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空中都市ディルム、繋ぐ手は闇の行先編
19.一秒前まで存在しない物を証明する術は無い
しおりを挟む「ど、どうしてバリーウッドさんお一人でここに……」
悍ましい恰好を見られてしまったが、相手は別段変だとは思っていないようだ。
そう思われるのも非常にキツかったけど、笑われるよりはマシというものか。とにかく何故ここに御付も無しにやって来たのかと問うと、相手は「ほっほ」と好々爺のように笑って、白くてもっさりした仙人っぽい髭を扱いた。
「いやいや、お忘れですかな? 貴方には【六つの神の書】をお見せすると約束したはずですが……他の方々はどうなさったのですかな」
「あ、えっと、クロウは少し体調が悪くて……。ブラックは用事で出かけてます」
「ほう、それは困りましたな……。ツカサ様も、お二人とご一緒におられた方がよろしいでしょう?」
「それは……まあ……」
男らしくないけど、正直ブラックとクロウが一緒に居てくれた方が安心する。
だもんで、出来れば同行して貰いたいという意志をバリーウッドさんに見せたのだが、相手は臆病な俺の様子にも嘲笑する事は無く、気の良いお爺ちゃんのようにニコニコと笑いながら小首をかしげた。
「でしょうなあ。それなら、閲覧はまたの機会にいたしましょうか」
「せっかく迎えに来て下さったのにすみません……」
「いえ、よろしいのですよ。我々には時間などさして問題は有りませんのでな。……しかし、そうなると暇になりましたなあ」
どうしたものかとあからさまな態度で悩むバリーウッドさん。
そこに丁度エーリカさんがやって来て、ぐさりと言葉を刺した。
「それほどお暇でしたら、院に戻って書類を少しでも処理なさったらいかがです?」
「ウッ」
「軟禁状態のシアン様は、ずーっとどこにも行けずに書類とにらめっこしていらっしゃるのに、補佐のバリーウッド様がのんびりしていてよろしいので?」
「む、むぅう……そっ、そうだ! 儂はこのツカサ様に用があってのう! ヒマではなかったのだ、よし行こう、さあ行きましょう外に」
そう言いながらバリーウッドさんは俺の肩に手をやって、外に連れ出そうとする。
俺はこの服なので絶対外には出たくなかったのだが……外身がお爺さんと言えど、彼らエルフは肉体的には全然衰えていない。抵抗しようと思ったのに、あれよあれよと言う間に庭へと連れ出されてしまった。
あああぁあこんな変な格好で外に出るなんてええええ!
「ばっ、ばっ、バリーウッドさんっあの俺こんな格好で外……!!」
「ああ、大丈夫ですよ。下地で言うドレスに似た服を着用するのは我ら神族でも普通の事ですし、なにより人族には性別だけではない性があると知っておりますのでな。母子と父子……メスとオスでしたかな。王宮の物は皆その程度の知識は有りますので、ご心配なさらずともよろしいのですよ」
ニコニコと微笑みながら、バリーウッドさんは俺を気遣ってくれる。
いやでも、腕に抱えたおっきい蜂さんぬいぐるみ(実は生きてる)とか見て、俺の頭は大丈夫だろうかとか思ったりしないんだろうか。
男がぬいぐるみだぞ。男が。
つーかナチュラルにメス扱いってどうなの!
もう勘弁して欲し……いや、今なんかちょっと引っかかる所があったぞ。
バリーウッドさんの口ぶりだと、まるでこっちではオスとメスの区別など重要じゃないみたいな感じじゃないか?
そういえば、今まで深く考えた事も無かったけど……俺が出会ったエルフの家族は全員夫が男で妻が女という至って普通なご家庭だった。ラセットだって普通にお姫様が好きという異性恋愛だったし、シアンさんもアイスローズさんに「お母さん」って呼ばれてたから、それは間違いないはず。
だとしたら……エルフ神族は全員男女の区別しかないのかな……?
「あの……つかぬことを伺いますが……エルフ神族って、もしかして男女以外のオスとかメスって区別は無いんですか……?」
今更別荘に帰るわけにも行かず、バリーウッドさんと一緒に庭園を歩きつつ問う。
すると、相手は意外そうな顔をして目を瞬かせた。
「おや、ご存じなかったのですか。我々はこの島を作り上げた神の加護によって今も生きている、いわば古代の種族です。ですので、我々は人族とは違い、女の腹の……つまり、自身の肉体に子を宿らせ、女が自力で子を産むのですよ」
…………え?
