒曜の使者としての使命を果たそうとしない』
使命って……神様を殺すってこと……?
でも、誰を。どの神を殺すって言うんだ。何もしてない神様をどうして殺すんだ。
俺は神様に会った事が無い。
この世界に落ちて来てから、神様に何かをされた事なんてない。
なのにどうして……神様を殺さなきゃいけないんだ……?
『異常の常態化――――定めを捻じ曲げようとした神々の仕業か、世界の変化によるものか。一巡を迎える前に崩壊しようとしているのか』
『もう“これ”は駄目かもしれない』
『代替わりをしても維持できなかった』
駄目……イジ……?
何を言ってるんだ。「声」は一人じゃないのか?
『何故――――はいつも異常を起こす。――ラスを定めた時から何も変わらない』
『根が腐ると枝葉も腐る』
『一巡を完成させなければこの世界は腐る』
『停滞は崩壊を呼ぶ』
『だが維持が出来なければ進む事も戻る事すらも出来ない』
腐る……一巡を完成させなければ、世界が、腐る……。
それって、この世界のこと?
どうしてそんな事が言えるんだ。アンタは……アンタらは、一体、誰なんだ。
『元よりたった一人の我欲の世界。やはり“ここ”に神を置いたのは失敗だった』
『だが神が存在しない』
『魂に意志を授けるべきでは無かった』
『終わる』
『枯れる』
『滅ぶ』
怖い。どうして。どうしてそんな事を言うんだ。
この世界をどうして否定する。
『終われば、閉ざさねばならない』
『根幹より出でる魂の新たな置き場を』
『良い。全てはそういうもの』
怖い。
声が、怖い。
『シュウカクしたとしても、輪は巡る』
『一巡を繰り返す』
いやだ。もう、聞きたくない。
もう話すな。俺に、聞かせないでくれ。
『導きの声から外れし逸脱の使者』
『肯定も否定もしない』
『壊れるのなら、世界が終わるまで、一巡を繰り返すだけ』
『神の在不在に関わらず』
嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だいやだいやだいやだいやだ……!!
『――――何故、聞こえている?』
……え……。
………………え……?
『驚いた』
『理から外れた』
『逸脱者の介入が故か』
『いや狂ったからかもしれぬ』
『面白い。定めは既に崩壊している』
声が、向けられている?
なにがどうなってるんだ、何だ。これは、何なんだ。
『個体の名、潜祇 司』
『この狂った世から唯一那由多の域を超え我々に到達した者』
『面白い』
『面白い、面白い、面白い、面白い』
なに、これ。
声がまとわりつく。怖い。嫌だ、触るな。
足を動かしてるのに、どうして動かない。どうして白しか見えない。どうしてこの場所から、逃げ出せないんだ……!!
『定めが崩壊した世界、理が存在しない曖昧な世界』
『どう動く』
『我々に、見せて見ろ。この世界が保たれるべき世界か』
『枝葉として生まれし“止まり木の世界”を、新たなる世界と成す存在が』
『逸脱した存在を寄せ集め』
『新たな理が生まれるのであれば』
触るな、触るな触るな触るな!!
嫌だ、はなせ、嫌だ……!!
『おまえを、新たなる存在として認めよう』
「――――――あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛あああ!!」
動かなかった体が、一気に浮き上がる。途端、見開いた目が一気に色を取り戻し、輪郭のある鮮やかな世界に戻って来た。そう思ったと同時、俺は、自分でも認識出来ないような絶叫を上げて、いて。
「ツカサ君っ! ツカサ君、落ち着いて!」
「ツカサ!!」
体が動かなくなる。怖い。怖くて暴れようとして、だけど思う通りにならなくて、そのまま腕を振り上げそうになって、見た、そこに、そこには。
「ツカサ君、大丈夫、大丈夫っ。僕だよ、抱き締めてるの僕だから……!」
「オレもそばにいる……だから、落ち着けツカサ……」
赤い、かみ。
むらさき、いろの……すみれいろ、の、目。
「ひぐっ、ぃ゛っ、い゛っ、あ゛っあ゛」
「そう、僕だよ。分かるね、ツカサ君……大丈夫だから、落ち着いて……」
声が、出ない。ひきつけを起こしてるみたいで、喉が変に動いてて、声が悲鳴しか出なくて、苦しい、くる、しい、い、い、息が。
「ひっ……ヒッ、ぃ、ひっぅ」
「……ッ、ツカサ君!」
「ん゛ん゛ッ!」
口を、塞がれる。
肺がびくびくと痙攣して膨らんで、息が止まって、呑まれて。だけど、生暖かい息と、柔らかい感覚が伝わって来て、引き絞られた肺から息を根こそぎ奪われる。
苦しい。つらい。
だけど、くちに……舌……そう、舌が口の中で蠢いて、何度も何度も優しく擽って、俺の肺から空気が無くなるまで吸ったと思ったら、口を離して、もう一度、俺の口に唇を合わせて、きて……。
「…………っ……ん……ッ……!」
さっきまで、心臓が脈打つような体の中の音しか聞こえなかったのに、今は口の中のくちゅくちゅという音が聞こえる。
気付けば息はもう苦しく無くて、やっと唇を離される頃には……俺の呼吸は、元に戻っていた。……まあ、凄く長くキスしてたから、いつもより荒かったけど……。