ちょっと、待って。それって……。
「もしかすると、ツカサ様がいらした異世界では下地の人族と同じ方法なのかも知れませんが、我々は神に創造された時のまま、男女と言う自然な決まりの中で子を成し長い時間をかけて子を育てているのです」
いや、違う。俺の世界だってそうだ。エルフ神族と一緒なんだよ。
女の人がお母さんで、男の人がお父さん。男は必ず女と夫婦になって子をつくる。
もしかしたら科学の進歩とかで同性も子供を作れるようになるかもしれないけど、でも、俺達の世界は男と女という……エルフと同じ、その区別しかなかったんだ。
けどそれって、この世界じゃ変な事じゃないのか。
この世界の人間は「種」というものを体に埋め込んで、その種の力で子供を作るんじゃないのか。人族も、獣人族もそういう風になっているのに、どうしてエルフ神族だけが俺達と同じ方法なんだ。どうして。
にわかには信じられず、思わず立ち止まってしまった俺に……バリーウッドさんは、優しい笑みで目を細めながら俺をじいっと見つめた。
「妙だと、思いますか?」
「…………」
言葉が、出ない。
少し肌寒い風が髪を浚って、服の裾をはためかせた。
花の良い匂いがする。だけど、その事に思考が向いて行かない。ただ、相手の瞳が自分を映してくる様を見る事しか出来ず、俺は固まってしまっていた。
そんな俺に、バリーウッドさんは微笑んだまま手を伸ばしてくる。
「…………貴方は、この世界についてどう考えておられますか」
「ぇ……」
言葉が、出ない。
皺が深く刻まれた細い手が、頬に触れた。
慈しむように触れてくれるけど、何故か俺の背筋は冷たくなり、言い知れぬ恐れにゾワゾワと総毛立ってしまう。だけどこれは、バリーウッドさんが怖いんじゃない。
これは。この、感覚は……なんだ……?
「誰に定められたわけでも無く起こる、神と黒曜の使者の永遠の争い。人々から忘れ去られた【空白の国】。決して変わる事を許さない人族達の国と……子を成すのは女だけであるはずの理が失われ、男と女の境界が曖昧になった歪な性……。貴方は、それを、自然だと思っていましたか?」
「あ…………ぅ……」
確かに……おかしいとは、思った……。
けどこの世界は異世界で、それが当たり前の事だから……変だとは思わなかった。
異世界の常識が俺の常識と違うのは当然だし、体の作りが違ったって当たり前だと思ってたから。だけど……。
「我々がおかしいのではない。しかし、彼らが不自然なわけでもないのですよ。神の定めによるものであれば、それは世界の【自然】と成る。世界は神により成される。それは誰にも止められぬものであり、それが絶対なのです。しかし誰も、そのことを“不自然”と考える事は出来ない。……本来で、あれば」
「………………」
「例え、昨日なかった存在が今日そこに在ったとしても、神が『初めから存在した』と言えば……それは初めから存在したことになる。……この世界では、そこまで極端な事はありませんが……神と言う物は、それほどまでに巨大な存在なのです」
なにを、言っているんだろう。
よく解らない。どうして俺に神様の話をするんだ。
バリーウッドさんは、何を言いたいんだ?
戸惑って相手を見上げることしか出来ない俺に、バリーウッドさんはその微笑みを少し悲しそうに歪めて、白い髭に覆われた口角をわずかに上げた。
「唐突な話なのです。理解出来なくても無理はない。しかし、貴方には……これから恐らく誰よりも辛い役目を背負う貴方には、その事だけは知っておいて欲しかったのです。……儂は最も古い神族であり、四柱の神を見た最後の生き残り。数万年の記憶を継ぐ最後のエルフ。どうかそのことを……忘れないでくだされ」
「バリー、ウッド……さん……」
頬を、しっとりした老いた指が撫でる。
だけどその力は俺の婆ちゃんのような優しさは無く、ブラックと同じ力で。
不自然で、自然で、俺にとっては特異で、この島では当然の……力で……。
…………なんだろう。俺は、何を考えてるんだろう?
よく解らない。バリーウッドさんがどうして急にそんな事を言い出したのか、理解が出来なかった。
だけど、バリーウッドさんは悪意をもって俺に今の言葉を伝えたのではない。
それだけは解って、俺は正気を保つために目を瞬かせながら、ぎこちなくしか動かない口を必死に笑みに歪めて、大丈夫だと笑った。
「ツカサ様」
「ホントの所を言うと……今の俺には、教えて貰った事の半分も解りません。だけど、俺のために話してくれたっていう事だけは俺にも解るから……意味が解るまで、考えます。とても大事な事だと思うから」
正直にそう言うと、バリーウッドさんは屈託なく笑った。
「貴方は自分が思っているよりも、ずっと聡明ですよ」
そうかな。そうだといいな。
素直にそう思って少し照れた俺に、相手は更に笑って、頬を撫でていた手で俺の頭を優しく撫でた。まるで、お爺ちゃんが孫にするみたいに。
「少し、散歩をしましょうか。貴方は植物がお好きだとシアンから聞いていますよ。この浮島にも固有種がおりますので、紹介しましょう」
「あっ、ほんとですか?!」
「ええ。その龍の眷属であるありがたい蜂様とともにおいでください。ああでも……人がいる場所では、他の者を驚かせてしまうので、人形の振りをお願いしますね」
しーっと指を立ててウインクをするお茶目なバリーウッドさんに、俺と柘榴は子供みたいに笑ってしまった。
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