「はぁっ、は……はぁ……」
「ツカサ君……」
目の前に、ブラックの顔が有る。
大人なのに、子供みたいな心配そうな顔をして、俺の事を見つめている。
ウェーブがかった綺麗な赤い色の髪と、菫色の瞳。格好いいのにだらしない、無精髭だらけの……俺の、こいびとの……顔……。
「ぶら、っく……」
「良かった……! ツカサ君、大丈夫? 寝てからずっと魘されてたんだよ」
「うな、され……」
て、と、続けようとして、体がぐいっと別の場所に引き寄せられる。
ブラックとは違う、浅黒くて逞しいがっしりとした腕。
その腕に目を瞬かせていると、不意に顎を掬われて、再び視界が不可思議な色と浅黒い肌の色に閉ざされた。
「んっ、んぅ……っ」
「おまっ……!!」
「ツカサ……ツカサ……っ」
こ……これ……クロウ……俺、クロウとキスして……。
あ、あぁ、駄目だ。嫌がらなきゃ行けないのに、体が言う事を聞いてくれない。
クロウだって解ってるのに、皮が厚くて少しカサついた唇を合わせられると、自分の唇を熱い舌で舐められると、背筋がゾクゾクして力が抜けてしまう。
ブラックとのキスでドキドキしている心臓が、更に激しく脈打ってしまう。
また頭がボーッとしてきて、体が熱くなって……。
「おいっ! もう良いだろやめろクソ熊!!」
「んんっ」
急激に引き剥がされて、今度はブラックの腕の中に捕えられる。
もうこれ以上話すまいとでも言うように、胡坐をかいた足の上に体を乗せられて、俺はベッドの上でブラックに拘束されてしまった。
「ム……ずるいぞブラックばかり……」
「じゃかしいわッ!! ツカサ君大丈夫? あのクソ熊に曜気吸われてない?」
「う……うん……」
あちこちに引っ張られて頭がぐるぐるしているが、それ以外は別に平気だ。
息もやっと治まって来た。心臓は……まだドキドキしてるけど……そ、それは、今の二人からのキスが原因だし……。
とにかく、平気だ。
っていうか、一番驚くのはブラックがクロウをあんまり怒らなかった事なんだが。
……まあ、クロウがするんだったら、キスくらい別に気にしないけどさ。
「ツカサ君……悪夢でも見たの?」
俺のボケた考えなど知らないブラックは、相変わらず心配そうに見つめて来る。
しばらくブラックの言葉が理解出来なかった俺だが、相手の顔を見つめている内に段々と起きる前の記憶がはっきりしてきて、記憶を拾うように目を泳がせた。
……そうだ。俺、変な夢を見てたんだ。
唐突で、意味が分からなくて、何故か途轍もなく怖い……そんな、悪夢を。
だけど、あれ……何だったんだろう……。
ていうか俺、そんなに魘されてたのか?
「ブラック、俺……どんくらい魘されてた……?」
「え? うーん……だいたい半刻前くらいかな……。僕がツカサ君で自慰……ええと、とにかく起きた時にね、急にツカサ君の様子が変になったんだよ。だから、僕が起こそうと思ったんだけど、ツカサ君全然起きないから……」
すっごく心配したんだよ、と情けない顔で見つめて来るブラックに、俺は胸の奥がグッと痛くなって、申し訳ないような、嬉しいような、なんだか言い表せない気持ちになった。
そのせいなのか、俺は……素直に、ブラックの胸に寄り掛かりたくなって。
「あっ……! つっ、ツカサ君!?」
「……今だけ……こう、させて」
ブラックに抱き締められていると、緊張が解けてどっと疲れが出てくる。
あったかくて、広くて、硬い、俺とは違う大人の胸。
俺の事を心配してくれる、大事な人の……。
「ツカサ……」
段々と目が閉じて来た俺を心配そうにクロウが見ている。
力が抜けてあまり上がらない手を浮かせると、クロウはその手を両手で握って俺を安心させてくれた。
「クロウ……ブラック……俺……眠く、て……」
「いいよ。今は素直に寝た方が良い。今度はさ、ツカサ君が怖くないように、ずっと僕が抱いててあげるからね」
「オレも一緒に居るぞ、ツカサ」
「うん…………う、ん……」
頷こうとするけど、頭がまたぼやけてきて、きちんとした返事が出来なくなる。
だけど、これは酸欠から来るものじゃない。
ブラックの吐息が、クロウの大きくて温かい手が、俺の体に染み込んでいく。
二人が傍に居てくれるんだと思うと全身から力が抜けて、さっき悪夢を見たばかりだというのに、自分でも驚くほど意識が落ちそうになっていた。
「……二人、とも…………心配、させて……騒がせて……ごめ……」
もう、目を開けていられない。
瞼を閉じて黒い世界に落ちると、頭の上から二つの優しい声が降って来た。
「ふふ、本当ツカサ君たら律儀だなぁ……」
「謝らなくても良い。オレ達は、好きでお前のそばに居るんだからな」
怒って、ない?
良かった。ごめん、こんな事させて、すぐにありがとうって言えなくて……。
起きたら、頭がはっきりしたら、ちゃんと……ありがとうって、言おう……。
そう、思って――――俺は完全に、意識が落ちた。
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